2012年10月05日

麗水と順天とタイタニック ─ 古くて新しい日韓問題【改】

 ことし(二〇一二年)の夏、韓国南沿岸の麗水で「万博」が開催されていた。ご存じだろうか。
 題して「麗水世界博覧会(EXPO 2012 YEOSU KOREA)」。テーマは「生きている海、息づく沿岸」、サブテーマが「資源の多様性と持続可能な活動」という、海洋博だ。一〇四カ国が参加したそうだ。

 五月の開場後まもなく、日韓領土問題に関連したトラブルが起きた。

 共同通信(日本)の記事によると、「独島」を韓国領土とし、「日本海」を韓国が国際的呼称と主張する「東海」と記した、展示の存在が判明。日本政府は抗議し、撤去を申し入れた。

 中央日報(韓国)の日本語ウェブサイト記事※1では、その展示は「海洋ベスト館」──日韓はじめ各国で展示するテーマ館──の、総合海洋科学基地模型だという。
 模型には韓国領の鬱陵島近くと示されたが、展示スライドに「独島海洋科学基地」と記されていたとのこと。その中央日報の記事は、「日本政府は東海を『日本海』と主張している」とも報じている。

 日本政府の抗議は受け入れられず、展示変更はなかった。そこで日本政府は、六月二日の「ジャパン・デー」の公式式典に、政府幹部職員を派遣することをとりやめた。
 この事態を、同日付の中央日報・日本語ウェブサイトは、こう伝えた。
「日本政府が1日、麗水(ヨス)万博の展示物に難癖をつけ、予定されていた政府高官の万博派遣を中止すると明らかにした。」※1

 翻訳の問題だとしても、「難癖」を平気で使う感覚には、さすがに呆れるが、ふつうの韓国人の感覚では当たり前のことなのかもしれない。というのも──。

       ♪

 ソウルの地下鉄駅の通路に、このような展示がある。わたしは去年(二〇一一年)見たが、もっと前から置かれていたようだ。
 どんな人が見ていくか興味があり、滞在中なるべくここを通るよう、地下鉄を降りたり乗り換えたりしていた。

 東京都心の地下鉄駅に、なにか展示があっても、足をとめてじっくり見る人はあまりいないだろう。しかし、ソウル中心部の地下鉄駅は東京のように混雑していて急ぐ人も多いが、この展示に熱心に見入る人を意外なほどたくさん見かけた。子どもに話しかけながら見る若い親御さん(らしい)など、誰もが注意ぶかく見ている感じがした。

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写真をクリックするとすこし拡大します

 韓国語ができず、訊ねることはできなかったから、見ては想像するだけだが、何度か行っているうちに、つらくなってきた。
 こんなものを設置して反日感情を扇動し続けるとは、という困惑もさることながら、市民も、わざわざ喚起されずとも展示の訴えかけはよく知っていて、確認の意味で見ているらしいと気づき、さらにしんどくなった。

 展示から、韓国の対日意識の根本に「忘れない」という怒りの感情があることが伝わってくるのだ。駅利用客がこの模型を囲んで見ている様子は、海底火山が怒濤の噴火をするシミュレーションを見ている人たちのようにも思える。
 実際、二五〇万年ほど前に完成した火山溶岩による、二つの小島部と多数の岩礁で形成された島域なのだが、その由来を受け継ぐかのように、はじめから感情が沸騰しているから、日韓問題について日本が指摘したりすると、なにごとも「難癖」で、そんなものはたちまち撃退できる、とケンカ腰になるわけだ。

       ♪

 周辺漁業については後で書くが、いまのところ貴重資源はなく、生活できる場所でもない──韓国はたしか「夫婦」ひと組が「居住」していると主張していたが────東京の日比谷公園ほどの岩の島。「岩」というか「島」というかで、また問題が生じるそうだが、それはともかく。
 ソウルの地下鉄駅に展示された模型は、この岩の島を実効支配と称して占拠していることを、正当化するプロパガンダではないのか。
 もちろんそうだ。
 関連資料すべてを簡明に説明し、どちらの帰属が正当かはっきりさせてからいえ、というかもしれないが、その必要はない。
 この場所は国際法上、日本の領土である。それが「現状」だ。さらに、歴史的に韓国の領土と断定はできない、というのも「現状」である。
 知られているように、韓国政府は、領土問題は存在しない──議論の余地なく韓国領である──としているが、議論すべきことがないというなら、「現状」はあくまで日本の領土であるという状態であって、それは動かない。

 両国政府が帰趨を望む場合は、日本政府が主張する国際司法裁判所への付託ではなく、アメリカの裁定によって結論を出し、それを受け入れる、という選択が必然だ。
 というのも、この領土問題の原因は、太平洋戦争の戦後処理と以後の対応におけるアメリカのいい加減な態度にあり、しかも、それにつきているからだ。
 ということは、アメリカは、わたしたち両国の戦略上の親分でいたいなら、子分のモメごとは均しておかなければならない。それは、親分のすべき役目だ。
 わたしたち両国は、この問題で互いに文句をいい合っていても仕方ないのだ。本当に文句をいわなければならない相手は、アメリカなのである。

 これも知られているが、韓国政府は国際司法裁を解決の舞台とすることに応じない。また、アメリカを裁定役に結論を出すことも求めないはずである。いずれの場合も、実行されると困るのは韓国政府である可能性が高いからだ。
 つまり、ソウルの地下鉄駅の展示は、現時点ではあくまで、韓国政府側の「あおり」であり「難癖」なのである。

       ♪

 だが、わたしは、こんなふうにも思っている。
 この模型は、そして、模型になった岩の島は、そもそも「ことば」が、結晶あるいは碑のように具象化した存在なのだと。
 範囲のわかりにくい野原や海面ではなく、海中からけわしく立ち上がった、とても小さく、そして尖鋭な岩々。噴火した海底火山の溶岩が、海面上に固まった孤塁。
 そのまことに象徴的な形ゆえ、「忘れない」ということばが凝固したオブジェとして存在しているのだ。
 
「忘れない」は、太平洋戦争中の日本の行動に対してのみ向けられたものではないはずだ。
 敗戦国となったにもかかわらず、戦後処理をうやむやにし続けている──という印象を韓国一般市民に与えている──日本にも向けられているし、さらに、敗戦国民であるにもかかわらず、戦後も長く韓国人差別をやめなかった──昨今むしろ一部でそれを増幅しようとする動きさえある──日本人への感情も、含まれているに違いない。
 
 この模型から「忘れない」というメッセージを発信するなら、どの時点を「忘れない」か明示しないと、領土問題について主張するつもりなら、正当ではない。
 しかし、おそらく両国間の紛争のほとんどあらゆる場合において、この「忘れない」が、問題の全体をおおっている。
 わたしは「忘れない」といわれている側なのに、忘れているどころか、知らない場合さえ多々ある。
 おなじ日本人の忘れっぽさをつねづね非難しているくせに、自分の忘却度や無知度は、かなりひどい。そして、そこから避けがたく起きてしまう感情のずれの大きさが、ソウル中心街の地下鉄駅に立ったわたしを、暗い気持ちにする。

       ♪

 許すだけ。忘れない。

 たしか李明博も、そういったはずだが※2、そういったとして、これは李明博が初めて使ったものではない。
 いまもアジア各国の、太平洋戦争で日本に支配されたことがある国でよく出くわす、キャッチフレーズのようなことばだ。
 日本の統治を受けた人たちが語った記録の中にも、しばしば出てきて、わたし自身そういう国の歴史博物館などで、音声や展示などで接した経験がある。
 
 とても多くの人が、「忘れない」といっていることを、お前の記憶違いだとか、こちらは「忘れた」もしくは「忘れてくれ」ということはできない。
 まして、相手が「忘れない」ことを、こちらがした場合、感情面での「許す」は求めうるかもしれないが、起きた事実を消すことはできない。
 太平洋戦争時の日本の被統治国では、歴史研究や展示広報に被害者バイアスがあり、事実が歪曲されていると、日本の愛国者たちはよく、そう批判する。
 だと思うなら、日本側の「誇張されていない」資料を、ちらっと見るだけでいい。日本側当事者たちも認めていることのどれでもいいが、どう控えめに見ても、自分がやられたら、とうてい「許せない」ことが行われていたことがわかる。
「許すだけ」ということばには、「許さない」という感情がこめられている。だから「忘れない」、なのだ。

 ならば、韓国の主張を全面的に受け入れ、この岩の島を使った韓国の勝手な線引きを、反論も代案もなしで受け入れるべきだろうか。

       ♪

 この領土問題はそもそも、なぜ問題にしなければならないのだろう。
 いい換えるなら、この領土問題の具体的利害とは何か。
 それは漁獲だ。
 漁業交渉問題であって歴史認識論争ではない。

 排他的という語が使われる、自分だけ好きに漁ができる──ひょっとして資源が出るかもしれない──水域。それが欲しいから、相手を排除する「領土」問題が起きる。問題を「起こす」といったほうが正確だろう。
 そのさい話を自国に有利にするには、関係国のみならず国際社会にも有無をいわせないように、歴史を援用した説得力が必要だ。
 しかし、この問題を起こそうとする誰もがわかっていると思うが、ことの決定はたいてい、歴史的な累積背景によってではなく、ただ一点の歴史的瞬間に決まって──決まってしまって──いるのだ。いったんハンコをついたじゃないか、それをチャラにするのはたいへんですよ、という話だ。
 もちろん、短慮で判を押しただけではなく、さまざまな圧力に屈したから、という場合もあるのだが、いずれにしても押印を帳消しにするには、国民の政府支持を強め、世論と政治を合体させて国際社会を納得させなければならない。
 となると、国論形成のもっともてっとりばやい形式は、国民に知的検証を共有させることではなく、端的に相手を憎ませることだ。対外的問題にかぎらず、国民精神動員がおこなわれた結果としての国論は、しばしば政治的なシコミにすぎないことを、見のがしてはいけない。

       ♪

「資源の多様性と持続可能な活動」をアピールする国際万博が開かれているのに、その近くの海に、自然への敬意や怖れを感じない紛争がある。自国に有利な漁獲目的でもめているうちに、自然から叱られてしまうのでは、という気分になってしまう。実際この海域では、乱獲による資源減少問題がどんどん大きくなっていっているという。

 こうなると、いっそこの岩の島を韓国に「あげる」から、韓国は「資源の多様性と持続可能な活動」という海洋博を開催していることにそった、将来性ある世界各国共有の営漁水域を設定・管理する交渉を立ち上げるべきだと、いってみたくなる。
 もともと韓国のもので、領土問題は存在しないのだから、「あげる」はおかしいと「難癖」がつくかもしれないが、日本はとにかく自国領土という現状を放棄するのだから、じゃあ、いらないんですね、といっておけばすむ。

 おそらく、いやもちろん、それで両国の戦後問題すべてが片づくはずはない。
 日本人も忘れてはならない「忘れない」。これが存在し続ける限り──永遠にということになるが──その「忘れない」を、韓国政府が政治や外交で使ってくるパターンは繰り返されるだろう。そのたびに韓国の国民感情があおられ、動員されるに違いない。
 たとえそうであっても、両国間にある棘(とげ)、あるいは靴底の石のようなもの……双方ともに不快なので、つい相手をいきなり憎悪する感情動員にかんたんに乗ってしまう、そのような固形物を根気よく、一つ一つ取り除いていくならば……それだけを思っている。

 こういうことを、韓国で出会った韓国の人たちに話してみたことはない。
 留学生など若い世代は、ざっくばらんに話し合うことがあるのかもしれないが、日韓問題で、韓国国民が当然だと思っていることに対し、日本の「いいぶん」をうっかりいうと、冷静な知識人でも突然、爆ギレすることがあると教えられていたからだ。
 先方からまれに「政治は政治、文化は文化」──よくいわれる「経済は経済」のもじりか──といわれたことはあるが、きちんと話題にした経験はない。教養のある人と話す機会は、勝手のわからない韓国を仕事の用で訪れ、世話になっている場合しかなかったせいもある。

       ♪

 この文を最初にアップロードしてから、かなり後に、「竹島の譲渡または放棄──将来のための一つの賭け」を提案している人が、日本人の国際法・領土問題の専門家にいることを知った。
 その提案は『日本の領土』(芹沢健太郎/中公文庫/二〇一〇年)で読むことができる。二〇〇六年発表なので──二〇〇二年発表の本文「補遺」の形で文庫に収録──わたしが苦しまぎれに思いつくよりずっと早く、専門的に提案されていたわけだ。

 重要なのは、著者は本文で、網羅的な研究の結果「竹島に対する日本の実効的支配」は「平穏」に有効であって、「歴史的に韓国に属すべき正当な理由は見出し難い」と、明確に結論づけていること。
 そのうえで「日本人が韓国人との和解の印に、日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め」るという提案をおこなっている。

 その提案は「日本人が韓国人との和解の印に、日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め」るというものだ。
 さらに「漁業資源の保全のため日韓がそれぞれ資源管理を進めることができるように鬱陵島と隠岐諸島を起点として排他的経済水域の境界画定を行う。そして竹島は自然に戻し、自然保護区として一二カイリの漁業禁止水域を設け、すべての国の科学者に開放する。日韓でこうした内容の条約を結ぶのはどうであろうか」という付帯条件も示されている。
 
『日本の領土』の著者は、韓国は日本が求める法的処理に乗ってこず、領土問題が歴史認識にまで「拡大してしまっている」と、はっきり批判もしている。
 ただし、このようにもいう。日本の竹島編入は日露戦争の最中で、それに続く国際状況を「周到な外交交渉」で泳ぎきった日本は、周知のとおり一九一〇年に韓国を併合した。「だから、韓国人にとって竹島がその後の日本の韓国支配のシンボルなのである」。そして、その時代の世界情勢に認められた日本の韓国支配は「当時の国際法からすれば(略)辛うじて合法性を持ち得たとしても、遂に正当性を持ち得なかったのである」と。

「この提案には韓国、日本双方から反発がくるだろう。しかし、お互いに未来に賭けてみてもいいのではないだろうか」──たしかに、どえらい「賭け」だが、それは明瞭な論理に基づいて、あきらかにひとすじの曙光を感じさせながら、導き出されている。

       ♪

 ソウルにある、この模型の隣に、わたしたちが、なにか模型を置くことはできないだろうか。
 ソウルの地下鉄駅構内で、この模型を繰り返し見た日からずっと、そう思い続けている。
 わたしたちのことばが結晶している自然造形が日本のどこかにあれば、その模型がいいが、とにかく、わたしたち日本人の「ことば」を象徴するオブジェだ。

 こちらの「ことば」を象徴する造形といっても、その「ことば」は、売られたケンカを買うための「ことば」ではない。
 何かをシカケられ、その反論は「撤去せよ」、そういう応酬ではない「ことば」だ。

 相手も「未来に賭けて」みたくなる「ことば」とは。
 むろん日本政府がいう「未来」とは、ちがう未来のための「ことば」であることは明白なのだが、なかなか思いつくことができない。こういうとき気のきいたことがいえればいいが、キャッチフレーズではだめだ。自分の案をむやみに出すのはやめにした。

 かつて、相手の国に骨を埋めるほどの深い理解と尊敬を基にした、大人(たいじん)どうしの交流が、われわれ両国にはあったそうだ。そういうところから出てきそうな「ことば」なのだが、いくつか考えては、どれも浅くて、消してしまう。
 もちろんわたしが小人(しょうじん)だからだけれど、相手を知るには相手の言葉を知れ、という、つき合いの基本が、わたしにまだまだ欠けているからに違いない。

       ♪

 麗水には行ったことがないが、そのすぐ北の順天なら、行ったことがある。

 釜山から行ったが、空港へ迎えに来てくれるはずの韓国の人たちが来ない。
 車の故障だったそうで、わたしへの連絡手段がなかったのだが、到着口に来てくれているものと思い込んでいたわたしは、釜山からかなりある訪問地の連絡先をろくに確かめておらず、到着客が出払った出口で困りはてていた。
 そんなわたしを助けてくれたのは、日本語で話しかけてきた、おそらく地元の若い女の子。旅行の仕事がしたくて日本語を習ったそうで、わたしが適当に記憶していた訪問先を探し当てるまで、あちこち電話してくれた。

 それは二〇〇一年のことだ。
 教科書問題で日韓関係が悪化、日韓交流事業がつぎつぎに中止・延期となり、まさにその交流事業のひとつで韓国に行って大丈夫なのかなと思っていたときの話だ。
 顔も名も忘れてしまったあの女の子も、どこかの旅行会社に入社したなら、もう偉くなっているだろう。ほんとうに助かりました、お礼がしたい、といったら、ちょっと警戒の表情を浮かべてから、日本のファッション雑誌がほしいです、というので、後日あれこれ送ってあげたことを思い出した。

 あれから再訪したことはないが、当時の全羅南道は、とても田舎だった。
 夜の交歓行事で、巫女さんの祭祀を見せてもらった。現代も続いている、古代伝統神の神がかり、交霊などの呪術だ。国が文化的価値を認めてもいる。

 登場した巫女さんは、日本でいう重要無形文化財にあたるという偉いかた。だが、とてもさばけた人で、儀式をやりながら、いまは写真撮ってても大丈夫ですよぉ、などと教えてくれる。

 そして、いよいよ魂をお迎えするのだったか、正確な段取りは忘れたが、ここからは写真は撮らないで、といわれたその瞬間に、暗闇の彼方で犬が吠え始めた。韓国の田舎は闇が深い。
 そうしたら、たちまち闇の遠くから近く、そこらじゅうで犬どもが激吠え! 悲鳴のような遠吠えが止まらない!

 同じ夜、招いてくれた韓国の人たちと「タイタニック」という猛烈なイッキ呑みゲームをすることになった。自分が負けてイッキするハメになると確実に死んでしまうから、早々に逃げ出した。
 犬の遠吠えがおさまり、カエルの声が響き渡る暗闇に、わたしを呼ぶ笑い声と、宴席の放吟が溶けていった。忘れられない楽しい思い出だ。(ケ)

121005TT.JPG 
1.ビールを特大ジョッキにひたひたに注ぐ
2.小さいグラスを浮かべる
3.そのグラスに参加者が交代で焼酎やウイスキーをほんの少しずつ注ぐ
4.グラスがビールに沈んだ瞬間、みんなで「タイタニック!」と叫び、沈めた人が負け
5.負けた人が大量の混合液を全部、飲まなければならない。
「忠誠酒」とともに、韓国ではよく知られた宴会ゲームです。





※1 japanese.joins.com/article/074/153074.html

  『日本の領土』芹田健太郎/中公文庫/二〇一〇
  『「尖閣問題」とは何か』豊下楢彦/岩波現代文庫/二〇一二
   などを参考にしました。

※2 よく知られていることだが、韓国大統領は任期が終わりに近づき国民の支持が弱まった場合、対日強硬姿勢をことさらアピールするのが通例だ。


Originally Posted at 2012-10-04 09:37:29

■二〇二〇年三月二十三日、全面的に書き直しました。初掲載以降現在までの日韓関係──悪化の一途をたどった感がありますが──を含めた手直しはしていません。管理用

■べつの筆者「H.H」による記事「竹島=独島、尖閣諸島=釣魚台列島、みんなクソ嘘つきだ!」は→こちら
■べつの筆者「H.H」による記事「古くて新しい日韓問題」は
こちら


posted by 冬の夢 at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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