2014年01月11日

ニコンDfを買わなかった話──続・デジタル一眼レフが欲しい話が盛り上がらないこと

 待ってました! 
 と、往年のニコン一眼レフカメラファンが全員、絶叫したのではなかろうか。
 四年の開発期間をへて二〇一三年十一月末に発売された、ニコンDfだ。
 ニコンデジタル一眼レフの最新モデルが、七〇年代後半から八〇年代中盤にかけアマチュアカメラファンの心をとらえた同社のフィルム一眼レフシリーズと同じルックスで、登場したのだ。
 カメラに興味のない人には、なんの話かさっぱりわからないだろうな。
 しかし興味のある人には、あまりにも一目瞭然なカメラなのである。
 なあんだ昔風のデザインのデジタル一眼レフか、という話では断じてない。プロ向け最高級一眼レフ、ニコンFシリーズのエッセンスを受け継いだ、軽快で適価なニコンFM、FEシリーズこそ、かつて一般のカメラファンがもっとも信頼したフィルム一眼レフのスタンダードであり、その完成度の高さは、プロも積極的に使ったこと、当時の他社同等品に比べ現在もはるかに良好に作動することで実証される。
 ニコンが、この形をしたデジタル一眼レフをいま商品化することは、精密機器メーカーの「ものづくり」時代の精神を、あらためてカタチにすることなのだ。
 これはニコンにとって、とてもハードルの高いことだ。
 長くニコンファンでいるベテランのカメラ好きと、アナログ的メカに新鮮さを感じる、フィルムカメラをあまり知らないミドル世代、両方に向かってド直球を投げるわけだから。
 ベテランのマニアは、見た目や作動感の微細な点にうるさい。昔のカメラに似せただけのハリボテではソッポを向かれる。が、ガワの再現に予算を使いすぎて性能を控えると、ミドル世代のデジタルマニアにコケにされるだろう。「魂をカタチにする」開発作業でもあるから、いわば刀鍛冶の厳しさだ。カタナだとすればD600のように、ちょっとユーザーが不満をいったからって発売後わずか一年でD610にせざるを得ないような、ヤワな刀身ではいけない。
 もうひとつ、ニコンがそう考えたかどうかは不明だが、ライバル会社、キヤノンの一眼レフカメラへの「意趣返し」の意味がある。
 いまのデジタル一眼レフの形状と操作は、一九八六年発売のキヤノンT90にルーツがあるのではなかろうか。ニコンのカメラでないことは確かだ。T90の流線型ボディと電子ダイヤル操作は、カドカドした形で筒型の機械ダイヤルが基本の当時の一眼レフとしては突飛で、不満の声も多かったらしい。しかしいまは前者が基本、そのスタイルを奇抜だと思う人は誰もいない。つまり極端にいうなら、ニコン一眼レフの無骨な、昔の通信機みたいなオトコの道具っぽさは、キヤノン一眼レフの、曲線重視でフェミニンなスタイルに絡め取られ、今日に至っているということだ。ニコンは今回のDfで、一写必撮のゴツい道具をアピールしたとも読める。このカメラはとてもよく売れているようだから、伝統回帰志向が一矢報いた形ともいえるのではなかろうか。
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 で、わたしもこのDfを買いに行った。
 が、買わずに帰った。
 しかも、ここまで読んだニコンファンは激怒するだろうが、キヤノンのコンパクトカメラ、PowerShot S120を買ってしまった。なおかつ、そのカメラは箱から出さないまま、友だちから借りたPowerShot G1Xを使い始めたところ。
 Dfは、カメラ屋さんで展示品を何度かさわったのみ。カメラマンでもマニアでもなく、性能や感触の判断で買い控えたのではない。ネットに詳細情報が山ほどある時代に、売れているカメラだから──どの売場でも入荷待ちだった──買って損のないカメラに決まっている。
 十年ほど前か、自分で撮るためでなく仕事のディスプレイ用だが、さきにあげたニコンのFMやFEシリーズを、中古カメラ店で買い集めることになった。そうしたら、それらのメカニズムの精緻さやシャープなルックスに惹かれ、自費で集めていまも持っている。だからDfは、自分で撮るFM、FEシリーズの一台として買おうと思った。いまの自分に二十七万円前後という出費は厳しいが、迷いはなかった。が……。
 シリーズ最終機で、持っていないFM3A、これにデジタル撮影素子が組み込まれた「FM3D」だったら、実物を見もせず買ったと思う。ということはDfでは大きすぎるのか。いや、違う。
 Dfは、わたしには性能がよすぎるのかもしれない。
 シャッターを押すたびにカメラが自分よりさきへ行ってしまうような感じ、そのいかにも現代的なデジタルが、精緻でシャープといってもどこかゆるやかで、シャッターを押すとしばらく黙っていたくなるようだった、かつてのカメラの姿をしている違和感が、消えなかったせいだろう。
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 ふだん、毎度の食事をコンパクトデジタルカメラで撮っている。
 メモ代わりに写真で記録し、内容をチェックしてもらうためだ。
 キヤノンのPowerShot S95でだ。友だちのカメラマンの薦めで、性能はよく知らなかったが、後に知る一千万画素は充分な能力と聞き、食事以外の写真も撮るようになった。発売時に買って三年で故障、ちと短命な気がするが、修理に出し、後継機種が同じ感じのカメラだったら買い替えることに。後継機はなんと毎年発売されていて、はや三機種めのS120だが、偶然にもS95によく似ている。
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 買ったはいいが別の友だちが、眠っているキヤノンのPowerShot G1Xを貸すよという。寄る辺ないモノの哀愁を好む癖があり──といってもG1Xは発売されてまだ二年にならないカメラだが──年明けから、これを使い出した。
 このブログで、自分ではカメラやレンズの良否は写真を拡大比較でもしないとわからないと書いたが、G1Xでためしにパンを簡易に照明して撮ってみると、ひと目で「ふくらみ感」に余裕が感じられた。
 やれやれ困った。
 引きこもりの小言幸兵衛は今年こそやめ、自分の目で世間を見たいと思っているのだ。
 デジタル一眼レフが欲しい話題で盛り上がり、一台入手し使ってみておすすめ、といってみたかった。飲食店の手伝いでメルマガやメニューカード用に料理を撮ってと頼まれるので、一眼レフが本当に必要になってきてもいた。
 G1Xは最短撮影距離が長く、つまり料理のお皿に近寄って撮るのは難しく、料理撮影向きではない。が、ストロボを取り付ける「ホットシュー」があるので照明を同調させて撮れ、メルマガやカード程度の仕上がりサイズなら、わたしの素人撮りでもまったく問題ない──と思うけど──。
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 いまの自分の、写真との付き合いかたが、これまで発明されたカメラのどれとも合わないのかもしれない、とも思う。
 写真を百枚撮っても、写っている時間は合わせて一秒程度だ。
 時間とは何か、確信することは決してできないまま時間に追い抜かれていくのに、ボツ写真の枚数はいたずらに増えていく。
 まるでカメラが、時間を量的な苛立ちに還元するかのようだ。
 そうではなくて、写真は時間を追いかけるのではなく、瞬間を切り取って普遍を表現するものだともいうが、本当に時間を切り抜くのでなく、所詮は「いい絵」の早描き競争に過ぎない気がする。スマホにはいまや「シャッターを押した瞬間より前を写せる」カメラさえ搭載されるようになり、秒間撮影コマ数は映画のそれをとうに超えているから、機能からいえば時間は切り取れている、のかもしれないけれど。
 こんなことを考えはじめたら写真は撮れなくなってしまうが、自分はいまのところ「意味のある/意味を生む」眺めを集めているだけ──つまり意味が皆無の何かを撮ることはできない──なので、見るものを撮ることはできる。
 だからこそ、電子回路を通さない素通しの視界を目の位置から見ながら、シャッターを押したい。そのためには、いまのカメラではとりあえず一眼レフ、ということになるのだが……。※
 デジタル一眼レフ……いったい、なにを比較し、どれを買ったらいいのだろう!(ケ)

一眼レフのファインダーは素通しでなく鏡像を見るから、この文脈だとレンジファインダーのデジタルカメラを買うべきだ。が、その仕様のライカM型デジタルカメラを買うとなると値段があまりに……。

◆「ニコンDfと後継機症候群」は→こちら

posted by 冬の夢 at 02:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 カメラ・写真家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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