2012年09月13日

デジタル一眼レフが欲しい話が盛り上がらないこと

 カメラを買いたい。
 で、このカメラがいい、いやそれはよくない…という床屋談義で、このブログも盛り上がるはず、だったが…。
 このブログ、どんな経路で読者が訪れているか。
 断定はできないが、ヘッドホンやFMチューナーなどガジェットに興味があり、べつの筆者が書いている記事を検索で見つけた場合も多いようだ。
 であれば、ちょうど筆者たちも共有する「カメラねた」を熱心に書けば、もっと多くの人が読んでくれるかな〜とも思って…いやべつにアクセスが増えることだけを期待しているわけではないが。
 少年時代に高嶺の花だったフィルム一眼レフを中古で探して買い、生まれて初めて使ってみたいが、いまや完全にデジタルカメラの時代。その進歩はすごい速度で、新製品が出るたび性能アップだ。結果、フィルムカメラ時代には想像もつかぬ撮影が可能なのだから、それを同時代で体験できる喜びを経験しない手はない。
 たまたまプロカメラマンの知人がいるので、最新デジタル一眼レフについて、カメラ雑誌の記事やマニアがネットに書き込むのとは違う評価が聞ける。といっても、目星をつけたカメラが最高機種を使うようなプロでも許せる性能かどうかだけで、彼らの返事はたいてい「イケるんじゃないですか」とおおざっぱだ。これは現在のデジタルカメラの多くが十二分に高性能だということ。たとえば初心者が子どもの記念写真を撮るような「ママさん向け一眼レフ」の画質が、プロの仕事でも通用するという。そのくらいのレベルまで来ているわけだ。
 わたしの場合カメラ選びは鍋釜を選ぶようなもので、プロの料理人がいいといえばそれでよし。
 プロの鍋釜すなわち最高の道具ではなかろうし、使えばプロの料理が出来るわけでもない。が、ナベがダメだから料理が作れない、というイイワケは、とりあえずできなくなる。そこから始めたいわけだ。
 フィルムカメラ時代なら、ライカだハッセルブラッドだと、最高級カメラが写りもやっぱり最高とされたのが(逆にアマチュア向けカメラしか持っていないから写りも悪いとイイワケできたのが)、いまやママさんカメラがプロレベルで通用するのだから、カメラは関係ない。写真を撮りゃいい。
 そのせいかどうか、わたしよりカメラに凝っている別の筆者とメールでやりとりしても、デジタルカメラの話題はいっこうに盛り上がらない。
 ふと思い当たった。
 デジタルカメラを買うことって、人生の残り時間を数えなくちゃいけないような、つまりカメラ選びと人生設計を同時にさせられるような、そんな感じがしませんかね。
 技術進歩が速いというのは、買いたての最新カメラがたちまち古びるということでもある。JPEGだとかTIFFだとかいう規格は自分が死ぬまで有効なのか。ハードディスクに入れっぱなし、メモリにため込みっぱなしの画像は、死ぬ前にもう一度見たいと思ったとき使えなくなっていたりすることはないのか……。
 フィルムカメラの場合、よいものを引き当てると一生つき合うことができた。カメラの素晴らしさ(正確にはレンズのだが)を発揮すべくフィルムが開発されていたからだ。
 デジタルカメラの場合、撮像センサー、つまりフィルムの進化に合わせてカメラやレンズが設計される。センサーが高性能になればより高品質の画像が記録できるということで、カメラや規格も新しくなってきたのだ。
 今世紀初め、デジタル写真はフィルム写真に追いつこうとしていた。いま、デジタル写真はフィルム写真を超えたそうだ。ママさんカメラでプロもOKだ。
 デジタルカメラの機能をすべて覚える必要があるのか。とくに覚えなくても写真が撮れるなら、さまざまなカメラの機能の良否を比較して選ぶ意味があるのか。デジタルならではの機能が進化の途中だとすれば、進化が完了する頃には自分は死んでいるのではないか、あるいは死ぬ直前に、もっと凄い機能が現れるのではないか。
 それよりも。
 自分はあと何年、カメラやパソコンが新しくなること、OSがジャンプし旧モデルが使えなくなってしまうような出来事につきあえるか。そもそも新しいカメラやパソコンをそのつど買い換えられる経済的余裕が将来の自分にあるのか……いや、これはカメラの問題でなく政治の問題だろうけれども。
 世界のトップに立つ「ものづくり」−−ニコンがかつて旧海軍戦艦の大砲照準儀を造っていた時代から、光学機器は、日本の誇りという看板を背負ってきた。「ものづくり」時代の少年たちは、そのありさまに興奮していればよかった(*)。
 この「ものづくり」という言葉が、ひどく粗雑な用法で時代の閉塞感を救うスローガンとして叫ばれているいま、「つぎ」の「新しさ」はむしろ不安になる……いまあるものが続いてほしいこと、「最新」という言葉をウソっぽく感じること−−いやはや、新しモノ時代の申し子であるわれら「新人類」世代も、いよいよ頑迷保守ジジイになったわけか!
 そうなるつもりは絶対にないのだけれど、ともかく、どのデジタルカメラを買うか、って話になるとなぜか、ライフプランとか傷病老齢保険とかを外交員と相談したりしているときの、なんとなく明日にも大病したり死んだりしそうな気分になってくるんですよ。よい未来の話なのに、老いが実感として迫ってくる。
 だったらデジタルでなくフィルム一筋で行けばいいじゃないか。
 と簡単に言える人は、最近カメラ売場に行ったことのない人だ。
 フィルムカメラの姿はほとんど見当たらないし、フィルム売場も姿を消した(量販店には冷蔵庫が並んだフィルム売り場はもうないでしょう)。
 なら中古カメラ店に行けば、昔あこがれた高級カメラがウソみたいな値段で買えるじゃない、というが、動作に信頼があり今後もなんとか修理のきくカメラは、かなり限られるのが実情だ。またしてもライカだニコンだという話になってしまう(それはライカやニコンこそが製造後何十年たっても問題なく稼動するカメラをちゃんと作っていたのだ、ということでもあるが)。
 いっぽうフィルム現像やプリントも、これだけ流通が減ってしまうと、DPE店に出せば楽勝というわけにもいかない(だいたいアマチュア向け現像プリントの路面店も、もうないのでは)。いっそ自分でやる楽しみもあるが、いまの時代にマッチしない。つまり自分のウチが環境劣化の拠点になってしまう。「銀塩写真」というくらいだから。
 かくして、デジタルカメラで人生の残り時間勘定に苦しめられる一方、フィルムカメラでは、そのつもりがないのにフィルム写真を死守する、老兵の塹壕戦になってしまう。
 カメラ、どうしましょう。
 デジタル一眼レフがほしいよ、と、プロカメラマンの友だちに言い、カメラ趣味が他の筆者にあると知ってメールなどで「談義」を試みるようになってから、もうずいぶんたつのだが…。(ケ)


*そういえばバンドで使われている楽器を見ると(舞台を見れば一目瞭然)、デジタル鍵盤楽器に書かれたロゴはすべからく日本メーカーのもの。アナログのエレキギターは、ほとんどアメリカのメーカー。たぶんこの図はわたしが死ぬまで変わらないだろう。それはそれで興味深い。
posted by 冬の夢 at 00:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 カメラ・写真家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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