2013年06月11日

雨の日と悲しい日には「You Must Believe In Spring」 (改)

 フランシス・ベーコンは、精神をとりのぞいた人間の<肉>だけを描ける画家だという。精神とは、近代が作ったまやかしに過ぎない。精神のない人間こそ現代の人間なのだと。

 苦しむ「肉」――。

 雨の日と悲しい日には、ビル・エヴァンズの「You Must Believe In Spring」(一九八一年)を回すことが多い。ひとつ前作の「I Will Say Goodbye」(一九八〇年)も悪くないが、「You Must...」の方が全体の色調がぶれていなくていい。現行リマスター盤にはボーナストラックがあるけれど、その点で蛇足だ。もっとも、持っている八九年盤は音が好みでなく――もともと奥行きや空気感を抑えた録音なのかもしれない。リマスター盤と比べてはいない――、日本語カードには一曲目の「Bマイナー・ワルツ」が「ヘレンに捧ぐ」と書かれていて、よく確かめもせず当時のエヴァンズのマネージャー、ヘレン・キーンのことだとかなり長い間、思い込むはめになった。ひどい勘違いだ。
 全七曲のうち「Sometime Ago」以外は短調で、気分が低空飛行のときにいい。落ち込んだときはポジティブな曲、ナントカの応援歌みたいな音楽をガンガン鳴らして元気になる、という人が信じられない自分には合っている。フッと転じる長調も雲間にのぞく薄灰色の空のようで、無理に元気になれと背中をバンバン叩かれない感じが落ちつく。
 メンバーは、ベースにエディ・ゴメス、ドラムがエリオット・ジグマンド。スコット・ラファロが欠けた後、もっとも長期間寄与したゴメスはそろそろ抜ける時期で、ドラム奏者が定着しなかったエヴァンズのトリオではやはり「中継ぎ」の印象のジグマンドは、トリオでの録音は「I Will Say...」とこの「You Must...」の二枚。録音は一九七七年。レコード会社を大手のワーナーに移しての初回作で、前のファンタジーとは悪くはない関係だったが、新しくジャズに参入したワーナーが示した条件は、ヘレン・キーンによれば「目が眩むような」ものだったという。プロデューサーにジョージ・ベンソンの「Breezin'」(一九七六年)でクロスオーバー、フュージョン時代を開拓した売れっ子トミー・リピューマが加わり、まさにビル・エヴァンズ・トリオのキャリアの集大成といえる録音だが、五十二年前の六月二十五日、ヴィレッジ・ヴァンガードでの胸苦しくなるようなインタープレイ――当時まだろくに客が集められないバンドだったのに――を知って聞くと、どうにも緊張感が足りない。
 ただ、そこが雨の日の憂鬱な気持ちに合う。
 ジグマンドの近年のインタビューを読むと(jazzonline.com/qa/qa-eliot-zigmund.html)、トリオに色彩感を加えようとしたそうだ。いま当時に戻って演奏できたらエヴァンズの意図をもっとよく汲んで貢献できた、といっているから、この盤で彼が試みた色彩効果には疑問符がつくが、結果としてビートの弱い浮遊感が、ジグマンドもいう、全体が組曲のように聴こえる美しさにつながったことは確かだ。意識したのはジャック・デジョネットやトニー・ウィリアムズだそうで、確かに色彩表現力のある人たちだ。ただジグマンドの代わりに彼らが叩いていたら、うるさくてうんざりする演奏になったとも思う。その意味ではゴメスが、ソロではバカテクを披露するが「地の文」では小粋といってもいいサポートに徹している――ラファロとの大きな違いでもある――のも「雨の日と悲しい日の組曲」に貢献度が高い。
 当のビル・エヴァンズには、明らかに衰えたと感じる場面がたびたびあり、ヒヤリとする。しかし、全体として似た曲調の構成を飽きさせず弾ききるのはさすがというしかない。トータル約三十五分はCDには短いが、「You Must Believe In Spring」つまり、いつまでもメソメソするのも考えものさと、そっと肩を押す感じなのがいい。エヴァンズときわめて親しかった人たち二人のたびかさなる自殺、その悲しみを超えた後世に残る美しい名作といっていいだろう。
 ただ、そうまとめてしまえない気持ちで聴いてきたのが――スコット・ラファロより後の時代の盤では、おそらくもっとも回したような気がする――「You Must Believe In Spring」だ。
 例年より梅雨入りが早いのに雨が少ない今年はあまり聴かないが、今日、回していて思ったことがある。
 親しかった二人の自殺とは、一曲目「B Minor Waltz(For Ellaine)」が捧げられたパートナーのエレイン、そして四曲目「We Will Meet Again」が捧げられている実兄のハリーだ。
 十二年間エヴァンズと同居したエレインは、エヴァンズから別れ話を持ち出された七三年春、地下鉄に飛び込んで自殺。エヴァンズに付き合う形で麻薬中毒になってもいた。別れ話の理由は、別の女性と正式に結婚するため。繊細すぎ心の弱ったエレインとの関係がきつくなっていたこともあるらしい。エヴァンズとは「事実婚」だった彼女は、エレイン・ホロヴィッツという、あの名ピアニストと同じ名字で亡くなった。
 兄のハリー・エヴァンズもまたピアニスト。大学で教える教育活動が主だったが、この盤の録音後の七九年に拳銃自殺。理由は不明なので勝手な想像はできないが、同じピアニストとして、あのビル・エヴァンズを弟にもつこと――ビルはクラシック音楽への造詣もきわめて深かった――はどのような気持ちだっただろうと考えてしまう。ひょっとして没年とされている年が誤っているのかもしれないが、録音時は存命だったとすれば――ビルも数年後に亡くなってしまうことからすればいずれにしても――曲のタイトルは不気味だ。
 この盤の最後の曲「Theme From M★A★S★H」は、別タイトルが「自殺のすすめ」。ロバート・アルトマンの映画のテーマ曲だ。朝鮮戦争時の米軍野戦病院を舞台に、敏腕だがハチャメチャな若い外科医たちが起こすドタバタ劇。瀕死の傷を負った兵士たちの血と肉にまみれた中、下品な冗談を飛ばしながらきったりはったりの手術場面をはじめ、アルトマン得意の、人をくった爆笑と深刻なリアリズムとが騒然とした群衆劇から噴き上げる怪作だ。いったいどういう意図があって、この曲を選んで最後に置いたのだろう。
「You Must Believe In Spring」は、録音から4年も発売が見合わされた。内容が暗過ぎるという判断だったのだろうか。結局はエヴァンズの死後に追悼盤という形で売られている。
 エヴァンズは最後まで麻薬と縁を切ることができず、傷んだ身体を治療もせず、不調のまま演奏活動を続けて亡くなっている。「緩慢な自殺」だという有名ないわれもある。
 身体が壊れていく。ゆえにメリハリよく弾けない。その演奏を「内省的」とか「美しい」というのは、追従だとしてもわびしい表現だ。しかし、身体も精神も崩壊した人間の「肉」からこそ、真の苦しみ、真の悲しみ、そして真の美しさが滲み出すのだとしたら。つまり、内省的でもなく偽善的な美しさもない「音」にこそ、精神という余計なものがない、ただの美しさ、があるとしたら。「緩慢な自殺」は、親しい人を亡くした厭世感ではなく、すべてを、肉から滲み出る音を追うことで破壊していくことなのではないか。そこへ向かって他者を破壊し、自身の身体を壊していき、ついには明朗で流麗な音列は「弾かない」という選択があったのだとしたら……。
 昨夜、初めてモーツァルトの「レクイエム」を演奏会で聴いた(六月十日、東京文化会館)。クラシック音楽はあまり熱心には聴かないのに、ふとしたきっかけからこの曲のCDは十枚くらい持っているが、――だからって、どれがどうなのかはよく分からないが――実演を聴いたことは一度もなかった。
 いうまでもなくこの曲にモーツァルトの姿はほとんどない。自身の断片を残すのみで弟子に完成を託し世を去ったからだ。
 そのせいなのか、宗教曲であるせいなのか、華麗だがうんざりするくどさもあるモーツァルトの音列はあまり出て来ない。
 フィリップ・ヘレヴェーゲ――この人の名は「主に至る道」という意味――と、彼が作った合唱団、コレギウム・ヴォカーレ、そして演奏作品の時代の楽器、もしくはその通りに再製作された楽器で演奏する、シャンゼリゼ管弦楽団。この人たちが、曲のオリジナルな演奏形態を研究して表現する結果が「じみ」だからそう聴こえるのか、それともその方法がモーツァルトの「レクイエム」を演奏する上でもっとも正しいからなのか、キリストへ救いを求めて繰り返される叫びたちは限りなく虚しく、そして美しく、舞台からこぼれ落ちてきた。(ケ)

eMG_9591.JPG


「You Must Believe In Spring」のジャケットは、アメリカの風景画家、チャールズ・バーチフィールド(一八九三〜一九六七)の「Yearning」(一九五一)。現在はニューヨークのD・C・ムーア・ギャラリーが持っている。題からしてむろん「春を待つ」風景なのだろうが、野火で焼け落ちた跡だと長年思い込んでいた。バーチフィールドの水彩風景画、これも「怖い絵」だと思う。www.burchfieldpenney.org
posted by 冬の夢 at 14:09 | Comment(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: