2013年04月30日

ピサネッロ:『聖ゲオルギウスと王女』−−好きな絵#3(前半)


こんなブログでも「『好きな絵』についてもっと書け」という陰ながらの有り難いご声援を送ってくれる人もあり、お調子者を自負するぼくとしては思わず木にも登る気持ちで「第三回」を書く次第。どうか枝から落ちないように温かい気持ちで祈っていて下さい。

今回の「好きな絵」は、好きな絵と言いながら、実は生涯でたった一度しか見たことがない。それどころか、厳密に言えば、もしかしたら「一度も見たことがない」とさえ言うべきなのかもしれない。というのは、その絵の所在がどうしても確かめられず、今となっては果たして自分の目がその絵を本当に見たのか、どうにも心許ない気持ちになるのだから。もちろん、自分としては、「確かにその絵を見た。その絵は、今後もおいそれと見に行けるわけでもないが、北イタリア、ヴェローナの聖アナスタシア教会(Sant’Anastasia, Verona)にある」と心の底から断言したい。その絵を見たことが、決して大袈裟ではなく、ぼくにとっては生涯の「決定的事件」だったのだから。しかし、今ネットで調べてみても、どうしてもそのときの自分の記憶と重ならないところがあり(しかも、それはかなり重要な部分において)、別のところで見た別の絵の印象と取り違えているのではないかと不安になる。むしろ、それは夢で出会った美人のように、この世には存在しない絵だったのではないかとさえ思われてくる。人間の記憶の何と頼りないことか! だが、こうしたことも踏まえて、以下に記してみたい。

ネットで検索すればいくらでも情報は入手できると思うが、この教会について関心がある人は、例えばこれらのサイトへ。
https://www.veronissima.com/sito_inglese/html/tour_verona_churches_anastasia.html
https://en.wikipedia.org/wiki/Sant'Anastasia_(Verona)

そして、ピサネッロの『聖ゲオルギウス』は例えば以下に記すサイトへ(決して危ないサイトでありません、念のため)。百科事典の記述に頼れば、ピサネッロは時代的にはシモーネ・マルティーニにやや遅れるものの「国際ゴチック様式」を代表する、15世紀初頭に北イタリアを中心に活躍した画家ということになる。ヴェローナにはもう一枚彼の代表作があり、フランスのルーブルにも彼の手になる肖像画があるとのことだが、双方とも惜しいことにぼくの記憶には残っていない。
https://www.wga.hu/html_m/p/pisanell/1paintin/stgeorg.html
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pisanello_-_St_George_and_the_Princess_of_Trebizond_(right_side)_-_WGA17874.jpg

この絵を見ることが出来たのは全くの偶然だった。それまではピサネッロの名前すら耳にしたことがなかったし、聖アナスタシア教会の存在も知らなかったのだから。そもそもヴェローナへ行ったこと自体が偶然の産物のようなものだった。(この辺りにも、この話が最初から全部夢物語かお伽噺に過ぎないと自分にも思われてくる遠因がある……)

たまたまボルツァーノという北イタリアの街で会合があり、ヴェローナはそのときのぼくには、ミラノからボルツァーノへ移動する途中の乗換駅に過ぎなかった。日程上運良く一日の空白があることを知ったとき、イタリアを知る誰もが、もしも宿泊するのならミラノかボルツァーノを薦めてくれた。ヴェローナは確かにミラノに比べれば田舎じみた街に過ぎず、ボルツァーノに比べればいささか大味な、ある意味では「荒れて、すさんだ」感じがなくもなかった。(そう思ったのは、泊まった夜にたまたまサッカーの試合があり、街中から贔屓のチームの勝利か敗北を記念する酔漢たちの蛮声が聞こえたせいかもしれない。)

ミラノはともかくとして、ヴェローナ滞在の翌日に訪れたボルツァーノはといえば、街の中心地のメインストリートがまるで大寺院の回廊のようになっていて(イタリア語でporticoというらしい、語源としては英語ならporchに相当;雪国の雁木造と発想は同じだが、さすがに石の文化はスケールが違う)、本当に美しく印象的な街だった。また、後日知ることになるのだが、ぼくが敬愛する大指揮者のカルロ・マリア・ジュリーニが晩年を過ごした街でもあり、その意味でも、もしも機会があるならいつかきっと再訪したいと思っている。したがって、ボルツァーノに可能な限り長く滞在することを薦めた人たちの判断は、今もなお正しかったと思う。しかし、ヴェローナには、そのときは知る由もなかったのだが、ピサネッロの絵があった。そして、ただそれだけのために、ヴェローナはぼくにとって生涯忘れがたい懐かしい街になった。(でも、それがぼくの見た夢に過ぎないのだとしたら……)

宿泊地をわざわざヴェローナに決めた決定的理由が何だったのか、これまたどうしても思い出せない。友人たちが薦めるように、ミラノの滞在を一日延ばすか、あるいは一足飛びにボルツァーノに入っていてもよかったはずだ。ヴェローナに泊まることを決意させた決定打が、まさかジュリエットの生家(極めて疑わしい)の存在のはずがなく、ローマ時代の古代劇場でもなかった。まして、コロッセオには興味はなかった。(とはいえ、「ジュリエットの生家」も古代の半円形劇場も共にちゃっかり見物してきたけれど。)おそらく、ミラノのような大都会にはすでに少々失望していて、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』とミケランジェロの『ピエタ』を見てしまえば、ミラノにそれ以上滞在する理由を見出せず、一方で、まだ見たことのなかったボルツァーノを完全に見くびっていたために、単なる消去法でヴェローナに決めたに過ぎなかったか。

聖アナスタシア教会に足を踏み入れたのも、これも実は全くの偶然。ヴェローナの旧市街を朝からデタラメに歩き回り(そうする間に『ジュリエットの生家』と言われている、やたらと観光客が集まっていた建物にも立ち寄ることができた)、旧市街の中心地からやや外れたところにある古代劇場(ローマのコロッセオよりも美しいとさえ言われる、野外オペラでも有名な円形闘技場ではなく、半円形の純然たる古代劇場)から再び徒歩で中心地まで戻り、ヘトヘトに疲れ切っていたときだったから、電車の発車時間まで人混みから離れて静かなところで休みたいと考えていたに違いない。そんなとき、ヨーロッパの街にいるときは、こぢんまりとした古い教会か小さな美術館に逃げ込むに限る。座る席も存分に用意されており、お手洗いも済ませられ、カフェと違って、慣れない外国語で話さなければならない煩瑣からも解放される。そして、運が良ければ、自分だけの名画に出会えるかもしれない。

もっとも、ぼくの記憶に残る聖アナスタシア教会の入り口は、教会というよりは寂れた博物館のように感じられた。そして、この記憶がとてつもなく怪しい。ネットで見る限り、この教会の入口(ファサード)はかなり壮麗なのだから。もっとも、もしかしたら、ぼくは教会の横の、別の入口から入ったのかもしれないし、あるいは……そしてここからが全部いっそう夢の中の話のような趣になるのだが、建物の内部は、ぼくの記憶では全く「教会らしくなかった」。だから、ぼくとしても、自分がヴェローナにある別の美術館か博物館を聖アナスタシア教会と混同しているのかもしれないと、何度思い直したことか。しかし、その建物は、例えば、ヴェローナの有名な博物館Catstelvecchioでは決してなかった。それはもっと別の記憶に属している。

そもそも、これら記憶の混濁の全ての原因は、ぼくがイタリア語が全くできないくせに、何の下調べもせず、ガイドブックの一冊も持たずに、生まれて初めて訪れた未知の街を運に任せて歩き回っていたことにある。翌日のボルツァーノにまで行けば、予め約束していた通訳の人が待っていて、肝心の仕事関連のことはその人に全てを委ねればよかった。一方このヴェローナは「純然たるお遊び」に過ぎなかったので、ぼくは全てをただの偶然に任せるつもりだったし、実際にその通りにしていた。「外国語での会話は夢の中の会話に似ている。そこには責任がない」とは文豪トーマス・マンの言葉だが、その外国語も知らず見知らぬ街をさまようのは、正に夢の世界の出来事のようだ。もっとも、全ての旅には日常というリアリティが欠けており、その日常性の欠落こそが旅の魅力とも言えるのだけど。

事実、ヨーロッパ、特にイタリアの古都はどこに行っても有頂天になるくらいエキゾチックだ。どんな街もぼくには街全部が博物館に思われるし、歩いている人々が、当然ながらみな「外国人」なので、それだけでも十分にエキサイティングだ。食べ物だって「非日常」だし、喉が渇いてペットボトルを買えば、ボトルのデザインも作りも微妙に違う。話を「街全体が博物館」に戻せば、ヴェローナは事実として旧市街全体が世界遺産になっていて、つまり、そこを当てもなく歩き回っているだけで、それがそのまま「博物館を見学している」ことになり、それなら、「何を見ても面白い」し「どんな景色も見る価値がある」ことになるのが当然の理屈だった。

加えて、ヨーロッパの街というのは、これまた言うまでもなく当たり前のことだが、どこもかしこもが「西洋絵画の宝庫」だ。西洋人が描けばどんな絵画でも西洋絵画なわけで、どの街にも美術館が一つならずあり、つまり、街には絵画が氾濫している。そして古い街になればなるほど、その一つの街だけでも、おそらく一生かけても見尽くすことができないほどの絵画作品があるに決まっている。ちょっと古そうな教会に立ち入れば、新旧さまざまな宗教画が待ち構えていて、やれジョットだ、やれシエナ派だ、やれマサッチオの貴重なフレスコ画だ、果ては無名だが珍しい構図だ、云々と尽きることなく、黴と蝋燭の臭いが立ち籠める薄暗い光の中で、熱心な観光客たちが眼を目いっぱいに押し広げ、ときには涙を浮かべ(必ずしも感動からではなく、単なる眼精疲労のために)、首が痛むのも我慢して、実はあまりよく見えない画面を見つめている。もちろんぼくもそんな観光客の一人だった。

そして、確かフィレンツェだったか、ある街でうっかり入った建物(貴族の館をそのまま博物館にでもしたのだろう)の壁ぎっしりと17〜18世紀の絵画が、縦に三列の状態で、キャプションもなく、まるで雨後のタケノコ、一山三百円のジャガイモのように掛けられているのを見て以来、「西洋美術史はぼくの手には負えない」と、今思えば至極当然のこと(「歴史の全貌を一人の人間が見渡せるはずがない」)を嫌と言うほど思い知らされた(我ながら可愛い時代があったものだ)。ヴェローナを訪れた頃(不惑の年に近づいていた)は、それ以前までの「学習意欲」をすっかり失っていて、「絵画なんて所詮は漫然と見るしかないのさ。ぼくにはどうせ西洋絵画なんてわかるはずがない。知識を詰め込んで、物知り顔をして、知ったかぶりを吹聴するのがせいぜい関の山だ」と斜に構えていた。要するに、西洋文学や美術を長年曲がりなりにも研究してきた挙句に、「西洋」の厚みにすっかり押しつぶされ、自信を喪失し、萎縮しきっていたのだろう。自分の教養の絶望的不足に文字通りに絶望したともいえる。そんなわけで、それまではヨーロッパに行く機会があれば、それこそ貪るように教会や美術館を見て回り、可能な限り「お勉強」をしてきたのだが、ヴェローナを訪れたときには「お勉強はもういいよ。切りがないよ」とほとんど投げやりな気持ちにもなっていた。

そしてそんなときに、ピサネッロの王女様(だが、そのときは王女とは気がつかなかった)の、さりげない、しかし限りなく寂しくも優しい横顔に出会ったわけだ。
「後半」に続く)(H.H.)
posted by 冬の夢 at 23:30 | Comment(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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