2013年10月20日

ミノルタA5とセコニックマイクロリーダー【改】

 昔のフィルムカメラをもらってくれませんか、という話がときどきくる。

 カメラマニアではないが、十数年前、一九七〇年代後半から八〇年代のフィルム一眼レフを何台か買ったことがある。
 撮るためでなく、仕事のディスプレイに使うためだった。
 中古カメラ店でどれも安く、用が終わった後に愛着もわき、自費買いにして手もとに残した。中古店の雰囲気も好きになり、以後も立ち寄ることがある。それを知っている人が、昔のカメラはいりませんか、といってくれるのだろう。
 使わないカメラを頂戴しても困るが、断ると捨てられるとしたら、つらいものがある。
 というわけで、またカメラがやってきた。
 ミノルタA5。一九六〇年三月一日発売の、レンズ固定式レンジファインダー機だ。当時一眼レフはまだ高嶺の花。高度成長期の家族スナップは、さまざまなカメラメーカーから発売されていた、この形式のカメラで撮られていたはずだ。
 おっと、「ミノルタ」も「レンジファインダー」も、説明ぬきでは誰にもわからない、ですよね……。

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ミノルタA5 写真はすべてクリックですこし拡大

宮崎美子のX7で知られたミノルタの現在

 ミノルタとは、かつてあった、日本で二番目に古い光学機器会社だ。
 アマチュア向け一眼レフがよく売れていた一九七〇〜一九八〇年代は、二番バッターでショートの名手、みたいなカメラをよく発売し、人気のメーカーだった。
「いまのキミはぁ〜ピカピカに光ってェ〜」と、宮崎美子が水着になりおなかを出すテレビコマーシャルは、ミノルタの入門者向け一眼レフ、X7(一九七九年発売)のもの。おなかでカメラもヒットした。

 日本のカメラ史に一時代を画したカメラも出している。一九八五年発売のα7000という一眼レフ。いまでは当たり前すぎるオートフォーカスを、初めて実用的システムカメラに搭載したのがこの機種で、カメラ業界に「αショック」が走り、AF開発競争に火がついた。
 α7000の発売当時、性能に驚かされた実体験がある。
 遊園地のコースターの新機種が開業したので、写真にして見せる仕事があり、スポーツ撮影ができるカメラマンを動員した。
 それまでのコースターとはケタ違いの速度や落差、ヒネリ回転が特徴だが、速すぎて、当時の最高級一眼レフでプロが撮っても上手く写らない。
 そこへ、こんなカメラが発売されたよと持ち込まれたのがα7000。半信半疑のカメラマンが撮ると、カメラまかせでシャッターを切るだけで、爆速回転するコースターに乗ったお客さんの表情にまで、ばっちりピントが合っていた!

 そんなミノルタは、現在までに、つぎのような社史をたどった。
 デジタルカメラや携帯写真が登場し、既存のカメラ市場が縮小するなか、二〇〇三年に、やはりフィルムや一般向けカメラ製造の歴史が長いコニカと経営統合、コニカミノルタホールディングス株式会社となる。
 しかし同社は、二〇〇六年に写真関連事業から撤退。コニカミノルタの主力製品はOA機器になっており、デジタルカメラの開発は射程外だった。今年四月にはコニカミノルタ株式会社に完全一体化している。

 長らくカメラやフィルムを作ったメーカーが統合したのに、写真事業を強化するどころかやめてしまったのは残念だった。二つの会社の人脈がギクシャクし、協力して、よいカメラを作ることができなかったのでは、と想像してしまう。
 経営陣をみてみると、社長はコニカ出身(ホールディングス時代の前社長はミノルタ出身)、専務二人は元ミノルタ、八人の常務がほぼ半々と、タスキがけの見本みたいな役員構成だ。カメラやフィルムを作らなくなったことと人事とは関係ない、といわれようと、邪推したくもなる。

 さきほどのα7000に始まったミノルタ一眼レフ「α」シリーズは、ソニーへ移り継続している。とはいえソニーの「α」には、ミノルタ関係者が全面開発した機種は、ないに違いない。
 熱心なミノルタファンは、ミノルタの遺産はパナソニックに継承されたと推理しているかもしれない。その通りだろうと思うが、ソニーもパナソニックも、そこまでは公表していないと思う。

レンジファインダーとはどういうものか

 経済誌みたいな話を長々としてしまった。
 いそいで「レンジファンダー」を説明しよう。
 こんどはカメラ雑誌みたいな話になってしまうが。

 レンジファインダーとは、被写体までの距離を測る構造を内蔵した、ミラーとガラスで被写体を見るファインダー構造部をいう。
 スマートフォンに「ファインダー」は存在しないから、イメージがわかないか……。
 潜水艦バトルの戦争映画で、潜望鏡で敵艦を見て魚雷を発射する場面があるが、あの感じで小さな窓をのぞき、ワクの中に構図を決める。そして、ずれて見える像が重なるよう、レンズのリングを手で動かしピントを合わせる、そういう光学機構だ。

 ちなみに、カメラの高級レンズで有名だったドイツの光学メーカー、カール ツァイスは、現代の潜水艦用潜望鏡を、世界の軍隊の注文で作っている。
 そういえば、戦艦が大砲の照準を合わせるのに使う測距儀(艦橋のところに左右対称に張り出している構造部)とカメラのレンジファインダーは、同じ原理だ。
 それでいうなら、このミノルタA5もだが、カメラ上部のダイヤルや巻き上げレバーなどが並んでいる部分は、かつて「軍艦部」といっていた。カメラは兵器の表徴なのだ。

 ミノルタA5や、その同形式のカメラでは、このレンジファインダーを見ながら手動でピントを合わせなければならないことは、理解いただけたと思う。しかし、ピントが合ったらハイパチリとはいかないのだ。もうひとつ作業がある。
 ミノルタA5では、撮る人が自分で被写体の光量を調べ、シャッター速度と絞り、つまり「露出」も設定しなければならない。
 いまのデジタルカメラなら、「A」とか「P」などに設定すれば露出もカメラが決めてくれるから、露出、そして絞りやシャッター速度という言葉を知らずに写真を撮っている人のほうが多いくらいだが。

いまセコニックマイクロリーダーに使える電池

 なので当時は、単体の露出計が必要だった。
 前の持ち主が使った、セコニックのマイクロリーダーという露出計も、カメラといっしょにやってきた。アナログ式の光量測定器だ。いまや現役カメラマンでも、この時代の露出計には、さわったことがない人のほうが多いと思う。

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 電源の水銀電池は、環境汚染の原因なので、とうに存在しないが、さいわいサイズ互換のボタン電池を発売しているメーカーがあり、量販店や通販で手に入る。さっそく買って入れてみた。
 ちゃんと動く! 
 デジタルコンパクトカメラで同じ状況を測ってみると、ほぼ同じ数値だ!
 すばらしいことに、製造元のセコニックは昔の製品の取扱説明書もサイトにアップしているので、迷わず使えた。
 機械式スイッチをカチカチ動かして、光の量に応じて指針が振れるのを見ていると、ふと太陽のありがたさに感謝したくなる。
 ポジフィルムも買って、ひさしぶりに完全手動のフィルム撮影をしてみることに。

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左が水銀電池MR9サイズの代替電池。写真クリックですこし拡大。
この電池で昔の露出計(カメラ内蔵型をふくむ)を
動かそうと思う場合、水銀電池より電圧がすこし高いので、
ネガ撮影なら問題ないですが、ポジで撮りたいときは、
現行露出計やいまのカメラで測った値と比べ、
差を意識して撮るか、新しいほうでときどき測るといいです。
面倒だけど、それも楽しむ、ということで。

 レンズの脇にある「minolta 1000」というマークは、最高速度1000分の1秒という、当時まれな高速シャッターを装備している印だ。
 その速度がないと写せない条件は、じつは現在もあまりないが、関西ふうの値切り精神でなく「せこせこ刻みなや! 1000分の1でいったらんかい!」という、いい意味での関西イケイケ精神がうかがえて、いい。
 関西をひきあいに出したのは、ミノルタのカメラレンズのブランド名「ロッコール」は、同社の創業地に近い六甲山にちなんでいるから。どうせカメラをやめてしまうなら、阪神ファン向けに「六甲る」レンズのついた「ランディ・バース・シグネイチャー」とかのカメラを作っていればよかったのに。まあ売れなかったでしょうけど、そんなカメラは。でも「ランディ・ローズ・シグネイチャー」というエレキギターはあるんだけどな、関係ないか……。

 カメラの重さは七三〇グラムで、現在の入門者用一眼レフくらいある。金属製ですよという見かけそのままの重さがある。
 発売時価格は一万四千円。昔の物価を現代の実感に例えるのは難しいが、五万〜七万円くらいか。カメラの出来からして妥当だろう。このカメラと比べたら目まいがするほど高性能な、いまのデジタルカメラがいかに安いか、カメラ会社がどれほどキツい商売を強いられているかもわかる。

半世紀前のカメラとポジフィルム

 ここまで読んでくださっている人は、たぶんいないだろう、と思いつつ……。
 写ったポジフィルムをじっと見ていると、しみじみしてくる。

 カメラマニアなら、写りぐあいをこまかく書くのだろうが、「写りました」ということにつきている。こんなふうに写るのか、これもいいね、という感想だ。ジミー・ペイジのレス・ポールの音は最高だと思って聴いていたら、テレキャスターで録音した曲だった、それもいいね、というのと同じだ。
 透過面を見るせいか、フィルムが層構造だからか、画面に重たさや奥行きを感じる。ファインダーをのぞいて撮り、写ったコマもルーペでのぞき込むせいかもしれない。
 解像力というのか、くっきり感はデジタルカメラの圧勝だが、フィルムのほうが画面に湿度や密度があるような感じ。それも気のせいか。

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(左)ミノルタA5・フジ ベルビア100・F8・400分の1秒
(右)キヤノンパワーショットS95・ISO100・F8・400分の1秒
フィルムはデータ化し、実見の感じに色などを近づけたから、
デジタルと比較する意味があるかどうかわからない。
半世紀以上前のカメラでも、フィルムがある限り写るということで。

 ポジフィルム画像をブログに表示するには、データ化と調整をし、コマの実寸より大きく表示もするから、撮って見ている実感を共有していただくことは、簡単でない。しかしデジタルで撮ったほうも、見る人のモニタによって見えかたが違うから、同じかな。
 写真は「そこにそれがあった」ことを記録して示すものだそうだが、自分で撮ったり並べたりしていると、その定義は、かなりあやふやではと感じる。
 ただ写真があるだけでは、「そこにそれがあった」ことを、完全に証明することはできないからだ。

写真がものごとを確かに記録するために

 今回、ミノルタA5をありがたくいただいたのは、「このカメラで撮った写真もたくさんあるけど……」と見せられた、半世紀以上前の撮影済みポジフィルムが興味深かったからだ。ほとんどは、記念撮影の家族写真や風景写真らしい。
 撮ったのはカメラの持ち主で、カメラをくれた人のお父さん。カメラが発売された一九六〇年代初めごろ海外各国で勤務していて、外国で撮ったものがいろいろあるという。
 ポジフィルムで撮ったのはスライド投影して家族で見るためだったそうだが、フィルムがまだまだ高価な時代だ。カラーポジフィルムはなおさらのはずで、一九六〇年代前半に日本人が海外各地で撮ったカラーポジ写真なんて、そうそうあるものではないと思い、なおさら興味がわいた。

 ポジフィルムをいくつか預からせてもらって見ていくと、紙箱保存だったのがよかったのか、カビや汚損は少ないが、昔のポジフィルムの色保持力は弱く、かなりひどく退色している。いまはレタッチソフトという強力な味方があるので、いくつか選んで、やり過ぎない程度に補正してみようか。カメラをくれた人も、子どもの姿で写っているから、話を聞きながら写真を見直してみたい気がする。
 写真がなにかを確実に記録する力は、写した人、そうでなければ写された(撮影の場にいた)人のことを信じて、その写真にまつわるストーリーを聞かなければ、発揮されえない。写真は、科学と物語が合体したものなのだと思う。(ケ)



※ ブラック・サバス脱退後のオジー・オズボーンの、初代バンドギタリスト。バンド参加三年目の一九八二年に、飛行機事故で亡くなった。二十五歳だった。
* 二〇二〇年十二月二十六日、文の流れのみ直しました。管理用

posted by 冬の夢 at 16:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | 写真 カメラ・写真家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
写真は目で見たものを、「焼き付ける」感覚があった。光を何かに「とどめておく」という感じ。デジタルになって、私たちは写真を見るときも光っている画面で見る。ディスプレイをオフにすると光は消え去り、写真も消えてしまう。だから私の感覚としては、デジタル写真は写真ではなく、ムービーと同じように流れて消えてしまうものなのだ。
Posted by busca at 2013年10月21日 02:27
 じぶんコメント。二〇一六年八月九日、実際に撮ってみた写真と、同じ条件でデジタルコンパクトカメラで写した写真をアップしました。正確に比較することはできませんけれど。そのついでに、本文をわかりやすく手直ししました。趣旨は変わりません。
Posted by (ケ) at 2016年08月09日 02:37
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