2015年09月12日

終わらない夏──撫順の朝顔が咲きつづける庭 .

 すっきりと秋が訪れない、八月終わりから九月初めの阪神地域。
 いま、間借り住まいしている家で育ったアサガオが、まだ毎日、花を咲かせている。
 よく見かけるアサガオより、ふた回りほど小さい、直径五、六センチほどの可憐な青紫の花だ。葉も小ぶりで丸い。
 中国・撫順にあった撫順戦犯管理所の職員が、日本人戦犯容疑者たちを釈放し帰国させるとき、渡した種から育ったアサガオの子孫にあたるという。

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 一九四九年、中華人民共和国建国。
 ソ連はこの前後から中国と交渉、シベリアに抑留していた日本人捕虜の中国引渡しを提案する。敗戦時には旧満州にいた人たちだ。
 この結果、六〇万人ともいわれた日本人捕虜から選ばれて、翌年に撫順戦犯管理所に送られた「戦犯」は九六九人。旧満州の司法行政、警察関係者や、関東軍関係者、元憲兵が多い。
 罪状の軽重はさまざまで、戦後五年目にしてあらためて戦犯とされ、中国に送られた日本人たちの不安は大きく、入所当初の態度は反抗的だったという。満足な食事もなく炭鉱や林業で重労働させられた、シベリア抑留と同じ経験がさらに続くのか、という不安もあったと思われる。収容者のなかには愛新覚羅溥儀と、その弟の溥傑もいた。

 撫順戦犯管理所での待遇は予想外だった。
 労働はなし。食事は充分(当時の中国は食糧難で、所員は高粱が主食だったが、日本人収容者には米飯が出た)、所員の態度は温厚で、散髪や入浴もできた。処刑前の最後のギフトではないかと疑う収容者もいたほどだ。
 許しがたい敵でも人道的に扱うのは、撫順で始められたのではなく、それ以前から中国共産党の方針だったそうだが、日本軍に家族を殺されるなどした職員の中には、納得できずに苦しんだ者もいたという。

 この撫順と、もうひとつ太源にあった戦犯管理所で、自ら「認罪」して告白を行った元戦犯たちの証言は、釈放・帰国後も自分の「罪」を語り続けた者があるため、かつて日本が中国で行った侵略者としての行動を知る、大きな手がかりになっている。
 その証言を、脅迫されて行ったものだとか、中国共産党のでっちあげだと否定する声もある。去年の夏、中国中央公文書館が、起訴された戦犯四十五名の自筆供述書画像、および中国語と英語による要約を公式ウェブサイトに初公開したため、ふたたび強くなっているようだ。
 ふたたび、とは、一九五六年に不起訴・釈放となり、順次帰国した元戦犯たち自身が、被洗脳者、中国共産党の手先とされて、マスコミに批判されたり警察の監視を受けたりしたからだ。
 記憶があいまいで確実な例は書けないが、一九七〇年前後の自分の記憶にも、それはある。「シベリア帰り」や「中共引揚者」とは「スパイ」の意味で、知人縁者にそういう人がいると、声を潜める気配があったはずだ。

 撫順戦犯管理所では、収容者たちの五年間はつぎのように過ぎていった。
 はじめは、なにもせず遊んでいる、時間を持て余すほどの一年間。
 情報に飢える中で、与えられた新聞や、マルクス主義の文献を手にとり、自然と「学習」を開始、グループ討論する二年間。
 そして、ようやく取り調べが始まり、中国で行ったことすべてを書き記していく、一年以上の期間。
 一年以上とは長いようだが、半年から一年かかって書く場合は多かった。命令されてやったことで自分に罪はないという記述も目立った。管理所には数百人の検察院工作団が常駐し、裏をとりながら記述をさせるので、さらに時間がかかる。
 それをへて、「弁明」は「認罪」と「告白」になっていったという。
 一九五六年夏、有罪判決四十五名、死刑判決なし。それ以外は不起訴釈放、帰国となった。

 この過程は、現代の自己啓発プログラムに似ている。したがって「洗脳」だという人もいる。さまざまな階層から選んで収容したのは、帰国者に広く親中宣伝をさせようとした諜報工作だと。
 確かにその可能性は否定できない。知略謀略にかけては長い歴史がある中国が、深謀もなく千人にちかい仇敵を五年も寄宿させておくはずがない。
 事実、帰国した元戦犯たちの中には、長年「中国への感謝」を語り続ける人たちがいた。厳しい判決を予想していたのに恩情措置になったためもある。実際、より厳しい判決を予定していて、日本人戦犯に甘いという中国国民の怒りが党中央に及ぶ可能性もあったが、日中国交正常化を控えての政治判断だった。

 帰国する日本人たちにアサガオの種を手渡した撫順戦犯管理所の指導員(もちろん日本語ができ、収容者たちの教育にあたった)は、こういったという。

 「もう二度と武器を持ってこの大陸へ来ないでください」
 「日本へ帰ったら、きれいな花を咲かせて幸せな家庭を築いてください」※

 このエピソードも含め、日本人元戦犯たちの告白が、中国共産党の思想指導による過剰な創作だったとして。
 党本部とは関係がない中国人たちが「された」と訴えたり、全体の一部にすぎないとはいえ日本人がみずから、自分が「した」、部下に「させた」、と証言していることのすべてが、みな虚構だったのだろうか。
 戦犯管理所から帰国した元戦犯たちの多くは、亡くなるまで、中国でしたのと同じ証言を国内で発し続けた。その人たちを「中共帰り」と疑い捨てるのはたやすかったろうが、証言そのものの真偽を、中国同様に時間をかけ、日本は国として裏づけ調査や検証を行ったのだろうか。

 いまだに、ことの真偽を確信して語れる知識も資料もない。
 戦後七〇年、戦後ずいぶんたってから生まれた、わたしですら、人生の残り時間を数える歳になっているのに、現代史の基礎知識として持っておくことは、できないでいる。 
 いずれにしても、そんな因縁がついている花が、窓の外に見えるのはやりきれない。
 さらに気が重くなるのは、このアサガオは「赦しの花」といわれているらしいのに、歴史的決着はもちろんのこと、「赦し」もまた、いまだに存在していないことだ。

 撫順戦犯管理所にかかわった人たちは、中国人も日本人も、それ以後の現代史に翻弄された。
 帰国した日本人の中から立ち上げられた中国帰還者連絡会は、文革をめぐる日中共産党の対立に巻き込まれて分裂、統一までに二十年が過ぎる。
 有罪判決を受けた戦犯も含めて日本人収容者は六〇年代前半にすべて帰国したから、文革期の中国は経験しなかったのだが、戦犯管理所の職員だった中国人たちは、日本人の手先と目されて下放の憂き目に合ってしまう。
 帰還者連絡会は、統一はしたものの会員の高齢化とあいつぐ死去で、二〇〇二年四月に解散。現在は、それを受け継いだ次世代組織が、資料公開や各地での活動を行っている。いま目の前で咲いている撫順のアサガオは、さきほどの手渡しのエピソードに感銘をうけた人が十年近く前に現地を訪れ、そこで自生し続けていたアサガオから種を分けてもらい、日本で咲かせては配ってきたものの流れにあたるそうだ。六〇年前の撫順の花の、はるかに子孫にあたる種が、さらに巡って間借宅の家主さんの手にはいり、ことし蒔いた、ということだった。
 
 いま、日本人がかつて中国で行ったとされる戦争犯罪は、中国のでっちあげだと強く主張している人たちのほとんどに、戦争体験はない。中国人の知り合いがおらず、中国に行ったことがない人も多いだろう。
 いっぽう、同じことを事実であるとして、研究・調査している人びとのほとんどもまた、戦後世代である。
 日中戦争で起きたことをめぐる中国側からの指摘は、前者にとっては反日言説に援用する創作であり、後者にとっては反日感情を濯ぐためにも検証すべきノンフィクションである、と定義できるかもしれない。しかし、とても違っているように思えるものの、どちら側の人たちにとっても同じように、はるか歴史の彼方にあることに、変わりはない。
 撫順のアサガオは、いま窓の外で、六〇年前に種が託されたときと、たぶん同じように咲いている。この六〇年間の歴史は、なにも知らないかのように。
 変わらないアサガオのかたわらで、人と社会は驚異的な進化をとげたはずだ。日本は、すくなくとも中国よりは、開かれた事実を手にでき、政府に自由を支配される度合いが大きくない。だから、これに限らず真実というものは、わが国では、手の届くところにある、と信じたいのだが──。

 とても奇妙な気持ちにとらわれる。
 ものいわぬさまざまな美しい花が、平和の印として、愛されてきた。
 その来歴を知って複雑な思いを感じつつも、撫順のアサガオに目をやれば、やはり平和でありたいと、心から思う。
 こんなにも花は愛せるのに、なぜ、人を愛することができないのだろう。

 このアサガオを日本中で咲かせようとか、どこか記念公園のような所で栽培してほしいとか、そういうことは思わない。ひと一倍ひねくれた性格なのか、これを咲かせる運動が起きでもしたら、ことさらに知らん顔をするだろう。それが、人を愛せないということなのだろうか。
 日々すこしづつアサガオの種を集めながら、思うことはいつも同じで進歩しない。(ケ)


【参考】
『中国侵略の証言者たち──「認罪」の記録を読む』(岡部牧夫、萩野富士夫、吉田裕・編/岩波新書/二〇一〇年)
『なぜ加害を語るのか 中国帰還者連絡会の戦後史』(熊谷伸一郎/岩波ブックレット/二〇〇五年)
『許しの花』(撫順の奇蹟を受け継ぐ会・九州支部/せいうん/二〇〇六年)


■二〇二〇年十月六日、手直ししました。趣旨は同じでタッチがすこし変わりました。
posted by 冬の夢 at 15:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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