2014年11月24日

二十七年前のスティーブ・グロスマンとヘッドホン:SENNHEISER MX475

 ゼンハイザーMX471が完全に壊れた。
 発売から四、五年だと思うが、生産終了になっている。量販店でひたすら聴き比べたすえ決めたモデルだから、買い直したいと海外通販まで探したが、ない!
 もう一度、山ほど試聴して買えば、ブログのネタにはなるだろうが、聴けりゃ何でもいいや、と、なぜかナゲヤリになる。会社を急にやめたきり何もしていないから、好きなとき好きな音楽が聴けるし、予算はなくとも高音質なリスニング、それを研究するひまもあるはずなのに、興味がわいてこない。どうしてだろう。

 新しいヘッドホンは、通販でなくお店には行ったが、ろくに試聴せずに買ってしまった。
 いまの小型ヘッドホンは、耳穴に差し込む「カナル」が主で、「平型」というオープンタイプは、ほとんど売られていない。
「平型」のMX471の後継モデルでMX475があり、MX471とあまり変わらず三千円ほど。それを買った。ゼンハイザーは録音スタジオ用ヘッドホンで伝説的モデルを歴出したドイツの会社だが、この価格だと、むろん中国製。ただし音質はバカにできない、と思う……。

 MX471と比較できないから、MX475の進化度はわからない。
 MX471は女性向けとかでユニットが小さく、自分の耳にはベストサイズだった。MX475も同じユニットサイズだそうだが、耳へのフィット感はいまひとつ。ケーブルも安っぽい感じ。かんじんの音も、心なしかMX471で記憶している音より軽い。
 しかし低音が、よりズシンと出ている気もしてくるので、だとしたら音が軽いという感想はおかしい。使い慣れずきちんと装着できていないせいかも。音が軽く感じるのは、解像度や明瞭度がよくなったせいかとも思う。

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 そのMX471で聴くのに、ひさびさにはまっている古いCDがある。ジャズ・テナー・サックス奏者、スティーブ・グロスマンの、日本でのライブ盤だ。
 この秋、二十七年ぶりに日本に来て、かつてと同じ東京のライブハウス(場所は移っている)で吹いたとは知らなかった。知ってたら行けたのに!
 なんと、店に楽器を持って来た人はジャムセッションに参加できたそうだが、かつてその店で本人のライブを聴いて怖れをなした身としては、そんな分不相応が許されていいのか! という怒りにかられた。すくなくとも客として聴きたくはないぞ!
 いや、ライブに行きもせず怒っちゃいけないな。
 いまの時代、器用に速くなら、本人より吹ける日本人ジャズ奏者はいるでしょう、かなりの数。そもそも本人だって、ビ・バップを吹くようになってからでも三十年以上。六〇歳代も半ば近くゆえ、ほどよく枯れ、アマチュアとジャムしてもいいよ、ということなのかもしれない。
 ただし、二十七年前のスティーブ・グロスマンは、誰も寄せつけない、危険なテナー奏者だった。

「STEVE GROSSMAN LIVE at SOMEDAY Volume.1」。
「Volume.1」といっても、これ一枚で続編はないはず。一九八七年、東京でのライブ、唯一の記録だ。
 わたしが聴きに行った日の演奏がこのCDにあるかどうかはわからない。しかし、聞くと、あのときのイヤ〜な感じが、かならず、よみがえる。
 あまりにも演奏がすごすぎて、実際はとてもわかりやすいことをやっているのに、圧倒されてしまってよくわからなかった。本人の様子も、かなり危なかったのだ。
「イヤ〜な感じ」とは、そんな演奏を間近で経験して平衡感覚がおかしくなったような感じのことだ。

 当時の「サムデイ」は、ジャズのライブハウスとしては広いほう。が、もちろん出演者の間近で聴けた。
 開演前から、自分のすぐ隣に明らかに危ない外人がいる。動きの鈍いでかい白人。目線が泳いでいる。すでに飲み過ぎている客なのか。
 とんでもなかった。それがスティーブ・グロスマン、本人。
 本当かどうかはいまも知らないが、過度の飲酒やドラッグのせいで、サックスを吹くときだけ神がかり状態、そのとき以外は廃人、というウワサだった。持って来た楽器の調子が悪く、借りものを吹いたらしい。まるでチャーリー・パーカー。
 日本で集められたバンドメンバーとはコミュニケーションをぜんぜんとらないし、曲が終わってもだらだら吹くのを止めないことがままあり、店主が「スティーブ! スティーブ!」と割って入るなど、いかにもヤバい場面もあった。

 しかし、曲がはじまるたび、そんなことはどうでもよくなった。

 信じられないほど、音がでかい。
 信じられないほど、ブローが強い。
 信じられないほど、汚い高音。
 信じられないほど、執拗に心地よいバップフレーズを連発。
 信じられないほど、「まんまじゃん」的なペンタトニックをいきなり吹く。
 なのに。
 信じられないほど、興奮させる!

 ソニー・ロリンズの明朗な豪快さと、ジョン・コルトレーンの冷徹な構築力をうまく混ぜて自分のスタイルにしたというのが、わかりやすい解説だろう。実際そうしていると思う。
 しかし、その両者にはもちろん、テナー・サックスの奏法やフレーズを究め尽くしたと思われる、彼と同世代のマイケル・ブレッカーやデイヴ・リーブマンにもないものが、スティーブにはあった。ヤツひとりが、それを持っていた。
 それは、強い引火性。そして発火と同時に発生する中毒性ガス。

 ジャズはよく、演奏者同士の対話にたとえられる。習うときも「ほかの奏者の音をよく聴け」と教わる。スタンダードナンバーで「歌もの」を弾くときは「歌詞をいちどは読んだほうがいい」とか。
 スティーブ・グロスマンはそうした、くだらない申し合わせを完全に無視している。
 ノッソリとやる気があるのかないのかわからない態度で舞台に現われる彼のサックスを見ると、火炎放射器を思い出す。もっと似ているのは、映画『ノー・カントリー』で、殺人機械と化したハビエル・バルデムが噴射一発で人殺しをする恐ろしい高圧ボンベ。
 グロスマンが音符の炎を連続放射すると、聴き手はたちまち火だるまになる。火災も危ないが興奮性、それも陰にこもった興奮をもたらす毒ガス中毒がまずい。

 さきほどあげたマイケル・ブレッカーも、ライブで長い曲を演奏するときなど、さまざまに暴力的な音を出したけれど、ノイズの細部にまでコントロールがいきわたっているように聴こえた。
 ブレッカーの演奏もかなり好きだったのでライブに何度か行ったが、自作の曲をやることが多いから、なおさら演奏全体に配慮がいきわたっている感じ。破壊的な音やアウトなフレーズも、あるべき位置に正確に配置されている感じがした。
 いっぽうスティーブ・グロスマンは、このコード進行になったらこの音列を吹きたい、曲の意味や情緒とはまったく関係なく楽器からそれを出したい、それに尽きている。その最初の音に点火し、燃え上がるのを自分で煽っていく、そういう演奏なのだ。バンドメンバーとロクにコミュニケーションしない──演奏する曲もその場で決めているはず──のも、必要なのはコード進行であって「曲」である必要がないからだと思う。
 
 まるで放火魔。そして放火魔は知っている。炎の美しさを。そして、誰もが火が好き、ということも。
 ジャズを机上で勉強したりすると、つい、「コードに束縛され」たから、つぎの時代は「モード」だよなどとワケ知り顔でいいたくなるバップスタイルだが、その「古さ」に固執する理由は演奏を聞けばすぐわかる。


 あるコードによって、あるいはコード進行というシンタックスによって、フレーズの導火線が現われる。そこに着火し爆発へと向かうプロセスを吹く。それがスティーブ・グロスマンのすごさだし、それがジャズなのだ。導火線の端が随所に仕込まれているフォームであること。それが、コードとスケールに「束縛されている」と、なぜかいわれてしまっている、バップなのだ。
 あらかじめ決めた展開でコントロールできる自作曲では意味がない。
 コードから自由でも、フレーズのスタイルからはむしろ自由でない(と思う)モードもだめ。
「危険」「暴力」「爆音」がキーワードなら、音列もリズムもなくメチャクチャに吹きまくるフリージャズがいいかというと、もっと違う。

 音が汚い、似たようなフレーズばっかりだ、バンドといっしょに音楽を作る気がない、など、批評家ぶってケナす声もあるとは思うが、そんな聴きかたが、どこまでアホらしいか。どうでもいいじゃない、ジャズだから、と思える。

 ただ、このように書いてきたことが「STEVE GROSSMAN LIVE at SOMEDAY Volume.1」に存分におさめられているかというと、むずかしい。
 あのとき、マイクの位置をまったく無視して演奏していた。そのためだろう、音量がしばしば急変する。異常に大きい音をいきなり出すから音がよく割れる。うっかりオーディオ機器を壊さないようにリミッタがかけられているにもかかわらず。盗録のようなカサついた音質で、ブルーノート盤のドッシリ感や、最近のデジタル録音のキレのよさを期待すると、失望するかもしれない。実際にそこにいた自分が、記憶の美化はあるにしても「こんなもんじゃなかった!」と断言できるほどなので。

 逆に、いま盗み録りといった、生々しすぎるような音のせいか、自分のジャズ体験は、このCDに尽きていて、このほかにはない、といえてしまえるほどの何かが、この盤にある。
 のちにCDが出るたび、なるべく買ったが、有名無名をとわず、どんな共演者とやっても、なぜかあまりよくない演奏が多い。インターネットで演奏の映像を探して見ることもできるが、多くはなく、近年の様子はうかがえるかわり、二十七年前に聴きにいったときの怖ろしいような演奏は見当たらない。結局は、ふとこの盤を回したくなって部屋を探すことになる。

 このCDを「ジャズ名盤この一枚」として推薦する気はないけれども、この盤で吹いているスティーブ・グロスマンのすぐ近くで聴いて、この盤を買って持っていること。そのことで、わたしにとってのリアルなジャズは始まり、そして終わっている。(ケ)

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スティーブ・グロスマンは、十八歳でマイルス・ディヴィスにスカウトされた。ロックやクロスオーバー時代の新世代サックス奏者と目されるが、近年のインタビューでは、ビ・バッブがもともとやりたかったスタイルで、マイルスのバンドでは何をやっているかよくわからなかったとのこと。八〇年代にバップスタイルに変えたのはドラッグや飲酒問題からの心機一転だともいわれたが、四〇年近くドラッグ禍をかかえ死にかけたこともある。アメリカを去り長くイタリアにいたのは、その問題に関連してではないかともいわれた。ニューヨークに戻り、積極的に演奏活動をしているようだ。
 thepacereport.blogspot.jp/2009/11/steve-grossman-homeward-bound.html

※二〇一六年十一月二十九日、手直ししました。文脈や結論は同じで、つけていただいたコメントが無意味になるような書き直しはしていないです。→管理用←
posted by 冬の夢 at 21:46 | Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
グロスマンのサウンド?
ライヴで感じる<なまおと>のインパクトは、その体験を共有した同士で語り合うのが
ふさわしいのに決まってる。彼のライヴ録音さえ持たない私に、コメントはムリかも。
だが、<危なさ>という表現につい心を惹かれてしまう。

コントロールになじまぬ野性みたいな持ち味を指すのか。さらには…
男が femme fatale に魅かれるアブなさに通じるものか… なんて。
もっと即物的に、突拍子もない音響へつながりそうな予感かな。

私が持つ彼の曲は、スタンダードの Bye Bye Blackbird ぐらい。
テンポ170程度のスタジオ録音だし、音の使いかたにも危なさは感じられない。
そこで、他のテナー奏者との比較を考えてみた。うんと対照的なのがいる。
ちょい若いが、スタイルならずっと古いスコット・ハミルトン。
危なさ皆無、もっぱら快適さ追求みたいなスコッティに比べれば…!
スティーヴならもっとすごい音へ発展できる!? あくまでも想像だが。

やはり、ムリしたようなコメントになってしまい、失礼を!
Posted by ScaredFace at 2014年12月23日 20:14
 スコット・ハミルトンのデビューは一九七〇年代末。当時ジャズマニアの居るところでチェット・ベイカーが好きだといったら、学生のわたしは説教をくらうような雰囲気がまだあった(説教しようとする奴だってホントは好きに決まってると思っていたけれど)。いっぽうスコット・ハミルトンの名を聞いて「誰だそれ」という人はいなかったし、演奏が好きだといっても、ただの懐古主義だと非難されることもなかった。禁酒法時代のチンピラ風スーツの若者がスイングスタイルで吹くのが、誰にとっても意外にカッコ良かったのだろうか。いまの彼は演奏スタイルにピッタリはまる、いい感じのおじさんですよね。
Posted by (ケ) at 2014年12月23日 23:27
 毎度のセルフコメント。二〇一六年十一月二十九日、手直ししました。文脈や結論は同じで、つけていただいたコメントが無意味になるような書き直しはしていないです。
Posted by (ケ) at 2016年11月30日 01:19
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