2015年07月22日

チャーリー・ヘイデンの一周忌に聴く「Come Sunday」

 チャーリー・ヘイデンを追悼したいと思ってぐずぐずしているうちに、一周忌がすぎてしまった。
 あまりに傾向が違う作品をさまざまに発表しているうえ、ひとりの演奏者としてほかの演奏家の盤に参加した場合も素晴らしい演奏をするから、「この一枚」を選ぶのがむずかしかったせいだ。弾いているところを見たことがなく、その思い出も書けない。気がつくと故人の追悼を書くことが多くなっているのにも気がひけ、今日になってしまった。

 ここ数年、めったに音楽CDを買わなくなり、音楽を積極的に聴くことが減っている。
 それでもたまに、持っている盤を回そうとすると、同じ盤を何度も選ぶことが多い。ことにチャーリー・ヘイデンが他の楽器奏者の誰かと二人で演奏している盤が目立つ。
 二〇一四年六月発売のキース・ジャレットとの盤「LAST DANCE」が、タイトルからもヘイデンの遺作といっていいと思うが、録音は二〇一〇年発売の「JASMINE」と同じ二〇〇七年で、演奏内容はどういうわけか「JASMINE」のほうがはるかにいい。ジャケットデザインも好きなので「JASMINE」をよくかける。
 が、同じようにピアノとベース二人だけでの演奏だけれど、チャーリー・パーカーとも共演したビ・バップ・ジャズの歴史的演奏家、ハンク・ジョーンズの二〇一二年の盤「Come Sunday」を知ってからは、こちらばかり聴くようになった。アメリカではよく知られている聖歌・霊歌を演奏しているこの盤、ジャズの有名な曲を現代的な解釈で弾いているジャレットの盤と単純には比較できないと思うが、いちど「Come Sunday」と、十年近く前に同じ企画で発売されていた「STEAL AWAY」とを聴いてしまうと、ジャレットの演奏は明らかに劣って聴こえてしまう。
 
「Come Sunday」でのジョーンズは、ハデさやケレン味がまったくない演奏をしている。一九七七年録音の「The Great Jazz Trio At the Village Vanguard」の、当時オーディオ装置をぶっ壊すかのように聴こえた嵐のような演奏からすると、いかにも老境のおだやかな弾きかた。フレーズも転びかけたりする。ある程度アレンジはあるが、主旋律によけいな解釈を加えたり、いかにもコード進行にはめこんだようなバップフレーズを乱発せず、どこかで聴いたことのあるゆるやかなメロディをたんたんと弾いていく。四曲目の「Going Home」、つまり日本でも知らぬ人のないドボルザーク出典の「家路」、これが流れるころにはすっかり、「きょうのわざをなしおえ」て小家族の炉辺演奏会に招かれたような気持ちになる。聖歌・霊歌に信仰からの興味はないが、耳から聴くというより身体にしみ込むような音ひとつひとつが、胸にぽとりと落ちるのを感じる心地よさ。ただ、夕どきの家族演奏会といったが、ジョーンズはミシシッピ生まれの黒人、ヘイデンはアイオワ生まれの白人だ。念のため。

 選ばれた曲は、ジョーンズはもちろんヘイデンも歌詞までおぼえている曲ばかりで、ヘイデンは心で口ずさみながら伴奏したそうだ。なるほどヘイデンは、よけいな装飾音をつけない、よく伸びる音符でじっくりジョーンズを支えている。ジャズベース奏者としてのヘイデンらしさがよくわかる弾きかただが、自分で主旋律を弾きもするし、曲中でフッと主旋律を弾いてジョーンズにかぶせたりもする。これが、「とうちゃん、二番は僕が歌うわ」って感じで、すばらしくいい。
 二人は「STEAL AWAY」録音前の打ち合わせで、過剰なことをしない約束をして弾いたそうだ。スタジオ録音だが教会で弾いているような気持ちになり、よく二人で顔を見合わせては「神よ、われわれをお許しください、さっきはよけいなフラット13thを弾いてしまいまして」などとつぶやいたという。
「JASMINE」のキース・ジャレットの演奏からは、メロディを捉えようとする渇望がひしひしと伝わる。表現者として美しい態度だとは思うが、苛立ちと背中合わせになった感じがするのが息苦しい。比べることはできないと書いたけれど、ヘイデンの伴奏は同様に冴えているのに、ハンク・ジョーンズの音には遠く及ばなく聴こえる。
「Come Sunday」録音時、ジョーンズは九十一歳。録音のわずか三か月後に亡くなっている。ヘイデンも二年半後に死去。うがちすぎて平凡かもしれないが、死を諒解し受け入れる者に、このように演奏されたら、まだ何かを追い求めている者がかなうわけがない。次元が違うのだから。

 よく知られていると思うけれど、チャーリー・ヘイデンはもともと、歌手だ。
 二歳にもならないとき、お母さんの歌う子守歌にハーモニーをつけてハミングし驚かせる。彼の家族はアメリカ中西部で人気の、カントリー音楽のファミリーバンド。二歳のバンドメンバー「リトル・カウボーイ・チャーリー」の誕生だった。ヘイデン・ファミリーは当時、ラジオ番組のレギュラーをもっていた。さまざまな曲を演奏して歌い、コマーシャルも自分たちでやってしまう番組だ。局のスタジオからだけでなく、自宅から放送することもあったという。その最年少メンバーとしてチャーリーは活躍することになる。
 しかし、十五歳で小児麻痺に襲われてしまう。さいわい生死にかかわる重態はまぬがれたが、声帯を冒され、それまで通りに歌うことができなくなった。幸か不幸か、ヘイデン家は業界から引退して釣り宿の経営を始めようとしていた時期。チャーリーの歌手としてのキャリアはいずれにせよ終わった。彼はこんどはラジオの熱心な聴き手となり、ジャズへの興味を深める。テレビが普及していない時代で、聴きまくったラジオ、入りびたりだったレコード店の試聴室から、ジャズを吸収していったのだった。

 まだ認められる段階になかったオーネット・コールマンを訪ね、バンドメンバーとなってフリージャズの立役者の一人になったこと、カーラ・ブレイと「リベレーション・ミュージック・オーケストラ」を結成し、スペイン内戦時の抵抗歌やチェ・ゲバラ讃歌を演奏したこと、それらのアグレッシブな印象とはまったく逆のタイプの「カルテット・ウエスト」で、ノスタルジックな映画音楽の世界を再現してみせたこと。
 節操がないほどばらばらに思える活動には、歌への渇望、メロディへの思いという──キース・ジャレットとはまったく違う角度での──情熱が息づいていたのだとわかる。だからこそヘイデンが助演者の立場でベースでする「伴奏」は、ソロ奏者が望みうる最高のものになったのだ。
 ヘイデンは、心地よさなど無視した音楽だと思われるオーネット・コールマンの演奏がいかに美しいか語っていて、そのことは、リベレーション・ミュージック・オーケストラ、カルテット・ウエスト、そして聖歌・霊歌のデュエット演奏に、まったく等しく通じている。
 ヘイデンによると、コールマンの演奏はフォークソングとブルースを深くしのばせた、魔法のような美しさだという。ヘイデンも加わったバンドは、いかにもハチャメチャに演奏しているようで複雑な正確さのうちに時計を合わせたようにぴったり合奏できていたそうだ。
 アメリカのフォークや聖歌は、イングランド、スコットランド、アイルランドから米東北部の山岳地域に根をおろした音楽だ。ブルースや霊歌はもちろん、アフリカを起源に南部に生まれた音楽。いずれも貧しい人たち、自由を求めて抗う人たちの音楽だとヘイデンはいう。そうした音楽はつねに、美しさに満ちていて、それらを作り、伝え、残した人たちへの敬意をこめて演奏しなければならないと。
 また、フォーク、ブルース、スピリチュアルのみならず、ポピュラー音楽がもっと深く愛されていた時代の曲──カルテット・ウエストが演奏しているような──から感じられる郷愁の気持ち、その感情こそが、アメリカがしばしば陥る暴力と狂気から、人びとを遠ざけてくれるのだと、ヘイデンはいってもいる。
   
 そんなチャーリー・ヘイデンの音楽は、生まれたアイオワから移り住み少年時代を過ごした、ミズーリで育まれた。
 同じミズーリ出身の、ギターのパット・メセニーと二人で演奏している「beyond the Missouri Sky (Short Stories)」(一九九七年)も、すばらしくいい盤だ。この盤を聴くたび、アメリカというと都会にしか行ったことがないから、いちどは田舎を訪ね歩いてみたいと、よく思う。ミズーリは、とても美しい所ですよ、とヘイデン自身も語っている。きっと、この盤のジャケットのイメージ通りなんだろうな。アメリカ音楽の懐の深さが感じられる土地に違いない。
 しかし、彼は一九五〇年代の末、二十歳になるかならないかのころ、本格的にジャズを学び演奏するため、貯金してロサンゼルス行きのグレイハウンドバスに乗ったこと、つまりミズーリから出ていくことが、本当に嬉しかったともいっている。当時のアメリカ中西部にはびこっていた──もちろん行き先のロサンゼルスにも都市ふうにヒネった形で存在していたそうだが──人種差別にがまんがならなかった、まったく理解できなかった、という。
 
 It’s beautiful country, but I found it real backwards when it came to values and education.
  ミズーリは美しい地方だよ。でも、ことが価値観や教育となると、ひどく遅れてるとわかった。
 My mom and dad weren’t that way. They were interested in all kinds of people and things.
  ママやパパは、人種差別主義者じゃなかった。すべての人やものごとに興味を持っていたんだ。
 I remember my mother taking me to an African-American church when I was a kid.
  子どものころ、母が黒人向けの教会に連れて行ってくれたのをおぼえているよ。
 We went into the back row and listened to the gospel choirs. I loved it. 
  いちばん後ろの列にはいって、聖歌隊のゴスペルを聴いたんだ。好きだったな。

(ケ)

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Charles Edward "Charlie" Haden 1937/8/6 - 2014/7/11

【参考】

 弦楽器愛好家向け雑誌「STRINGS」のインタビュー(一九九五年)本文中の英文はここから
 www.allthingsstrings.com/News/Interviews-Profiles/Charlie-Haden-The-Soul-of-Jazz-Bass
 ニューヨークのインディペンデント放送「Democracy Now!」でのインタビュー(二〇〇六年)
 www.democracynow.org/2006/9/1/jazz_legend_charlie_haden_on_his
 ボストンの公共放送「WBUR」のインタビュー(二〇〇八年)
 https://www.wbur.org/npr/332544960/live-in-the-present-charlie-haden-remembered

posted by 冬の夢 at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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