2012年08月15日

八月十五日の原節子 「決戦の大空へ」

 六十九年前の八月十五日に土浦海軍航空隊、すなわち「予科練」を卒業する少年たちを主人公に描かれている、海軍省検閲済・情報局国民映画「決戦の大空へ」(一九四三年)を見ている。DVD化されていて、簡単に見ることができる。
 一方に練習生たちの訓練風景をドキュメンタリー風に配しながら、一方に「クラブ」と呼ばれ、「上陸」つまり休暇日に練習生たちと交流する近隣家庭の出来事を描写するこの劇映画、練習生たちのまじめな明るさを全面に押し立てて話が進む。
「クラブ」となる家は、母と娘二人に、体が弱く不器用で勉強嫌いの男の子「かっちゃん」こと克郎の四人暮らし。上の娘、杉枝を演じるのはこのとき二十三歳、美しさ満開の原節子だ。
 元気な練習生たちの姿を見るたびに杉枝は、克郎に元気で強い子になってもらいたいと気をもむ。「やろうと思ったら出来ないことなんてないのよ」と、つい叱ってしまう。しかし克郎に「お茶やお花のお稽古ばかりして、遊んでいるだけじゃないか」と口応えされ、「いくら口先で頑張れといっても、気楽なお嬢さん暮らしをしていたら何にもなれない」と、軍需工場の託児所の手伝いを始める。
 そんな場面と交錯して、短期間に航空兵を養成するため行われる多々の厳しい訓練風景が、丹念に映し出される。兵力増強のため、召集年齢に満たない少年志願者を勧誘する宣伝映画だから、映像はシャープで美しく、わくわくするカッコよさに仕立てられている。練習生それぞれの努力を映し出してひきつけ、集団としての動きを見渡すショットで目を一気に力と統一の爽快さへ導き、酔わせる映像手法。じつは社会主義プロパガンダ映像と共通の、というより、歴史的には先輩のあちらから拝借したといっていい方法で、われに返れば幼稚な手管と気づくが、当時の少年向け雑誌やこの種の映画が、軍国少年を育てるにいかに大きな影響力を発揮したか想像すると、勇ましい場面になればなるほど、苦しくなってくる。
 当時の子どもたちにとって陸海の少年航空兵、海軍ではこの、海軍飛行予科練習生がいかに憧れの的だったかは、さまざまな人が書き残している。予科練の合格倍率も当初きわめて高く、まさに紅顔の少数精鋭たちだったわけだ。ただし、この映画が公開された後から、戦局悪化で年に数万人という入隊者を集めるようになったが。
 そんな予科練、「入ってみれば」、兄とも慕える厳しく優しい下士官を直属指導者すなわち班長とし、さきの「クラブ」を実家に見立てた友情と互助の切磋琢磨集団だという場面場面が、君も参加すると素晴らしいよという気分をかきたてる。
 不器用で無気力だった克郎も、そんな彼らの姿を見学した後、一念発起し受験、みごと合格し七つ釦を身につけ、言葉づかいさえも大人びて、滅私殉国の一兵とならんとする。感心と感動で姉の杉枝も思わず落涙だ。
 そしていよいよ、克郎の先輩たちである本編の主人公たちも巣立ちの日を迎える。一糸乱れぬ行進で航空隊の門を後にし、勇猛なる軍団となって赴任していく。
 ただし。
 映画にはもちろん描かれていない、あらかじめ削除されている事実がある。
 予科練出身者が戦後に伝えた回想をいつくかひもとけば、予科連とて「入ってみれば」あくまで軍隊、それにつきものの欺瞞に満ちており、未来ある少年たちの心を裏切った組織に過ぎなかったことが知れる。もちろん戦後生まれのわたしが、予科連全体が軍国主義の腐敗一色だったと断じるつもりはなく、「いい上官」も「楽しさ」もあったかもしれない。ただ、そんなケースがあったとて、予科練を出て戦地へ向かった若い人のじつに八割、一万九千人を戦死させ、この映画の後、敗色濃くなってからは、航空兵を育てるどころか(すでに多数を搭乗させる機も燃料もなかったろうと思うが)飛行機でない特攻兵器で出撃させたに至っては、言葉を失う。それでも、予科練は志願だからという理屈になるのだろうか。
 ちなみにわたしが、子どものころ、といっても戦後二十年以上たってだが、「予科練」という言葉を知ったのは「崩れ」とくっつけた形でだ。七つ釦の元ヒーローたちが寄る辺なきアウトローとなり、戦後の荒廃に紛れて暴虐を尽くしたというエピソードを通じてなのである。もちろんわずかなハグレ者のせいで予科練にそんなイメージがもたれてしまうことは、戦没した多くの出身者も、背筋を伸ばして戦後を生きようとしたOBたちも、決して本意ではなかろうと思うが、毎年八月十五日に、戦争の記憶を語り継ごうと連呼される中、目の前の線路を突如断ち切られて放り出され、振り返ればここまでの線路もなく、不信だらけのわが身を暴力装置とした若者たちについても考えてみては、とよく思うのだ。しかもこれに似たことは、程度や状況に差はあるものの、いまもあるような気がする。
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 映画の話に戻ろう。
 この映画でよく見ておきたいのは、原節子だ。
 練習生たちのお姉さん(「小さいおばさん」)として彼らの真剣さにうたれ、弟の克郎を励まし、お嬢さん暮らしでなく報国婦人の道を歩んでいく役回りだ。
 が、原節子ひとりが、どうも浮いている。
 ご存じのように「ヤマトナデシコ」らしからぬ豪華なボリューム感が原の美人たるゆえんだから、周囲よりひとまわり大きい立ち居をフレームに無理やり収めたような姿がそもそも浮いているが、それより何より、演技の「間」が変だ。
 若いころの原節子はしばしば「ダイコン」といわれ、本人もかなり気にしていたらしいが、本当に下手かどうかはともかく、「決戦の大空へ」では、銃後の姉を熱演すればするほど、報国の熱意を語ろうとすればするほど、あてどないニヒリズムが浮かんだような表情になり、国敗れて山河あり、みたいな哀愁が漂ってしまうのだ。国威高揚映画でのこの原の表情は、どうしようもなく反戦的、いや挑戦的にさえ、見えてくる。
 活躍すべき若い時代が戦時と重なり、本格作品が少ない中で国策映画に起用されたことは、しばしばこの女優の不運として語られるが、それとは別に、本人の真意もこのさいおいて原節子は、この海軍省検閲済・情報局国民映画のスクリーンに小さなカギ裂きを作り、向こうにはっきりと戦時日本国民の悲しみの心底をのぞかせた、貴重な存在だったのではないかとも感じる。(ケ)
posted by 冬の夢 at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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