2013年03月27日

フォトグラフはメモリー

「記憶写真展」という展示が東京の目黒区美術館で開かれていた(2013年2月16日〜2013年3月24日)。
 目黒区めぐろ歴史資料館が保存していた多数の資料写真の中から、いくつかのテーマにそって一九五〇〜六〇年代の目黒地域の様子や生活を選び、展示したものだ。この地域のアマチュアが撮影したものや、区の広報写真などが素材になっている。
 東京の目黒や世田谷は、農地から宅地へ、そして小規模ながら繁華街を持つ小都市へと、東京の発展とともに風景を大きく変えた地域だ。都市開発があっても川や旧街道の骨組みは残る場合が多いが、この地域は道路も河川もかなり変えられたという。まだ地面が剥き出しのころの写真は、それだけで貴重な記録といえる。
 写真の記録としての価値は、表現でなく記録のために撮られてさえいない、専門性の低い写真に見出せることがしばしばある。美術館の説明にもこのような一文がある。

<写真本来の性質として「撮影しようと思って焦点をあてた以外のもの」もまた写されていて、それらを仔細に眺めることで、ある時代に関する生き生きとした記憶を、時には自分の知らない、しかし記憶としか呼びようのない「あるもの」を呼びさますような、そんな細部にあらためて遭遇することができます。><1>

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 映画化もされたスウェーデンの人気サスペンス小説「ミレニアム」シリーズ<2>で、三十年以上前の少女失踪事件調査のターニングポイントとなるのは、やはり写真のそうした機能に主人公が気づく瞬間だ。事件当時撮影された新聞写真にたまたま写った少女の視線の不自然さを手がかりに、撮影地の現状を調査し事件の核心へ向かう。「撮影しようと思って焦点をあてた以外のもの」に注目し、ネガや昔の写真を発掘し注視することで手がかりをつかむ場面はエキサイティングだが、写真の細部を追う主人公の興奮と、古い写真を「仔細に」見る楽しさは、同じだと思う。
 これらはもちろん「明るい部屋」<3>−−これをロラン・バルトに書かれたことで、現代の写真論は始まると同時に終わったと思うが−−に登場する「プンクトゥム」にほかならない。「記憶写真展」では、バルトが見抜いた写真の「プンクトゥム」の効能を、それと知らず楽しみながら実感できる、ということでもあろうか。
 たしかに、「都市と農村」「街の表情」「道行く人々」などのテーマに分けて展示されてはいるが、もとは何のために何を写したのかよくわからない、つまり「ヘタ」な写真たちは、時代の空気感を追体験できるヒントに満ちていて、とても面白そうだ。いや、はっきりいえば昔の写真は、昔の写真というだけで面白いのだ。写真家が苦労して、子どもの表情を作品にしようと時間をかけて数をまとめたものより、じいちゃんが何十年も前に孫の自分を撮った小さなモノクロ一枚がずっと素晴らしかったりする。他人に見せても背景に写った店の看板が懐かしいなどと喜ばれてしまう。なぜかわからないが、そうなのだから仕方ない。
「記憶写真展」の写真たちは、そもそも「昔の写真」であるうえ、鑑賞する地域の人に親しみのある場所が、いまや遠い存在のモノクロフィルムで写されたものだという、ノスタルジーの層に包まれている。つまり情緒のある事実。なま半可な文学や映画がかなうわけがない。

 ところが。
 展示は予想外に面白くない。
 美味しいとわかっている材料での料理で、調理に過不足がなければ最高のはず。新聞の評もよかった。が……。
 資料写真をただ横一列に並べる調の退屈な展示でなく、堅苦しい額装もなく、各テーマの写真に大小をつけ、インスタレーションのように広がりのある貼り方。写真の内容を知りたければ配布資料とつき合わせる式だ。自前のネガスキャン出力だからと再現品質などの面で断り書きがあるが、気にならない。むしろ、なんでもない写真をとても大きく伸ばして見られるのはいい。
 と、展示のさまからは、仕立ての過不足とはさして思えない。
 同じ展示を見てやはり不満を感じたという友だちがいたが、その人の意見は調理不足を指摘するもの。それぞれの写真が何のことか解りにくく、写真の細部を読み取る例は展示されているが、深みが足りない。写真がどこの何で、いまはどうなっているかなど、もっとていねいに調べ、伝えてほしい。地域のための美術館ならば−−というようなことだった。あながち的外れでなく、目黒区の東端にある美術館で近隣地域はむしろ品川区なのに、目黒区民にしか入館料割引がないなら(イヤミではない)、せめて目黒区民に向けた調査説明をもっとせよ、というところか。
 わたしとしては、資料っぽくし過ぎないのはひとつの示し方かと思い、説明不足だとはかならずしも思わなかった。いずれにしても、面白いはずの写真がなぜこんなにつまらなく見えるのか、それが解らない。
 
 ふと思い出したことがある。
 何年も前だが、日本の美術大学に留学し写真を専攻する、ヨーロッパの、たしか北欧と思ったが、男子学生に会ったときの話だ。
 あちらでも写真を学んでいたというので、日本の学生はどうかと尋ねた。
 日本の写真学生は撮った作品について、これは何かと聞かれると、ほとんど例外なく「記憶」だという。意図や方法を具体的に話さない。それが印象的ですね、と彼はいった。日本に来るまで、写真に記憶が写ると教わったことはないからだと。
 そう、たしかに写真学生のみならず、写真家も「記憶」という言葉をよく使う。自分の作品を見る人の眠っている記憶が呼びさまされたらいい、とか。写真は撮った瞬間から過去へ置き去りにされていくので、写ったものは、記憶、といえるのかもしれない。しかし、いま自分でも書いている「記憶」とは、いったい何の「記憶」なのか……美術館の文にいわく、記憶としか呼びようのない「あるもの」、だというなら、その記憶とは……。
「明るい部屋」でバルトは「プンクトゥム」、つまり「ハチのひと刺し」をもたらす<細部との遭遇>を結論にしてはいない。このキーワードはとても有名だが<4>、本の半分まで行ったところでバルトは写真のプンクトゥム探しを中止し、亡くなった母親とその写真との関係を追求する(追憶を強く含みながら)中で、写真の「狂気」にたどりつく。バルトによれば写真が示すのは−−わたしの解釈だが−−写っているものが間違いなくそこにあった、ということ、そしてそれはすでに死んでいる、あるいは、これから死ぬことが予言されている、ということだ。それが確信できること、確信を写真が写った時点まで時間を逆行して得ること……これはいわば新たな幻想、すなわち写真の「狂気」であるというのだ。
 バルトによれば、社会は二つの方法でその狂気を飼いならそうとする。ひとつは写真を芸術にすること、もうひとつは写真を徹底的に流通させ逆に平凡なイメージの支配者にすること。いずれも写真を文化的なコードに沿わせて安全化する方法だ。
 くだんの外国人写真学生君がバルトを教わったかどうかは聞かなかったが、彼が自国で通っていた美術学校も「写真を芸術にすること」を教えはするが、すくなくとも「記憶」という言葉を安易に使わせて写真を平凡にする場ではなかった、ということだろうか。

 そこで「記憶写真展」だ。
 一九五〇〜六〇年代の都市のようすや、子どもたちの暮らし。この時代の東京にはいなかったわたしにも、子ども時代の記憶がよみがえる気がする。
 しかし、わたしはそのとき、ほんとうに写真を見てそう感じていたのだろうか。
 わたしを子ども時代の記憶の懐かしさにつつんだのは、そこにある写真に写った子どもたちの全体でも細部でもない。わたしは昔の写真に囲まれただけで、飼いならされた写真の鑑賞者になってしまったのだ。見る人が自由に記憶を喚起できるような写真がいい写真なんだよね、とか、アマチュアの写真にはプロが技術だけで撮る写真よりずっと面白いものが写るんだよね、とか何だとか、とてつもなくくだらない、おなじみのお点前をやっていたのだと思う。
「昔の写真」に囲まれると、飼いならされた見かたにはまってしまうこと……「昔」の度合いがわずか(古くなっていない)であることを別にすれば、東日本の震災から今日まで、きわめて多くの写真があった環境は、まったく同じだ。つまりわたしは「昔の写真」が面白くなかったのではなく、怖かったのだ。
 さきごろ写真のことで、ある手伝いをすることになり、出来るだけ積極的には見ないでいた震災をめぐる写真を出来るだけたくさん見て「予習」しなければならなくなった……予習は結果としては必要なかったのに!……ニュース写真、写真家の作品、アマチュアのもの、地元の人たちが撮った写真をまとめた発表ものなど、内容はとわない。
 それらが、写真としては絶望的に面白くないことが、わたしは怖かった。
 なまじ被災地を訪ねる機会があり、写真によく撮られる場所も見たせいか、写真の数が、まるで一種の祭りのように見えてきた。それも怖かった。
 そしてもっとも恐ろしかったのは、面白くないからこそ何かが写っているはずだ、という写真の可能性に賭けてみる気がまったく起きなかったことだ。そのときは、わたしに科学の視線が欠けていて端緒がつかめないのではないか(被災地でしていただいた説明で写真で見てきた眺めの地勢的意味がようやく解って驚いた場合が多々あったから)、と思ってみたり、あるいはプロアマを問わず撮影者があまりに一心に「結果」に向かってしまったがために(事態が大きすぎたということももちろんあるが)、無意味な細部が中心になってしまったような写真が少ないからかと思ってみたり。後者は、携帯電話付属のものも含めいまのカメラが高性能すぎ、バッチリ写ったものばかりが流通しているせいを疑っているが、もちろん前出のわたしの力不足もありうる。いずれにしても、わたしにはまったく手がかりのつかめないものが群れをなして「忘れない」と迫ってくる。なんと恐ろしいことだろう。
 
 ふつうの人が昔撮った、なんでもない写真をよく見ていると、そこに記憶があるのだろうか。
 だったら、ふつうの人がさっき撮った、なんでもない写真には、記憶はないのだろうか。
 写真に写ったこと、すなわち、写真に写したことは、いつから記憶になるのだろうか。
 そもそも、記憶とはなんなのか。
 わたしは、ふつうの人が撮った写真や、昔の写真が面白くないのではない。
 怖いのだと思う。(ケ)

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<1>美術館ウエブサイトの解説。展示チラシにも同趣旨の解説がある。
<2>ハヤカワ・ミステリ文庫/二〇一一年/三部六巻。スウェーデン版の映画三部作もいい。なお作者のスティーグ・ラーソンは小説刊行前の二〇〇四年、シリーズの大ヒットを知ることなく五〇歳で病死。
<3>みすず書房/一九八五年、原著は一九八〇年。
<4>プンクトゥム「punctum」はラテン語で「刺し傷」「小さな穴」。「ハチのひと刺し」は、一九八一年にロッキード事件公判で、田中角栄の元秘書、榎本敏夫の夫人・三重子が、夫が丸紅からの裏金受領を認めていたと証言したときのコメント。もっとも当時のわたしには、後に三重子がいきなりヌードグラビアに登場したことのほうが「ひと刺し」でした、って、「プンクトゥム」とは関係ないけど……。
posted by 冬の夢 at 21:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 カメラ・写真家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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