2015年10月16日

『ウエスト・サイド物語』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』〜 サウンドトラック盤聴き比べ

懐かしい映画を今一度堪能しようとしても、なかなかその時間が取れない。特に長編大作となると四時間近く拘束されるので尚更だ。そこでサウンドトラック盤の登場となる。音楽だけなら一時間程度にまとまっているし、いつでもどこでも聴くことが出来る。
そのようにして、アメリカ映画を代表するミュージカル大作のサントラ盤を三本連続して聴いてみた。
まずは、その製作年度と作詞・作曲者名をおさえておこう。

ウエスト・サイド物語(1961年/作曲レナード・バーンスタイン、作詞スティーヴン・ソンドハイム)
マイ・フェア・レディ(1964年/作詞アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウ)
サウンド・オブ・ミュージック(1965年/作曲リチャード・ロジャース、作詞オスカー・ハマースタイン二世)

作詞作曲の順番で統一したかったのだが、記憶上の音感が許してくれなかった。スティーヴン・ソンドハイムを除いて、昔のラジオ番組で映画音楽を聴いていた人なら誰もが上記の順番でそのコンビ名を聞かされたはず。たぶん、コンビ名をすりこみされただけなので、どっちが作曲したのかなどと考えたことはなかったのではないか。
それはともかく、この三つのサントラ盤は、ともに素晴らしい名曲揃い。ほとんどすべての曲が頭の中にプリセットされているくらいお馴染みのナンバーばかりで、たちまちにしてミュージカル映画の世界に魅惑されてしまった。

まずは『ウエスト・サイド物語』。ほぼ映画と同じ並びで楽曲が収録されていて、音楽を聴いているだけで頭の中に鮮明な画像が浮かび上がってくる。
縦線だけで摩天楼をデザイン化したタイトルバック(※1)。マンハッタンを垂直を見下ろす空撮。南から北へ。高層ビルから低層住宅へ。汚れた街の運動場にジャンプショットしたあとの、指を鳴らすジェット団。
映画の話をするつもりはない。でも、「序曲 "Overture"」に続く「プロローグ "Prologue"」を聴くと、このファーストシーンの全ショットがまざまざと蘇ってくる。それくらい『ウエスト・サイド物語』の音楽には、映像がぴったりと張り付いて離れずにいる。
このインストゥルメンタルは、クラシックの大御所バーンスタインだからこそ出来た作品。指のスナップに合わせてクラリネットによる主旋律が流れてから、警官の笛で音楽が遮られるまでの十分間は、映画史上最も完璧な導入部だと断言していい。舞台での振り付けがどうなっているのかは知らないが、ひとつの音、ひとつのメロディにシンクロして、人物の動きが設計されており、バーンスタインの音楽とマンハッタンでの屋外ロケ映像の結びつき方は緊密そのもの。「トゥナイト "Tonight"」や「クール "Cool"」など有名な曲が山盛りの中で、衝撃度では「プロローグ "Prologue"」が一頭地を抜いている。
『ウエスト・サイド物語』の映画公開五十年を記念して、三年前に「シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」なる催しが開かれた(※2)。映画の音楽部分だけを生音に変えて、映像に合わせてオーケストラが演奏するという野心的な試み。佐渡裕指揮、東京フィルハーモニー交響楽団演奏という豪華キャストでの公演だったにも関わらず、残念なことに生オケの印象はほとんど残らなかった。
たぶん、バーンスタインが書いたスコアは、どれも映像にフィットし過ぎていて、演奏だけを聴くということが出来なかったのだろう。元はブロードウェイのミュージカルだし、舞台での聞こえ方は違うのかもしれない。しかしながら、『ウエスト・サイド物語』の音楽は、映像と分かち難く並存してしまっている。あまりに映像が鮮烈過ぎて、音楽を聴くと映像が浮かんできてしまう。聴覚がダイレクトに視覚に到達するような音楽なのだった。

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次に聴いたのは『マイ・フェア・レディ』。こちらは聴いているうちにどうしたってジュリー・アンドリュースとオードリー・ヘプバーンの確執のエピソードが思い出されてしまう。
ブロードウェイでイライザ役を演った本家本元はジュリー。映画化権取得に莫大な費用を投じたワーナーブラザーズ映画社は、確実なヒットが見込めるオードリーを主役に起用する。『パリの恋人』でフレッド・アスティアとも共演した経験を持つオードリーは張り切って撮影にのぞむが、歌は吹き替えにすると宣告される。そして、翌年のアカデミー賞。ディズニー映画『メリー・ポピンズ』に出演したジュリーに主演女優賞が与えられ、オードリーは候補にも上がらなかった。
オードリーにとって不運だったのは、『マイ・フェア・レディ』が歌による演技が眼目のミュージカルだったこと。映像と言うよりは、舞台をそのまま撮影しただけの平板な横イチの画面。そこで俳優たちが、台詞と歌で語っていく。ロンドン東部のコックニー訛り丸出しのイライザが、音声学者のヒギンズ教授に言葉を矯正される物語なのだから、必然のことだ。
ヒギンズ教授を演じるレックス・ハリスンは、台詞を言いながら歌ってもいるような独特な口ずさみ方をする。「なぜイギリス人は英語が話せない? "Why Can't The English?"」などはレックス・ハリスンの独壇場で、台詞と歌の境い目がない。
これは、吹き替えを余儀なくされたオードリーには致命的であった。オードリーの台詞と吹き替えの歌は、別の演者が別に録音するので、必ず境い目がある。レックス・ハリスンのパートナーたるオードリーが、全く逆の歌い方で応じるのだから、そこにはコンビネーションなどあるわけがない。
自分の声が採用されないと申し渡されたとき、オードリーはそのまま黙って撮影所から出て行ってしまったという。しかし、気高くプロフェッショナルな女優であったオードリーは、翌日すぐに大人げない振る舞いをしたことを関係者の前で謝罪した(※3)。
そのオードリーの名誉のために加えておくと、全曲まるごと吹き替えられたわけではない。「今に見てろ "Just You Wait"」のサビ部分以外のすべて。「スペインの雨 "The Rain in Spain"」の冒頭ワンセンテンス。「踊り明かそう "I Could Have Danced All Night"」の歌い出しから二節目の"Sleep.Sleep.I could't sleep tonight"。この三曲に間違いなくオードリーの声が残されている(※4)。とは言え、「今に見てろ」はダミ声で訛りを強調した曲。名誉どころかオードリーの声の印象を悪くさせてしまっているだけなのかもしれない。

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最後は『サウンド・オブ・ミュージック』。これもブロードウェイの舞台が元になっていて、最も映画らしく仕立てられている。それはアルプス周辺でのロケ撮影が多く登場するからで、三作品の中では最も映画らしい開放感に溢れている。
主演は、因縁のジュリー・アンドリュース。華やかさも可憐さもなく、当然ながら演技派でもないので、特段魅力のある女優ではない。でも、歌のうまさは最上段で、『サウンド・オブ・ミュージック』は即ち、ジュリーの歌を堪能できるのが最大の魅力だ。
楽曲はどれも親しみやすく覚えやすいものばかり。ロジャース&ハマースタイン二世は、『オクラホマ!』や『王様と私』などブロードウェイで大ヒットを飛ばし続けており、極めて大衆性に優れたコンビだった。特に『南太平洋』は、そのスタンダードナンバーとしての完成度が1950年代を代表している感さえある(※5)。
さて、『サウンド・オブ・ミュージック』の中で最もポピュラーな一曲と言えば、「ドレミの歌 "Do-Re-Mi"」。実は、三枚のサントラ盤を聴き直して、この「ドレミの歌」こそが最高のミュージカルナンバーであるとあらためて感じ入った次第だ。
最高なのはそのシンプルさに尽きる。メロディ、歌詞、ハーモニー、展開、合唱。さらに映像が思い出されてきて、ザルツブルクの山々や川を背景にして、フィックスの画面が徐々に移動撮影に変わる。恍惚感が横溢し、明るさに包まれた躍動感がほとばしり、好き嫌いや向き不向きに関わらず、「ドレミの歌」はあらゆる人に光を投げかけるような至福感で満ちている。


Let's start at the very beginning
A very good place to start
When you read you begin with
A-B-C
When you sing you begin with do-re-mi
Do-re-mi
Do-re-mi
The first three notes just happen to be
Do-re-mi
Do-re-mi
Do-re-mi-fa-so-la-ti
Oh, let's see if I can make it easier

Doe, a deer, a female deer
Ray, a drop of golden sun
Me, a name I call myself
Far, a long long way to run
Sew, a needle pulling thread
La, a note to follow sew
Tea, I drink with jam and bread
That will bring us back to do.


オスカー・ハマースタイン二世の歌詞を、単音に変えて、日本語として歌いやすくしたペギー葉山はひたすらに偉い。「ドはドーナツのド」と歌うことによって「ドレミの歌」は日本でも歌えない人がいないくらいのポピュラーソングになってしまった。今でも、繰り返し発売されるDVDやブルーレイディスクでは、「ドレミの歌」だけは、必ずこのペギー葉山の訳詞が採用されている。
この一曲をもたらしただけでも『サウンド・オブ・ミュージック』は、ミュージカル映画史上、最高の一本と言えるのではないだろうか。

musical3.jpg


あえてサントラ盤で聴き直した割には、結局のところ映画の話になってしまった。言わずもがなだが、この三本はともにアカデミー作品賞を獲得している。ちなみに双葉十三郎先生によると、『ウエスト・サイド物語』☆☆☆☆★、『マイ・フェア・レディ』☆☆☆☆、『サウンド・オブ・ミュージック』☆☆☆★★★ という評価。アメリカの映画評論家レナード・マーティンの”Leonard Maltin's Movie Guide”では、『ウエスト・サイド物語』のみ最高点の「****」で、残り二本は「***1/2」(※6)。日米の大御所がともに『ウエスト・サイド物語』を高く評価しているところが興味深い。
評価はさておき、わずか五年ほどの間に五十年経過した今日まで語り継がれるミュージカル映画が作られたことは、真に奇跡であった。
そして、今のアメリカ映画に奇跡が起こるはずもないのは、当然のことである。(き)


(※1)正確にはメインタイトルしか出ない。キャストとスタッフのクレジットは、映画の最後に街の落書きとして映し出される。
(※2)2012年9月21〜22日に東京国際フォーラムで上演された。
(※3)IMDb(インターネットムービーデータベース)の記述より。
(※4)オードリーの声がどこまで残されているかには諸説ある。
(※5)『南太平洋』は1958年に映画化された。代表曲は「魅惑の宵」「バリ・ハイ」「ハッピー・トーク」など。
(※6)「****」が最高で「*」が最低。「*」をさらに下回る「BOMB」という烙印をおされることもある。
(※)三本のミュージカル映画に三本とも参加した唯一の人物がマーニ・ニクソン。誰からも報いられず、好まれてもいなかった人のようだ。

(追記)『サウンド・オブ・ミュージック』でトラップ一家の長女リーズルを演じたシャーミアン・カー。「もうすぐ17才 "Sixteen Going on Seventeen"」を歌う彼女は、ジュリー・アンドリュースよりもはるかに蠱惑的だった。残念ながら、本作出演のあと結婚してすぐに引退してしまった。





posted by 冬の夢 at 00:01 | Comment(5) | TrackBack(0) | 音楽 映画音楽・ソウルなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(1/5)
 アンドレ・プレヴィンがジャズで演奏した『マイ・フェア・レディ』曲集は、二度出ています。
 はじめは1956年、映画公開より前、シェリー・マンのリーダー盤として。ブロードウェイのミュージカル曲集の形なので、そのため日本ではシェリー・マンの代表作にあげられないのか、あまり知られていないと思いますが、当時ジャズの盤としては空前のヒットになったことで有名です。
 つぎは、映画公開の1964年、自分がリーダーのカルテットで。ジャケット写真に、『マイ・フェア・レディ』のドレスアップをしたオードリー・ヘップバーンがいっしょに写っているので、サプライズゲストだというような解説も見かけますが、これはプレヴィンが『マイ・フェア・レデイ』の音楽監督で、ヘップバーンのテストレコーディングでオーケストラを振ってもいて、ヘップバーンの歌の手助けをする努力を惜しまなかったことが、さほど知られていないせいかも知れません。ふたりは同年生まれで『マイ・フェア・レディ』撮影時は三十四歳でした。盤の発売時期からすると、ジャケット写真のふたりも、その歳でしょう。
 映画で歌われる場面もいいし曲も最高だけれど、ジャズの4ビートにはしにくい「I Could Have Danced All Night」が、どう演奏されるかが聞きものですが、シェリー・マンの盤では、ブーガルーふうというのかな、低音部のバンプがちょっと重たいのです。カルテット盤のほうはミディアムスイングで、小体で小粋な演奏。映画の感じとはかなり違うものの、こちらのほうがいい感じですね。しかし、もうひとつの好きな曲「On the Street Where You Live」は逆で、シェリー・マンの盤のほうがスイングしています。カルテット盤ではやっぱり低音部のバンプをつけていて、それがちょっと……。プレヴィンはジャズを弾くと、フレーズの区切りに左の鍵盤でシングル音を「どん」と鳴らす特徴がありますが、ピアノの低音部をガンガン弾くのが好きだったのかな。
Posted by (ケ) at 2021年04月22日 17:08
(2/5)
 アンドレ・プレヴィンは「オードリーの声は居間にはぴったりだった」と回顧しています。「友達のいる居間で、ピアノのそばに立って歌えば、だれもが『何てチャーミングな声!』と感心するだろう」と。
「しかしこれは六個の巨大なサウンド・スピーカーを使う、すべての映画を超える映画だった。それでもわたしは、この映画のためにオードリー・ヘップバーンを雇ったのなら、彼女の歌がそれほどすばらしくなくても大した罪ではない、という意見だった」
『ラ・ラ・ランド』の、エマ・ストーンもライアン・ゴスリングも「居間」的な感じで歌っているのです。作られた時代が違うしミュージカル映画のクライテリアも違う、ということはあるにしても、それはそれで、いい歌いかただと感じます。ゴスリングは口笛ができないということから、口笛の部分は「吹き替え」られてもいます。
 DVDの三〇周年記念盤だったか、そのボーナストラックで視聴できる、ヘップバーン本人が歌ったテイクを見ると、たしかに「居間にはぴったり」です。いやそれどころか、観客の心をつかむにじゅうぶんに、歌えているとも思います。心から、せいいっぱい歌っている感じで、むしろイライザのキャラクターに合っているようにさえ思うのです。
 現代のデジタル録音技術では、音程の不安定さやリズムのぶれ、音圧などを操作することは容易なはずで、ヘップバーンの歌唱の弱点を補うに、吹き替えではなくて、本人の声を調整することで『マイ・フェア・レデイ』の曲を全部作ることは、不可能ではないのでは。
 もちろん、それだって嘘(つくりもの)じゃないか、といわれたら反論はありませんが。
Posted by (ケ) at 2021年04月22日 17:10
(3/5)
 吹き替えたマーニ・ニクソンの歌と、ヘップバーン自身の歌を比較しつつ、同じ場面を見ると、ニクソンが、ヘップバーンのモノマネを上手くしながら歌唱力がグッと上がったように聞こえる、じつに器用な「あてかた」をしているのが、よくわかります。
 ニクソンは、歌える音域がはるかに広く、リズムのノリが快調。ヘップバーンが伴奏についていく感じなのに対し、伴奏を引っぱるような余裕の歌いかたなのです。ふしぎなことにヘップバーン本人のセリフ音声とのつながりが、むしろ自然です。
 歌声の透明度、高音域の伸びやかさ、発音の明瞭な感じが歴然と違います。この点では、曲のキーが全体的にヘップバーンには高すぎます。ただキーを下げると、曲の明朗感も下がるのでしょうが。
 逆にいうと、こうした点すべてがヘップバーンの歌唱力の弱点──グランドオペラ的なミュージカル映画でソロを歌うには──ということにもなりますが。
 全盛期のハリウッドメイドのミュージカル映画では、歌が上手でない俳優が歌う場面は、吹き替えることが当たり前に行われていた、というより、現代でも歌う場面を吹き替えることは行われているわけですが、『マイ・フェア・レデイ』については、公開時から「吹き替えられている」ということが過剰に取り沙汰されました。ヘップバーンが不運だったのは、ブロードウェイの舞台でヒットを飛ばしていたジュリー・アンドリュースから役をとった形になったのに、自分の歌が使われなかった、というところでした。
 おかげでジュリー・アンドリュースは、大衆の大きな同情を集めて、大成功へのきっかけをつかめもしたのですが、のちの一九七一年、テレビのトーク番組「ディック・キャヴェット・ショー」で、自分に映画版の役が来なかった理由を、はっきり語っています。
 その発言は、当時のワーナーの判断と同じでした。そのころは、世界的どころか全米にも知られていないミュージカル俳優だったことと、映画出演経験がなかったことです。
 その点はアンドリュース自身、納得して話していましたが、『マイ・フェア・レディ』と同年公開の映画「メリー・ポピンズ」は大きな「うめ合わせ」になったと、その番組でもはっきりいっていました。
 世界的女優のオードリー・ヘップバーンをさしおいてアカデミー主演女優賞をとったわけだし、『マイ・フェア・レディ』のヘップバーンは主演女優賞にノミネートされてさえいなかった。アンドリュースがアカデミー賞授賞式の壇上から素晴らしい映画(『マイ・フェア・レディ』)を作って、わたしに最高の場をくれた、ジャック・ワーナーさん(『マイ・フェア・レディ』のプロデューサーでワーナー・ブラザーズ≠フひとり)に感謝します≠ニいったのは、有名なエピソードですよね。
Posted by (ケ) at 2021年04月22日 17:11
(4/5)
 マーニ・ニクソンについて調べると、この人が、表に出ず職人的作業に徹していれば、「吹き替え問題」がアカデミー賞を左右するほどのスキャンダルになることはなかったと思われます。
 ニクソンの歌の録音仕事も行ったアンドレ・プレヴィンは、彼女が、自分が「この映画を救う≠アとになるだろうと、ニューヨーク中にいいふらしたこと」が問題だった、といっています。「マーニーは、少し悪乗りしすぎた。彼女を一言もけなさなかったのはオードリーだけだった」と。
 ただし、当時のニクソンに悪意はなく、アンドリュースが映画にキャスティングされなかったことに怒った一派のあおりや、ほとんど自声が採用されていないヘップバーンが、半分くらい歌っているという出版物に対し、ニクソンの夫が否定声明を発するなどが、吹き替え問題を大きくした原因でしょう。
 ニクソンは「いいふらした」とされたことに反論しつつ、「わたしの喜びは彼女と仲良くなれたことだった。わたしたちは一心同体だった」と語っているのですが、後年のテレビインタビューなどでは、自分が歌を吹き替えた女優たちの歌唱力の、どこがまずいかを、かなり率直に話している(どう聞いてもニクソンなしではその映画が成立しなかったように聞こえる)うえ、かつ「それは自分の本物≠フキャリアを補助するためにやる仕事だった」ともいっています。
 そして「一心同体」だといわれたヘップバーンは、一九九一年のラリー・キングのトーク番組で、ニクソンのことを、いい人だったけど名前は忘れた、といっていました。
 実際のところ、ヘップバーンとニクソンの共同作業とは、まずヘップバーンが歌うと、それを真似てニクソンが「上手に」歌い、さらにそれを真似てヘップバーンが歌ってみるという、誰がやらされたとしてもつらいもので、実際にはその時間のほとんどすべてがムダになったうえ、歌を吹き替えていることが事前に大きく取り上げられてしまったがためにこの映画では半分しか演じていない≠ニいう評をくらってしまいもしたわけです。
Posted by (ケ) at 2021年04月22日 17:13
(5/5)
 問題の起点は、歌は吹き替えでいくことが決まっていたにもかかわらず、そのことを主演女優に、契約段階でも撮影中にさえも明確に告げず、「わたしは歌わせてもらえるのかしら」といっていた(ある意味あきらめがついていた)ヘップバーンに、期待を持たせ続けてしまった制作側にあったのでしょう。
 おかげでヘップバーンは、自主的に長期にわたるボイトレを行い、さきほどのニクソンとの作業では、自分が歌うときはすこしでもいい結果になるよう何度もリテイクしたそうです。またプレヴィンも、ヘップバーンの声のテイクをできるだけ使うようにしました。結果としては、その作業も収録音声も、ほとんどが没になったにもかからわず。
 ちなみに『マイ・フェア・レディ』は、超大型ミュージカル映画制作の終期にあたってもいて、これ以後、吹き替え歌手への大きな需要(ニクソンはサントラ盤にクレジットされていないそうですが、映画仕事でのギャラのほか、この盤の歌唱印税も受け取り続けていました)も、なくなっていきます。
 ヘップバーンの評伝の筆者、バリー・パリスは『マイ・フェア・レディ』の項を「それは最高の役であり、最悪の役でもあった」という一文ではじめています。
Posted by (ケ) at 2021年04月22日 17:16
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