2015年05月27日

松本竣介『都会』:絵と静寂−−好きな絵#4

(肝心の松本竣介の名前を誤変換していました。お恥ずかしい限りです。6月2日追記) 

前回「好きな絵」について書いてから、気がつくと2年以上が過ぎてしまった。こんなに長期に渡って絵画について話さなくても平気ということならば、これはもしかしたら自分は絵画を思っていたほどには好きでなかったという証拠かもしれない。少々不安になる。

けれども、このブログでは大好きな小説についてまだ一言も書いていない事実をよくよく考えると、話題にしないからといって、それだけでは必ずしも愛情不足の証拠にならないだろうとも実感する。おそらく、前回話題にしたピサネッロの『幻の横顔肖像画』がいけなかったに違いない。「ヴェローナで、電車の時間を気にしながら、それでも電車の到着まで相当な時間待たなくてはならず、その空き時間を利用してふと立ち寄った博物館で、麗しい美女の横顔肖像画を見た」と思い込んでいた(いる)のだが、その懐かしい記憶に何か大きな、深刻な錯誤があるらしい。どう考えても辻褄が合わない。

そんな一文を書いて以降、記憶に頼って「好きな絵」について書くことに、心のどこかでちょっとした躊躇いを感じてしまうのだろう。とはいえ、世界のニュースになるくらいの大金持ちにならない限り、自分の好きな絵を手元に置いて眺められる身分にはなれない。(若かりしときの夢の一つに、いつか庭付きの一軒家を購入し、その庭にヘンリー・ムーアの彫刻を置くというのがあったが、彫刻どころか、肝心の家さえいまだにない!)好きな絵を見ようと思えば、庶民としては美術館に出かけ、束の間の逢瀬を楽しむしかないわけだ。ということは、絵画鑑賞には本質的なところで記憶が決定的に関与しており、絵画と記憶の関係は、意外にも非常に興味深い問題を提供してくれるのかもしれない。

前置きはこの程度にして(今日は短いな…)本題の松本竣介『都会』について書いてみたいが、そうは言っても、実はこの絵に関しては「この絵が好きだ」としか言いようがなく、そう言うだけで言いたいことはほぼ尽きてしまう。

都会.jpg
(『都会』:本文にあるように、倉敷の大原美術館にあります)

松本竣介を知ったのは大学生の頃だった。というか、絵というものを熱心に見るようになったのが大学生の頃で、恥を告白すれば、カンディンスキーの名前と存在を知ったのも同じ頃だ。まるで文明開化の明治の日本のように、ありとあらゆる西洋美術が、時代も場所もごちゃ混ぜになって田舎出の若者の頭にいっぺんに飛び込んできた。そしてその混乱を楽しんでいた。自分のことを棚に上げて言うのだが、日本の大学生の何たる無知なこと!だが、高校では芸術についてほとんど何も学ばないのだから、大学生が芸術を知らないのは当然だろう。そして、ともかく、「知らなくては何も始まらない」とばかりに、時間が許す限り都内及び東京近郊の美術館にせっせと足を運ぶようにしていた。もっとも、それも大方は好きな女の子と一緒に通ったわけだから、本当の目的が絵画だったのかデートだったのかは、自分でも知る由もない。

今、手元の資料で確認すると、東京竹橋の国立近代美術館にも松本竣介の絵が複数収蔵されている。ということは、当然この美術館でも彼の絵を目にしていたはずだし、当時は都内に住んでいたのだから、国立近代美術館が彼の絵との最初の遭遇場所であった可能性が高いのだが、幸か不幸か、その記憶はない。松本竣介の名前を最初に記憶に刻んだのは、鎌倉の神奈川県立美術館だった。そこにはいかにも自画像風の『立てる像』がある。そして、ほとんど同じ頃に彼の回顧展があったのだと思う。あるいはTVで特集番組を見たのだったか、いずれにしても、彼が子どもの頃に病気で聴力を失ったという伝記的事実も知ることになった。

一般に作家の伝記的事実を知ることが作品理解に幸いするか、それとも災いするかは微妙なところだと思う。が、松本竣介が音のない世界に生きていたと知ったとき、彼の絵の魅力の一端(というよりも、彼の絵の独特な迫力と言うべきか)をはっきりと意識したことは、これまた否定しようのない事実だ。ひとことで言えば、彼の絵は常に圧倒的に静謐だ。そして、彼の目(そして手)は魔法のカメラのように、それまではその存在を意識することもなかった平凡な対象の中に、ほとんど唯一絶対と言っても過言ではないような美しさを創り出す。静謐な美しさ。音のない美。美しい静寂。それがあまりに心地良かったために、以後、ぼくにとって絵画芸術とはもっぱら「音のない美しさ」を創り出すものだと理解されるようになった。「喧しい」絵はそれだけで二流の証拠になり、美術館は静寂が支配する場所でなければならない。絵画の世界にも微笑みは存在してもよいが、哄笑は不要だ。こう書いていて、例えばブリューゲルの『農民の結婚式』や『農民の踊り』はどうなんだ? あれは「喧しい」絵ではないのか?という反論が聞こえそうだが、たとえそれらの絵からバグパイプや太鼓の音が聞こえてきたとしても、その音楽は決して喧しくはない。比喩的に言っても、また、真っ正直なリアリズムで言っても、絵画に表された音楽は、聞こえないがゆえに耳に心地よい。Heard music is sweet; those unheard sweeter.と言われる由縁だ。ブルーノ・タウトの「氷った音楽」というのともどこかで通じるのかもしれない。
(追記:同人から「『氷った』は表記としておかしい。『凍った』の方がいいのではないか?」と指摘された。言われてみれば、確かにその通りだと思うが、我ながら不思議なことに、たとえ間違いだとしても、ここでは「氷った音楽」に拘りたいとも頑固に思ってしまう。動詞の感じではなく、名詞の感じが欲しいからだろうか……)

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(ブリューゲル:『農民の踊り』)

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(ブリューゲル:『農民の結婚式』)

ゴッホの絵にもゴーギャンの絵にも、音楽に精通していたはずのクレーの絵にも、音はない。それらの絵には極めて小さな声しかない(仮にそれを「声」と呼んでよいとしても)。そして、もちろん松本竣介の『都会』にも、それが都会の雑踏を描いているにもかかわらず、音はない。その強い静けさが彼特有の幾分硬い線と一緒になって、まだ絵の見方などろくすっぽ知らなかった若者の心を一瞬で掴まえた。御茶ノ水、あるいは水道橋界隈を想起させる街並と立派な体躯の若い女性が目を惹くが、この絵の最大の魅力が透明な青と強い白にあることは間違いない。それが一種純潔な孤独を感じさせる。ともかく、一度見ただけで、作者と作品の名前を苦もなく覚えてしまうほどの印象を得ることができた。

後年、不思議な縁というものか、『都会』を収蔵する大原美術館(倉敷)の近くに数年間住むことになり、ちょっとした折りにこの絵を見に行くことができるようになった。貧しい庶民にとって好きな絵が近所にあることほど嬉しいことはない。いつも「半ば自ら所有しているようなものだ」と内心嘯いていた。

そんなある日、いつものように意気揚々と『都会』を目指し、(誤解のないように言い足すが、大原美術館にはその他にもしっかりと目を見開いて見るべき作品が、少なく見積もっても、3点はある)その絵があるはずの建物に足を踏み入れ、その途端に、沸々と怒りがこみ上げて来るのを止めようもないという、奇妙かつ途轍もなく不愉快な経験をした。目当ての絵は見たいのに、それなのにその場に長くは留まるわけにはいかないというジレンマ。そのアンビバレントな気分たるや、最悪の二日酔いにも匹敵した。

何があったのか。あったのは「音」だ! あろうことか、『都会』が展示されている部屋の隣で、現代作家のインスタレーションもどきが特別展として配置され、そこから毒にも薬にもならない平凡な環境音楽のBGMが流れていた。それが「侵入」、いや「侵略」してきたというわけだ。絵画にとって「静けさ」は何よりも大切なのに、何を血迷ったのか、よりによって松本竣介の傑作があるすぐ横で無神経にもBGMを垂れ流すとは! それは喩えて言えば、ポリーニやツィメルマンのリサイタルでミラーボールを配置する愚に匹敵しようか。単に愚であるならまだ救いの余地があるのかもしれない。それは愚である以上に乱暴で凶暴な所行に感じられた。大切な静寂が「犯されてしまった」といえば、そのときの気分が伝わるだろうか。思わず「止めてくれ!」と怒鳴りたくなるのを必死でこらえ、決して大袈裟でなく、ほとんど泣きそうな気分でその部屋を飛び出す羽目になった。

言うまでもないが、以後、大原美術館は大嫌いな美術館の一つに成り下がっている。少なくとも、そこの学芸員には「絵画を心から愛する人間」は皆無だろうと強く疑うようになった。そう、『都会』に描かれている松本竣介の繊細な世界を愛でる感受性を決定的に欠いているからこそ、あのような暴挙ができたに違いないと軽蔑している。大学生の頃、「異なったジャンルの芸術を抱き合わせることがデカダンスの特徴である」と、とある先生が教えてくれた。彼によれば、ワーグナーの楽劇なんぞ、デカダンス芸術の精華ということになる。その正否はともかくとして、大原美術館でのその一件は「これぞデカダンス(腐敗)」と思わせるに十分だった。

本来であれば、『都会』には無言で周囲を制圧する圧倒的な静けさがある。普段ならばその絵の前に立つだけで、日常の雑音も日頃の煩瑣な出来事も静寂の淵に沈んでいき、この世に自分とその絵しか存在しない、そんな至福の時間が、束の間であっても訪れる。その感覚を味合うことこそ絵画や彫刻を楽しむ醍醐味なのに……愚痴めいた蛇足だが、今の時代、何かとデカダンス(腐敗)が支配しているような気がするのだが、だからこそ『都会』のような世界がいっそう貴重なものに思われてならない。 (H.H.)
posted by 冬の夢 at 23:58 | Comment(3) | TrackBack(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 かつて、ある美術家が海外展示にあたり、「BGM」にクラシック音楽を流すことにしました。それを「いい感じになると思わないか」と自慢された。
 まったく反対だという意見をいいました。険悪になってしまいましたが。
 自分の意見はこうでした。そもそも美術作品に「BGM」は不要というのが第一、第二に、海外とくにヨーロッパでの展示でクラシック音楽を流したら、間違いなく作品の一部ないしは作家のメッセージと受け止められると思う。その意図がないなら、無意味かつ誤解のもとである。
 通じなかったんだろうな、その相手には。

 そういう自分自身「ながら族」(古い)であり、BGMがないとかえって落ち着かないくち。
 バーガー店やカフェチェーン店で勉強する人の姿は信じられないのですが、自分とどこかで通じているのかも知れません。

 記憶に鮮明なのは、昭和天皇が亡くなったときの東京新宿の夜。
 ことの可否はべつにして、歌舞音曲の自粛ということがあり、もちろんゼロになったわけではなかったですが、何かが抜け落ちたような奇妙な感覚がありました。しかしその方が当たり前で、やかましいバックグラウンドノイズがなければ、人は静かにじっくり話せるんだ、ということを痛感。でも、すぐ元通りに。
 
 いまの現場の学芸員は、デジタル世代、ピカチュウ世代でしょうから、トーンのきつい耳を刺すような音や、フラッシングな光や色調が垂れ流されることに慣れているのでしょうね。美術作品と音(音を作品にした美術も含めて)に対する感覚が、そもそも違うのかも。それが「鈍感」につながっていないことを願いたいものですね。
Posted by (ケ) at 2015年05月28日 12:28
東京国立近代美術館で初めて「Y市の橋」を見た時はその美しさに息をのみ、しばらく作品の前に立ち尽くした記憶があります。その時の室内の光景や知人とかわした会話なども一緒に覚えていて、確かに自分にとって大切な絵とは絵だけでなくそれを見たときの情景も一緒に記憶されていることが多いですね。幸いその時美術館にBGMはありませんでしたが、もしそうであれば全く違った絵画体験になったかと。美術館は本来静かに絵と対峙できる場所であるべきなのに、展示作品に対する敬意が全く感じられないことは本当に残念だし怒りさえ覚えます。
Posted by ごんた at 2015年05月29日 23:21
拙文にお目通しいただき、さらにはコメントまで。ありがとうございます。
美術館は作品にとっては言わば「ホーム」、さらにいえば「孤児院」であるということを学芸員はもう少し感じとるべきだと思います。つまり、もっと作品を心から大切にしろ!ということですけれど。絵画作品は一方では巨額で取り引きされるようにもなったけれど、他方では塵芥のようにもなってしまい(もっとも、肝心の人間もそんな二極分解的扱いなわけですが)、いずれにしても例えば野に咲く草花を愛でるようには愛されていないような気がしてなりません。考えすぎですかね?
Posted by H.H. at 2015年05月30日 10:12
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