2019年04月12日

オーディオに憧れていたのに、なぜマニアにならなかったのか【改二】

※ 二〇一四年七月、三回に分けて書いた「サンスイとBTO オーディオに凝らなかった人生」を、合体して書き直しました。当時いただいたコメントは、この文に付しました。


1:ノブやスイッチだらけでカッコよかった Sansui AU-9900

 このブログで、べつの筆者が近年購入した話を書いている、Sansui AU-9900 は、一九七五年五月発売。型番四ケタは、一九七〇年代中盤ごろからサンスイが登場させた、プリメインアンプの新シリーズだが、AU-9900 は四ケタシリーズのトップモデルである。趣味のオーディオブームが広がって、機器メーカー各社の躍進が頂点に達した時代の、旗艦的存在だ。サンスイはさらに高級な五ケタシリーズも登場させたが、デザインと操作性は「9900」を継承したものだった。

 AU-9900 は、わたしも発売当時とても憧れた機器のひとつ。
 といっても、音楽の「お」の字をかじり始めた中坊で、電気や音響の知識もない。実際に聴いて好きになったわけではなく、オーディオ店や家電店から無料で集めてきたカタログを、寝床で眺めて憧れた。
 四〇年近く前の製品なので、いま中古価格はかなり安いが、発売当時の標準価格は十四万円。現代の感覚に直すと三十万円近いだろうか。親兄弟がオーディオマニアでない限り、このアンプを、そのころ自宅で聴ける可能性はなかった。
 月給とりになって、月賦でいいから、いつか買えたらなあと思ったものだ。いかにも七〇年代後半の中学生っぽい、平凡な未来の描きかただけれど。

 カタログの写真を見て、このアンプの外観が好きになったのは、なぜか。
 当然ですよね、「黒」と「スイッチやツマミの多さ」でしょう。無骨といっていい黒と銀のとり合わせもいいが、なにより、見ただけでは目的がまったくわからない、スイッチの群れ! オーディオ店に鎮座しているのをコッソリいじってみると、もちろんすべてアナログ操作系で、カチカチと心地よく作動したものだ。
 そう、飛行機や宇宙船の操縦席にずらりと並ぶ、ボタンやレバーを華麗に操るイメージだ。鉄人28号もマジンガーZも、みなアナログ操作。かつての少年心は、メカ的操作系に熱くなったのである。
 そういえば AU-9900 は軍事機器にも似ている。通信機器あるいは攻撃制御装置。少年時代のわたしは、なんの疑いもなく兵器もカッコいいと思っていたので、このアンプのルックスを好きになったのは無理もない。
 ちなみに、のちのガンダムは「モビルスーツ」、エヴァンゲリオンは搭乗者の神経と同期する仕組み。アナログインターフェースを介してガチャガチャ操作するメカ・フェティシズムは、皮膚や神経との接触による、性愛的執着へと変化していったらしい。

 べつの筆者がこのブログに書いた、AU-9900 購入記には、賃貸アパートの部屋に高級オーディオを並べ、早朝から大音量でバロック音楽を鳴らす若い男の話が出てくる。
 一九七〇年代は、たしかにそういうオーディオファンがいて、うちの近所にもいた。住宅事情無視、防音対策ゼロだ。
 そもそも彼らのアンプやスピーカーが、いちいち巨大だった。各メーカーの製品から選んで組み合わせ(『コンポーネント』の略で『コンポ』と呼んでました)、自分専用セットを作るわけだが、せまい部屋が埋まるほど機器を設置し、ばかでかい音を出す。音楽を聴くためより、装置を崇める喜びのためにやっていたに違いない。
 騒音問題はどうなっていたのだろう。いまほど音楽がそこらじゅうで鳴っていなかった時代だったので、町内放送みたいな感じで近隣も聴いていたのか。
 ずっと後に「デスクトップオーディオ」という流行が現れ、オーディオフルセットが電子レンジくらいの大きさになり、それでも低音感やアンビエントが得られるのが当たり前になった。高い・狭いの住宅事情はさして変わっていないから、暮らしにオーディオの居場所がなくなった結果かと思うと、すこし寂しい気もする。

 安アパートの小さな部屋をオーディオ装置で埋めつくす、といえば、大学時代の下宿の隣室がそうだった。
 東京都心の吹き溜まりに、へばり付いたようなボロアパート。
 なのに、立て付けの悪い引き戸の隙間からちらりと見えた隣室には、ガラス張りのラックに並んだ壮大な「コンポ」があった。その隣室から、しばしば爆音で轟くのは、自分も好きなハードロックだったりした。
 にもかかわらず、その「放送」には、ひどく神経を痛めつけられてしまった。
 どんなに好きな音楽でも、自分が聴きたくないときに好まない音量・音質で無理に聴かされるのは、苦手な音楽を聴かされ続けるのと変わらない、拷問だと知った。ヘナヘナの壁が、スピーカーと連動してえらく振動していたことを思い出す。

 苦情をいうとモメるかもしれないのが面倒で、そのアパートを出ていくことにした。一九八〇年代前半のことで、参加していた音楽サークルには、いまの下宿学生と変わらないようなマンション住まいで、大きな音で音楽を聴いている学生もいたが、マンションに越す余裕は、もちろんなかった。
 その後、念願かなって「月給とり」になり、マンションにも住んだが、オーディオへの追求心や購買欲は、まったく起きなかった。もとから過敏なほど騒音が苦手だったが、自分が音を出すことにも過剰に気を使い、スピーカーから大きな音を出してレコードやCDを聴いたことは、めったにない。

140725Lx.JPG 
プッシュボタンのゴツさとバチンバチンという押し心地がいい、
LUX のチャンネルセレクターAS-4 が出てきました。
といっても、なにをどう接続して使っていたのか、記憶にない……。


2:ジャズ喫茶の最高級オーディオ装置にひたったころ

 学生時代、下宿アパートの隣室の大音響のせいで、少年時代は憧れたオーディオに興味をなくし、今日に至る。
 いや、正確にはそうでない。
 ジャズ喫茶というオーディオの部屋≠ェあった。

 学校でジャズのサークル活動をしていたから、一九八〇年代には、あちこちのジャズ喫茶に行った。
 いまは、しゃれたカフェのようなジャズ喫茶もあるらしいが、当時は、見るからに性格のヤヤコシそうな客が巣くう、一九六〇年代を引きずった感じの暗い店がまだ多かった。たいていは不味いコーヒーの値段が高くて、客以上に店主がヤヤコシい性格だったり。
 そういうヤヤコシい場所へ、勝手知った顔で入って行ける若者を気取っていたのが、当時のわたし。バカですね。
 
 それはともかく、そのころのジャズ喫茶では、世界の名機というべき超高級オーディオ機器を、かたっぱしから聴けたわけだが、どの店にどんな機器があり、どんな音で鳴っていたかということは、ほとんど記憶にない。
 いまは多くが消えてしまった、いかにもジャズ喫茶らしい店に坐ったことがある最後の世代かもしれないから、メモしておけばよかったが、もう遅い。

 草創期のジャズ喫茶は、高価だったレコードを聴けることで人気だった。
 ステレオ装置が一般家庭に普及し、レコードも相対的に安く買えるようになって、役割が終わったかというと、こんどはモンスター級の装置で、自宅では聴けない大音量・高音質でジャズが聴けることが、ジャズ喫茶の存在意義となり、各店が音の研究に邁進したものだ。人気店の店主たちが、オーディオ哲学みたいなことを雑誌に載せたりするようになったのも、それ以来だろう。あのような閉鎖的な空間に先鋭的な情報があったという現象は興味深く、かつてジャズ喫茶が果たした啓蒙的役割には、はかり知れないものがある。
 ジャズ喫茶に行くようになった高校時代は地方都市にいたので、上京以後は、伝説的に店名を知るだけだった店に、あれこれ行けるのが面白かったし、かつてオーディオ雑誌で見たきりの、夢のような機器も聴けた。
 いまでは、超弩級機器をドンと置いて、孤高のこだわりみたいな営業をしている店は、東京には数えるほどしかないのでは。むしろ地方にあるかもしれないが、ジャズ喫茶やバーの類に行かなくなって久しい。
 
 そして、数多いジャズ喫茶行脚もまた、オーディオへの興味を薄めたと思う。
 理由は簡単だ。
 友だちと演奏を──マネごとの、そのまたモノマネだけれど──するようになり、プロになった先輩たちが学校に遊びに来ると、自分のバンドで演奏してくれたりもした。自分がろくに合わせて弾けないことも忘れて、聴き入ってしまった。
 いっぽうで、ジャズ喫茶より入場料が安い場合もあった、小さいジャズクラブへ行きもした。
 そうしているうちに、レコードから聴こえるジャズが、まったく別のものに感じられだしてしまった。どう表現すればいいのか、もちろんすばらしい演奏だが、図鑑を見ているような感じなのだ。
 ジャズは、自分でやる音楽であり、自分もリアルな演奏に参加しているかのように聴くものだ、と思うようになったのかもしれない。
 といっても、ライブがジャズの基本だとか、ド素人のプカプカドンドンだってジャズなんだ、なんて主張しているわけじゃないですよ。ジャズは、誰もがすぐやれる音楽では絶対にないし、自分の「まねごと演奏」など、箸にも棒にもかからない、人に聞かせられるようなものではなかった。
 それでもジャズって、自分でなんとか弾いてみると、聴いて楽しめることもまた、とても多くなるのだ。聴いて面白くなると、もっと弾いてみたくなる。
 よく知っている曲が意外な解釈で弾かれるのを聴くと、自分の楽器からも、そんな和音を出してみたくなる。じゃあ、この奏者、あの時代には、どう弾いているのかと、ますます聴きたくなる。それはジャズの、あまり言及されないが、すばらしい魅力だと思っている。そしてそのことは、スピーカーの「音質」や「優秀録音盤」かどうか、などとは、さして関係がない。

 それから間もなく「月給とり」になり、忙しいので、楽器を練習したりジャズクラブへ行く機会は失ったかわりに、多少無理すれば「コンポ」を買えるようになった。
 しかし、大きな音を出せる環境も時間も得られないままに、オーディオマニアになることなく人生も終盤となった。


3:AUDIO CABIN PACO(オーディオ・キャビン・パコ)のこと

 地域密着型の、小さいオーディオショップがあった。四〇年くらい前だ。
 近所にあると知ったのは、中学生ごろだったろうか。なぜその店のドアが押せて、店の人と顔なじみになるほど通ったかだが、まるきり記憶にない。買いもしないのに売りものの高級アンプやターンテーブル、デッキなどをいじってみている中高生など迷惑なだけだったと思うが、たまにカセットテープか清掃キットでも買ったかな、という思い出しかない。
 いくらなんでも、お店に悪いと思っていたのだろう、東京で大学生になった後の帰省時に、ためたバイト代を持って二度ほどか、そのお店でミドルクラスのカセットデッキなどを買って、東京に自分で持っていった記憶がある。
 以後は、その街を離れたきりとなり、お店とも縁がなくなった。

 じつに小さい店で、ガラス張り路面の入口を背に、正面の壁にアンプやデッキやプレーヤー、右手の壁にスピーカーが並んでいたと思う。正面のアンプの棚の前に堂々と鎮座していたスピーカーは、JBL 4343 ではなかったか。
 お客さんがいられるスペースは八畳ほどだったか、いつも何人かのおじさんや、やや若い勤め人ふうの人たちが、間に合わせのイスに坐って話していて、お店がお茶やコーヒーを出してくれていた記憶がある。つまり、地元のオーディオファンが集まるサロンでもあったに違いない。懐かしい「コンポ」全盛期の雰囲気だ。量販店もネット通販もなく、専門雑誌はあるが雑誌記事から音を聴くことはできないので、「サロン」での情報交換が貴重だったのだと思う。
 思えば、そのお店でもまた、さまざまなアンプやスピーカーの音を聴いたことになる。これもまた昔のこと、一九七〇年代だ。いまのデジタル機器をタイムマシンで持って行って、あのお店に並んだ機器とガチ勝負させたら、どんなふうに聴こえるのだろう。

 その店で出会った音楽もある。
 BTOこと、 Buckman Turner Overdrive だ。クマゴローみたいなカナダのお兄さんたちがやっていた、いまでいうクラシックロック、一九七〇年代のハードブギバンドです。かんたんにいうと、カナダやアメリカのトラックの運ちゃんたちが聴くような音楽だ。
 初めて聴いたのは、友だちが貸してくれたライブ盤。自宅でごく小さい音で聴いてはいた。それが、理由は忘れたが、この店に持っていったらライブ会場さながらの超爆音でかけてくれたのだ。
 そのライブと同時代に、日本の高校生が JBL4343 で聴いてブッたまげたという話だったら、リーダーのランディ・バックマンに話してもいいほどの、ちょっといいエピソードだが、これまたなさけないことに、正確な記憶がない。鳴らしてくれたスピーカーは 4343 ではなく、ビクターの FB-5 だったかもしれない。とはいえ、ヤマハの NS-1000M もそうだが、あのころのスピーカーはいかにも明朗活発、元気ハツラツな音で鳴った。それだけは印象に残っている。
 あのとき、ふと気づくと店員さんもお客さんも、ひどく真剣に青筋を立てんばかりにしてBTOに聴き入っていた。そしてしばらく後にまたお店に行くと、この盤がしっかり試聴用音源として買い込まれていた。よく解らないが嬉しいような気持ちになったことも、思い出す。

 そのお店で、メチャクチャにカッコよく聴こえたから、それ以来ハードブギは、いまだに好きなロックだ。
 もっとも、BTO以上のバンドは思いつかない。BTOのライブには行ったことがないが、お店で聴いたあの音が出会いだったからに違いない。爆音なのにぜんぜんツブれない明瞭な響きで、ギターのサスティーンが艶やかだったことが、昨日のように思い出せる。後に自分も買ったその盤を同じ音で聴けたことはないし、後年ロックのライブにもたくさん行き、帰り道に耳鳴りが止まらなくなるほどの音圧もよく体験したけれど、BTOのライブ盤をオーディオから聴こえる音≠ナ聴いたときほどの感動に出会うことはなかった。

 ちなみに、このバンドが好きだというたびに、長年なぜか苦笑され続けた。
 田舎くさいということですかね。直接にではないが、カナダ人の政府関係者でカナダの恥≠ニいったバカ者がいると聞いて、殴りに行ってやると息巻いたこともある。
 そして、バンドもいつしか消えたと思っていたら、「Buckman Turner」というバンド名で、元気に演奏していることを知った。二人ともすっかり好々爺になり、ことにC・F・ターナーは病気だったのか、往年の半分くらいの大きさになっているが。

 こんなふうに思い出すと、オーディオつまりハイ・ファイあってこそ、音楽に親しむようになったんだ、ということがよくわかる。
 少年時代の憧れだったオーディオは、ついぞ趣味にしなかったが、往年の名アンプ、Sansui AU-9900 を、べつの筆者が手に入れて楽しんでいる話を読むと、自分も、昔の音楽やオーディオ、それもすっかり表舞台から姿を消した、一九七〇年代から一九八〇年代前半ぐらいのものを、聴きなおそうかな、と思わなくもない。ほがらか、といってもいいような熱意で作られ、楽しまれていた、あの時代の音楽やオーディオを。
 そして、それらをいま、ほかの人にも楽しんでもらえる場を作ることも出来るのでは、と思いもする。
 もう、そういう年齢なんだし、オーディオ装置こそ人を驚かすようなものは持っていないが、レコードやCDはけっこう持っているから……。

 いやダメダメ! ダメだ!
 他人のためにさせられる仕事や、他人の思惑で決められてしまう暮らし、そういうことがとつぜん激しくいやになり、長年ガマンできていたのに、いきなり仕事をやめたんだった。
 いまさら他人を集めて楽しませる役なんてムリ!
 じゃあ自己主張全開の空間、いにしえのヤヤコシいジャズ喫茶みたいな閉鎖環境を作って、勝手に聴きに来いなどというのはどうか、といったら、それも自分の性格に合わない。
 ならば、自宅であらためてオーディオ趣味をやる、というのも残りの人生を考えると、機器や防音環境に予算をさく余裕がない。
 やはり、オーディオマニアにならなかった人生でよかった、ということなのだろう。

 さて、啓蒙的な意味では、ジャズ喫茶にまったく劣らない経験をわたしにくれた小さなオーディオショップだが、近年じつにひさびさに近くを通りがかったところ、やはり姿を消していた。
 店があった建物は残っていたが、かなり前に閉店した様子。そのためか、ネットで調べてもなにもわからない。
「AUDIO CABIN PACO」(オーディオ・キャビン・パコ)さんというのだが、店名までも記憶違いしていないといいが……。(ケ)

170425bo.JPG 
友だちの持ちもの、Bang & Olfsen Beosound Overture を、
聴かせてもらっている。オーディオマニアはあまり評価しない機種だけれど。




※ イエスの「ビッグ・ジェネレイター・ツアー」(一九八八年)の音は衝撃的に記憶に残っている。会場は東京・代々木のオリンピックプール。それまで大会場でのロック公演の音は「騒音がするだけで聞きとれない」と思っていた。事実、その二〇年後の二〇〇八年でさえも、東京ドームでのポリス再結成公演の音はつらかった。ケチらずよい席にすべきだった(そこでは音がよかったと聞かされた)と後悔したが後の祭り。そのはるか昔、それもプールに客席を作っての公演だったのに、メンバーそれぞれが何をやっているかクッキリ聞こえ、あまりにもクリアで、しかもドでかい音に驚愕した。さすがイエスだった!

140724G1.JPG 140724G2.JPG


※「B.T.O. Live! Japan Tour」 1977年、カナダと日本でのみのレコード発売……で終わったと思ったら、二〇一二年に英国盤CDが出ていた。アナログLPを持っているが、CDも入手してしまった。

140724BT.JPG 

Originally Uploaded on Jul . 17. 2014, 01:09:17 管理用



posted by 冬の夢 at 15:40 | Comment(6) | TrackBack(0) | 音楽 オーディオ・楽器 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小さい頃、兄が部屋で大爆音で弾いていたエレキギターのせいですっかりハードロック恐怖症になり、音楽に親しむということがあまりないまま大人になってしまったけれど、こんなオーディオショップが近くにあって良い音で出会っていたらまた違った世界が広がったんだろうなと思います。自分の部屋にある壊れたまま放っているオーディオ、修理してみようかな。
Posted by ノア at 2014年07月26日 01:07
ずいぶん前の記事にコメントしてすみません。PACOからたどり着きました。当時常連だった私としてはとても懐かしいです。PACOはモリさんという方がやってらしたお店で、当時スタッフだったアツミさんがとてもオーディオに詳しく、ずいぶんと色々教えていただきました。当時名古屋では二番目に耳のいい店と言われていて、実際お客さん含めてみな熱心に音作りにはげんでいました。私もタンノイのスパーレッドモニターやテクニクスのアンプなどなど色々購入して散在しました(笑)お店ではおっしゃる通りアルニコの4343がメインで当時画期的だったヤマハのBX-1モノラルアンプをツイン駆動したりしたました。本当によき時代のお話です。私は1982年ころには名古屋を離れたので、その後のことは分かりませんが、みんな元気にしてるかなと今でも時々思い出します。
Posted by ジョバンニ at 2016年10月06日 20:46
 さまざまな記憶が混ざって出来た「幻」かも、とも思っていましたから、間違いでなくてうれしいです。教えてくださってありがとうございます。
Posted by (ケ) at 2016年10月11日 13:04
ジョバンニサンに続いて、古い記事にコメントさせていただきます。私は世間では定年を迎える年齢になり、そのせいか昔を思い起こすようになりました。そんな中にオーディオキャビンPACOさんの事も思い出されて、ネット検索したらココにたどり着きました。PACOさんには1980年ころから数年間、大変お世話になりました。お店がなくなってしまう際には涙が出たくらいです。バブル期前で、凄い製品が目白押し、器械の買い換えも、今考えればめちゃくちゃやってました。それに付け、森サンにも渥美さんにも無理難題をふっかけて、本当にすみませんでした。もっとじっくりやれば良かったです。今は名古屋を離れて約40年、熊本市でまだ重厚長大なオーディオやってます。
 ark2001.kir.jp
その頃の器械も残ってますよ!本当に懐かしく思い出されました。森さん、渥美さん、そして集っておられた皆さん、どうされているのでしょうか?もしも読まれていたら、皆様に一生の趣味を与えていただいた感謝の念をお伝えしたいです。
Posted by 柚原健男(ゆのはらたけお) at 2021年05月09日 20:58
追加です。私もBTO好きですよ!
Posted by 柚原健男 at 2021年05月09日 21:03
ジョバンニさんと柚原さんのコメント、これだけでもこの同人誌ブログを立ち上げて、続けてきた甲斐があるものだとつくづく思いました。しみじみとしました。ありがとうございます。
Posted by H.H. at 2021年05月11日 20:34
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック