2014年07月15日

「住まいと音」を読む──音楽と騒音

 三十年前の本だが、とても面白い本がある。
「住まいと音 ─音響生活への啓示─」(岡山好直/音楽之友社/一九八三年)。
 著者はオーディオ評論・建築音響を専門とした人で、「かなりキツいクラシック好み」とのこと。本の前半は、音を計測し数値にすることを解説しつつ、その不可能性を語ることで騒音とは何かを書いている。後半は実際に「個人の懐で作ることは可能」なピアノ教室を設計し完成させる過程の中で、防音と遮音がいかに誤解されているか指摘する。理論を踏まえながらも文学的表現で音が語られる。
「ある音を『騒音』と認めるかどうかは、個人によって違う。しかも、その個人一人についても、時と場合によって、同じ音が好きになったり嫌いになったりするのだ」
 ピアノ練習の音漏れが騒音計では捉えられないほど小さいのに、隣家と騒音トラブルになった、と設計相談を受けて詳細を聞いた経験から著者は、音に対する人間の感覚について「あまり軽い意味でなく捉えてほしい」という。「クラシック好み」の著者は、音響的にも静謐さにおいても素晴らしい自宅があるのに、なぜか「好まないポピュラー」が流れ喧噪に満ちた喫茶店の方が執筆がはかどる場合がある。それは「好きでない音は無視できる」からで、喫茶店でクラシック音楽がBGMだったら、著者は決して「無関心でおれない」からなのだ。
「無関心では居れないものを、自分が望んでもいないときに聞かされるということは、一種の拷問であろう。格別のトガもない隣人に、そういう拷問を科したならば、トラブルの起るのは当然すぎるくらいのことではないか」

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 わたしは人並み以上に、ときには過敏すぎると悩むほど、騒音に弱い。とくに人にまつわる人工音が苦手。クルマや飛行機などは当然だが、「騒音計では捉えられない」ボソボソした話し声や、空調をはじめとする低い機械音もだめ。そのくせ音楽は人工音の極致なのに好きなのだ。誰がどう聞いても騒音にしか聞こえないヘビーメタルもよく聞く。だが他人がたれ流す音は苦手だからと、自分は気をつかい過ぎるほどつかってしまう。爆音のロックコンサートや、音の強弱差はロックの比でないオーケストラ公演にもよく行ったが、首都圏の古いマンションの自宅では、スピーカはカのなくような音でしか鳴らしたことがなく、楽器をアンプにつないで練習したこともなかった。
「住まいと音」に共感するのは、音の好ましさを損なってはいけない、音は存分に出し、最良の音質のための最良の環境で接するもの、と主張しているからだ。一例として、合唱コンクールで過去常勝の出場校が、突如レベルが低下し上位に至らなくなったケースをあげている。著者がふと気づき確かめると、改築などの事情でそれまでの練習場所がなくなり、急造のプレハブ教室で練習していたというのだ。個人宅のピアノ室設計・建築の実例を説明する中で、ピアノの音が近隣に漏れることなく、いい音で存分に弾ける部屋は、会話をしていても疲れない部屋だという。世の防音遮音の方法は、音そのものを消そうとすることにおいて根本的に間違っているというのだ。
 フローリングが内装として一般的になる前の本でもあり、現在は住宅の防音設計も進化しているのだろうか。ヨーロッパやオーストラリアで集合住宅に居てみた経験からして──造りは棟割り長屋なのに、二人の居住者がともにピアノ演奏家で、プロの音量で練習して何の問題もない家もあった──日本の集合住宅は広さと造りがよほど高級でないかぎり、隣「家」は隣「室」であるという、あいかわらずの住宅事情ではなかろうか。生活音は「隣室」より階上・階下に意外なほど聞こえる、のも変わっていないかもしれない。
 自宅でCDやDVDを鑑賞するよりライブ演奏が好きだという人や、自分自身でアマチュアバンドや合唱、ブラスバンドなどの経験がある人には説明不要だが、音楽が音楽として聞こえる音量は、興味のない人には充分すぎるほど「爆音」なのだ。それがAKBあたりならアッサリ注意できるところを、ドロドロしたデスメタルとか、賛美歌みたいなのが夜中に……となると、逆ギレされるか説教されそうで、がまんにがまん……ということもありうる。「聞こえないくらいの音で流しているのに」というのは、あくまでその音楽が好きな人の主観なのだから。
 ただ「住まいと音」は、騒音問題が起きると出す側がつねに悪者扱いなのはおかしい、という立場だ。音に敏感な感性、音を大切にしよい音が出せる環境を作る社会、それがダメになってしまっていると主張している。これは正しいと思う。
 作家の尾崎一雄と天真爛漫な妻の貧乏生活を描いた映画「もぐら横丁」──監督・清水宏の佳品(一九五三年)──に、近所のラジオの浪曲がうるさくて小説が書けないが、自分は気が小さいので嫁に怒鳴り込ませる(笑)場面がある。実はそのラジオ、寝たきりの年寄りがただひとつ、楽しみにしていたものだったのだ。
 最後にロックバンドをやってからもう何年、ギターをアンプにつながないでいるだろう。いま間借宅にいるので、やはり楽器の音は出さない。ギターファンのかたはご承知のとおり、エレキギターはアンプと一体になってこその楽器なので、アンプから音を出さなかったら絶対に上達しない。つまらないが仕方がない。(ケ)

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 ヘッドホンで練習できるオモチャも持ってますが。
 いつの製品だ、これ……。


*オリジナルは 2014-07-14 16:32 アップ、整理の都合上、2014-07-15 11:10 にアップし直しました。
関連記事:オーディオ、恐るべし#1〜再びFM放送〜
posted by 冬の夢 at 11:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 オーディオ・楽器 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
表で鳴っている音なんか、自分のズバリ好み以外は皆ノイズ…
そう割り切ってればいいハズだが、その線でいくと自分の出す音も他人様には… となってくる。
サウンドの出しかた、扱いかたは、良心的であろうとすればするほどむずかしい。

引越しを機会に、ムリして防音ルームと称する大型ボックスを導入したが、使いこなせずにいる。
手持ちのアンプ類を押し込むぐらいで息切れして、重低音再生装置さがしはまだ手付かず状態。
カラオケ趣味はないので、代わりにちょっとムカついたとき、大声で怒鳴ってみたが気分は今イチ。
ふと思いつき、両手で耳を塞ぎ、同じことを繰り返したら意外にストレスがにスーッと… 
とたんに頭の中でフラッシュバックしたのが。昔、ビートルズのライブでこれをやってた少女ファンの映像。
あの当時は、これが音楽を聴く態度かよ、なんて思ったものだっけ。
Posted by ScaredFace at 2014年12月20日 20:33
 コメントありがとうございます。
 現在三人の筆者で書いているブログです。
 よろしかったらまた、お目にとまった文にコメントなさってください。
 憧れの防音ルームですが、そこでオーディオの代わりに怒鳴ったというお話に思わず苦笑! わかるような気がいたします。
 最近ちょうど知人から、マンションの上下階からの生活音が気になる、という話題が出たところでもあります。
 日本の都市では、繊細なひとが自分らしい自分を楽しめる住環境がない、あるいは住環境そのものが抑圧的なのかもしれません。
Posted by (ケ) at 2014年12月21日 01:18
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