2015年07月24日

「ゴー!ゴー!若大将」 意外? 予想通り? 加山雄三のホンネ


 イャぁあオ! わォ! うにャァあオ!
 
 若大将シリーズの見すぎで、とうとうおかしくなったか。
 いや、これは「ゴー!ゴー!若大将」の開幕、タイトルバックのバンド演奏での加山雄三のシャウト。
 オープニングの「クール・クール・ナイト」は、7thコードの8ビートでバースを始めるオールディーズ基本型。なかなかいい。劇中、ダンスパーティ場面での「ホワイ・ドンチュウ」も同じ仕立てで、「ハワイの若大将」で書いたように加山雄三は歌謡路線よりこういう本格的R&R系ポップ音楽のほうが、だんぜん向いていたと思う。
 が……。
 その加山のシャウトが、どうも気恥ずかしい。
 どこかの会社の課長が昔とった杵柄でエレキ弾いてる宴会芸、みたいに見えてしまう。
 おかしい……と思いつつ「ハワイの若大将」のバンド演奏場面と見比べると、やっぱり微妙に不自然だ。

 若大将三〇歳、澄子二十四歳、青大将三十五歳、江口三〇歳、照子(若大将の妹)三十一歳。
 これではしかたない。大学が舞台なのに学生役の俳優たちが実際は三〇歳代では、若さをスクリーンいっぱいに映し出すような演出は、いくらなんでも無理。舞台と映画の違うところだ。当時、加山は、俳優はしてはいけなかった日焼けに頓着せず、過密スケジュールの中、自由時間さえあればマリンスポーツなどを平気でしていたそうで、事実、このころの若大将シリーズでは見た目が重たい。もともとスリムな長身イケメンタイプでなく、毛深いモッサリ型。若大将シリーズでは劇中よくハダカになるから、アクションスター的な自己管理が多少は必要だったはずだが、していなかった、だろうな……。
 また、この作品には夜景場面が多いが、疑似夜景(フィルターを使って昼間に撮る)でなく実際の夕方や夜、照明をあてて撮っている。機材・感材の進歩を積極的にとり入れたか、確かにシリーズでは斬新な絵だが、黒をバックに俳優がくっきり浮かび上がるから、男性陣の加齢や、すみちゃんのメイクの浮きが素人目にも目立ってしまう。「ツイスト・アンド・シャウト」でギャーッと叫んでいたビートルズは、二〇歳から二十三歳。バンドが終わったとき年長のジョンが三〇歳だったのだから、三〇歳に「イャぁあオ!」は厳しい。「ハワイの若大将」からわずか四年だが、若いときの時間の速さと貴重さが、後悔とともに心にしみる。本筋とは関係ないけれど。

GoGo.jpg

 と、悲観的になったが、「ゴー!ゴー!若大将」は、シリーズのエッセンスがテンポよく取り入れられた、わかりやすい佳編だ。監督は名作「エレキの若大将」の岩内克己。音楽、アクション、恋のすれ違い、そしてギャグを、大衆向けの味つけで見栄えよく盛りつけた、職人芸の定食を楽しめる。
 シリーズ十一作目の若大将は、京南大学陸上部のマラソン選手。自動車部の青大将が事故で全日本学生ラリーに出られなくなり、マネジャーの江口に懇願されて代わりに運転することに。澄子は東京・赤坂のガソリンスタンドガール。若大将は、実家のすきやき店「田能久」周囲で深夜族警戒の夜回りをしているとき、すみちゃんが不良にからまれたところを助け、知り合った。
 一九六〇年代後半、「深夜族」ってのがいたんスか、と思わず「エレキの若大将」の寺内タケシの茨城弁で聞いてみたくなるが、実態はよくわからない。夜つるんで徘徊し、騒いだりする若者たちのことらしく、そのたまり場として深夜スナックやゴーゴー喫茶があった、らしい。六〇年代後半といえば「パックインミュージック」「オールナイト・ニッポン」「セイ!ヤング」など、深夜放送がいちどにスタートしたころでもある。夜が若者たちの王国になっていく時代ということだが、それだけ昼に辛いことが増えたのではないかと、時代の空気感を想像してもみる。いずれにしても「ゴー!ゴー!若大将」での夜間撮影の多用は、その雰囲気を敏感にすくいとっての表現でもあったのだろう。ただ、東宝の大プロデューサー、藤本真澄は、批評性が含まれたリアルすぎる描写を娯楽シリーズ映画でするのは許さなかったそうだ。だから映画のタイトルにもひっかけられている「ゴーゴー」も、サイケ調の薄暗い店で不良がするダンスではなく、明るく楽しいレクリエーションとして撮られている。
 そういう仕立ての映画のスクリーンの隅に、時代の破れ目を探すのは邪道かもしれない。しかし、東京タワーの先端に野球ボールが仕込まれていた話のように、娯楽映画の金字塔シリーズだからこそ時代のリアリティもしのばせたい、と思ったスタッフがいて「かくしアイテム」を置いたのではないかということは、なんとなく気にしていたい。
 
 ラリーの場面は、京都、名古屋、飛騨高山など、関西中部でのロケ。せっかくの名所めぐりが、目まぐるしいカットで飛び過ぎていくが、カーレースだからそれでいいのか。というより、古澤憲吾が監督した若大将作品のムチャなブツ切りカットに慣れてしまって、心地よく感じてしまうから恐ろしい。
 また、お年寄りにからんでいたトラック運転手たち※1とケンカになり、スピルバーグの「激突!」みたいなチェイスになる場面などカーアクションもいいが、かんじんの若大将が運転席に座りっぱなしでは、シリーズの魅力は半減する。自動車競技はほどほどで切り上げ、若大将本来の陸上部員としてのマラソンをエンディングへの盛り上げに使ったのは大正解だ。実際、ナビゲーターとして同乗の自動車部員、江口を演じる江原達怡は、ライセンスを持つ本格的ドライバー。加山の運転吹き替えもやり、クルマ場面の指導担当としてタイトルにクレジットされているほど。助手席で手回し計算機で走行時間を出すカットなど、クルマの場面は江原のほうがカッコよかったりする。
 いっぽう星由里子が演じる澄子は、今回は完璧なオトナの女性の設定。ヨソいきの服はシックなツーピースだし、スカーフ姿には哀愁さえ漂う──ただスカーフは、このシリーズのカット割りがあまり激しいので、髪型合わせに困らないよう女優陣が考えついたらしい──。そんなすみちゃんのルックスに合わせるかのように、今作では二人の結婚がはっきり示される。若大将は積極的、すみちゃんも素直。すみちゃんがつまらない誤解をすると、ウチへ来いと若大将。親の前で好きだといってやる、それでどうだい、と。そういう場面での星由里子、「小首」の芝居が上手い!
 おなじみのすれ違いもあることはあり、原因は向こうっ気の強い芸者の京奴。しかし、青大将の父親で自動車販社社長の北竜二がお得意さん、という年増芸者が相手では勝負にならない。芸者役の浜木綿子──市川中車のお母さん──は星由里子の八つ上、見た目もカンロク負けで、すみちゃん今回は、京奴本人に諭されて納得だ。
 結婚といえば、澄子が田能久を訪ねるため美容院でセットする場面の直前に、高島田の花嫁鬘が瞬時映る。マラソンのゴールで逆転優勝した若大将には、おなじみ「雄一さん、好きよ〜!」の連呼があるが──えらく回数が多い!──場面転換前の一瞬、ふたりの抱擁もある。そういえばシリーズ初ではないか。でもないか? そしてラストシーン前にこれも一瞬、イセエビの飾りもの。やあ結納か。いや待て、いまストップモーションで確認すると、どう見ても餅に乗っかった「正月飾り」なんスけどね……正月映画だからなのか。
 若大将・大学生編は、この後にもう一作あるが、とりあえず幸せいっぱいの中締め。東宝が「なにをやっても当たらなくなる」厳しい時代が迫る中、ついに一年に三本も若大将シリーズを封切れた、一九六七年、締めの作品でもある(十二月三十一日公開のお正月映画)。

 やっぱり、主役でないとやだね。要するに脇役でもって、こう何か、フォローして誰かを引き立てるってのは俺、向いてねえ。
 
 現行DVDで、加山雄三のオーディオコメンタリーが収録されているのは、「ゴー!ゴー!若大将」一本のみだ。この発言は一九九九年のホイチョイ・プロダクションズ原作映画「メッセンジャー」に出演したときの思い出。定年後に自転車宅配会社に再就職し若い社員をサポートする男の役だが、久々に出た現場の変化もあり、NGを連発。いやになり、その結果、自分は主役、ことの中心にいて初めて力が出せるタイプと確信したそうだ。
 なるほど、自分でよくわかっている。
 俳優としての才能、表現力はない。難役を苦労して演じ、成長することもなかった。
 そのかわり、そこにいてシネカメラに写り、ふだんの会話を演技するでもなくいい、とにかく熱心に「動く」だけで、ほかの演技達者たちが表現できない躍動感がスクリーンに広がる。
 たしかに田中邦衛の青大将や、飯田蝶子のおばあちゃんがいなければ、若大将は存在しなかった。しかし青大将やおばあちゃんが「フォローして誰かを引き立てる」力を発揮したのは逆に、加山雄三という稀有な主演者が彼らの中心にいたからでもある。
 それを才能というなら、平凡な表現だが、やはり天賦のものというしかない。人間的魅力という点ではむしろ空虚なのに、身ぶりや口調だけで、限りなく明朗に、喜びや元気の「存在」を確信させてくれる。この人が中心にいるというだけで、全員のパフォーマンスが最高にアップする。プロ野球で同じような天分を発揮していた長嶋茂雄のように※2。それは確かに、すばらしいことだ。

「ゴー!ゴー!若大将」のコメント収録に加山は出演はせず、別途録音したものが使われている。加山「節」のファン以外には、さほど聞きどころはないが、最後に加山自身による、若大将シリーズの「まとめ」がある。話し言葉なので長くなるが、紹介しておこう。

 若大将のポリシーをね、いろんな面で生かせると思うんですよ、人生の中で。俺も実際にこの若大将を自分で演じてるけど、その中に描かれたものの、なんか大切なもの、つまり人間の、こう、愛というかさ、真理を大切にしようっていう、そういう気持ちってのが、たとえば親子の、まあ、おばあちゃんとの問題、おやじとの問題、それから恋人との問題、つまりそういうものが基本的には、この映画を通して学べるはずだと、俺は思うんだよね。それを、だから何回も観ることによって、何がこの、魅力あるんだろうかいうところを、ちょっと、こういろいろと、あの、よく掘り下げると分かるんじゃないかと思う。まあ、掘り下げる必要はねえんだよ。肌で感じたら、それでいいんだよな。それが何か俺、あるような気がするんだよね。
 今の世の中っていうのは、そういうものじゃなくて、正義感に燃えて正しいことをやってると、正直者はバカを見るっていう世の中だから、これの反対で、悪いことやってりゃいいと、思ってやってごらん、やれるもんなら。必ずまた、まあたぶん、ホームレスになる可能性が高くなるしね、と。俺はだから、カネカネカネカネっていう、そのまあ、ホリエモンもいいけど、やっぱりそうでないような気がするからな。そんなはずはないなと俺は思うんだね。


 若い世代を熱中させ、想像を絶するヒットを記録した青春シリーズ映画の主演者による評にしては、あっけないほど予定調和で、ずれている感じもする。しかし、コメントの中の「真理」という言葉は、聞き流せない。「真理」とは、いったい、どんなもので、若大将シリーズからどう、うかがい知れるものなのだろう。こうコメントされたとおりなのか、それとも違うのか。あるいは最初から真理などというものはないのだろうか。シリーズ全盛期から五〇年近くになるいま、若大将その人から「真理」という言葉を聞いて、この言葉に、劇中の若大将のように、無色透明な素直さで向かい合ってみたいと思う。(ケ)




※1「誰がカバやねん」の原哲男と「ごめんくださいどなたですかお入りくださいありがとう」の桑原和男。以後も吉本新喜劇の舞台を「夫唱婦随」で長くつとめた関西ギャグの名バイプレーヤーだ。因縁をつけられる老人は曾我廼家五郎八。関西芸人の起用は、宝塚映画がかんだせいかどうかは不明だが、原と桑原のスクリーンを飛び出しそうな笑える熱演も、若大将の躍動感をひきたてている。

※2 ただし長嶋の「天分」は猛練習の成果でもあった。ちなみに息子の一茂を起用して若大将シリーズのリメイクをするのしないのという噂が昔あったと記憶しているが、あながち誤りでなかったと思う。ヒットはしなかっただろうが……。

※3 撮影時のエピソードは、DVDのオーディオコメンタリーを参考にしています。


originally posted 2015-07-27 02:21

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posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 若大将シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マラソンで優勝する雄一に澄子さんが駆け寄って、思い切り抱きつく。雄一と澄子さんの抱擁はご指摘の通り、シリーズ初!です。
ちなみに初めて手を繋いだのは、「ゴーゴー」の前作「南太平洋」。江ノ島は稚児ケ淵の岩場の上での出来事でしたね。
「手を繋いで」「抱きついて」となれば、次は?そう期待させた「リオ」ラストシーンでの二人は、なんと遠景で、かつ階段の陰に隠れて見えません。少し澄子の足が背伸びしているようにも見えますって、ノゾキじゃないんだから。
Posted by (き) at 2015年07月27日 08:06
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