2015年02月03日

『シャレード』〜パリが似合うオードリー・ヘプバーンとケーリー・グラント

1963年に作られたアメリカ映画『シャレード』については、いつでもどこでもシャープに思い出せる。夜明けの列車から転がり落ちる男の屍体から始まってスイスのスキー場で出会うレジーナとピーター。未亡人となったレジーナに知らされる夫の謎とパリに残されたたったひとつのバッグ。次々に現れる夫の軍隊時代の旧友たち。「俺たちの金を返せ」と脅されるレジーナはピーターに惹かれていくが、アメリカ大使館の「エージェント」からピーターも実は別人だと告げられる。レジーナは夜のパリの街を「エージェント」を頼りに逃げるのだが…。
『シャレード』が今見ても全く古びないのは、映画を構成する要素が三拍子も四拍子も揃っているからだ。普通に面白い映画でも何かが欠けていたり、男性向けだけの娯楽映画だったりして、全方位的に満足とまではいかない。ところが『シャレード』は奇跡的にあらゆるターゲットに向けた映画の面白さが全部詰まっている。映画が映画と云われる所以である映像、脚本、俳優、音楽がほとんど完璧な調和を奏でるので、観客のアタマに鮮明な記憶として残り続ける。こんな傑作、滅多にない。

まずピーター・ストーンの脚本の出来栄えが素晴らしい。開巻後、あっという間に観客を引き込み、個性的な登場人物を揃えながら、サスペンスの伏線を巧妙に張り巡らせ、その中でロマンティックな大人の恋が進行する。本作以外にはあまり目立った仕事はないピーター・ストーンであるが、『シャレード』一本だけでも十分に映画史に名を残すことが出来る。
次に脇役たちの充実ぶりが映画を底支えする。ジェームズ・コバーンは『荒野の七人』『大脱走』に続く出演で、長い手足を持て余しながらややニヒルなキャラクターを演じる。戦争で片手を失った設定のジョージ・ケネディは鍵爪のような義手でその後の悪役の端緒を開く怪演。極め付けはウォルター・マッソーの「エージェント」。ゆとりを感じさせながら独特の生活感を匂わせ、なおかつクライマックスのサプライズとなるのに十分な存在感で、彼の代表作と言っていいだろう。
そして、もちろん最高なのはケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの主役の二人。アメリカ映画の黄金期と同義でもある二人が出演していなければ『シャレード』の華やかさは成り立たず、いわゆるB級の位置付けにとどまっていただろう。
これだけではない。ヘンリー・マンシーニが書いたメロディーはアレンジを変えながらサスペンスを盛り上げ、ロマンティックな雰囲気をも醸し出す。ギターの主旋律はあまりに有名で、例えば「ムーンリバー」に比べればすぐにわかるが、バラードにもアップテンポにも合いどんなシーンにもぴったりとはまってしまう万能な曲である。だから余計に『シャレード』の映像はこの主旋律とともにいとも簡単に脳裏のスクリーンに蘇らすことが出来てしまう。
すると出てくるのが、矢印が丸く円を描きながら重なり合うオープニングタイトルだ。デザインはモーリス・ビンダー。『007は殺しの番号』のピコピコや『バーバレラ』のジェーン・フォンダ空中ヌード、『いつも2人で』の道路を進むアニメーションなどはすべてこの人の作品。エンディングタイトルでは分割された画面に名場面がリピートされ「この映画がいつまでも終わらなければいいのに」という思いを深めさせる。
こうした要素をすべて取りまとめて、サスペンスでもありロマンティックスリラーでもありラブコメディーでもあるような作品に仕立て上げたのは、スタンリー・ドーネン監督の手腕だろう。光と影を使って不安を醸し出す屋敷のシーンや旧友たちを端的に紹介する葬式の場面、地下鉄を使ったスリリングな追跡劇など至る所で職人芸が冴え渡っている。

そして、あらゆる要素が詰まった『シャレード』において、監督の力量を上回るくらいに重要なのが「パリ」だ。アメリカ映画にも関わらず『シャレード』の趣きはどこかノーブルであり品位に溢れている。画面に漂う空気感が決定的に違っているのだ。それはまさしくパリの雰囲気そのものであり、『シャレード』が単なるサスペンスものにとどまらなかったキーファクターとなっている。莫大な資産の隠し場所がわかるシャンゼリゼの切手市では、人形劇に見入る子供たちの表情が印象に残るし、メトロの地下通路の追跡シーンは、一方通行の入り口と出口が効果的に使われている。セーヌ川クルーズの船上ディナーでは、川辺の恋人たちがライトに映し出され、柱が多く身を隠しやすいパレロワイヤルの回廊で映画は最高潮に達する。実際にパリでロケしているので、ハリウッドのスタジオ製作の安普請さは皆無。だからこそおよそアメリカ映画らしくない上品なタッチに仕上がっているのだ。
さらに加えて、『シャレード』そのものとも言えるパリに主役の二人がこれ以上ないくらいフィットしている。それもそのはずで、ケーリー・グラントはイギリス出身、オードリー・ヘプバーンはベルギー生まれのオランダ育ち。欧州が身についた二人だからこそ『シャレード』のエレガントさが生まれたに違いない。
映画が公開されたときにはグラント五十九歳、ヘプバーン三十四歳。決して若くはない年齢であるものの二人のキュートな魅力が全開だ。ケーリー・グラントはヒッチコックの大傑作『北北西に進路を取れ』よりも肩の力が抜けていてロマンスグレーの魅力十分。そしてオードリー・ヘプバーンはジバンシーのファッションを身にまとい、女優としての沸点に到達している。オードリーと言えば『ローマの休日』のアン王女以外にないと主張する人もいるだろう。しかし、一般人に紛れ込むアン王女ではいささか洗練さに欠ける。『ティファニーで朝食を』は明らかにミスキャストだし、『マイ・フェア・レディ』は本人も知らぬ間に歌の吹き替えが決まっていた。実現しなかったヒッチコック監督作品への出演もその内容からして彼女には不向きであったし(※)、出演したとしてもその後にヒッチコックのストーカー行為の対象にされてしまっただろう。それを考えるとオードリーにとっては『シャレード』がそのキャリアにおいて、また美しさにおいても頂点だったのではないだろうか。スカーフを巻いてサングラスを外すオードリーの姿は、彼女の女優としてのベストショットだと確信する。

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さて、かように傑作の条件すべてをクリアしている『シャレード』も実は同時に映画史上で最も不運な作品なのでもある。すなわち著作権問題で、モーリス・ビンダーが凝り過ぎたためかどうかはさておき、作品中に著作権表記がなかったことから権利放棄と見なされ、パブリックドメインとなってしまった。かなり以前から格安ビデオやDVDとしてコピーされまくったのはそのような事情からである。
また、そのせいなのか日本でのTV初放映時にもかなり不当な扱いをされていた。放映時間の制約からケーリー・グラントの三番目の偽名部分がバッサリとカットされたのはともかくとして、勝手にBGMが変更されてしまっていたのだ。特にクライマックスのオードリーとグラントの追いかけシーンにはアップテンポの主旋律がかぶるはずなのに、TV初放映バージョンではたぶんアメリカのTV向けサスペンスドラマのものだと思われるチープな音楽が借用されていて、全く違った肌触りになってしまっていた。
しかしながら、このTV初放映は「ゴールデン洋画劇場」初年度の目玉企画でもあって、オードリーのファンを続けていられるのも昭和四十七年一月の放映があったればこそなので感謝しなければならない。当時のアフレコでは、オードリーが池田昌子、グラントは中村正が担当。脇では富田耕生がウォルター・マッソー、次元大介こと小林清志がジェームズ・コバーンと鉄壁の布陣。中でも中村正の軽妙な吹き替えはまさに絶妙で、スーツのままシャワーを浴びる「防水加工!これも防水、あれも防水」のシーンは見事。大幅なカットやBGM変更と引き換えに日本語バージョンの至宝とも言えよう。
このように『シャレード』についての記憶はいつまでも色褪せることがない。そして、そのような体験を持つゴールデン洋画劇場派は世の中にかなりの人数に上るのではないかと推測するのでもある。(き)


(※)ドナルド・スポトー著「ヒッチコックー映画と生涯」(1988年早川書房刊)には、アルフレッド・ヒッチコックが映画製作者サミュエル・テイラーとともにオードリー・ヘプバーン主演のサスペンスもの「判事に保釈はない」を企画した経緯が書かれている。脚本の決定稿を見たオードリーが強姦シーンがあることに強い拒絶感を持ったことと『尼僧物語』が完成したあとで彼女が妊娠したことによってこの企画は実現寸前まで行きながらオールキャンセルになった。



posted by 冬の夢 at 21:50 | Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 この文を読んだことで、初めて『シャレード』を見ることができました。
 もう長く行っていないけれど、パリが好きだからです。
 パリにいる気分で見ていました。
 映画の内容は本文が語りつくしていますので、パリ気分で見ていて気づいた、小ネタですいません(いつもネタばかりです)。
 最後のほう、地下鉄に駆け込んでパレ・ロワイヤルに行く場面。
 乗った駅名はサン・ジャックですが、本当にサン・ジャック駅(6番線)だったら、駅の行きさき表示がおかしいです(映画で映るヴァンセンヌ〜ヌイイは1番線なので、ふと気づきました)。サン・ジャックはたしか地上駅だし、そこから6番線では映画のようにパレ・ロワイヤルに直行できません。
 それから、オードリー・ヘプバーンがさいしょにケーリー・グラントにホテルの部屋まで送らせる場面。
 エレベーターが止まったときのセリフ「ほらついたよ」「どこに」、そして「君の住む街だ」を、グラントは「On the street where you live」といってます。なぜ、わざわざ「君の住む街についた」なのか。
 そう『マイ・フェア・レディ』の有名な挿入歌のタイトルですね、これ。
 ところが『マイ・フェア・レディ』は『シャレード』の撮影終了後の撮影開始。といってもミュージカルですでにヒットしていて、ケーリー・グラントはおそらく『シャレード』の撮影のころに、もともとヒギンズ役のオファーを受けていた(断っている)という事実がありますから、そこらへんのいきさつから、このセリフにしようってことになったのかな。どうでしょう。
 わたしの、オードリーのベストショットは、やはり最後のサスペンス場面で無人の劇場のプロンプターボックスに隠れて(閉じ込められて)いるときの「目」! すばらしいです。
 本文にあるジャケ写の下の写真がそうではないでしょうか。
 ウォルター・マッソーが銃を手にじわじわ迫ってくる場面、オードリーの顔は影で下半分かくれていて、目の動きだけで恐怖を表現するんですけど、みごとな目の芝居、しかもその目がきわめつきに美しい!
Posted by (ケ) at 2021年04月13日 01:06
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