2013年12月29日

『彷徨の季節の中で』再読〜堤清二•辻井喬を悼む

堤清二が亡くなったのを契機に彼が辻井喬の名前で書いた最初の長編小説『彷徨の季節の中で』を読み直した。
今は解体されたセゾングループの一企業に在籍していたときには彼の作品に興味を持ったことなど一度もなかったのに、文庫化された『風の生涯』をあまりに面白く読んでから作家としての辻井喬に親しむようになった。
フジサンケイグループの創設者であり彼の義父でもあった水野成夫をモデルにした『風の生涯』は新聞小説として連載されたから波乱万丈の伝記ロマンとして読み手を引き込んで離さない娯楽性に溢れた物語だった。けれどもそこから遡るように辻井喬を読み進めると、個人の内部に捻り込んでいくような自分語りの様相になる。その語り方は怜悧で突き放した視点から自己をバラバラに解体しひとつひとつの臓器を丹念に模写するようである。
『彷徨の季節の中で』はその作業の出発点となる作品で、主人公は政治家で企業家でもある父親を根源とした複雑な家族の中に置かれている。人間関係だけでなく「雑な」血縁関係が小説の重奏低音となる。繊細ながら爆発力をもつ主人公は宿命として父親から逃れられない。逃れようとするが抗えないからこそ宿命なのであり、それが後の作品のすべてでライトモチーフとなっていく。
小説は五部構成になっていて、母•妹の三人での幼少期、父親の本宅への引越し、義兄の廃嫡と妹の出奔、東大共産党分子としての活動家時代、そして結核患者になって病室で静かに自分を振り返るところで終わる。
『父の肖像』などで療養生活から父の秘書として実業に復帰する経緯を書いているのでなんとも物足りなく後半失速の感は否めない。妾の子として貧しくひっそり暮らす三鷹での暮らしの描写の静謐さこそこの人の持ち味ではないかというほど第一章が優れた短編小説のような煌きを持つから尚更である。

このような自己解体小説を無駄の少ない文体で飽きさずに読ませる辻井喬という作家がセゾングループの総帥であった堤清二と同一人物とは俄かに信じられない。
かつてグループ企業各社は池袋のサンシャインシティのタワービルに本社を置いていて、出勤時には一階のエレベーターホールは大混雑だった。四十九階で降りる社員のためにエレベーターの開ボタンを押してあげている小柄な中年男が五十階の会長室に行く堤清二その人であった。
本社機能がサンシャインシティにあったのは巣鴨プリズン跡地にいち早く目を付け都心型ショッピングセンター化計画を打ち出したのが堤清二だったからで、三菱地所と興銀を巻き込んで新しい街をひとつ作り出してしまった。「街」というのはショップやレストラン、オフィスだけでなく、水族館や劇場、展示会場を備えていたからで、プラネタリウムを持っていた渋谷の東急への対抗心があったと言えば「ピストル堤vs強盗慶太」の代理戦争に結びついてしまう。

そんな堤清二が好んでエレベーターボーイをやっていた姿は、セゾングループにおける暴君ぶりからは程遠い。当時の社員の間で伝えられていたのは、悲願の進出を果たしたもののガードを越えた千代田区では屋号に「銀座」と冠することが出来なかった営業店舗が話題性一辺倒で業績は全く振るわず、その報告に行った支店長が会長室でネクタイをネジあげられて罵倒された話であった。
あるいは地方営業店舗で働いていたときに体験したのは、会長が突如来訪するというので新幹線の改札口に総務課の社員が張り付き、見つけるや否や社用車に案内して店まで移動すると幹部が総出で迎え、店舗施設内を三歩下がって追従しながら会長の「お言葉」を支店長が拝聴する一連の事態が実にスムースに運営されたことであった。「お言葉」は翌日には「堤会長ご指摘事項」という文書名で全国の拠点にファクスされ、他の支店長が羨んだり蔑んだりするネタになるのだった。

いずれにしても当時は当事者になるべくもない下っ端社員の目から見て滑稽なようでありながら、どこかに畏怖すべきカリスマ性が感じられて、上司が入手してきたグループ経営会議に諮られた池袋地区の再開発計画の答申資料は南北に長い店舗の北側を商業館とする一方で専門学校や予備校があり若者が多く回遊する南側は美術館と本屋とカフェと文化教室を集積して「池袋カルチェラタン」を構想するというもので、取り巻きのブレーンや出来のいい官僚型スタッフがいたにしても、その鮮やかな先進性には憧憬の念を持たずにはいられないのでもあった。

そうした堤清二のイメージは好んで読むようになった作家の辻井喬とはどのようにしてもフォーカスが合わない。『彷徨の季節の中で』にも共産党の担当区域をオルグするリーダーとしての活動が描かれるが、それは堤清二的な振る舞いではなく辻井喬的な静けさで読み取れてしまう。
しかしながら、堤清二という経営者と辻井喬なる作家が二律背反して二重人格者に分裂しているわけではない。自ら『叙情と闘争』で書いている通り「職業と感性の間の同一性障害」がそこにはある。それはまともな人が仕事をする際に必ず感じるものなのだが、彼は徹底してそれを突き詰め、堤清二として卓越した発想力で消費産業の新業態を作り出す一方で辻井喬として家族を通じて個人を解体しながら物語る。
象徴的な「同一性障害」はグループが不動産と金融事業の失敗から巨額の負債を抱えたときの対応である。父親から受け継いだ港区広尾の広大な土地を売却して会長職から退いた立場ながら借金返済に当てることを申し出たのだが、それは途方もない負債の数パーセントにもならなかった。けれども堤清二が作った借金を辻井喬はなんとかせずにはいられなかったのではないだろうか。

広尾の邸宅は辻井喬の作品に繰り返し登場する「御大の御屋敷」のことである。
堤清二はこの広尾の土地にグループの迎賓館たる「米荘閣」を建てた。大きな宴会場と宿泊施設を持ち、グループ企業が主催する研究会やセミナーの会場として利用されていた。しかし、堤清二にとってのその土地は御大である父親=堤康次郎から受け継いだものであり、辻井喬の作品の中では東京の大空襲で焼け落ちる一大伽藍であった。『彷徨の季節の中で』では空襲の猛火によって屋敷の庭で飼っていた孔雀が絢爛たる羽根を広げながら焼かれる場面が出てくる。
堤清二は炎に巻かれる孔雀の心境で米荘閣の土地を差し出すことで辻井喬としての結着をつけたかったのかもしれない。
いずれにせよ堤清二=辻井喬の死は「職業と感性の間の同一性障害」という永遠のテーゼを残すことになった。日本の産業発展史においてひとつの時代を確実に作り上げた人がその問題を解けぬまま逝ったことは、ある意味で我々に勇気を与えるように感じるのである。堤清二氏のご冥福を心から祈りたい。(き)

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posted by 冬の夢 at 15:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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