2014年08月01日

ああ、イスラエル……

先ず、ユダヤ教聖典でもある旧約聖書の『エレミア記』22章1〜5節の引用から始めよう(追記:「引用を正確に」とのご意見をいただきましたので、出所不明の引用に加えて「日本聖書協会」の出している『聖書』からの引用も付記しておきます):

主はこう言われる。ユダの王の宮殿へ行き、そこでこの言葉を語れ。「ダビデの王位に座るユダの王よ、あなたもあなたの家臣も、ここの門から入る人々も皆、主の言葉を聞け。主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。もし、あなたたちがこの言葉を熱心に行うならば、ダビデの王位に座る王たちは、車や馬に乗って、この宮殿の門から入ることができる、王も家臣も民も。しかし、もしこれらの言葉に聞き従わないならば、わたしは自らに誓って言う――と主は言われる――この宮殿は必ず廃虚となる。

(日本聖書協会1955年改訳)
主はこう言われる、「ユダの王の家に下り、その所にこの言葉をのべて、言いなさい、『ダビデの位にすわるユダの王よ、あなたと、あなたの家臣、および、この門からはいるあなたの民は主の言葉を聞きなさい。主はこう言われる、公平と正義を行い、物を奪われた人を、しえたげる者の手から救い、異邦の人、孤児、寡婦を悩まし、しえたげてはならない。またこの所に、罪なき者の血を流してはならない。もしあなたがたがこの言葉を真実に行うならば、ダビデの位にすわる王とその家臣、およびその民は、車と馬に乗って、この家の門にはいることができる。しかしあなたがたがこの言葉を聞かないならば、わたしは自身をさして誓うが、この家は荒れ地となると、主は言われる。[後略]

特にこの引用箇所に限らないのだが、旧約聖書の中ではあまりに頑迷なユダヤ人の所行が再三再四激しく諫められている。極論すれば、預言者たちの仕事は、誤った信仰を正すことにあると同時に、為政者(王)たちの過ちを告発することにあったのだろう。とすれば、もしも現代のイスラエルに預言者が現れれたならば、太古と同じく、血を吐くような激しい呪詛の言葉をイスラエルの現政権に向かって投げつけるに違いない。

筆舌に尽くしがたいほどに残念かつ気の毒、そしてそれ以上の恐怖を伴って思うのだが、イスラエルは国家としてはもうそんなに長くはもたないのではないか。彼らのパレスチナに対する頑なさを見せつけられる度に、そう思わずにはいられない。一般にテロリズムは、いわば戦略的自暴自棄、ヤケクソ戦法といえるだろう。仮に、広義のテロリズム(つまり、ロベスピエールやスターリンが行った政策ではなく、市民を無差別に巻き込む武力闘争をも含め)に少しでも弁護の余地があるとすれば、「窮鼠猫を噛む」図の場合だけだと思う。これにしても、本当に弁護の余地があるかのどうか、実際にその場の当事者にならない限りは何とも言えない。しかし、確実に言えることは、独裁者や国家によるテロリズムは絶対に容認できない、ということだ。この意味で、ハマスによるテロリズムよりも、イスラエルやアメリカによるテロリズムの方が、遙かに罪深く、したがって断じて容認できない。というか、イスラエルやアメリカが行っている政策こそが狭義の「テロリズム」=恐怖政治なのであろう。「オレたちの言うことを聞かないのなら」と機関銃を乱射する、爆弾を落とす。それがイヤなら、四の五の言わずオレたちの言うことを聞け、と。言うまでもなく、市民の犠牲など、端から考慮していない。

そして、「窮鼠猫を噛む」という諺にも透けて見えるように、テロリズムとは正気の理性の埒外にある、すなわち、狂気の沙汰だ。第二次世界大戦に突入する日本に対して、ときのイギリス首相だったチャーチルが「一民族全体が集団発狂するということは十分にありえる」とか何とか言ったそうだが、当時の日本の政策などをあれこれと考え直してみるまでもなく、大日本帝国が集団発狂していたとは、いかにも当を得たコメントだと思う。そして、全く同じことが今のイスラエルにも言えるだろう。一民族全体が集団発狂する。イスラエルのしていることを見ていると、戦前の日本の有様が、その空気が生々しく体感できるような気がして、二重にイヤな気分にさせられる。

パレスチナに対する彼らの攻撃は、イスラエルの防衛には何の役にも立たないどころか、世界中に「反イスラエル」の種を確実に撒き散らすことになり、凶暴な「反ユダヤ主義」の亡霊を蘇らせてしまうだろう。そもそも、周囲を全部「敵国」に取り囲まれるような「不自然」な状況のままでは、たとえハリネズミのように武装したところで、そして、アメリカという巨大かつ強力なスポンサーがついていたとしても、国家としての安全が維持できるとは、どうしても信じられない。いや、信じられないといえば、そもそも、このような「不可能事」(=軍事行動だけで国家の安全が維持できるという政策)を多くの人々が信じているという事実が信じられない……

こんなことを考えていたとき、「プラハの春」として知られる改革運動に取り組んでいたチェコに軍事介入したソ連を痛烈に批判したW. H. Auden (1907-73)の詩が、今さらのように思い出されてきた。幸い(?)短い詩なので引用したい:

  August 1968

The Ogre does what orgres can,
Deeds quite impossible for Man,
But one prize is beyond his reach,
The Ogre cannot master Speech.
About a subjugated plain,
Among its desperate and slain,
The Ogre stalks with hands on hips,
While drivel gushes from his lips.

あの人食い鬼は、人食い鬼にできることをする
人間ではおよそありえないことをしでかす
だが、一つの素晴らしいことが奴にはどうしてもできない
人食い鬼はコトバが使えない
それで人食い鬼は征服した土地を、
絶望した人々の中を、虐殺された人々の中を
腰に両手を当てて
唇から涎を垂れ流して闊歩する

詩の中でManとSpeechが大文字で始められている(もちろんthe Ogreもだが)ことが目を引く。要するに、武力に訴えることしかできない奴は「愚かな人食い鬼」に過ぎないということだろう。だが、ひと言大書しておきたい! 世界遺産の街に戦車で乗り込むということが、確かにいかにも「人食い鬼」に相応しい野蛮な所行であったにしても、また、その脅迫・恫喝の仕方が国際政治というよりはむしろマフィアやギャングにこそ相応しいにしても、そして、その脅迫・恫喝によって他国の政権を転覆させたにしても、当時のソ連軍によるチェコ市民殺戮の規模は、イスラエルによる破壊とは比較にもならない(圧政による殺人は、死者の数に還元されるべきことではないと承知しているにしても)。現在のイスラエルはガザの市街地にミサイルを撃ち込み、子どもたちを含んだ市民を次々に殺しているのだ。

こう言うと、「ハマスのテロ行為はどうなんだ?」という、親イスラエル派の、バカの一つ覚えのような問いを装った反論が予期されるが、「そもそもは誰が誰の土地を奪ったのか? そもそもはどちらの側に自分の土地を守る権利があったのか?」という問いの前には、先の愚かな問いの無意味さは実は十分に自明だ。現在展開されている事件は、武力で土地を収奪した「ならず者国家」が、「土地を返せ運動」を展開している過激派に対してミサイルを撃ち込んでいるという、野蛮を通り越した、つまりは狂気の所行だ。

イスラエルの政策がいかに狂っているかを理解するために、わかりやすい(?)比較を示そう。アイルランドにはIRA(暫定派)という武装グループがある。現在は落ち着いているが、90年代までは爆弾テロを含んだ武装闘争を展開していた。80年代後半には「エニスキレン(Enniskillen)の悲劇」として記憶される愚かな(意味不明な)爆弾事件を起こしている。

(念のための注:アイルランドの有名なロック・グループU2にSunday Bloody Sundayという曲があるが、この曲は1983年に発表されており、エニスキレン事件は1987年。歌詞の中には、ある意味ではグロテスクなほどに、エニスキレンの悲劇を想起させる表現がある−−例えば、Broken bottles under children's feet / Bodies strewn across the dead end streets、等々−−が、それは偶然の一致に過ぎない。アイルランドで「血の日曜日事件」といえば、むしろ、北アイルランドのデリーでデモをしていたグループに対してイギリス軍が発砲し、多数の死者を出した1972年の事件のことであり、U2の歌も基本的には主にこちらの事件を念頭に置いた、単なる(失礼!)政治問題が市民の命さえをも巻き込む武力闘争になってしまう図式そのものを疑問視していると考えるべきだろう。)

いわゆる「アイルランド紛争」は、現代史の例に漏れず、何が問題の本質なのかを理解することがそのままこちらの立場・価値観の表明になるような、言葉を換えれば、直視すればたちまちこちらの方が試されてしまう問題であり、だからこそ多くの人々は現代史の問題から目を背けずにはいられないのだろうが、要するに「北アイルランドをアイルランドに返せ」「北アイルランドからイギリスは出て行け」という運動だ。つまり、「土地を返せ運動」であり、その点でもパレスチナ問題と共通している。

そして、言いたいことの核心はここなのだが、たとえIRA暫定派が愚かな爆弾テロを展開していたとしても、また、愚かなイギリス政府が過激派の活動を武力で封じ込めようと何度も悪あがきしたとしても、それでも、歴代のイギリス首相は、あのマギー・サッチャーを含めて、誰一人として、テロリストが潜んでいるとおぼしき市街地に、あるいはテロリストを匿っている市民が暮らしているデリーやアイルランド共和国の市街地に、ミサイルをぶち込んだりはしなかった!そんなことができるはずがない! 人間であれば、市民が普通に暮らしている街にミサイルを撃ち込むことはできない。そんなことができるのは、もはや「人間」ではなく「人食い鬼」に決まっている。ハマスの存在を口実にしてガザにミサイルを撃ち込むことは、IRA過激派の存在を口実にしてデリーにミサイルを撃ち込むことに等しい。いや、もっと身近な例を言えば、現在のイスラエル政権が行っている非道は、拉致を口実にして日本政府が平壌を爆撃することに等しい。人間なら、お願いだからコトバを使ってくれ!!!

オーデンが現在のパレスチナの惨状を目撃したら、いったいどんな詩を書いただろう? (H.H.)
posted by 冬の夢 at 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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