2016年05月14日

五十代の私的松田聖子論

私は松田聖子と同学年、早生まれの同い年。松田聖子を追いかけ回したわけではないけれど、地方都市から上京して大学に入学した四月に、松田聖子が「裸足の季節」で歌手デビューした頃のことは鮮明に覚えている。初めての独り住い、隣人の生活音が筒抜けの下宿の部屋で唯一の社会との接点が、生協で買った14型のブラウン管TVだった。松田聖子はそのTVの中でNHKの歌謡番組に「サンデーズ」の一員として出演していた。
そんな端役の位置にあった新人歌手が瞬く間に日本の歌謡界を席巻し始める。最初は特に興味もわかなかったのに、いつの間にか松田聖子というアイドルに惹きつけられていった。あれは大学二年の秋、「野ばらのエチュード」を歌う松田聖子を眺めていたときのことだ。ありふれた表現だが、いきなり電流が走るようにして、私は彼女に恋をした。当時毎日のように通った京橋のフィルムセンターで古いフランス映画に出てくる数限りない美女を見ていても、スクリーンを通して恋愛じみた感情を抱いたことは一度もなかった。なのに、小さなブラウン管のTV画面で歌う松田聖子を恋い焦がれるように見つめてしまったのだ。
今では想像も出来ない。しかし、松田聖子の存在と影響力は、圧倒的にその時代を支配していて、私もその配下に収まってしまった。登場するTV番組は必ずチェックし、新曲の発表を心待ちにし、アルバムレコードまで購入した。それをなぜなんだろうと考えたことは一度もなかった。だから五十代の今、なぜそのときの私が松田聖子にひれ伏すことになったのかを探ってみたいと思うのだ。

松田聖子のことを思い出したきっかけは、彼女が最近出演したTV番組の映像をYouTubeで見かけたことにある。
昨年の年末、恒例の日本レコード大賞で、松田聖子は最優秀歌唱賞を受賞し、TVで「秘密の花園」を歌った。松本隆作詞、呉田軽穂(松任谷由実)作曲の「秘密の花園」は、松田聖子が松田聖子らしさを極めた1982年の名曲。松田聖子以外に歌われたことはないはずだし、ユーミン自身もカバーしていない、松田聖子のためだけにある歌だ。だが、その「秘密の花園」はあまりに無残だった。松田聖子はまったく声を出せず、歌になっていなかった。歌に外見は関係ないので、変わってしまった容貌や弛んできた身体の線を隠すための妊婦が着るようなドレスは不問としよう。そうだとしても松田聖子が松田聖子であることの証明たる歌と声がここまでダメになっていたとは!
それは見るに忍びない、あまりに残酷な映像だった。

デビューした頃の松田聖子の魅力は、その直線的な地声ハイトーンに尽きる。デビュー曲「裸足の季節」のサビ(エクボ、の〜、ひみ〜つ、あげ〜た〜い〜わ〜)は聖子の声が音符の要求を軽く追い越してしまっていて、完全に曲が声に負けている。初めてベストテンの第一位になった二作目の「青い珊瑚礁」は、その松田聖子の歌声に果敢に挑戦した伸びやかな曲だが、ここでも聖子は野太いハイトーンボイスで一蹴する。作詞家も作曲家もたぶん驚愕したことだろう。アイドル向け歌謡曲の中でもかなり難しい発声とその持続力を求めた楽曲を渾身の力で投げ込んだのに、松田聖子はバックスイングもせずに軽く振ったバットで場外ホームランを飛ばすようにして歌いこなしてしまうのだ。
初期の松田聖子ファンは、他のアイドル歌手と変わらず頭に鉢巻を巻いた若い男どもが中心だったはずだが、連続してベストテンのトップを獲得したのは幅広い音楽好きからの支持が同時にあったからだろう。そうした耳の肥えた音楽ファンは、この声が持つ重い圧力を感じ取っていたのだった。
ヘビー級ハイトーンシンガーとしての松田聖子は、翌年夏のヒット曲「白いパラソル」まで続くことになる。

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実は松田聖子の存在は、デビュー前からすでに音楽業界で話題だったという話のようだ。高校一年のときにデモテープを聴いたCBSソニー(※1)のプロデューサーが、早くもその歌の上手さに目をつけていた。芸能界入りを両親に反対され、十八歳になったときにやっと歌手になることを許されたそうだ。だとすると、聖子のハイトーンシンガー期は五年足らずで終わったことになる。なぜなら「白いパラソル」の後、松田聖子は明らかに喉を痛めてしまったからだ。
デビュー翌年の秋に発売された「風立ちぬ」。ご存知の通り、この曲から松田聖子の新曲は歌謡曲の枠を飛び越えて、日本のポップミュージックの最先端を走り始める。作詞松本隆、作曲大瀧詠一による「風立ちぬ」は、アイドルの新曲としてはあまりにぶっ飛んだ作品だ。文芸調のタイトル、震えるように上下するメロディライン、そして恋をしているのか恋が終わったのか判別がつかないような微妙なニュアンスの歌詞。聖子の歌声が変調を来していることを察知したうえでのことなのかはわからない。しかしながら、「風立ちぬ」は松田聖子にとってターニングポイントとなった。天賦の才能だけで押しまくっていたハイトーンシンガーは、喉を痛めたことで歌い方を変えた。それは声での歌い方から情感を伝える表現力への転換であった。どんな曲をも元からの地声でねじ伏せていた松田聖子は、曲を作品として自分の中に取り込み、そこに松田聖子らしい色付けをして歌で表すようになったのだ。単なるハイトーンではない、絶妙なニュアンスの表し方。そこにはパーンと高く出る溌剌な元気さはないのだが、甘く切ないのと同時に凛として艶やかな芯がある。圧倒的な声量だけが目立っていた松田聖子は、実は独自の声質を持っていて、それは新しい時代の女性を代弁するようなクオリティの高い表現方法であった。
この時期から聖子ファンの重点は明らかに女性に移っていった。作詞家の松本隆は時代が女性に傾いていくのを先取りしていて、頼りなくはっきりしない男性を自分の意志で引っ張っていく女性を描くようになる。それは暗く湿り気のある歌手では全く表現出来ない新世界であって、抜けるように爽やかな声質を持つ松田聖子の存在感にぴったりとハマっていたのだ。声だけでなく、腹の底から大声で笑う快活さやしっかりと躾られたらしい明朗さも、女性優位を歌うにあたっての彼女のアドバンテージだった。
これ以降は、感じやすいと同時に主体的な意志決定を行う女性を表現するセンシティブなポジティブさが、松田聖子の軸になっていく。
「赤いスイートピー」で「あなたの生き方が好き」と歌い、「小麦色のマーメイド」では「ウソよ、本気よ」「好きよ、キライよ」と正反対の言葉を巧みに並べる。
松本隆が作った世界観を日本のミュージックシーンのトップライターたちが作曲を担当して作品化していく。それは「聖子ラボ」と呼ぶべき実験的な仕事であって、日本の歌謡曲がいわゆるニューミュージックと一体化してJ-POPに発展していく架け橋を形作ることになった。松田聖子は声量勝負のハイトーンシンガーから、楽曲の魅力を最大限に表現するクリエイティブな歌手に見事に変貌していったのだ。

松田聖子のクリエイティビティが発揮されたこの時期が、歌手松田聖子のピークだ。前述した「秘密の花園」のあとの「ガラスの林檎」はB面の「SWEET MEMORIES」も大ヒットし、続く「瞳はダイアモンド」と「蒼いフォトグラフ」のカップリングは、誰も太刀打ち出来ない最強の組み合わせであった。普通の歌手ならこんな贅沢な新曲の出し方はしない。でも「聖子ラボ」には当時の音楽関係者の第一線が殺到していたから、それを捌くにはこうでもしないと次作に行けない状態にあった。特に「蒼いフォトグラフ」はTVドラマ「青が散る」(※2)の主題歌になり、別れをテーマにしているのにも関わらずペシミスティックなところが少しもなく、リリカルでスマートな曲調が今でも強く印象に残る佳曲だと思う。
実態として、事実上のプロデューサーであった松本隆と「聖子ラボ」に参加した作曲家たちは、松田聖子の感応力に参ってしまったのではなかったろうか。自分の書く詞を、あるいは曲を、ここまで完璧に受け止めて、しかもそれを松田聖子らしく歌い上げてしまえる強力な感受性。聴衆を瞬間的に別の場所に連れて行ってしまう能動的な表現力。松田聖子には、作家たちの刺激に素早く反応し、予想を超えるほどに感度高く感応する感じやすさをあった。のめり込めば込むほど聖子はストレートかつナイーブに返してくる。松田聖子は作詞家や作曲家にとっても、絶対的な歌のミューズだった。

しかしながら、よくあることでピークは長くは続かない。喉を潰した松田聖子は、声質と表現力をどれだけ駆使しても、歌い手として次第に劣化していってしまう。
それをまざまざと見せつけられるのは1983年暮れの武道館コンサートだ。レコード大賞の様子を見てがっかりしたところで、過去の映像を探していたら、しっかりとYouTubeにアップされていた。一時間半近いコンサートをひとりで歌い踊りながら見せる松田聖子。その体力もさることながら、これだけ歌えば喉もおかしくなるだろうと思わせるほど声を出し続ける。
そして、当時の最新曲「瞳はダイアモンド」を歌い終えた松田聖子は一旦ステージから降りる。当然のことながら観客からアンコールの拍手があり、再度登場した聖子が歌うのは「オンリーマイラブ」。二枚目のアルバムに収録されたハイトーンシンガー時代の歌い上げ型の曲だ。疲れ切った喉にこのアンコール曲を持ってくるのは尋常な選曲ではない。なのにあえて歌った「オンリーマイラブ」の途中で、聖子は声が出なくなり、歌えないまま涙ぐんでしまう。とうの昔に地声のハイトーンは失ってしまっているのだから当然だ。もしかしたら「オンリーマイラブ」をアンコールで歌うのはファンとの間の「お約束」だったのかも知れない。だとしたら聖子の律儀さは見上げたものだが、律儀であることよりも自分の喉を大切にしたほうがどれだけ良かったことか。
こうしてボロボロの「オンリーマイラブ」を終わらせた聖子に、あともう一曲アンコールが待っていた。ゴンドラに乗りながら歌う「SWEET MEMORIES」。情感を歌い上げる聖子にぴったりの楽曲がオーラスに選ばれ、それは間違いではない。が、松田聖子はもう歌えなかった。ハイトーンではないセンシティブな曲なのに、もう声が出なくて歌うことが出来なかった。
そして、松田聖子はまた泣いた。今度は声が出なくて泣いたのではない。歌えない聖子に代わって観客全員が「SWEET MEMORIES」を合唱し始めた、その観客の気持ちに即座に感応して感涙したのだ。松田聖子は感受性の化け物だったのだと思う。自分が歌えないことを差し置いて、観客が自分を助けて合唱してくれることに思いを致す優しい気持ちを持っていた。
それで終わってくれていれば、聖子と観客が感じ合えた感動の武道館コンサートとなっていたはずだ。でも、YouTubeの映像が途切れる直前、「SWEET MEMORIES」を歌い終えた松田聖子に対して、観客はさらなるアンコールを求める声を上げ始めた。それでも手を振って観客に応える聖子。これ以上は歌えない。声はもう出ない。でも、観客は聖子を求めている。たぶん、それは歌手としての松田聖子ではなく、ただひたすら聖子にイコンとしてそこにいてほしいという欲求だった。この1983年暮れの武道館コンサートは、松田聖子が歌手から偶像に変わる象徴的な場でもあったのだ。

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1984年最初の新曲は「Rock'n Rouge」。初めて化粧品会社とタイアップしたキャッチーなCMソングだ。しかし、もうそこにはハイトーンシンガーとしての松田聖子も、感度豊かな「聖子ラボ」の松田聖子も、どちらも見ることは出来なかった。喉を使わずに口先で歌う軽やかなテクニックを身につけた松田聖子は、歌手ではなく時代の偶像として生きることを決めたようにも見えた。そして、就職して東京を離れることになった私にとっても、松田聖子は恋い焦がれる対象ではなくなってしまっていたのだった。

一昨年の大晦日、NHKの「紅白歌合戦」で松田聖子が初めて大トリを飾った。「赤いスイートピー」を歌った松田聖子は極度に緊張していた。それは紅白の大トリという大役を任せられた緊張ではなく、うまく声が出せるかどうかという初歩的な怯えだったのだろう。どうにか無事に歌い終えた松田聖子は、心底からホッとした表情を見せた。
それを見て、私はなんだか松田聖子が「松田聖子」という看板を下ろせずに頑張り続けているように思えてならなかった。
彼女の周りには「松田聖子」の役割を求める人たちがたくさんいるのだろう。自分のことよりもそうした人たちの期待に応えることが大事だという気持ちもわからなくはない。でも、もうそろそろいいんじゃないか。松田聖子は十分過ぎるほどにたくさんの歌を残してくれた。その歌はどれも色褪せずにいて、今でも全く古びていない。聖子と同時代に全盛期だった中森明菜や小泉今日子の歌が、やっぱり昭和歌謡に聞こえてしまうのとは全然違う。松田聖子の「聖子ラボ」は鮮度そのままに時代を超えて生きている。
そんな歌手は他にはいない。競争相手どころが、同じ次元に立つ者はひとりも存在しない。だから、もう、そろそろいいではないか。「松田聖子」という偶像はその役割を終えたのだ。
これ以上、歌えない松田聖子を見せることはない。松田聖子には安心して自身に幕引きをしてほしいと思うのである。(き)


(※1)CBSソニーは、1968年にソニー株式会社と米CBS社との間で設立された合弁のレコード会社。現在の株式会社ソニー・ミュージック・エンタテインメント。

(※2)「青が散る」は宮本輝原作によるTVドラマ。1983年10月から翌1月まで全13回がTBSで放映された。主演は石黒賢と佐藤浩市。ヒロインに抜擢されたのが二谷友里恵で、松田聖子との因縁を感じさせる。



posted by 冬の夢 at 23:23 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私ごと。いまだからいえる、ということではありませんが。
 社会人として初めてした仕事は、松田聖子と神田正輝の結婚式を追うことでした。
 と書いてから調べると、6月24日のことで「初仕事」ではありえない。なぜそう思い込んできたんだろう。
 思い込んだわりには、そのとき自分が何をしていたか記憶が薄い。大騒ぎの片隅を走っていた感覚だけで。
 本文の筆者同様に松田聖子と同世代ですが、この時も以後も会って話す機会はなく、一部の芸能レポーターや関係者に相談があったと近年あかされている、とんでもない舞台裏(の存在にもかかわらず聖輝の結婚といって全国に報じられた)も、むろん知りませんでした。
 期間は長くないですが、芸能人や著名人が婚約だ結婚だ離婚だと騒ぐ場にいたり、アイドルと呼ばれる女の子たちと話したことなど、回数はあるはず。が、これと思い出せるものはなし。ファンでなく持ち歌もよく知らなかった松田聖子の結婚式がなぜ記憶に残ったか、不思議です。
Posted by (ケ) at 2016年05月15日 16:55
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