2012年10月06日

竹島=独島、尖閣諸島=釣魚台列島、みんなクソ嘘つきだ!


韓国大統領のパフォーマンスと東京都知事のパフォーマンスに端を発する領土問題の突然の「炎上」に関して確言できることは一つだけだ。「みんなクソ嘘つきだ」ということ。これに尽きる。だから、領土に関するニュースや報道を目や耳にするたび、ほとんど吐き気に近い嫌悪を感じる。嘘つきが語る虚言にウンザリとする。腐臭どころか、肥溜めをはるかに凌駕する悪臭がする。

これらの「領土」に関して正しく考えるためには、難しい議論も細かい事情も、ましては存在はかなき歴史的資料について知る必要は全くない。まともな人間ならば当然持っているはずの良識と常識を働かせれば、それで十分だ。試しにやってみよう。

1)「国境」というものは天与のものではなく、比較的近代になって政治的に決められた文化的/行政的な区分に過ぎない。従って、「固有の領土」というものは厳密には存在しない。さらに言えば、そもそも「国家(国民国家)」というものの成立がせいぜいのところこの数百年間のことだから、この意味でも「固有の領土」というものは存在しない。そんなことを言い出したならば、北海道はアイヌの人々に返さなければならないだろう。朝鮮半島南端の一部は日本に属するか、あるいは逆に、九州の一部(例えば対馬)は朝鮮に属することになるかもしれない。アメリカ(USA)は地上から消失するだろう。

2)近代になって「国境」という考え方が定着した後も、国境の概念は当然「陸地」を第一義としており、「領海」という考え方が定着したのは「領土」に遙かに遅れる。江戸幕府は九州までは自分たちの「領土」と確信していただろうが、蝦夷地や琉球は微妙であっただろう。しかし、ともかく、陸地に関しては自分たちの勢力が及ぶ範囲を自覚していた。そして、話を陸地に限れば、日本の国境は事実上は陸地と海の接するところ、その付近にボンヤリと引かれていたと考えられる。だが、海に関しては、肉視できる範囲を超えて外国の船が航行したとしても、そもそも誰もその事実に気がつかなかったに違いない。そして、黒船が来襲したときでさえ、「領海侵犯」という考えはなかったのではないか。つまり、江戸時代には現代のような「領海」という自覚も意識もなかった。(あまりに当然なことだが、今は「常識」の働きを確認しているわけなので、ご容赦願いたい。)

3)「領海」という概念が不安定であった以上、本土から遠く離れた外海に浮かぶ無人島なぞは、外海そのものとほとんど何の区別もなかったに違いない。つまり、尖閣諸島や竹島のような、日本語を話す人間が常住していない無人島に関しては、それは「誰のものでもない島々」と見なすしかなかったはずだ。これらの島々の「使い途」はせいぜいのところ、航海の際の目印か、嵐のときの緊急避難地であり、それらの用途は異国の人間にとっても全く同じだったと容易に想像できる。そこに島があることはお互いに承知していた。しかし、その島はお互いの本土からあまりに遠すぎて、基本的には人が住めず、利用価値はあまりに少なかった。だから、誰もそれを「欲しい」とは思わなかった。繰り返すが、それは「誰のものでもなかった」し、「誰も欲しいとは思っていなかった」。

4)日本、中国、朝鮮の3カ国の中では、日本が真っ先に「西洋化」に成功した。そして、真っ先に海軍を整備し、「領海」の近代的意義を真っ先に理解した。そこで、国土拡張の意図の下に外海に浮かぶ無人島を真っ先に「自国の領土」に組み入れた。日本から言えば、「早いもの勝ち」ということだが、それは歴史的時期としては日本の露骨な帝国主義の時代と一致する。しかし、「領海」の意味も不安定なときに、両国の本土から中間地点に浮かぶ無人島を「自分のものだ」と言い張ることと、明らかに外国語を話す人々が住んでいる土地に侵攻することは、クソとミソくらいは違う。せいぜいのところ、水晶や翡翠を取りに来て、一番乗りした乱暴者が独り占めしてしまい、それを見て「独り占めしてずるい!」と叫んでいる図だろう。クソとミソを混同するのは、たとえ被害者の立場からの糾弾だとしても、かなり見苦しい。

つまり、要点を簡単にまとめれば、竹島も尖閣諸島も本来は「誰のものでもない」。これが唯一正直な発言だろう。それなのに、関係国の全ての政府、ほとんどのマスコミが異口同音に「我国固有の領土」と言う。バカバカしくて聞いていられない。「島がそこにある」と気がついていたことは(つまり、何らかの資料に名前が記載されているようなこと)、その島が自分たちのものであることの何の証明にもならない。そんなことが許されたら、例えばキリマンジャロやチョモランマのような高山の所属は大変なことになってしまう。いや、そもそも、中国は日本列島の存在を知っていたし、日本は中国大陸の存在を確かに知っていた。しかし、言うまでもなく、存在を知っていることはそれを所有することとは全く関係がない。

本来「誰のものでもない」ものの帰属・所属を問題にするのだから、全てを最初からやり直すしかないし、良識を働かせれば、「半分ずつ」しか解決はない。こんなことは幼稚園児でもわかりそうなことだが、それが国際政治の場になると、途端に戦争にまでエスカレートしかねないのだから、その愚、限りなし。

最後に、一つの島が二つの名前を持つ現象について(例えば、竹島=独島)、あるいは一つの海が二つの名前を持つ現象について(例えば、日本海=東海)、またまた両国のバカな政府、マスコミ、さらにネトウヨが騒ぎ立てるのを横目に、極めて「常識的」なコメントを残しておこう。

国境に位置する目立った自然物、つまり、山や河に対して、それぞれの側から別々の名前が付されることは、これまた極めて自然なことではないか。あの海は日本から見れば「日本海」であり、韓国=朝鮮から見れば「東海」である。これに何の不都合があるのか。事実、チョモランマ=エヴェレスト=サガルマータは複数の名称を持っている。竹島=独島も同様だろう。それぞれが勝手に自分たちの側から見た名前をつける。どうぞご勝手に。それで何かがひどく不便になるわけではない。そもそも「日本」という名称でさえ、ニッポンだったりニホンだったりするくらいだ。そして、困ったことに、英語での名称はジャパンだ。これは中国にしても韓国にしてもほとんど同じ状況にある。大韓民国の英語名がコリアでいいのか? 中華人民共和国の英語名がチャイナでいいのか? だったら、日本海=東海の英語名がジャパン・シーだろうがイースト・シーだろうが、So what?  英語名が何だろうと、それぞれ未来永劫「日本海」とか「東海」とか勝手に呼び続ければいい。そして、それこそ文化と呼ぶに相応しい営みである。固有の文化を持つということは、つまりはそういうことだ。一方で、古くから続く地形を変え、古くから続く地名を消してしまう愚を繰り返す愚かな政治が、国境の地名で大騒ぎする偽善、欺瞞。憤慨のあまり、吐きそうだ。
(H.H.)
posted by 冬の夢 at 15:13 | Comment(1) | TrackBack(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヒア、ヒア!(半角英数字のみのコメントは受け付けません、と出たので、カタカナで書きましたが、本当は、Hear,hear! と言いたかったです)
Posted by busca at 2012年10月08日 13:37
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