2012年10月10日

「高校軽音部」にちょっとグチって… .

 さきごろ、『「高校生クイズ番組」にどうしても一言』という文をべつの筆者が書いていたが(二〇一二年八月三十一日)、きょうは「高校軽音部」にどうしても──いえ、「どうしても一言」などという大それたものではありません。「ちょっとボヤいてみたくなりました」ということで、よろしくお願いします。
 そもそも「熱血!高校軽音部」という新聞記事(朝日新聞・十月九日)を見てのことなので、実際にどこかの高校の軽音部を見たことはないし、軽音部ですという高校生に会ったこともないので、実態を知らずに強くはいえない。

 それでも「髪は黒・午前7時に朝練・礼儀指導徹底」という記事のサブ見出しには驚かされた。ロックバンドを学校の部活でやっていることにはもう驚かないが、あらゆる高校の軽音部がそうではないにせよ、運動部のようにロックを練習するなんて、ちょっと想像がつかない。
 が、いまの高校生の親たちは二十年ほど前のバンドブーム経験者世代なので、わが子がロックをやることに理解があるそうだし、部活の高校生たちも、練習してコンテストで上位に入るのが励みになっているというから、驚くようなことではないのだろう。
 たしかに、いま日本で人気のミュージシャンたちにも、楽器メーカーやレコード会社などが仕掛けたアマチュア向けコンテスト出身者は多いわけだし、そのほかにも「ダンス甲子園」「写真甲子園」などなど、高校生の文化活動のモチベーションは、さまざまなコンテストで結果を出す、ということが軸になっているから、そういうものに応募して成果を得るという発想がなかった、わたしたちは──昔いっしょにやっていたバンド仲間たちもそうだった──そういう環境にあるいまの若い子たちを、すなおに羨ましがればいいのだと思う。ちなみに記事を担当した記者も、「大人の思惑に絡めとられて、本気のロックができるのか! などと憤るのはヤボというものらしい」とあっさり書いている。

 しかしだね。
 その記事にとり上げられている「朝練、遅刻厳禁、礼儀作法指導」で、今年の某コンテスト都大会で準グランプリバンドを出してもいる都立校の部活顧問は、こうコメントしている。
「『軽音部はアンプを通した吹奏楽部。ロックスピリットを教えようとは思っていない』と言い切る。」
 いったいこの先公、どこのガキだよ、と「ヤボ」を忘れて、あらためて記事を見たら、四十九歳の教員! マジか! わたしよりもやや下だが、世代が近い。
 信じられんというか、なんという余計なことをえらそうに「言い切る」教師だろうか! つ〜か、そもそもこんなことを平然と「言い切る」教師に指導されて、バンドなんかやってて、楽しいか高校生!

 おっと、いけない。
「ちょっとボヤいてみたくなりました」ということなのに、怒っちゃいかんです。
 それに、同じ記事を読んでいて、怒るもなにも、わたしが出る幕ではないなと痛感したのは──すこし寂しい気もした──いまの高校軽音楽部の人気曲は、ほとんどがJポップであり、さらにはアニメに登場するバンドみたいなのになりたい仮想系が人気だということ。記事では、音楽ライターの成松哲の説明として、Jポップが成熟した、ということになっている。成松は、いまの高校生が、好きなアーティストの音楽ルーツを「掘る」ことをあまりしないのが「ちょっともったいないですね」とも語る。

 たまたま、邦訳で六百ページを超えるキース・リチャーズの自伝「ライフ」(楓書店/二〇一一年/訳・棚橋志行)をいま読んでいて、そんなものを読んでいるから、ついボヤキが出るのかもしれないが、六百ページのうち、たぶん四百ページくらいはクスリ漬けになっているキースでさえ、こういっているんですよ……。
 
「俺たちの真骨頂はシカゴ・ブルースだ。その中でこそ俺たちは生きる。あそこが原点なんだ。あのミシシッピ川を見な。どこから始まっている? どこへ流れていく? 源流に向かって川をたどっていくと、シカゴにたどり着くだろう。あそこのブルースマンたちのレコードがどう録音されているかも追跡するといい。ルールなんかなかった。標準的な録音方法から見たら、みんな間違いだらけの録音だ。しかし、何が間違いで、何が正しい? 大切なのは心を打つ音だ。」

 わたしたちがいる社会、つまりこの国は、わたしたちを船に乗せてどこかへ運んで行く。
 社会や国に直接に疑問をつきつけることは、いろいろとむずかしいかもしれない。高校生の分際でそんなことをして、将来がどうかなってしまわないかと不安になるのは無理もないから。しかし、多くの大人が抵抗をあきらめるか、なんで抵抗なんかしなくちゃいけないんだ、と思っているようなこの世の中では、若い人たちが、乗せられてしまっている船への不安や異議を叫ぶために、なにかがなければいけない。それが、ロックなんだ。
 ロックを演奏したり聞いたりすることに、決まりがあることそのものがおかしい。学校や大人が決める優劣など、あるはずもない。

 人生の夕暮れが近づくにつれ、知らないうちに歳をとってしまったと思い知らされることはよくある。それはしかたがないことで、この文でも、高校軽音部の生徒たちに、ことさらになにかいいたいわけではない。
 それにしても、あまりにも未来へ飛び過ぎたタイムマシンに乗ってしまったか、パラレルワールドへワープでもしたかのような、奇妙な感じがする。
 一九七〇年代の高校生にとって、ロックバンドをやることは、なぜあんなに後ろめたかったのだろう。学校では爆音で練習していたわけではなく、飲酒や煙草、バクチなどもしていない。放課後の教室で、アンプにつながないひとつのエレキギターを何人かで、カの鳴くような音で回し弾きしながら、好きなバンドの話をしていた。それでさえ、教室から叩き出される感じがあったのだが……。(ケ)

161014s1.JPG


■二〇二一年十二月二十二日、手直ししました。本題と関係ない話を削りました。主旨は変わりません。管理用

posted by 冬の夢 at 00:25 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
特に聴き込んでいるわけではないけれど、「音楽」というものが好きで(生活の重要な一部とは言える)大体どんなジャンルでも大丈夫、でも絶対ダメなのが日本の民謡と吹奏楽。
高校の軽音部の実態を知らないけれど、「アンプを通した吹奏楽」なんていう教師に指導される生徒たちは可哀相、と思うのは、私が五十代なかばだからであって、コンテストを目標に音楽をやっているのなら、それに見合う「良き」指導をしてくれればいいのでしょうね。
最近の若い人は洋楽を聴かなくなった、それは日本の音楽が成熟したからだ、というのも、よく聞く話だけれど本当にそうなの?あまり聴きたくないJ-popもFMから流れてくると、つい聴いてしまうことがあり、似たようなメロディ・音程がずれてる歌声・下手な作文みたいな歌詞…と、どこが成熟だ!
ところで私はストーンズのことを「偉大なるマンネリズム」と思ってます。これは批判ではなく、その逆。彼らのやっていることが時流とは全く関係なく(キースが語る「シカゴブルースが自分達のルーツ」という確固たる土台)、シンプルだけどオリジナリティを貫いているから、どの時代の曲も古びることがない。彼らを見ていて、いつまでも成熟しないよなと思うのであれば、「成熟する」ということが必ずしも美徳ではないことが判る。
Posted by MYU at 2012年10月10日 20:02
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック