2021年09月26日

歌舞伎座九月公演『東海道四谷怪談』 〜 リアルの上を行く仁左衛門と玉三郎

 コロナ禍での歌舞伎座は、基本的に三部制での公演を継続している。上限五千人に観客数を制限しているのはもちろんこと、入れ替えの間には座席の消毒をして、食堂以外での飲食は禁止。幕間には頻繁に係員が場内を巡回して、マスクの着用と会話を控えるようパネル表示で徹底している。
 大向こうの掛け声は相変わらず禁止されているけれど、今月の第三部『東海道四谷怪談』を見たらば、思わず「松嶋屋!」「大和屋!」と屋号を口にしたくなるはず。若手役者に世代が切り替わろうとしている歌舞伎界にあって、舞台にいるだけで観客を魅了してしまう仁左衛門と玉三郎が共演するのだ。拍手だけでは感激を表しきれない、そんなもどかしさを感じた観客が多かったのではないだろうか。

 『東海道四谷怪談』の作者は、鶴屋南北。当時の現代劇の中でも特にシリアスでリアリティのある芝居は、「生世話物」(きぜわもの)と呼ばれていた。河竹黙阿弥に引き継がれるその流れの大元を確立した鶴屋南北は、現実にありそうな切実な描写を舞台に持ち込んだ。「浪宅の場」で、武士である伊右衛門が傘張りの内職をしている最初の場面。あるいは、宅悦に色仕掛けをされたお岩が武家に生まれた女として短刀をかざすところ。いずれも、南北が仕掛けたリアリズムの反映である。
 しかしながら、今回の公演の見所は別であって、それは仁左衛門と玉三郎の存在感。ふたりの存在感がリアリズムを追い越してしまっていて、リアルな芝居よりも役者のリアルさがひとつ上を行くのである。しかも、仁左衛門と玉三郎のどちらか一方ではなく、ふたりともに。こんな芝居を見られるのが、真の贅沢さ。三等席のチケットが取れずに見るのを諦めようかと思ったのだけど、一万円以上する二等席でも十分にお釣りがくるくらいに価値のある公演だ。

 まずは仁左衛門。民谷伊右衛門の佇まいは、貧しい武士の情けなさを感じさせるものだが、仁左衛門には一切それがない。外見はみすぼらしいものの、仁左衛門の伊右衛門は常に雄渾として、威厳を失わない。普通ならそれが虚勢を張ったこけおどしに見えてしまうところを、仁左衛門がやると品位が落ちないので、少しも嫌な気分にならずに見ていられる。
 伊右衛門が伊藤家への婿入り祝言のために、お岩に金目のものを出せと迫る場面。お岩を小突きながら、赤ん坊の蚊帳まではぎ取る強欲ぶりなのだが、見ていて腹立たしく感じられない。お岩がいるのに別の家への婿入りを承知してしまううえに、そのお岩をいたぶる陋劣な悪党なのだ。たぶんほかの役者ならば、ひたすら不愉快になるだけのはず。そうならないのは、仁左衛門自身が持つ役者としての貫禄なのか経験なのか。

 かたや玉三郎。お岩の役は、髪梳きの場面が見せ所と決まっているが、今回の公演では、伊藤家喜兵衛から贈られた薬を飲むくだりが凄かった。産後のお岩に血の巡りが良くなるからと薬を飲むように勧める伊右衛門。本当は容貌を崩れさせる劇薬なのだが、この時点では伊右衛門もそれを知らない。仁左衛門の話に戻ってしまうと、このときのお岩を労る優しさがあまりにも本当の真心に見えるのが、存在感だけでなく演技の巧さのなせる技なのだろう。
 伊右衛門が出かけて、ひとりになったお岩はその薬をありがたそうにして飲み干す。この場面の玉三郎を見ると、お岩の不幸過ぎる運命に憐憫の情を持たない観客は皆無だろう。赤子を横に寝かしつけながら、拝むようにして薬を手のひらに取り出す。それを口に入れて湯呑みの白湯でぐいと飲み込む。手のひらには残った薬の粉。それを丁寧に払って湯呑みに入れ、薬が混じった白湯を最後まで飲み干す。
 この流れを玉三郎がやると、ありがたみに真実感謝し、薬の効能を虚心坦懐に信じ込み、何事も粗末にはしない、お岩という女性の生真面目な実直さが浮かび上がる。これを広い舞台の中でただひとりでやり通さなければならないのに、玉三郎はその空間と時間を自らの存在感でいっぱいに満たしてしまう。私は見たことはないのだが、亡くなった歌右衛門の髪梳きや『先代萩』のまま飯きは、大仰とかやり過ぎとか批判されていたらしい。しかし、玉三郎には過剰感はまったくない。受け持った時空を、過ぎることなく欠くこともなく、寸分違わずぴったりに埋めてしまう。その役者としての柄が、他の者たちの追随を許さない威容を示しているのだった。

 『東海道四谷怪談』は人気の演目なので、これまでも繰り返し上演されてきた。私が最初に見たのは、十八代目勘三郎が勘九郎だったときの納涼歌舞伎。お岩・小平・与茂七・お岩の霊・小平の霊を早替わりでつとめてケレン味が強く、見ていて愉しい芝居になっていた。伊右衛門は芝翫を襲名する前の橋之助で、残念ながらそちらの記憶はほとんどない。二度目は、吉右衛門が伊右衛門をやった新橋演舞場。このときは福助のお岩で、一階席で見たせいか、髪梳きの段取りをつぶさに見ることができた。
 両方ともに通し公演だったので、「蛇山庵室」から「仇討」までが上演された。お岩と小平の霊が、お化け屋敷的な仕掛けで飛び出してくるところで、伊右衛門の凶悪さに天誅が下る。だから物語もひとつの輪になるし、観客も溜飲を下げるわけだが、今月の公演は、コロナ禍ゆえの上演時間の制限で、その前の「隠亡堀」で終演となる。やや物足りない気分ではあっても、ひょっとすると逆に「浪宅の場」のみがクローズアップされて、だからこそ仁左衛門と玉三郎の存在感が映えたのかもしれない。いずれにしても、この先いつ見られるかどうかわからない、極めて貴重な舞台であったことは間違いない。(き)

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2021年09月19日

国立劇場九月文楽公演『卅三間堂棟由来』 〜 文政四年の最先端

 国立小劇場に『卅三間堂棟由来』(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)を見に行った。
 重要無形文化財保持者いわゆる人間国宝に認定されることになった桐竹勘十郎が出る『双蝶々曲輪日記』の第一部と、沼津だけではなく敵討までやる『伊賀越道中双六』の第三部の、ふたつの出し物に挟まれての第二部。これではいかにも打順が悪く、緊急事態宣言が延長されたこともあって、日曜日なのに空席が目立つ中での見物だった。それでも咲太夫が切り場語りで出るし、呂勢太夫の相方はいつもながらに鶴澤清治だから、聞き応えはもちろん十分。
 それに上乗せしての見どころは、人形の使い方と舞台転換。文楽は、先人たちが見物をいかに楽しませるかの工夫を積み重ねた結果のエンターテイメントなのだと、あらためて感じ入ってしまった。

 あらすじはこんな感じ。頭痛を患う白河法皇の平癒祈願のため、柳の木を切り倒して三十三間堂を建立すべし、と熊野権現からお告げがあった。そう聞いてうちひしがれたのは、平太郎を夫にもつお柳。実はお柳は柳の木の精で、かつて伐採されそうになったところを救われた平太郎に嫁ぎ、みどり丸という男子をもうけて慎ましく暮らしていたのだ。お柳は平太郎に本性を明かし、お家再興のための髑髏を手渡すと姿を消してしまった。老母を殺害した謀反人和田四郎を討ち取った平四郎は、みどり丸とともに木遣音頭に合わせて、柳の木を都に向けて曳き出すのであった。

 人間が因果により人間以外の生き物と契りを結ぶ物語は、異類婚姻譚(いるいこんいんたん)というジャンルにひとくくりにされるそうだ。お柳はその名の通り、人間ではなく柳の木の精。そんなわけで、このお話は、人の姿に身をやつしたお柳が、柳の木に戻って行くところが見せ場だ。そして、実際に見ていて驚いたのは、お柳が人間ではいられなくなったときの人形の遣い方、と言うか使い方だった。
 最初にお柳が姿を消すときの使い方は、こうだ。三人の人形遣いのうち、左遣いと足遣いが人形から手を離す。主遣いひとりになると、人形の半身が虚脱したように見える。そして、いきなり主遣いが人形とともに手摺の向こう側にしゃがみ込む。主遣いと人形は舟底にいるわけだから、見物席からお柳は見えない。つまり消えてしまったわけだ。「こんなんで消えたことにするなんて、子ども騙しもいいところじゃない?」という疑問ももっともですが、なにしろ江戸時代の宝暦十年初演、文政四年(1821年)に今の外題で上演された人形浄瑠璃。活動写真で観客の度肝を抜いた、目玉の松っちゃんこと尾上松之助がカット割りで突然画面から消えるなんて見せ方は、当たり前だができるわけがない。ならば、と人形遣いがストンとしゃがみ込んで消えたように見せたらどうか。単純な工夫だが、当時の見物たちはそれなりにびっくら仰天したんではなかったろうか。
 消えたとはいえ、五年も平太郎と仲睦まじく暮らしたお柳である。そんなことで簡単に消滅してしまうほど、人間界への執着は軽くない。再び姿を現して、お家再興に役立つ髑髏を平太郎に渡し、あとに残すことになる息子みどり丸に別れを告げる。
 そして、いよいよ本当にお柳が柳の木に戻っていくところ。深緑のきものを着たいつものお柳は、突然に白装束に変わる。歌舞伎でいえば、黒衣が仕掛け糸を引き抜いて衣装がぶっかえる場面となるわけだが、文楽では、主遣いが深緑のお柳人形を舟底へ落とし、足遣いから渡された白装束のお柳人形にサササっと持ち替える段取りだ。「おいおい、今、人形落としたよね」なんて野暮を言ってはいけない。普段のお柳が瞬時に霊験な白装束に変わったということにして先へ進みましょう。
 白のお柳がゆらりゆらりと平太郎家の居間から玄関に出ると、スッと壁に溶け込むようにいなくなる。映画なら二重写しにしてお柳の映像だけをフェードアウトさせるだろうけど、文楽はそんな手の込んだことはしない。壁の上下真ん中が軸になっていて、壁が回転するのに合わせて、白装束お柳と主遣いが壁の向こう側に消えるという寸法だ。さすがにこれは甲賀の忍術屋敷のどんでん返しと同じだし、歌舞伎でも『東海道四谷怪談』では見せ場の「戸板返し」で使われている。忍者が消えるくらいなのだから、人形だって消えるように見えるはず。早替わりや戸板返しなど意表をついた演出を歌舞伎では「ケレン」と呼ぶ。文楽にもケレンがあるとは知らなかったけれども、気持ちが舞台に向いていれば、単純な仕掛けであっても、ケレンは味わい深いものになるのだった。

 もうひとつの見どころは、舞台転換。お柳が消えた後で、敵役の和田四郎が平太郎の老母を締め殺してしまうのはあまりに無惨だが、その平四郎住まいから柳の木の伐採場へ場面が転換がする。これがまた見事な視覚的効果なのだ。
 平太郎の家屋のセットが舞台奥のほうにズズーッと後退していく。屋内にいる人形遣いもセットとともに後じさり。舞台奥には照明が届かないから、人形もセットも後退とともに暗がりに沈み込むように見える。それらを覆い隠すかのように伐採場の背景幕が降りてきて、台車に乗せられて曳かれる柳の木が登場、最後の木槍音頭の舞台に入れ替わっているという寸法だ。これらの流れは、ひとつのシーンがアイリスアウトして暗転し、次のシーンへとカットインするかのごとくに見える。もちろん見物は、場面が切り替わったことをごく自然に受け入れるだろう。

 人形を落とす。人形を取り替える。回転壁を利用する。セットが舞台奥に後退する。どれもこの演目が最初に上演された文政四年においては、最新の仕掛けだったのではないだろうか。技術の革新は、斬新な演出に直結する。どちらかと言えばマイナーな演目でそれが発見できたのは、手当たり次第に観劇してみることのご褒美のようなものだ。
 ちなみに、木槍音頭での呂勢太夫の謡いと清治の演奏は、見物全員が床だけに吸い付けられるかのようだった。独演会、いや二人会のような様相での幕引きであった。(き)

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2021年09月14日

“I Fall in Love Too Easily”とミュージカル映画『錨を上げて』

 フランク・シナトラが歌う”I Fall in Love Too Easily”。チェット・ベイカーによるけだるい歌声のほうが一般的になっているけれど、実は1945年製作のアメリカ映画『錨を上げて』の挿入歌だ。作詞サミー・カーン、作曲ジュール・スタインは、クリスマスソングの”Let it Snow!”でおなじみのコンビ。映画では、シナトラ演じる内気な水兵が、自分と同じブルックリン出身のウェイトレスと出会い、女性とうまく話せない性格なのに、彼女の前では素直になれる自分に気づくという場面で歌われる。
 ”I”は当然ながら男性で、だとすると和訳の際の主語は「私」「ぼく」「俺」「オイラ」などになる。このときのシナトラは、後にシナトラ一家を率いる親分的な気配は皆無だし、背も低くてやせっぽち。こういうときに男性の”I”は、悩ましいほど厄介ものになる。そこで逆手を取って漢文調にしてみた。わざわざ訳すほどの英語じゃないだろと言われればそれまでなのだけれども。

I fall in love too easily
I fall in love too fast
I fall in love too terribly hard
For love to ever last
My heart should be well schooled
'Cause I've been fool in the past
But still I fall in love too easily
I fall in love too fast

われ恋するは あまりに簡略なり
われ恋するは あまりに機敏なり
われ恋するは あまりにも激烈なり
とこしえにつづく 愛がため
わがこころ 学びを必要とせり
われこれまで 愚昧なるゆえ
しかしていまだ われするりと恋に落ち
われたちまちにして恋に落つ


 チェット・ベイカーの「チェット・ベイカー・シングス」は、別の同人がブログで書いている通りの名盤だ。「…シングス」に収録されている”I Fall in Love Too Easily”を聴くと、イントロなしでチェット・ベイカーの中性的な歌声から始まるヴォーカルの、特に”easily”と歌うときのかすれ加減の甘みが心地良い。ベースとドラムスのシンプルなリズム。控えめなピアノの伴奏。トランペットソロの抑えた音色。やっぱりダメ水兵フランク・シナトラの歌よりも、チェット・ベイカーのほうがじんわりと胸に沁みてくる。歌い上げるよりは、囁くようにして歌うほうがこの曲には合っているのだろう。

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 ジャズのスタンダードナンバーとなり、数多くのミュージシャンにカバーされた”I Fall in Love Too Easily”も、『錨を上げて』という映画においては特段目を引く存在ではない。というのも『錨を上げて』があまりにいろいろな要素をてんこ盛りにしたごった煮的ミュージカルだからで、2時間23分というMGMミュージカルとしては異例の長尺も、全く気にならずに見入ってしまえる作品なのだった。

 映画は、アメリカ海軍戦艦の甲板から始まる。軍楽隊(United States Marine Band)が演奏するのが本作の原題でもある”Anchors Aweigh”。この映画が全米で公開されたのは、米英中三国共同宣言、いわゆるポツダム宣言が日本に発出された1945年7月のこと。そんな戦争の影を微塵も感じさせない明朗な行進曲は、映画のエンディングでも再び演奏される。
 甲板で行われていたのは勲章の授与式で、戦果をあげた水兵たちのみが、休暇を与えられて陸にあがる。休暇は四日間。この四日という期限があらかじめ決められているところも大切な要素で、開放的なスタートを切ったあとは四日めが終わるゴールまでの時間経過が、映画の直線的構造の骨格となる。
 四日という制約条件の中で、ふたつの恋とひとつの成功について、その発端から終息までが描かれる。すなわちジーン・ケリーとキャスリン・グレイソンの恋、フランク・シナトラとウェイトレスの恋、そしてキャスリン・グレイソンが著名な指揮者に認められるサクセスストーリーである。時間が直線的に流れていくのに対して、これら三つの主題は、重なり合いながら曲線的に描かれる。シナトラとケリーとグレイソンの三角関係だけでなく、グレイソンが撮影所に通う女優志望で、指揮者のオーディションを受けることを切望しているという設定が、曲線にニュアンスを与え、場面設定にバリエーションをもたらす。
 ここで本作は、海軍もの・水兵ものに留まらずバックステージものというジャンルにも幅を広げる。登場するのはMGMスタジオ。セットを組む手間が省け、コストと時間の節約につながるとともに、ハリウッドの裏側を覗くことができるメリットも加わって、プロデューサー的には実にお得なアイディアだったろう。実際に当時使用されていたスタジオやキャメラ、クレーン、照明などが画面に写り込んでいて、今となっては撮影所の貴重な記録映像としての価値もある。
 さらには指揮者にオーディションしてもらいたいという設定が、ミュージカルシーンを多層的に見せている。歌とダンスに加えて、オーケストラやピアノの演奏場面を散りばめることで音楽映画としての格調が感じられるのだ。特に印象的なのはハリウッド・ボウルの場面。ステージ上に二十台近いグランドピアノが置かれて、リストの「ハンガリー狂詩曲第二番」を指揮者兼ピアニストを中心にして連弾する。ちなみにこの指揮者の配役は、”Jose Iturbi …… Himself”となっていて、スペイン人指揮者ホセ・イトゥルビは、当時のハリウッドにおいては人気者であったらしい(※1)。

 そして、もちろんミュージカルであるからには、歌と踊りもてんこ盛り。ジーン・ケリーの踊りは、フレッド・アステアの優雅さに比べると観客に媚びるようなあざとさが感じられて、個人的には好きになれなかったのだが、シナトラとふたりで踊る場面が多い本作を見ると、実は高度な技術を持ったダンサーだとわかる。体幹がしっかりしているから、回転しても跳びはねても軸が全くブレない。手と足の先まで神経が行き届き、たぶんどの瞬間のコマを切り取っても決めのポージングが映っているはず。アステアが幼少時からボードビル劇場で踊っていたのに対して、ジーン・ケリーはきちんとしたダンススクールで基礎を学んだという。だからピルエットでも軸足がヨレないし、ジャンプしたときにも真っ直ぐな空中姿勢が保てるのだろう。
 フランク・シナトラは、ボビーソクサーのアイドルとしての人気に翳りが見え始めた時期。太平洋戦争が終結して若い男性たちが復員した1945年以降にはスランプに陥ってしまう。だからなのか、本作ではなんともパッとしない役柄で見せ場も少なく、歌声にも張りがない。それに比べるとキャスリン・グレイソンは、オペラ歌手かと聞き違えるほどの超絶ソプラノで観客を圧倒する。一芸は身を助けるという実例だ。
 こうしたミュージカルシーンは、通常ならばストーリーに組み込まれて挿入されるのが通常のパターン。それゆえにミュージカル映画は、ドラマと歌と踊りのパッケージングがうまく行かないと、シーンが分断されて流れを失い、退屈な作品になることも多い。ところがミュージカルシーンに切り替わるバリエーションおいては、本作は歴代ミュージカル映画の中でもトップクラスの多様さに溢れている。
 例えば、バックステージものという特性を活かして、映画のセットがそのままミュージカルの世界に変身してしまうこと。MGMミュージカルの名場面を集めた『ザッツ・エンタテインメント』の中で本作が取り上げられた中に、中世の城に幽閉されたヒロインを騎士然としたヒーローが救い出すという場面がある。中学生の頃にそれを見たときには、『錨を上げて』という映画のことなど知らなかったので、史劇か海賊ものなのだと勘違いしていた。この場面は、ケリーとグレイソンが撮影所で互いの気持ちを確かめ合ったあとの空想シーン。映画のセットにふたりが没入して、登場人物化してしまうという設定だ。
 空想と言えば、子どもを媒介にしたミュージカルシーンへの転換も効果的だ。仲良くなったグレイソンの甥の学校を訪ねるジーン・ケリーが、子どもたちにせがまれてお伽話を話し始める。それを聴く子どもの頭の中での妄想が、そのままミュージカルになるという趣向だ。ここが有名な『トムとジェリー』のジェリーが登場する場面。実写+アニメーションが見事にシンクロして、ジェリーが”I’m dancing!”と快哉の声を上げるまでのジーン・ケリーとのペアダンスがなんとも愉しい(※2)。
 このようにして、戦時下という世相とMGMスタジオの強みをフル稼働させた『錨を上げて』は、盛れる要素をなんでもかんでも盛りに盛った、てんこ盛りミュージカルなのであった。

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 さて、『錨を上げて』がアメリカで公開された翌月に日本がポツダム宣言を受け入れて、太平洋戦争が終結する。日本で『錨を上げて』が公開されたのは、サンフランシスコ平和条約締結から二年後の1953年のこと。その日本公開のはるか前、占領下の1945年に東京で本作を見た日本人がいる。映画評論家の淀川長治氏だ。
 終戦直後、東宝に勤めていた淀川長治は、たまたま道案内をして知り合った米兵に招待されて、GHQすなわち現在の第一生命ビル内のホールに連れて行かれた。千人ほどの米兵が通路にまで溢れ返った、その場内が暗くなると、ライオンが吠えるMGMのクレジットが映し出されて、この”Anchors Aweigh”が始まったのだと言う。

映写がすすみ水兵服のフランク・シナトラが歌い出すや場内は総立ちとなってしまった。すわって見ればいいのに一人が立ち上がったとたん、みんなが拍手口笛、足ぶみ足鳴らして立ち上がり、シナトラの歌にあわせてからだを振った。リズムにあわせ指を鳴らすものもいた。そしてジーン・ケリーが動画のトムとジェリーと踊ったときには、拍手で音楽とタップの音が聞こえなくなるほどだった。彼らがこれほど子供さながらに映画にとけこんで楽しんでいるのを見ると、アメリカの映画会社はしあわせだと痛感した。(※3)

 故郷を懐かしみ、思い出を共有できるような要素を盛ったミュージカル映画なのだ。戦争に駆り出され、極東の島国に送り込まれたアメリカの兵隊たちが、欣喜雀躍しながら映画を見て興奮したのも無理はない。このようにして東京のど真ん中で占領軍兵士のために映写されていた映画を、日本人が劇場で見ることができたのはその八年後。『錨を上げて』にはほんのかけらも戦争シーンは出てこないが、日本公開の当時に思いを及ばすと、戦争のない平和な日常が何よりも大切なことだと気づかされるのでもある。(き)

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(※1)ホセ・イトゥルビ(スペイン/1895年-1980年)は『万雷の歓呼』『楽聖ショパン』などに客演している。現在でもいくつかのCDで演奏録音が聴かれるようだが、出身地スペインでは「ホセ・イトゥルビ国際ピアノコンクール」などでその名を残している。

(※2)『錨を上げて』のクレジットタイトルには、”Tom and Jerry from MGM cartoon movie”と表記されている。ちなみに相方のトムは、王様ジェリーに食事を運ぶ執事のチョイ役に甘んじている。

(※3)『淀川長治自伝』(1988年中公文庫刊)より引用。氏によると、戦後正式にアメリカ映画が一般向けに劇場公開されたのは、昭和二十一年二月二十八日封切の『春の序曲』(1943年製作/ディアナ・ダービン主演)と『キューリー夫人』(1943年製作/グリア・ガースン主演)の二本立て。日米開戦後四年あまりアメリカ映画が見られなかったため、劇場は早朝からつめかけた観客で超満員だったそうだ。


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