2016年05月24日

『第三の男』感想文 〜 映画への親しみ方を個人的に振り返る

2年前にも一回見ているが、見るたびにつくづく感心させられる。もしかしたら、この映画こそ本当に映画史上のベストワンかも知れない。それほどまでに完成した画面の連続と、たたみこむような構成、息もつけないサスペンスとショック。すべてが素晴らしく、おそらく最高であろう。
まず、この映画の最大の魅力は撮影である。キャロル・リードが想像した画面をロバート・クラスカーが適格にカメラに収め、どれをとってもすきのない完成度である。多用されるのは、傾斜した画面なのであるが、その使い方が映画が終わるまで新鮮である。ここというときにうまく使われ、まったく無駄がない。特に人物のクローズ・アップが斜めになって出てくるのは、多少なりともショック的であり、これが良い効果を生んでいる。次に光と影であるが、白黒の画面には、すこぶる芸術性の高い濃度が生まれ、随所でうまいなあと感心させられる。ハリー・ライムがホリーに追われて逃げるとき、ビルに映る影が走っていくところと、風船売りの大きな影が不気味にうかびあがって来るところは、サスペンス効果を見事に高め、これが「第三の男」のきわめつけと言っても良い出来である。また、ハリー・ライムが登場するシークエンスは、絶対に映画史上最高のものだと断言出来るもので、ここだけははっきりと僕の頭の脳裏に残っている。アリダ・ヴァリ演ずるアンナのアパートでジョゼフ・コットンのホリーが話をしている。2人の会話の中でネコのことが話題になるが、「ハリーにだけはなついたわ」ということが観客にわかる。ネコはいつのまにか戸外へ行っていて、道路の男によりそっていく。このアパートの部屋から、道路上へのカメラが移動するのが、実にスムーズでカメラが2人の間をくぐって、窓の植木がアップになり、その草を押しのけてカメラが戸外をとらえると、そこに黒い服の男がうかびあがる。実にスマートな味である。ホリーがアパートから出て、暗かげのハリーを見て警察の回し者と感違いし、叫び立てる。アパートの一室の窓の明りがともる。すると暗かげのハリーの顔がパッと照らされる。ニヤッと笑うハリーと驚くホリー。ここはキャロル・リードのとっておきの手だったのだろう。こんな素晴らしいシークエンスは後にも先にも存在しないだろう。そして最後の下水道のシークエンスについてだが、ここの撮影もただひたすら、映画的面白さがたんのうできる。ウィーンの下水道は、なんとも中世的な造りで荘厳な感じさえするのだが、そんな中でハリー・ライムがずぶぬれになって逃げる。ライトが照らされたり、あまりの広さの中で声の反響により、相手の居場所がわからなくなったりするところも面白いが、何と言っても、ここでの最高の出来を見せた画面は、ハリー・ライムがマンホールを押し上げようとし、格子の穴から指をさし出すところである。地下の追いつめられたハリーに対し、地上は風が吹きすさび、枯れ葉が吹かれているのがわかる。追われる悪人をうけつけない現実を見事にひとつの画面に託してしまい、さらにハリー・ライムの指の動きが絶望感を高めるところはもう絶品である。これら素晴らしい画面の他にも観覧車のところとか、ラストの木立ちのところとか、橋の上でライム一味が会うところとかも忘れることが出来ない。とにかく視覚的に、これほどまでに興奮させられたのはこの映画がやはり最高であり、白黒の調子とあいまって、記憶から消えることはない。
キャロル・リードというのはイギリス人であり、その点から言えばアルフレッド・ヒッチコックとよく比較されるのであるが、キャロル・リードの「第三の男」における演出はヒッチコックタッチそのものである。サスペンス、スリラーの中でうまくユーモアを生かすというのは例えば、ホリーが突然のタクシーに乗り込み、その運転手が不気味な感じで、車を猛スピードで飛ばすのだが、タクシーのついた先は、約束してあった講演会場であったとか、子供がホリーを見て「人殺し、人殺し」と無邪気に歌うだとかは完全にうまいユーモアである。これがヒッチコックタッチと呼ばれるものなのだが、1949年ということから考えると、キャロル・リード自身のものだったと言えよう。ヒッチコックは、このころやっとアメリカへ渡り、成功しはじめるのだから、キャロル・リードが決してヒッチコックを真似しているわけではない。
また脚本のグレアム・グリーンも、映画的な物語を生かして、謎もひとつかふたつにしぼり、やたらとこんがらがっていないところがとてもスマートに感じられる。だからこそ、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリとオースン・ウェルズの人間関係がうかび上がり、上品なドラマにもなっているのであり、トレバー・ハワードやバーナード・リーの人間味が出ているのもそのせいである。音楽はあまりにも有名であるが、ただひたすらツィターで押し通し、ツィター一本だけで人物の心理描写までやってしまうのだから、すごいものである。テーマ曲は一度聞いたら、絶対に忘れられず、とにかくすばらしい融合であり、採用したキャロル・リードのセンスもさるものである。
このようにふりかえると、ますます映画史上ベストワンに押さずにはいられない。どれもが名場面であり、名セリフであり、とにかく素晴らしい完成度である。これほどまでの映画を生んだイギリスは、この映画一本だけでアメリカの何千本という大作を押しのけてしまえることであろう。

第三の男.jpg

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以上が高校二年のときの映画感想ノートからの引用。
小学生の頃からどんな映画を見たかを記録する癖があり、高校の三年間はノートに感想文を書いていた。そのノートを数十年ぶりにひもといてみたら、あまりに現在の自分と変わっていないことに驚いた。人間、進歩しないものだな、と呆れたのだったが、自らの映画の見方、接し方は高校時代に形成されたものだと再認識させられた。

子どもの頃、最初に見た映画は間違いなくアニメーション映画だ。例えば『サイボーグ009』で、劇場用アニメとして封切られた後で、TVアニメに移植された。次には怪獣映画。『南海の大決闘』あたりからリアルタイムで見ているはずで、いずれも祖父に連れていってもらったのだと思う。その流れで友だちと一緒に見に行くようになったのが「東宝チャンピオンまつり」。ゴジラ映画の再編集版をメインにして「巨人の星」や「アタックNo.1」などの人気アニメが併映される子ども向け興行プログラムだった。
一方、TVでは夜の九時から外国映画を放映するいわゆる「洋画劇場」ものが台頭し始めていて、小学校四年の秋に見たのが『大脱走』。さらにその冬に『シャレード』を見て、子どもながらに外国映画の虜になってしまった。当時はまだ地方都市の映画館の中でも名画座が存在していて、親や兄に連れられて『荒野の七人』や『真昼の決闘』などが見られた時代だった。
そして小学五年生になったばかりのときに、はじめて独りで映画館に行った。見たのは『永遠のエルザ』のロードショー公開。たぶんTVで『野生のエルザ』を見て感動したのだろう。確か前売り券は小人500円であった。

小学生の頃に映画鑑賞記録をつけ始めたのは、『シェーン』を映画館で見たときから。映画雑誌「スクリーン」を発行していた近代映画社(※1)に切手(確か200円だった)を同封して申し込むと「映画自由日記」が手に入った。青いビニール製の表紙がついた手帳サイズの小さなノート。稚拙な感想文ばかりだったが、ノートのページが自分の文字で埋まっていくのが楽しかった。
残念ながら近代映画社にはそのノートの在庫がなくなり、追加注文しても「申し訳ありませんが在庫切れです」という手紙とともに切手が送り返されてきた。たぶん子どもへのサービスのつもりだったのだろう、マックイーンやヘプバーンのブロマイド数枚をおまけに付けてくれた。
そうして続けていた映画鑑賞記録は、高校生になると晴れて大学ノートに昇格し、鉛筆ではなく万年筆でしたためるようになった。
ちょうどその頃、ブームになっていたのが植草甚一。晶文社(※2)が「植草甚一スクラップブック」をシリーズ化して、新刊本を出していた。「いい映画を見に行こう」「シネマディクトJの映画散歩」「サスペンス映画の研究」などワクワクするようなタイトルの単行本を毎月本屋で買っていた。上記の『第三の男』の感想文などは、ほとんど植草甚一の映画の見方を真似して書いたものだ。

その後は、通っていた高校の図書館で片っ端から映画の本を読みまくった。落ちこぼれだったし、話をするクラスメイトもいなかったので、図書館にいることが多かった。弁当を三時限終了後の10分間で食べてしまえば、昼休み全部を図書館で過ごすことが出来た。そこで、紀伊國屋書店から出ていた「映画の文法」(ダニエル・アリホン著)を読んで、世の中にはまだ見ていない傑作が溢れていることを知ったし、キネマ旬報社の「世界の映画作家」シリーズで、ルイス・ブニュエルやゴダール、アントニオーニなどの作家的映画監督はすべてヨーロッパにいることを思い知らされた。
映画作法の知識を頭に入れて、毎週末、それを映画館で確認した。ショットの切り取り方、アングルの決め方、光と影の使い方、カットのタイミング、モンタージュの意味、画面の中の人物のサイズ、フィックスと移動の組み合わせ、切り返しでの視線の置き方、などなど。
こうして考えると、映画の見方は、今でも高校時代とさして変わっていないことに気づく。所詮は「たかが映画じゃないか」(※3)なのであって、二時間の娯楽を金銭で手に入れる興行なのである。「映画を見る」のは特別なことではない。植草甚一は、そんな当たり前のことを教えてくれたし、図書館の日々は、妄想の中で映画鑑賞眼を養ってくれた。
そうした意味において『第三の男』の感想文を振り返ると、今も全く同じ文章でこの映画について書き記すことが出来るのかも知れない。高校のときのノートに付け加えることがあるとしたら、ジョゼフ・コットンがトレバー・ハワードに病院へ連れて行かれ、その病床に悲惨な子どもたちの姿を見るシーンのショックだけだ。無論、それは直截的には画面に映されることはない。下から仰角でベッド舐めのアングルが、病床を見下ろすジョゼフ・コットンの表情を捉える。ただ、その映像だけで、観客は子どもたちが薬害の被害者となり、その元凶となったハリー・ライムが極悪な犯罪人であることを知るのである。この画面こそが映画であって、この描き方は、文学や演劇では決して出来ない。
あらためて考えてみると、映画とは、観客のイメージに着火する仕掛けなのだと思う。そんな当たり前のことを、古い映画ノートは数十年の歳を取った今の自分に教えてくれている。そんな長い歳月が経っているのに、まだ世に出た映画のほんの一部しか見ていない。
急がねば。映画を見ずに死ねるものか。いつもそんなことを思いながら、今日も眠たくなって寝床に倒れこんでしまうのである(き)

ゴダール.jpg


(※1)近代映画社は、戦後すぐに「スクリーン」を創刊した映画専門の出版社。2015年に実質上倒産し、「スクリーン」などの雑誌出版事業は、商号変更した新しい近代映画社に引き継いだ。
(※2)晶文社は、1960年に設立された出版社で、「植草甚一スクラップブック」のほかには「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」の刊行で知られる。
(※3)「たかが映画じゃないか」。アルフレッド・ヒッチコック監督が女優のイングリッド・バーグマンに向けて口にした言葉と言われている。



posted by 冬の夢 at 23:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 この筆者が、映画について二つも宝を持っていることがわかりました。
 今回初めて知ったのは、小学生のときからの映画ノート(!)の存在。すごいですね。
 もう一つは、以前から知っていたこと。大学映研でこの筆者が撮り、あるコンテストに応募した映画は、審査員の目にとまらず選外だった。けれど、ただ一人だけが、ほめてくれた。その審査員は大島渚だった。
Posted by (ケ) at 2016年05月25日 01:19
 高校生のとき、すでに、こんな映画の見かたをしていたとは。
 それも、印象批評的な見かたではなく、本を読んで知識を得て、こう作っているからこう映っていると、映画という総合技術による表現を認識できていたなんて、すごいことですね。
 また、かつて同じ高校に通った身ながら、当時の地方都市の県立高校で、図書室にそれほど映画の本があったとは初めて知りました。もっとも当時は、映画はテレビでたまに見る程度でしたが。
『第三の男』は、わたしも初回は十代のころ見たはずですが、筋と登場者の立場を追いきれず、よくわからなかった印象があります。戦後のヴィーン分割統治という背景も知らなかったので、話が手に余ったのも無理はなかったかもしれませんが。
 この映画は、ある意味「ハリー・ライムの不在」によって成立している映画であるような気もするので、ハリー・ライムばかり待っていたから、よけいにわからなくなったのかもしれません。ハリー・ライムは悪の亡霊のようで、現実的にも一介のエージェントにすぎず、とつじょ現れ、消えていった怪人ふうでもあります。

 それはいいとして、最近たまたま、オーストリア出身で考古学者、メディア学者でもあるフレドリック・ベイカーが撮ったテレビドキュメンタリー「Shadowing the Third Man」(2004)を見たので、本文と関係がありそうな「ねた」を書きます。ほかにもいろいろありましたが、またいつか。
 なお、おもな証言者は助監督だったガイ・ハミルトン(後年『007』シリーズを監督してましたね)です。

■斜めの構図は、キャロル・リードの案で、映画に緊張感をもたらすため。この映画は米アカデミー賞撮影賞(それが唯一の受賞部門)をとっていますが、ロバート・クラスカーは後々までリードに感謝しています。

■街区に映って流れ去るハリー・ライムの影の主は、ガイ・ハミルトン。ハリー・ライム役のオーソン・ウェルズのシーンを残すばかりになったのに、ウェルズがなかなか来ない(もったいをつけてギャラを吊り上げようとしていたらしい)ため、ウェルズ不在でハリー・ライムの存在を撮ろうという苦肉の案。照明の影が映しだした人影を見たリードが気づいたもの。ハミルトンはやせ型なので、だぶだぶのコートと帽子を着せて撮影しました。

■その夜間撮影用の照明を調達するのが、戦後数年のヴィーンでは容易なことでなく、この映画でしばしば道路が光っているのは、消防車で水を撒き、反射で光量をアップしようとした工夫だそうです。その結果、画面によりシャープなメリハリがついていて、カッコいいです。

■ハリー・ライムの登場シーンでネコがじゃれつく所は、じゃれるカットのみがスタジオ撮りだそうです。ところがOKカットまでに何週間もかかったとか。はじめは靴ひもに魚のすり身を塗って誘ったが失敗。ついにズボンの中に糸を通し、それで靴ひもを動かして、ネコじゃらしに成功。

■リードは、ネオリアリズモ的な資質のある監督で、街で集めたエキストラや素人を使っての撮影が上手かったとか。風船売りもそうですが、「人殺し〜」の後年に残る名場面は、当時3歳のヘルベルト・ハルビクに目をつけた。この人は、これが唯一の映画出演で、ヴィーンの煙草屋さんになったそうです。

■排水孔の格子蓋から伸びるハリー・ライムの指は、キャロル・リードのもの。

■オーソン・ウェルズは下水道内の撮影にまったく非協力的で(こんな不潔な撮影をさせる気かと激怒し帰ってしまった)、寒いヴィーンでのロケで、下水の中だけは暖かくて助かったと思っていたスタッフはかなりシラケたらしいです。おかげで地下を逃げるハリー・ライムはスタンドイン。ところが、追いかける警官たちは本職でした。地下の下水道で人を追跡するなどというのは、何年も訓練しないと出来ないことだったそうです。下水道でウェルズが映る場面のほとんどはロンドンに巨大なセットを組んで撮られてまして、ヴィーンでロケした分は、ウェルズの息が白いので区別できるのだとか。

■とはいえ、当時のヴィーンでは、ウェルズはもちろんのこと、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァッリらもぜんぜん知られていなかったそうです。街区で撮影協力を求める役割だった助監のハミルトンは、彼らが出演する映画だといくら説明しても市民の反応がなく協力が得られなくて困ってしまいました。そこで効いたのが、ハンガリー生まれのオーストリアの俳優、パウル・ヘルビガーの名でした。映画では管理人役なんですが、オーストリアでは舞台や映画で圧倒的な知名度がある人だったのです。英語ができなかったので、天国と地獄をうっかり逆にいった場面が「名場面」になっています。

■グレアム・グリーンとキャロル・リードの共同作業で映画の構成は進められ、グリーンの回想では円滑に進んだそうです(ホテルに同宿し、朝に仕事、昼は打ち合わせ、夜はお楽しみ≠セった)。唯一、意見が食い違ったのがラストシーンで、映画の最終版(すれちがいに終わる)にこだわったのは、リードでした。映画の後で小説版を書いたグリーンは、ハッピーエンドを想像させる終わりにしていますが、ラストシーンの判断はリードが正しかったと、インタビューで認めてます。下水道内でマーチンスがライムを追い詰め、銃声が響く場面では、この後にマーチンスがキャロウェイに成り行きを説明するセリフがあったのですが、それを切ったのもリードでした。アリダ・ヴァッリを、バーグマンに続く人気女優として売りたかったプロデューサーのセルズニックは、ヴァッリの衣裳にこだわりましたが、それを拒否し地味な服で通させたのも「リアル」にこだわったリードでした。その一方で、政治的あるいは道徳的なメッセージを声高に語ったり、そのための「リアル」な場面を撮ることを避けたのも、リードらしい映画作法だったそうです。
Posted by (ケ) at 2021年04月27日 02:21
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