2014年12月10日

サイボーグ009 〜「ミュートスサイボーグ編」の完成度

1960年代は「007」の時代でもあった。007とは言うまでもなく、イアン・フレミング原作、ショーン・コネリー主演のスパイ映画シリーズで、第一作の『007は殺しの番号』は1962年に公開されている。
ずっと気になっていたのだが、この映画タイトルを当時の人たちは何と音読みしていたのだろう。日本語の語呂の良さで言えば「ゼロゼロナナ」がしっくりくる。けれども冒頭に述べたくだりでは「ゼロゼロセブンの時代」と読むべきである。
ところが、イギリスで製作された映画のなかで発音されているのは「ダブローセヴン」という表記あたりが近く、要するに発祥の地では誰ひとり「ゼロゼロセブン」とは言っていないのだった。
まあ、そんなのどっちでもいいじゃん、と言うか誰も発音のことなど気にしていなかった60年代が過ぎ、70年代にいよいよ007がTVの洋画劇場で放映される段になって、はたと困ってしまった。ショーン・コネリーの吹き替えは若山弦蔵に決まったものの「007」を何とアテるか?最初の放映からそうだったのかまでは記憶がないのだけれども、いつの間にか日本でも「ダブルオーセブン」と発音するようになったのは、たぶんTBSの「月曜ロードショー」でのTV放映でそのようにアテたからだと思う。しかし、60年代派は全く納得していなくて、慣れ親しんだ「ゼロゼロ」という全盛期の呼び方を変えるつもりは毛頭なかった。英語の発音がどうだろうと日本語の語感で「ゼロゼロ」はダンゼンカッコいいのであったから。

かようにして「007」の時代だった1960年代には、007の落し子たちがさまざまな分野で現れることになった。その日本的解釈の一つで、今でも燦然と輝き続けるのが、1964年に連載が開始された石森章太郎(※1)のマンガ『サイボーグ009』である。
世界征服を狙う「黒い幽霊団」が科学の粋を集めて生み出したサイボーグ戦士。消耗の激しい兵士に代わる戦力として軍需産業と結託しつつ開発された製品だが、試作品の「ゼロゼロナンバー」九人には人間の心が残っていた。サイボーグたちは開発者のひとりギルモア博士とともに叛乱を起こし「黒い幽霊団」から離脱し平和のために戦うことを誓う。しかし、彼らを抹殺しようと「黒い幽霊団」は執拗な追撃を仕掛け続ける。
こうした大枠のストーリーが複数の中編エピソードによって構成され、登場人物や戦場が入れ替わり設定される。序に続く中段にあたる「ミュートスサイボーグ編」は、『サイボーグ009』の中でも珠玉の出来栄えで、秋田書店発行のサンデーコミックスの中でただ一冊第四巻だけは今でも大切に本棚にしまってある。
「ミュートス」とはギリシャ語で「神話」の意味。その名の通り、本編で戦う相手は神話に出てくるキャラクター型のサイボーグで、ギリシャに近い孤島を舞台に戦いが繰り広げられる。「ミュートスサイボーグ編」の魅力はこの神話仕立ての「世界」である。どの時代や時間からも離れて、地理や地勢に縛られない超然としたサイボーグ同士の戦い。ちょうど五十年前に描かれた作品であるのに、手触りは当時と全く変わっていない。マンガでありながら神話にもなっている。『サイボーグ009』の中でも特異な中編であると思う。

主人公はもちろん009。ヒーローと言うには線が細く、強くもない。その分、感情移入が容易で、誰もが009になりきってしまえそうだ。ヒロインの003は、フランソワという名前の女性サイボーグ。戦隊物に必ずひとり混じっている女性戦士のようなお色気添え物路線とは対局にあり、常に「戦いたくない」派の平和主義者である。この二人を見ても、高度成長期の日本を感じさせない普遍的なひよわさが「ゼロゼロナンバー」たちにはある。
何しろ一番威力を発揮するのは天才赤ちゃんの001なのだ。長い眠りから覚めた途端、超大型ロボットサイボーグのアトラスに破壊される寸前の潜水艦をテレポーテーションで瞬間移動させてしまう。「ツカレチャッタ。ミルクチョウダイ」と言う001は、花魁言葉をつかうエスパーサイボーグとも互角に対決する。強くて頼りになる赤ん坊以外は、何にでも変態する007がコメディリリーフ的に活躍する程度。特に空飛ぶ002と全身武器の004の二人にあまり出番が与えられないので、余計に「ゼロゼロナンバー」たちが脆く見える。
対する「ミュートスサイボーグ」は開発技術の進歩分だけ強い。009に瀕死の傷を負わせるアポロンは、加速装置を自在に操るうえに「太陽神」として高熱の身体で敵を焼くことが出来る。アポロンが009に向かって「さて、お前の能力は?まさか加速装置だけじゃないだろうな」と問うのに対し009が「あとは勇気だけだ」と答えるカットは本編屈指の名シーンだ。
ところで、「加速装置」は石森章太郎が生み出した科学的かつファンタスティックなSF的スペックである。奥歯に仕込まれたスイッチを舌で押すと加速装置が作動して、009は常人の数倍のスピードで動くことが出来る。つまり、普通の動作が超スローモーションに見える中を超高速に動き回れる能力である。視力と聴力に優れた003やずば抜けた潜水能力を持った008などと決定的に違うのは、009だけが「時間」の概念を超えた力を付与されていることだ。「時間」以上に動き回れるという発想力には、他のどのSF作家も太刀打ち出来ないオリジナリティーがある。荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』の初期に登場するスタンドの中に加速装置をパクったパワーが見られるように、この能力は後続の作品に大きな影響を与え続けている。
さて、ミュートスサイボーグの中でひときわ深く印象的なのは、女性サイボーグのヘレナである。ギリシャ神話において地上で最も美しい女性の名を冠した敵方のヒロインは、009との戦いに敗れて、その優しさに触れる。人間らしさを取り戻したヘレナは、009を救うため高熱を発したアポロン(実はヘレナの弟)とともに海の中に消える。
同時に孤島は大きな地殻変動に襲われ、マグマの噴火とともに大海の中に沈んでしまう。「その後のサイボーグたちの運命を知る者はだれもいない」という結句で締めくくられる終末部分は、ページ数の都合なのかいかにも性急な終わり方に見える。本編の唯一の欠点である。
それにしても、キャラクター設定の豊かさや科学的根拠の確かさ、情緒溢れるストーリー性や映画を見ているようなコマ割りなど、すべてが美しく、とても五十年前のマンガとは思えない。当時の子どもたちがこのようなレベルの高いマンガに日々触れていたことに今更のように驚いてしまうのである。(き)

(※1)石森章太郎:1938年〜1998年。赤塚不二夫、藤子不二雄らとともに「トキワ荘」の出身。1985年に本来の読み方である「石ノ森」に改名した。享年六十歳は奇しくも手塚治虫と同じ年齢である。

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posted by 冬の夢 at 00:36 | Comment(1) | TrackBack(0) | マンガ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
懐かしい〜!ぼくも夢中で読んだ記憶がある。でも、連載マンガの常(?)か、ちゃんとした完結は迎えずに尻切れトンボで終わってしまったのではなかったか? それはともかく、003です! 子供心に好きだったな… 009に思わずヤキモチを焼くくらい。そういえば、確か彼らはみな出身国が別々だったよね。そんなところにも当時の「国連平和主義」の反映があるのかもしれない。
Posted by H.H. at 2014年12月11日 13:02
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