2014年12月08日

「銀座の若大将」の加山雄三とステーキ

 ニクが食いたい!
 一九六〇年代後半から七〇年代にかけて小中学生だったころの、わたしの欲望のほとんどはそれ。
 きれいなお姉さんのおっぱいが見たいという欲求より、はるかに強かった。
 いまでこそ焼肉やしゃぶしゃぶ食べ放題の店は当たり前だが、当時のわたしの周辺では肉は高級品。盆暮れ正月のもので、すき焼きでもあった日には欠食児童のように鍋に襲いかかる。小学何年生だったか、よそのウチで饗されたすき焼きを一人むさぼり食って、後でひどく叱られたような記憶もある。

 一九六二年公開の「銀座の若大将」(シリーズ第二作)で加山雄三は、じつに悠然と、うまそうにステーキを食べている。
 若大将は麻布の老舗すき焼き店「田能久」の跡取り息子。といっても厨房修業ではなく大学生。講義中に早弁したり、ハワイアンバンドにいそしんだり。スキー、ボクシング。学資や生活のためのアルバイト場面などはない、優雅な学生生活だ。
 上映後しばらくして、ステーキを食べる場面が出て来る。場所は銀座の高級レストラン。父親の商業学校の同窓生が経営者で──加山の実父、上原謙が演じている──よく知っているからと、大学新聞部の女子学生と広告とりに訪ねる。そのついでに「ビフテキのでっかいの、もらおうかな!」と注文するのだ。
 学生には分不相応に思えるが、若大将の実家はすき焼き屋だから牛肉は珍しくなかろうし、かよう京南大学は加山の母校の慶応大学がモデルだから、大学生が銀座に行ったってべつにおかしくない、ということだろう。自分が東京の大学生だったのは映画から二十年も後だが、銀座はとても遠く感じた。すくなくとも大学生時代、銀座の店に気軽に入った経験はない。もっともあのころ、ほかの学校の学生もまじえた集まりの後で、どこかへ遊びに行こうという話になったら慶応のヤツらが実にあっさりと、自分らのクルマで銀座に行くというので驚いた。わたしが貧乏下宿学生だっただけのことで、昔も今も「若大将くんたち」には、驚くようなことは何もないのだろう。

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 若大将の猛烈な食欲は、映画のポイントにもなっている。爆食すなわち健康の象徴として、爽快かつユーモラスに描写されて微笑ましい。孫には甘いおばあちゃん、飯田蝶子とのお決まりのやりとりも、もちろん出てくる。

「おばあちゃん何か食べるものないかなぁ、おなかすいちゃったんだ。ボリュームのあるやつがいいな」
「何が食べたいんだい。おばあちゃん何でもおごってあげるよ」

 そういっておばあちゃんが、お寿司をとってくれる、しみじみと嬉しい場面。飯田蝶子の笑顔も、ほんとうにいい!

 いつも腹を減らしている状態とは、飢え、つまり貧困の現れではないのか。一九六〇年代初めには、そんなことはすっかり解消していたのだろうか。それが一瞬、気にならなくもない。
 いやいや、若大将の元気な食いっぷりは、予定よりはるかに早く所得倍増計画が達成されていく、あの時代の追い風感の象徴として、いま見るべきなのかもしれない。
 牛肉といわれて、戦地で死に直面したとき、もういちど家族ですき焼きを食べたいという思いがあって、牛肉安売りで名をなしたダイエーの中内功を思い出してしまったのだ。その中内が関税の仕組みを逆利用して子牛を肥育したのが復帰前の沖縄、この男が戦後に闇商売を始めた地元神戸と闇物資ルートでつながる因縁の場所──などといっているわたしのほうが、高度成長期生まれのくせに、よほど戦後を引きずっているようだ。

 若大将シリーズが、加山雄三というスーパースターを素顔で売ろうという企画であったことはよく知られている。制作開始の打ち合わせは一九六一年初め、東京・銀座の高級レストラン、アラスカで行われたそうだ。映画に登場するレストランが「ノースポール」なのは、シャレだろう。
 制作者、脚本チームは、加山がドカベンと呼ばれていたことがあり、一日五度メシだったこと、おばあちゃんっ子であったことなどを本人から聞き取り、若大将のキャラクターメイキングにつなげた。加山は若いころステーキ四百グラムのフルコースを一度に二回たいらげたことがあって、七〇歳代になっても三百グラムは食べられるという。
 おばあちゃんっ子であったことは、シリーズを通して母親はいないという設定になり、飯田蝶子の「おばあちゃん」の名演が生まれた。ただ加山と実母のあいだに確執があったわけではなさそうだ。加山の母は女優の小桜葉子で、戦後ことに六〇年代は美容体操指導で広く知られた。体操術や健康法は戦後から始めたようで忙しかったろうが、上原謙が子どもを甘やかさない方針で加山に厳しかったぶん、愛情を注いでくれたのは小桜だったという。健康法に熱心だったのも、俳優父子の芸を支えるのは健康だという考えゆえだ。
 想像にすぎないが、「おばあちゃん」と若大将のやりとりをきわだだせるには、同じ家族に強いキャラクターが多すぎてはいけない。日本の映画では、若大将シリーズのひとつ前の時代に「母もの」というジャンルが圧倒的人気だったということもあろうか。三益愛子、と女優の名を出してもピンと来ないかもしれないが、この人を中心に映画の中の「おかあさん」たちはさんざん観客の涙腺を絞ったのだ。若大将三部作──当初は三作でシリーズ完了の予定──は、ややこしい家族関係なし、お涙頂戴もなしで行こうというのが、東宝スタッフの共通認識だったのではないか。
 そのせいかどうか、すき焼き屋「田能久」には、亡くなった嫁、つまり若大将の母親の痕跡がない。あるじ久太郎こと有島一郎が、レストラン社長の上原謙の娘を若大将にという話を自分の再婚話と誤解するギャグがあるが、久太郎の再婚話をおばあちゃんが「早過ぎる」といったりするので、どうも嫁が亡くなってそう長くないようである。にもかかわらず不在の「おかあさん」を回顧するとか、ホームドラマでよくあった、亡妻の位牌に向かって話しかけるというような場面はない。
 久太郎の再婚話じたいが、おばあちゃんが若大将を甘やかすから、わがままになる。おばあちゃんは、あいつの面倒を見ないでくれ(久太郎)、じゃあ誰が面倒見るんだい(おばあちゃん)、せめて女房でもいりゃあなあ(久太郎)、いっそ嫁さんでも、もらおうか(おばあちゃん)……という流れだ。故人を偲んだりはしないのだ。

 だったら何をしているのか。
 食べる、遊ぶ、食べる。
 ハワイアンバンドへの差し入れのラーメン、拳闘部で「チャンピオン鍋」と称するヤミ鍋、若者たちは食べまくる。
 恋のバトルに破れた女の子も、まだ存在感のうすい青大将も、誰ひとり屈折しない。
 ボクシングともうひとつ、この映画がとりあげるスポーツはスキー。国体出場経験もある加山の独壇場だが、立山ロケでのパーティ場面で出てくる料理はなんとブタの丸焼きと、串焼き! 華やかなスキーウエアを披露する女の子たちとの「ダンパ」という設定は「私をスキーに連れてって」だが、やっていることは「はじめ人間ギャートルズ」だ。
 恋のかけひきもまだまだアッサリしたものだし、頼まれると断れない性格という設定の若大将は、いきがかり上、大学ボクシング部の対抗戦に選手として出場、もちろん勝利する。プロボクサーにという勧誘があいつぐが、「私はプロ入りはいたしません、あんな腹の減るスポーツはたくさんです」で、大笑いの大団円。
 誰もが若大将を応援する、いい人たちばかり。最初は意地悪する、住み込み修業先の先輩コックも、若大将の爽やかさにたちまち脱帽だ。嫉妬で他人を貶めたり、粘着的な恨みを抱くなどという下品な者は、この映画にはいない。
 一九六〇年代から日本映画は凋落の一途をたどったといわれるが、六一年は制作本数が史上最高に達した年でもある。若大将シリーズはヒットを続けて続編が追加されていくし、この映画も、あまりにも他愛ない内容を別にすれば、濫造のシリーズものの一本とは間違ってもいえない力の入った作り込みだ。
 若大将のギター弾き語りに「すみちゃん」こと星由里子が聞きほれる、銀座の裏通りの場面がそのいい例で、引きの絵がじゅうぶん撮れるオールセットだ! 女優たちの衣装は「備品」でなく、すべてオーダーメードだったという。「すみちゃん」の肌のすべるような輝きは、昔の婦人雑誌の原色版グラビアを動かしているかのような、完璧な色つや! 絵の具をこってりのせた感じの、しかもケバケバしくなく深みある、美しい発色の画面。ボクシングの優勝祝賀会で「減量制限なし、じゃんじゃん召し上がってくださいよ」と若大将の前に出て来て、加山の喜ぶ顔とともにエンドマークがかぶるステーキの大きな切り身も、印象に残る。気持ち、アブラみが多いような気もするけど……。
 公開当時、この映画を見た人たちは帰り道どうしたのだろう。映画を見ただけで満腹になり、幸せな家路へ向かったのだろうか。それとも何か食べなければおさまらず、中華そばでもススリ込みに走ったのだろうか。(ケ)

参考:「若大将の履歴書」(加山雄三/日本経済新聞出版社 /二〇一〇年)
     「銀座の若大将」DVD/オーディオコメンタリー(北あけみ)


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posted by 冬の夢 at 16:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 若大将シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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