2012年06月13日

まもなくマイ・フーリッシュ・ハート −(2)

 さて、わたしが、どの盤を聴いているかというと実は「ワルツ・フォー・デビー」ではない。
「コンプリート・ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード1961」という2002年に出た(もう十年前のこと)三枚組CDを聴いている。なぁんだ嘘つき、といわずに、この三枚組で聴いてください。「同じものを二回買わされて」と思いながらつい買った私が、初回に聴き終えた瞬間、自信をもって「ほうもつ(宝物)だ!」と怒鳴った盤である。
 こうるさいマニアも納得せざるを得ない理由を書く。
 第一に、アナウンスやチューニング、メンバーがつぎにやる曲をコソっと相談する場面も含め、時系列収録であること。
 結果、「マイ・フーリッシュ・ハート」は「一曲目」でなく、昼夜全五回ステージの最初の昼の部、三曲目とわかる。
 この曲を「ワルツ・フォー・デビー」のA面一曲目とした当時の選択は素晴らしいし、最初のLPこそエヴァンズがOKした完成版だ、という考えも正しい。しかし、このコンプリートCDで三曲目に聴く「マイ・フーリッシュ・ハート」が、私はますます好きになっている。
 軽快な「グロリアズ・ステップ」で、ライブは始まるのだが、なんといきなり停電になってしまう(録音中断で公表されなかったこの曲も、コンプリート版には中断部分があるまま収録)。気をとり直しての二曲目は、ゆるやかに「不思議の国のアリス」。この演奏がもう素晴らしくて(ただし「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」に採用されたのは夜の二度目の方)、あ、これはバラードだ、バラードに奇跡の美をもたらす恩寵がこの三人に降り注いでいる、というワクワクするような予感に続いて「マイ・フーリッシュ・ハート」がくるわけだ。あらためて聴くと、アッサリしているといっていいほど短い演奏だが、これでこそまた、聴き手の記憶の中に輝き続けるな、と嬉しく思う。
 つぎに、第一の理由とも関連するが、これまでの盤と音質が違っているように聴こえること。LP時代の聴感とはまるで違う気もして、単純に「品質向上」とはいわないが、聴くならこちらだと断言したいほどだ。
 というのは、三人の楽器の音の明瞭度が上がり、とくにスコット・ラファロのベースの音の通りが良くなって(心なしかベースの音量が上がっているような気もする)、三人が会話しているテーブルに自分も同席させてもらっているような、つまり「聴かされる」から「聴きにいく」になった喜びがある(そのかわり音の迫力がバラけたという人はいるかもしれない)。
 いっぽう、そのような空気感が増した分、昔から指摘されているバックグラウンドノイズ、つまりライブの最初から最後まで止むことがない客の声高な雑談や食器の音、いきなりかかってくる電話など、「どうもこの奇跡は熱心には聴かれてなかったらしい」様子はかえって強調されてしまった感じはある。まばらな拍手が響く残響感から、客数そのものが少ないことも、よりはっきりわかる。
 それがいいのです。
 奇跡とは、そういう場所へ降りてくるものなのだから。
 大会場を埋める観客の万雷の拍手を待つかのごときでは、いかに奇跡の名演と謳われてもピンと来ないのではなかろうか。
 上手に音量を調節して聴けば、まるでその場にタイムスリップしたかのような感覚を味わえる。大切なのは、小さすぎる音で聴いてはうまくいかないが音量が大きすぎてもいけない、ということだが。
 わたしは、この場に当時十四歳のリッチー・バイラーク、ビル・エヴァンズの影響を受けた多数のジャズピアニストの中でも素晴らしい演奏者の一人だと思っているけれど、その彼がいたというエピソードが好きだ。バイラーク自身に確かめたことはないが、こっそりジャズクラブにもぐりこんだ紅顔のピアノ少年は、その顔を茹でダコのようにしてビルの指を見つめ、ボイシングをパクろうとしていたのではなかろうか。たいして熱心に耳を傾けるでもなさそうな大人たちに交じって、中腰になるほど前のめりになった少年の姿を目の前に想像しつつ、わたしもこの録音を初めて聴いた十代の少年時代にかえって手に汗を握る。(ケ)
posted by 冬の夢 at 16:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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