2015年12月01日

加古大池と古いデジカメ(DMCーF1)

 神戸と姫路に挟まれた地域、つまり、明石市や加古川市の一帯を「東播磨(ひがしはりま)」と総称するらしい。全国的には「播磨灘」は知れ渡っているかもしれないが、それから連想される筆頭はむしろ姫路だろう。ともかく、以前は全く馴染みのなかったこの地域を近頃は自転車で走ることが多い。

神戸界隈を自転車で南北に移動しようとすると、どこをどう走っても必ずウンザリするようなアップダウンに悩まされるので、中高年ライダーとしてはついつい東西移動、それも海沿いのルートを選びがちになる。東に向かうことはそのまま交通量の漸次増大を意味し、排気ガス摂取量の致命的上昇を意味するだけだから(それに街中の混雑を自転車で走っても、全然楽しくない!)、消去法の結果、週末サイクリングのルートは神戸から西の海岸沿いが多くなる。

関西の自転車乗りなら誰もが知っていることかもしれないが、明石から加古川に向かっては、それこそ海岸沿いに「明石なぎさ海道」という自転車+遊歩道が整備(?)されている。疑問符を付けたのは、海沿いの景観を楽しみながらサイクリングが楽しめる点においては全く異存なく、事実、刻々と姿形を変える淡路島や、各人各様にのんびりと浜辺を楽しんでいる老若男女の人間模様を眺めながらのポタリングはかなり楽しい。それは間違いない。しかし、なぜか自転車道の路面が荒れていて、ちょうど自動車がスピードを出せないようにわざと路面にバンプを作ることがあるが、まさに図らずしてその工夫がなされているようなもので、荒れた路面(おそらく海岸沿いに繁茂する植物の根だろうか?)を通るたびにハンドルにゴツゴツと衝撃が伝わり、それがせっかくの感興を台無しとは言わないまでも、大きく殺ぐことになる。とはいえ、太めのタイヤ(つまり普通のママチャリか、いわゆるシティーサイクル)で走る分には、特に天気に恵まれれば、この「なぎさ海道」は走って損はない。

けれども、さすがに10回を越すと、ちょっと飽きてくる。たとえ行き先は加古川か姫路だとしても、たまには違ったルートで行ってみたいと思うのが人情というものだ。そこで、今回は「北回り」と称して、明石から北上してみることにした。具体的には、神戸から明石方面に進んでJR明石駅を過ぎたところで、三木や福知山へ伸びる国道175に入り、どこか適当なところで西に折れ、加古川(地名ではなく川の方)に出ようと、ごく大まかな計画を立て、意気揚々と出発した次第。

出掛けに、「地図代わりにタブレットを持参しようか?」という思いもチラリと脳裏を過ぎったのだが、せいぜい4〜5時間のサイクリングだし、基本的には国道と加古川沿いを走るだけ(帰路はいつもの海沿いルートと決めていた)だから、タブレットなんて邪魔なだけだと、現代人にあるまじき判断をしたのが、後々大いに悔やまれることになるわけだ……

断言する。平日(月曜日)の国道175なんてものを自転車で走るものでは決してない! 交通量の多いことはある程度承知していた。何と言っても兵庫県の南北を繋ぐ大動脈の一つなのだから。それに、初めのうちは決して悪くなかった。特筆すべきは、北上するルートにしては坂らしい坂がない! これはかなりポイントが高い。しかし、途中から片側一車線になり、しかも歩道も側道も何もないところが延々と続くことには、精神的にかなり消耗した。というか、端的に隣を走るダンプカーが、不親切なダンプであれば心底身の危険を感じたし、逆に親切なダンプであれば、こちらが申し訳ない気持ちになり、これまた別の意味で身の縮む思いをすることには変わりなし。

とうとう我慢できなくなって、「どこかに抜け道、脇道はないものか?」と、地図もタブレットもないままに、勘を頼りに国道を離れたが、一度は山に向かって、最後は行き止まり。次は、随分と東に(つまり神戸市の方へ)戻ることを余儀なくされてしまった。誰もが経験したことと思うが、初めての道を行くとき、行きは長く感じ、帰りは短く感じる。つまり、知らないところでは距離感が異様に強調される。慣れ親しんだ1キロと見知らぬ土地の1キロは全くの別物だ。心理的疲労度は較べれば3倍くらいの違いがあろうか。というわけで、実際には大したロスではなかったにしても、さすがにこのときは地図も持たずに出かけたことを少々後悔し始めていた。

だが、捨てる神あれば拾う神あり。行き止まりになった先の山道でもそうだったのだが、この東播磨という地域は、地図を見てもらえば一目瞭然だが、溜池が実に多い。その上、時期が時期なだけに、人工池とはいえ池の周囲の植物が微妙に色づいていて、何となく目の慰めにもなる。「もう今日はこの辺の溜池巡りをして帰ろう!」と、当初の計画をあっさりと変更。となれば、高く昇ったお日様を見て、東西南北を確認し、後は適当に交通量の少ない、走りやすそうな道を適当に走ればいいわけで、一気に気分が明るくなってきた。そうなるとどうやら幸運の女神のご機嫌も直るのか、途中で思わぬ「見つけもの」をした。それが「加古大池」だ。

まず、証拠写真。
P1030877.jpg
(反映がきれいだったので、思わずパチリ)
 
加古大池(かこおおいけ)は、兵庫県加古郡稲美町にある農業用溜池で、1661年(万治4年)に築造された兵庫県下最大の溜池。甲子園球場の約12倍の面積がある。確かに一見の価値ありと見た。所詮は農業用溜池ではないか、というお声もあろうとは思うが、そのさり気なさがいい。琵琶湖が言わば楊貴妃的、クレオパトラ的存在とすれば、加古大池はせいぜい近所のタバコ屋の看板娘(もうそんな存在はどこを探しても見つからないから、どうせ言うなら、近所の喫茶店のカワイコちゃんか?)。いや、もしかしたら「娘」ですらなく、れっきとした小母ちゃん的存在なのかもしれない。が、ともかく、特に目的も計画もないサイクリングの添え物としては出色の、いや破格の景観。正に眼福。

最後に、この「近所のタバコ屋の看板娘」を撮影したデジカメにも一言残しておきたい。馬齢を重ねているうちにデジカメもガチャガチャと増えてきた。本当は1台か2台あれば十分なはずなのに、職場から貸与されたものがそのまま手元に残ったり(一定期間を過ぎて廃棄処分になったもの)、子ども用に買ったのに今ではその子どもが見向きもしなくなったり(スマホの方が高性能!)、安値に乗せられて思わず買ってしまったり……そういう、いわゆるジャンク・カメラが捨てられず、ときどき持ち出して撮影するのだが、この2002年製造のDMCーF1(パナソニック)は、最初に手にしたデジカメ(仕事で海外に行くときに記録用に持たされた)だったせいか、不思議に愛着がある。300万画素くらいだと記憶しているが、レンズはなぜかあのライカのレンズが付いている。それに意味があるのかどうか、大いに疑問符だが、しかし、今日の写真は悪くないような気がする。というか、こんな使い方なら、実はどんなカメラでも大同小異なのではなかろうか。適当にサイクリングして、適当な被写体を見つけ、適当なカメラで適当に撮る。そんなわけで、今日は結果的にはマッタリとしたいい一日だった(のかな)。 (H.H.)

(こちらは「明石なぎさ海道」で撮影したもの)
P1030859.jpg

P1030880.jpg
posted by 冬の夢 at 00:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 もの怖じしがちで垢抜けないんだが、どこか「小可愛い」感じのする、情が厚い女っていう感じがします、この池。昔のライカレンズで写しました、といわれたら、うっかりライカレンズはあ〜だこ〜だとマニアが始めてしまいそうな写真になり、目にしみます。ぼくのC社のカメラのレンズと画像処理エンジンでは、ホワイトバランスをいじるかソフトウエアで作り込まないと、この感じには写りません。
Posted by (ケ) at 2015年12月06日 12:59
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