2013年01月31日

二十四の前奏曲でショパン・リミックス

 部屋でCDを探していると、予期しない発見がある。
 演奏家や曲に興味を持つと関連盤を何枚も買う癖があり、忘れたころに、こんなの持ってたっけというのが出てくる出てくる……。
 クラシックはあまり持っていないつもりが、出てきたのはショパンの「二十四の前奏曲」。サンソン・フランソワの一九五九年録音に始まり、マウリツィオ・ポリーニの七四年録音、マルタ・アルヘリッチの七五年録音盤、イーヴォ・ポゴレリッチの八九年録音の各盤だ。さきごろふと買ったグリゴリー・ソコロフの九〇年録音盤を合わせて五枚。クラシックファンならふつうかもしれないが、あまりクラシック音楽を聴かないわたしには、こんなにいらない!
 たしか八〇年代にフランソワ盤をLPで買い、それでじゅうぶんだったのに、九〇年代になって、クラシックファンの間でフランソワがけなされることが多いのを知り、ほかのピアニストの盤も聞いて納得しようと思った、ような……。
 その間にオーディオのデジタル化が進み、八〇年代には想像もつかなかった方法で聴けるようになった。つまりmp3プレーヤに取り込めば、クラシック音楽をストリートスタイルで楽しめる。そこで、すべての盤をプレーヤに転送し散歩したり喫茶店にいたりするとき、聴くことにした。思いついて、各曲を五人が交代で弾く形、五テイクずつまとめて並べた。LPをかけ換えながらカセットテープに録音するとしたら挫折以前にやる気も起きない作業が、ファイル名を工夫すれば一発で並べ替えられる。
 聴いてみると面白い! 「二十四の前奏曲」はどの曲も短く、演奏が難しい曲もやさしい曲もあり、調性も全部違うので、わたしのようにクラシック音楽があまりよくわからなくても、ピアニストの表現の違いと、それによって曲が表情を変えるさまが聴きとれる。ただ「二十四の前奏曲」は、抜粋して弾くのでなく全体をひとつの曲として表現すべきというのが現代の定説だそうだ。念のため。
 それはともかく、フランソワの演奏と比べながら聴くとポリーニとアルヘリッチはいまさらながら凄い。うまい速い音がデカい。ヌケがいいという表現が正しいのかどうか、濁らない清潔な響き。轟音は轟音、静寂は静寂、メリハリが美しいうえに嫌らしさがない。超合金ロボがピアノに向かっているようなイメージだが、情緒も存分にある。

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 ポゴレリッチはクラシックファンには説明のいらない過激派。クラシックは聴かない人に説明するなら、正眼の構えがルールの御前試合で円月殺法を出したりするタイプ。しかし緩急といい歌心といい、ふだんはジャズやロックを聴いているわたしにぴったり。世に出た一九八〇年のショパンコンクールで、審査員陣の拒絶反応に合い落選したとき、彼を認めないなら審査を降りる! と席をけった審査員はアルヘリッチだったというのは有名なエピソード。だからただの邪道ではない。ただ近年わたしは彼のライブを初めて見に行ったけれど、予想外に大柄で無骨な感じの男で、乱暴といっていいくらいの荒々しい演奏をする人だったので、ちょっとびっくりした。

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 そんなふうに聴いていると、フランソワとてもいいんですが。ダメなのかなこの人は。よくミスするとか弾きやすいようにして弾いてしまうといわれるが、「ヘタ」かどうかは、わたしにはわからない。どこかケムい感じもして、だらしない服装でカフェの片隅で弾いているようなうらぶれた感じもあるが、もしそうだとしたら、わたしはそこが好きなのだと思う。

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EMI CLASSICSのジャケットはひどすぎるので、写真は「ショパン珠玉集」のLP

 じっさい、フランソワの次にポリーニの演奏を並べると、ピアノが倍の大きさになったかのように豊かに感じ、怜悧と表現したくなるフレーズの粒立ちで目がさめる。フランソワが弾くとたちまち、飲んではいけないと医者に言われているがボトルに手を伸ばしてしまいました、という微妙なヘタリ感が……。
 ポリーニの演奏はまさしくイタリアのスーパーカー。あのランボルギーニが爆走するのをイメージさせるが、ランボルギーニがもともと農業用トラクターメーカーであったように、ドドドド、という騒音めいた感じもある。ポリーニ以上に強烈なのがアルヘリッチで、和音はほとんどキング・クリムゾンのリフ! カッコよさは五人の中でナンバーワンだけれど、怖いお姉さんに叱られているよう。ピアノが壊れないかと心配してしまうほど。

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 で、まったく知らず、ほとんと偶然に買った、ソコロフ。
 この人は大問題だ。
 いい!
 ほかのピアニストたちは、演奏者の姿を感じて聴く感覚が共通するが、ソコロフだけは微妙に違う。管弦楽団を聴いているようで、和音とメロディが宙に浮かぶよう。手の動きをイメージすることができない。他よりわずかにテンポが遅いことと、音のタメ具合が違うだけかもしれないが、とても美しく説得力のある演奏だ。

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 それにしても五人が交代で弾く二十四曲を聞きながら冬の街を歩くと、しみじみ憂鬱になってくる! 
 ショパンの前奏曲とは、なにゆえかくも鬱々とした音楽なのだろうか。
 ピアニストがうっかり余計な表情をつけるとモロに昼メロの「いけませんわ」場面のBGMになってしまいそうな曲もあり、ベタな通俗感もないではない曲なのに、夫の不義が許せなかったのよ的な不満より、ずっとずっと深い悲しみが刷り込まれているように思う。
 ちょうど一八三八年のいまごろ、つまり冬のさなかに、この曲は完成している。現在は地中海のリゾートとして有名なマジョルカ島に、療養のため恋人のジョルジュ・サンドと滞在したときだ。ショパン二十八歳。妻でない子連れの勝気な女と同宿している病気の男に、島の人たちは冷たかった。冬でも昼は半袖の気候だが夜はかなり寒いらしい。冷え冷えとした修道院にしか宿がもてず、病状はむしろ悪化していく二か月。
 ある日、買いものに出て大雨にたたられ帰りが夜中になったサンドは、不安の果てに静かに泣きながら美しい曲をピアノで弾いているショパンの姿を見いだす。二十四曲すべてがこのとき作られたわけではないが、前奏曲とは形式を借りただけで、なにかが始まる幸福な含意はないこと、そして冷えこむ冬の街で待ち人もなくひとりぼっちで聴くには向かない音楽であることを、わたしは知った。(ケ)

最終的には二十四人のピアニストが一曲ずつこの前奏曲集を弾いていく「リミックス」版を作るつもりなので、お奨めのピアニストがいたら教えてください。……フリードリヒ・グルダ版があるらしいことを教わった以外、進捗なしです。(二〇一四年十一月六日、全体に手直ししました)
posted by 冬の夢 at 22:23 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ショパンがジョルジュ・サンドと恋の道行きとなったスペインのマヨルカ島のヴァルデモッサに行った事があります。冬に暗く寒いパリを逃げ出して、ショパンの肺病がよくなるだろう、と思って行ったらしいですが、彼らは地中海気候の恐ろしさを知らなかったんでしょうね。冬の地中海沿岸というのはいやになるほど雨が降り、じめじめと寒いんです。ヴァルデモッサはマヨルカ島の中心パルマから車で2時間ぐらいかかったような記憶があります。すごく寂しい田舎にぽつんとある修道院は、暗いイメージでしたね。中に入ると、なんとなく黴臭い感じで、どうしてここが肺病にいいと思ったんだろう、と子ども心に不思議でした(ちなみに私は11歳ぐらいだった)
だいたいカトリックの修道院なんだから、ジョルジュ・サンドみたいな女性には冷たかったんだと思います。修道院はいろいろと薬草の研究をしていたので、病院のような役割もあったのかもしれません。そういう展示も結構ありました。言ってみれば、昔の麻薬製造所みたいなものです。イタリアのフィレンツェにも、サンタマリアノヴェッラという今は香水屋さんみたいになった修道院がありますが、ヴァルデモッサの修道院にも薬草調合の道具がたくさんありました。そして、ショパンのデスマスクもありました。なぜ、ここに?と思いましたが。
マヨルカ島で作曲された前奏曲の中でいちばん有名なのが「雨だれ」ですね。これは雨で修道院に閉じ込められていたショパンがその音を曲にした、といわれています。
話しはかわりますが、大学時代にピアノ愛好会みたいなところに出入りしていたのですが、そのとき男子がいつも狂っていたのがショパン。だれもかれもがショパンを弾いていました。愛好会の文集に「食パン中毒」という文章を載せたヤツがいて、そいつによると、「食パンは体に悪い、食パンばかり食べると人間がダメになるとわかっていても、食パンはやめられない。馬葉は漢方薬になる、と言われるけど、薬臭くてとても食べられない。弁当弁は栄養のバランスがいいと言われるけど、こんな健康的なものはぼくには合わない。だからぼくは今日も食パンばかり食べている」とのこと。もちろん、食パン=ショパン、馬葉=バッハ、弁当弁=ベートーヴェンです。要は、ショパンっつうのは、麻薬なんですね。あまりハマらないように気をつけてください。
Posted by busca at 2013年02月02日 20:12
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