2016年01月24日

ブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン、ヨッフム、スイトナー、サヴァリッシュ、メニューイン、ヴァント……みんなちがって、みんないい 1

(タイトル同様に、本文もあまりに長いので2回に分けました−−続きは後日)

正月休みは例によって(?)ひどい音楽中毒症にかかっていた。(いまだに尾を引いている。)ブルックナーの交響曲7〜9番をあれこれ取っ替え引っ替え聴き続け、その合間にブラームスの第4交響曲をひたすら聴き続けるといった年末年始で、除夜の鐘さえも聞かずに過ごしてしまった。(つまりは、2016年は煩悩の塊ということか。)ブルックナーはジュリーニ、ハイティンク、ザンデルリンク、ヨッフム、スイトナー、等々、世に「名盤」と言われるものからさほど評価の高くないものまで、手当たり次第に聴いていた。これらの演奏を聴き重ねている内に少々気になることが生じたので、いい機会だから確かめようと思い、ブラームスの4番をやはり同じ指揮者たちで聴き比べることに至り、そして次第にいつもの泥沼へ……

何を確かめたかったのかというと、指揮者や演奏家によって音楽がそんなに変わるのかどうかということ。言葉を換えれば、そもそも自分に演奏の良し悪しが分かるのかどうかということ。結論を先に言ってしまえば、指揮者や演奏家が変われば、当然ながら、聞こえてくる音楽はかなり違う。そのくらいのことはわかる。しかし、それがはたして「良し悪し」と関係するかと言われると、それは全くわからない。判断できない。さらに言えば、「好き嫌い」さえわからないと告白したいくらいだ。

「お前は自分が好きな音楽の好き嫌いさえわからないのか!」と言われると、それこそ返す言葉もないが、この年末年始に考えていたことは、つまりはそういうことだ。実は常々考えているのだが、芸術は料理ととても似ている。(というか、料理も立派な芸術だと言った方がいっそう真相に近いのかもしれない。)先ず、「どの料理が一番好きか?」という問いに対して、明確な答を持っている人がどのくらいいるだろう? 「刺身が好き」とか「ステーキが好き」とは言ってみても、それは「美味しい刺身が好き」ということだろうし、「美味しいステーキが好き」ということであり、しばしば「まずい刺身よりは美味しいお好み焼きの方が好き」となることは簡単に予想がつく。となると、「刺身が好き」という最初の発言には、実は全く意味がないことになる。結局行き着く先は「美味しい料理が好き」ということになってしまうから。全く同じように、音楽に話を移してみても、「好きな音楽が好き」という同語反復に陥るのがせいぜい関の山ではないか。

いっそうの難問は、この「好き嫌い」というのが極めて主観的な判断であり、時と場合によって大きく揺れ動いてしまうという経験的事実だ。美味しいと思っている料理が、必ずしもいつも美味しく感じられるわけではない(風邪をひいただけでも味覚は変わり、こちらの空腹状態によっても大きく左右され、一緒に食べる仲間によってさえも全く別の料理になってしまう)。逆に、普段は特段美味しいとも思っていなかった料理が何かの折りに思いがけず美味しく感じられるということも、決して稀なことではない。音楽も同様で、それまであまり面白くないと思っていて本棚の片隅に積年の埃と一緒にしまい込んでいたCDをちょっとした気まぐれに聴いてみたりすると、その演奏が思いの外に美しく聞こえて吃驚仰天するということがある。実はこの正月はそんなことのオンパレードだった。例えば、ヨッフムのブルックナー8番(ベルリン・フィルとの、いわゆる旧版)。以前からブルックナーの大ファンを自称する友人から強く薦められていたにもかかわらず、一度聴いただけで、以後ずっと敬遠していた演奏だ。なのに、何の気なしに聴き始めた途端に今度は夢中になって聴き惚れてしまった。それまでどうして敬遠していたのか不思議に思えてきたほどだ。

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ヨッフム+ベルリン・フィルのブルックナー8番

それで、例によって「悪魔の声」(いや「天使の声」というべきか)が囁き、500円ほどで手に入るブルックナーのCD(主に中古)を正月早々買い漁ることになった。それがレーグナー(ベルリン放送響)だったり、スイトナー(シュターツカペレ・ベルリン)だったり、カール・ベーム(ウィーン・フィル)だったり……(「〜だったり……」で終わることからご推察できるように、このリスト、実はまだまだ後が続く……我ながら恐ろしや)。

ちょっとした試しに、ブルックナーの7番と8番(のいくつか)を速めの演奏から遅めの演奏の順に並べてみよう:

交響曲第7番ホ長調
レークナー    18:53//18:51//9:18//12:01 (59:03)
スイトナー    18:58//21:17//10:20//12:35 (63:10)
ベーム      19:42//24:10//10:26//12:03 (66:21)
ジュリーニ    20:22//24:08//10:35//12:31 (67:36)

交響曲第8番ハ短調
レークナー    12:30//13:15//26:17//22:41 (74:43) ハース
スイトナー    15:35//14:45//27:01//22:59 (80:10) ハース
ベーム      14:56//14:31//27:53//23:00 (80:20) ノヴァーク 
ジュリーニ    17:06//16:24//29:23//24:40 (87:33) ノヴァーク
(※ベームとジュリーニはウィーンフィルとの共演盤)

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(N響の指揮者でもお馴染みだったスイトナー) (往年の超有名指揮者カール・ベーム)
  
こうして並べてみると、ジュリーニとレーグナーの差がいかに著しいか、一目瞭然だ。7番では、8分33秒、8番にいたっては12分50秒もの差がある。実は8番の方には何かと小難しい「版問題」というものがあり、要するに、細かく言えば、複数のスコアが存在していて、その中のどの版を指揮者が採用するのかというのが、ブルックナーの音楽を考えるときには避けて通れない大問題らしい。困った(?)ことに小節の数も若干異なっていると聞く。しかし、12分を越える演奏時間の差は、大方の交響曲なら優に1楽章分、ハイドンならばまるまる1曲分にさえ相当する(場合もある)くらいだ。

さすがにこれほど違えば、その両方を好きだというわけにはいくまい。先入観の常としてはそうだろう。ところが、実際に聴いてみると、日頃はジュリーニの、聴く人によっては耐え難いほど遅い演奏に十分に慣れた(聴き惚れた)耳でも、ブルックナーにしては快速かつ軽量級のレーグナーの演奏もそれなりに大いに楽しむことができた。念のためにこの一文を書きながらもレーグナーの8番を聴いているのだが、もし仮にこの演奏を実演で聴けたなら、非常に充実した体験になったことだろうと確信できる。ジュリーニで聴く8番の第3楽章は「あの世の海」「あの世の浜辺」という感じがする。レーグナーで同じ曲を聴くと、我ながら奇妙な喩えだと思うが、よく磨かれた清潔なガラスケース越しに中世の色鮮やかな彩色写本、例えば有名なBook of Kellsを一人静かに眺めているような気分になる(きっとこれは自慢できることだと思うが、ぼくは事実このアイルランドの至宝をかなりの長期間一人静かに、もちろんガラスケース越しにだが、眺めることができた−−ただ、その頃のぼくはそれがどれほど凄い特権なのか、それが十分にわかっていなかった−−愚人救われがたし)。とすると、つまり、12〜13分もの演奏時間の差があるにもかかわらず、その両方の演奏がそれぞれに楽しめるのだとしたら、演奏技術の巧拙以外のいったい何が演奏の良し悪しを決めるのだろうか?

どうやら指揮者や奏者の違い、彼らの楽曲解釈の違いは、例えば外国語で書かれた小説の翻訳の違い、翻訳小説の出来・不出来の違いとは全く異質のもののようだ。翻訳であれば、数ページ読んだだけで、「この翻訳はダメだね」とかなりの確信を持って言える(ような気がしている)。しかし、それは要するにその翻訳が「間違っている」からだ。客観的な間違いであるがゆえに、こちらも相当の確信を持って「間違っている」と言えるのであり、間違っている限りは、ダメな翻訳と断言できる。ところが、音楽の方は、音程を外したり、勝手に編曲したり(ジャズは言うまでもなく、クラシックでもある程度のアドリブの余地は残されているようだが、それは「勝手に編曲する」のとは微妙かつ本質的に違うことだ)、フレーズを飛ばしたりすることを除けば、テンポやダイナミックスの違いは決して「客観的な間違い」ではない。だから事は難しい。

こんなことを真面目に考えながら携帯プレーヤーをあれこれと操作していたとき、ふと指先があらぬ方向にすべって、これまでの文章が全て「前書き」になってしまいかねない事態に遭遇した。勿体ぶらずに言えば、聴くべき音楽ファイルを選び間違えて、その結果、予期せぬ(つまり、ブルックナーではない)曲がヘッドフォンから流れてきたというわけだ。そして、それがとてつもなく、何とも形容しがたくチャーミングに、文字通りに一瞬魔法にかけられたのかと思うほどにチャーミングに響き渡った。ベートーヴェンの第4交響曲の第4楽章! 「この超絶に美しい音楽を奏でているのはいったいどこのどなたでございますか?」と携帯プレーヤーに尋ねてみると、「ペーター・マーク指揮、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団」と書かれていた。言うまでもないことだが、自分でわざわざ携帯プレーヤーに録音したくらいだから、前々からこの指揮者は好きな指揮者だったし、ベートーヴェンの第4交響曲も第2交響曲と同じくらい好きな曲だった。が、それが「こんなに!」チャーミングな曲であるとは、実に情けないことだが、今の今まで全然わかっていなかった。 (H.H)
(※ 続きはこちら→) 

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(知る人ぞ知る、ペーター・マーク)

posted by 冬の夢 at 21:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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