2021年06月17日

映画『東京五輪音頭』へのコメント

 一九六四年九月公開の、この映画を初めて見たのは、DVD版が出た数年後の二〇一五年ごろでしょうか。
 東京オリンピック開催が決まったのは、二〇一三年秋。この文を書いている二〇二一年六月中旬からは想像できないほど、誰がなんてったって盛り上げるぞという、明朗かつ脅迫的といってもいいような熱気がありましたね。

 キャンペーンソングの話は、ことのはじめからあったでしょうが、誰もが知っているオリジナル曲やダンスは作られたのでしょうか。
 一九六四年大会では、「東京五輪音頭」という軽妙な唄が盆踊りふうの振り付けとともに大ヒットしたので、早々にアレンジ版が作られ、にぎやかに発表されたことは聞きました。どんなものかは、いまも知りませんが、広く受け入れられたのでしょうか。

 そのような大きな企画ではなかったけれど、イベントで「東京五輪音頭」を舞踊会や芸者さんに踊らせたいが、どんなふうにすればいいかという話が、しばらく後に聞こえてきまして、この映画の存在を知りました。当時、踊ったことがあるという元芸者さんが健在とのことでした。

 その企画にはかかわりませんでしたが、「東京五輪音頭」がどんな曲で、どう踊られたのか知りたくなり、さっそく映画を見ました。
 わたしは興味本位で見ただけですが、参考資料として見せられた五輪関係者は、少なからずいたのではないでしょうか。

       

 なぜ、嘘をついてまで東京でオリンピックをやりたいのですか、と思っていました。
 嘘で始まったのですから、準備早々から嘘やごまかしがゾロゾロ出て来たのは、無理もないことでした。
 五輪誘致を騒ぎ出したころから開催反対だったわたしは、それらの出来事を、つめたく見ていました。そもそも前回の「東京五輪音頭」を持ち出すなんて、代理店がらみで新しいものを作ろうとすると、なにが起きるか知れたもんじゃないからでしょうと、イヤミをいいもしたかと思います。

 それはともかく、映画『東京五輪音頭』は見たので、そのときメモ程度でも、このブログに書いておけばよかったのですが、書けませんでした。
 なぜなら、どうもつかみどころがない、奇妙な映画だったからです。
 どう見ればいいのか、よくわからないし、見ていない人に説明ができません。出来がいいのか悪いのか、面白いのか面白くないのかさえ、よくわからなくなってしまいました。

 このブログは、三人で書いている同人誌のようなものですが、べつの筆者に、学生時代は映画研究会にいた──制作者や批評家も輩出している映研です──映画にくわしいメンバーがいます。
 最近、このブログに彼が書いた映画の文を再読しながら、とりあげられた映画を見るようになりました。そして自分の感想を、コメントの形で書き込んでいるうちに、たとえ文がまとまらなくても、この映画のことを書いておきたくなりました。

 くそ、歳をくうと、いや昔っから、前置きが長い! 
 すぐに映画『東京五輪音頭』の話をします。
 その前に、もうひとことだけ。
 感染問題で、京橋やあちこちの図書館へ行って資料を探せないので、これまで書いた文のように調べて書けず、ほとんどが推測です。

       

 映画『東京五輪音頭』が公開された一九六四年九月九日は、大会のひと月前ですね。その前の、わずかな期間で撮ったらしい。
 監督は小杉勇、戦前の大スターで、戦後は監督として多数の娯楽作をものした人だそうですが、ぜんぜん知りませんでした。
 いっときはプレイイング・ディレクションもしたうえ、シリーズものを年十本近く撮っていたりする、すごい人ですが、監督作は一本も見たことがなく、出演した映画も調べてはじめて「あ、あの人だったの」という認識しかできませんでした。

「見たとおり」に、構えず説明するなら、当時のスーパースター、三波春夫のオン・ステージもの、ではないかと思います。
 全体としては劇映画なんですが、芝居は三波の舞台場面のそえもので、コマ劇場や新橋演舞場での歌謡ショーみたいなもの、と考えれば、奇妙に感じずにいられなかった初見の印象も、やや落ち着きます。

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 劇のあらすじを、かんたんに書きましょう。
 築地卸売市場の青果仲買店のひとり娘(十朱幸代)には、水泳の才能があります。オリンピック出場を嘱望されている女の子です。
 しかし、仲買店主の「おじいちゃん」(上田吉二郎)は、孫娘が泳ぐことを厳禁していて、孫娘は五輪強化合宿コーチ(上野山功一)の下で、学生選手たちと、こっそり練習しています。
 三波春夫は二役で、後半の歌謡場面では本人役で舞台に立ちますが、劇では、築地の魚河岸フードセンターにある寿司屋という設定です。
 とっぴょうしもない役柄じゃないんです。三波は浪曲師として看板を張るまでは、米屋や製麺場で働き、のちに叔父の店に就職しています。その店とは築地魚市場の仲買でしたので、寿司屋に扮した三波は、ぴったりすぎるほど役にはまっています。

 さて、その寿司屋の三波が「おじいちゃん」を熱心に説得、孫娘を選手予選会に出すよう強く迫ります。「おじいちゃん」は断固拒否を続けますが、ついに出場は許します。しかし踏切事故にあい、入院することに──このへんの展開、区間特急みたいな勢いです。
 予選会に「おじいちゃん」が来てくれない不安を抱いたまま、孫娘は爆泳、みごとに優勝。じつは「おじいちゃん」はケガをおし、会場に来ていて、孫娘をほめてあげます。若い出演者みんなが、うまくラブラブ関係にもなれそうで、めでたしめでたし?

 祖父と孫娘は、ふたり暮らしなんです。
 孫娘の両親は亡くなっていて、じつは父親はマラソン選手。映画ではくわしく説明されませんが、そのため身体を壊し──過剰な練習でか、大成できず荒れたのか──亡くなった。だから「おじいちゃん」はスポーツ全否定でした。孫娘になにかあったら、ひとりぼっちになってしまう、という寂しがり屋でもあったのです。

 寿司屋の三波は、ほんものの三波春夫の従兄弟という設定。五輪の事前イベントに出演してくれるよう、ほんものに、話をつけます。
 映画の後半は三波の舞台場面と──オリンピックと関係ないのですが、オハコの『元禄名槍譜 俵星玄蕃』を熱唱──「東京五輪音頭」のマスゲームのような大演舞会が画面いっぱいに広がります。作曲者の古賀政男も指揮棒をとってワンカット映りますね。

 古賀は「東京五輪音頭」を、三橋美智也にあて書きしていたのですが──制作発表会で歌ったのも三橋──レコード会社十社近くで競作発売の形になったこの曲のヒットを、ひとりで持っていったのは三波春夫でした。
 そのいきさつは機会があったら紹介するとして、一九六四年内に百三十万枚を売り上げた大衆の星を──三波の歌で曲を知っている人の数は、とうていそんなものではすまなかったでしょう──五輪大会直前に慌ただしく作る映画に出すのに、レコード同様に映画各社で企画が重なり激しい争奪戦があったかどうかは、わかりません。テイチクと日活は、映画音楽関連で縁はあったようですが。

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「本命」だった三橋三智也版って、B面だったんですね

 どうも映画を見る限り、五輪直前に即製のにぎやかし≠ナ稼ぎをねらった日活の、コバンザメみたいな企画じゃないかという気もします。
 とにかく三波をかっさらってきて、三波ありきで、ベテランの早撮り監督にデッチ上げさせた娯楽編、と思えばよいのでしょう。芝居のほうは歌謡ショーのそえもので、流し見でいい、と……。
 しかし、そうはいかない映画なんです。
 劇のほうがどうも気になって、軽く見ていられません。

       

 暗い! 
 気持ちが空回りするような、すっきりしない、うすら寂しさが全編に漂っています。
 なんでしょう、この憂鬱な感じは。
「東京五輪音頭」の大演舞場面にさえ、それを感じてしまって、明るく浮かれて見終えられません。

 あらすじで説明した、祖父と孫のいさかいは、たいしたものではないし、すれ違いラブねたもありますが、あっけなく解決します。たいしたドラマはありません。
 出演者は、いれかわり立ちかわり、スベるのが前提のようなギャグを発し、自分笑いしたりして、いかにも日活B級喜劇調の、「いま見ると突っ込みどころ満載」な話をくりひろげます。
 開催を間近に控えた会場や選手村、東京名所なども、ワンカットずつ映りますし、出演者たちで軽く巡る場面もあります。短時日でこれだけのシーンを撮り上げて盛り込んだなら、監督の小杉は、まさに超早撮りで、サービス精神たっぷりの五輪応援映画を、仕上げたことになります。
 しかし、スクリーンに盛り付けられたそれらすべてが、お皿からすべり落ちるように、ばらばらこぼれるのを感じるのです。

 空撮の首都風景は、すっかり現代東京のものに見えます。首都高速の美しいラインは、どの高所から撮ったのか、赤坂見附あたりでしょうか。
 いまも残っている、花弁のようなルーフの張り出しが美しい駒沢競技場、寺塔のようなオリンピック記念塔──明治神宮でしょうか、神社参拝の場面と呼応してもいます──そして、いまそのまま使えそうな、最終仕上げ中の代々木競技場……。
 でも大会前の撮影だからか、どの映像にも人のにぎわいがなく、祭典の予感どころか、宴のあとの廃墟のように見えてしまうのです。

 当時の日活映画でおなじみの、タイアップシーンといいますか、スポンサー商品が劇中に仕込まれる場面もあります。※1
 鈴木清順なんて、炊飯器を映すタイアップを逆手にとって、宍戸錠をメシの炊ける匂いがなにより好きな殺し屋≠ノ仕立ててくれましたが、「東京五輪音頭」に写る広告商品の数ときたら! つぎつぎにストーリーにムリヤリ組み込んで映すところも、小杉勇らしい手ぎわのよさ、かもしれませんが、当時あこがれの新製品であったり、話題の品だったに違いないモノたちは、オリンピックとはなんの関係もなく、そしてまた、いまに残るものもあまりなく、スクリーンに登場しては、こぼれ落ち消えていくのを、見なければなりません。

       

 劇映画として見るなら、大会目前の興奮のなか、時代の潮目を感じて揺れる、隅田川べりの東京下町の人情話が描かれているはず、なのです。
 セリの声もかまびすしい築地中央卸売市場や、そこから佃島までの交通手段だった水上バスの混雑、お座敷も好景気にちがいない柳橋あたりを、江戸っ子たちの活気がうかがえる舞台にしていますしね。
 そこで、俳優たちの背景にかいま見える当時の東京に、オリンピックを迎える息づかいが発見できないかと目を凝らしますが、さして盛り上がっていない。いつもの暮らしが繰り返されているように見えます。
 しかもそれらのロケ地は、しばしば薄暮から夜にかけての、たそがれた雰囲気で映されるのです。なんと十朱幸代が出場する選抜競泳会まで、夜の開催なのです! 当時実際に、テレビ放映時間を夜にするため、ナイター選考会をしたとは思えないのですが。

 お芝居の部分は「つくりもの」なので、時代の反映を直接に読みとろうとしてはいけないでしょうが、それにしても主役の十朱幸代の演技が、どうにも奇妙です。
 それというのも、ほとんどあらゆる場面で、眉間にしわを寄せて、しかめ面を繰り返すのです。いうことも、どことなくつじつまが合っていない。

 一生に一度のチャンスですもの、オリンピックにも出てみたい。オリンピックも大切だけど、わたしにとってはたったひとりの、おじいちゃんですもの。

 金メダル、か……。

 一生のお願い、わたしを合宿に入れて!

 ふたりとも行っちゃうと、おじいちゃんが寂しがる。ほかに寂しがる人がいるかもしれない……。


「ふたりとも」とは、ブラジルへ渡って農園経営で大成功し、五輪観覧や観光に帰国した叔母(岡村文子)に招かれていて、やはりブラジルへ行こうとする仲買の正光(和田浩二)と、彼に誘われて行こうとしている十朱の仲買店の店員で、幼なじみの勇(山内賢)のこと。
 その台詞の場面で十朱は、明らかに山内の勇に気があるそぶりをするんですが、本当に好きなのは和田の正光のほうだったりします。すっかりその気になった勇には、後で「好きかっていわれたら、嫌いじゃないわ」だって!
 まあ、女がよく、気楽だった関係が重くなっちゃって振るときの常套句で、おれもいわれたことあるけど……。
 
 なぜか暗い表情のほうが多い十朱幸代。
 そのきわめつけは、ラストシーンです。
 悩みも、ごたごたも、すべて解決、さあ本大会を待つばかり。
 栄光と繁栄の明るい未来へ、若人が手をとり肩を組み、スクリーンのこちらへ闊歩してくるという、青春ドラマ基本構図で幕なのですが、なんとこのシーンでも、十朱ひとり、表情が暗い!

 早撮りで中抜き※2をし過ぎ、芝居がわからなかったのかもしれないし、日の丸を背負う緊張が心に満ちたとか、ひと月で調整可能かどうか不安──才能はあるが体力不足という場面があります──などが、不安げな眉の寄せかたに表現されていると、深読みしてあげることもできなくはありません。
 しかし、ラストシーンの十朱のアップで即座に思い出すのは、マイク・ニコルズの青春映画、『卒業』(一九六七年)の、やはりラストシーンです。キャサリン・ロスとダスティン・ホフマンが浮かべる、あの表情なのです。

 将来は、けっして明るくない。
 オリンピックなんて、ほんとうは、どうでもいい。

 十朱は撮影のとき二十一歳、十七歳のときから七つ歳上の小坂一也と同棲しているので、世の中わかっちゃってるみたいな翳りがあるのは、魅力的といえなくもありませんが、十朱には申しわけないけれども、エンドシーンでの困惑の表情は、この映画を、ほとんど混乱に陥れているのでは……。

       

 ハァ〜 ア〜 アアア〜
 あの日 ローマで ェェながめた 月がァ
  ソレ トトントネ
 きょうは都の空照らす
  ア チョイトネ


 幕開けとともに、とことん朗らかに響きわたるのは、三波春夫の「ハァ〜」。

 楽譜をいただいたときに、『はあ……』という、あの出が高いんですよ。よしここをひとつ工夫しようと思って、ずいぶん勉強もいたしました※3

 その成果は、富士山が噴火したかのように轟き、小泉文夫がいったように「三波さんの日本調を現代に生かしていこうということと、大衆の音楽的感覚が非常に日本調を求めているということと、じつにうまく合った」のです。
 まちがいありません。わたしは、この曲をじかに知るには幼なすぎた世代ですが、三波の「こんにちはァ〜 こんにちはァ〜」は、いまこの瞬間にもアタマの中に鳴り響いて聞こえます。

 オリンピックはね、もう、そこまで来てるんだぜ。
 世界中の人間が、ニッポンだニッポンだ、東京だ東京だって騒いでる。
 なんとかして日本の名誉……戦争で負けたね、日本が、なんとかしてここ一番と、自分たちの息子や娘を、大きな拍手といっしょに送りだそうとしてるんだ。それがなぜ、親父さんにはわからないんだ。


 孫娘が泳ぐことはもちろん、オリンピック選手合宿に参加することなど絶対に許さない、頑固な「おじいちゃん」を説得する、寿司屋の三波。
 芝居の滑舌もすばらしくいい。
 この台詞の途中に一瞬、涙をのむ感じがあります。おそらく「地」でしょう。
 一年九か月の旧満州での従軍、いちじは聴力を失ったほどの砲撃に合い、敗戦後は四年のシベリア抑留……帝国日本の欺瞞と、共産ソ連の虚構を知りつくし、「本当の意味で世界平和のお祭りの音頭をとるんだ、と心底思っていた」三波の、心の叫びがそこにあるといっていい。そこに嘘はない。

 しかし、三波が力めば力むほど、その思いは空回りしている──そんなふうに思いながら、後半の「東京五輪音頭」の大演舞場面を呆然と見ていました。
 三波のマイクには「8」のロゴ、つまり当時のフジテレビのイベントか放送の、軒を借りて撮った場面です。
 ほんの一瞬映るステージパネルをチェックすると──こんな映画をリピートしたり部分拡大している自分がアホに思えてきたけれど──なんと「江の島マイアミビーチサマーオープニングショー」。藤沢市が一九六〇年から五年ほど、東京大手町で、産経のメディアグループと共催開催していた「海開き」です。

 ハァ〜 ア〜 アアア〜
 待ちに待ってた世界の祭
  ソレ トトントネ
 西の国から東から
  ア チョイトネ
 北の空から南の海も
 越えて日本へどんと来た
  ヨイショコリャどんと来た
 オリンピックの晴れ姿
  ソレ トトントトトント晴れ姿


 ステージで朗々と歌いあげる三波春夫。
 そして、五百人、いや千人近いとも見える、浴衣がけの踊り手たち。タイトルロールには「花柳秀舞踊団」「東京母の会連合会福祉舞踊協会」とありますが、そう、ほぼみなオバチャンだ! なにをそう真剣に踊らなくちゃいかんのか、笑顔がない!
 現代史的にも一見の価値があるスーパーイベント、それがなぜか借りものか貼り絵のようで、嘘っぽくて、うら寂しい。

       

 東京大会につきましては、感染対策の徹底、そして「安全安心」の大会について、私から説明をさせていただき、全首脳からたいへん力強い、支持をいただきました。私自身、あらためて主催国の総理大臣として、こうした支持を心強く思うとともに、東京大会を、なんとしても成功させなきゃならない、そうした思いの中で、しっかりと開会をし、成功に導び(かなきゃ)ならない、そういう決意を新たにいたしました。※4

 これが、間もなく開かれようとしている、こんどのオリンピックを決意も新たに語った、開催国・日本の総理大臣のことばです。なぜ、絶望的なまでに空虚に聞こえるのでしょう。

 首相は、さる六月九日、立憲民主党代表がした質問、
「総理のいう国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる、直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる、それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと、こういうことも含むという意味でよろしいですね、確認させてください」
 に対して、なぜか高校生時代の思い出を持ち出し、東洋の魔女、アベベ、へーシンクを語りました。※5
 丸川珠代はもちろん(生まれていない)、橋本聖子(前大会開催の5日前生まれ)も、見たことがなく、思い出にない、そんな幻想にすがった総理大臣に引きずられ、わが国は二度めの東京オリンピックに、突入していくのでしょうか。

 五十七年前の開催ひと月前に公開された『東京五輪音頭』を見たわたしは、こんなふうに思いました。
 国民がみな、興奮と賞賛に酔いしれたように思われ、首相もまた、それが自分の思いにあるように語った前回の東京オリンピックは、べつに国民すべてから圧倒的に支持されていたわけではないのではと。
 だとするなら、今回の東京オリンピックは、ほとんど支持されていないといっても、けっして間違いではないのでは、とも。

 いちど始めたものは、そう簡単にはやめられない。
 その気持ちは、身にしみてわかります。わたしも、かつて仕事で、失敗を認めきれず撤退にぐずついたばかりに、手ひどい目にあった経験がたびたびあるからです。
「上がいうから」「上がゆずらない」が、ひとり歩きする日本という国で、ぎりぎりの段階であれ、退く勇気を持つことは、もう誰にもできないことなのでしょうか。

 いや、ひとつ方法があります。
「いちばん上」に決めてもらえばいいのです。
 そう、「ご聖断」です。
 いえ、冗談ではありません。なるべく早く御前会議を開き、「ご聖断」を仰いだらどうですかと、昨今、本気で思っています。
 思い出してください。一九四五年八月十四日の最後の御前会議を。※6
 みんな泣いちゃいました。
 もちろん悔しいからとか、徹底抗戦させてくださいと泣いて主張した、ということもあったでしょう。
 しかし、わたしは思います。
 みんな、ほっとして泣いちゃったんだと。
 陛下、やめさせてくれて、ありがとう、と。
「いちばん上」が「やめなさい」といってくれたから、愚かな幻想にとらわれ続けて事態を甘くみたまま、広島、長崎につづいて原子爆弾を落とされることはなかったし、空襲された各地や、上陸戦にさらされた沖縄につづいて、国民を見殺しにしつづけることはなかったのですから。

 オリンピックが「ヨイショコリャどんと来た」として。
 そりゃ戦争とは違うかも知れません。しかし実のところ、同じことではありませんか?
 一刻も早く、御前会議をしましょう。
 東大を出ているんだしバカじゃあるまい、どう見たって意地でやっているだけの丸川も、引いてはいけない籤(くじ)を引いてしまった顔の橋本も、わ〜んと泣いていいのです。
 森嘉朗も、呼んでやってもいいかもしれないですね、呼ばれた瞬間に泣くだろうけど。(ケ)
 
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この二曲カップリングで、カラオケに、
合成音声による英語版も収録されている、
お得なCDシングルが2019年に出てました。


※1 タイアップシーンと思われる場面でメモをとりましたが、見落としているかも。
【1】タクト ポータブルステレオ(兼松家電販売)
【2】バャリース(当時は朝日麦酒でしょうか)
【3】ベレル2000(いすゞ)
【4】オリンピックナッツ(東洋ナッツ食品)
【5】アサヒスタイニー(朝日麦酒・1964年発売)
【6】オーゼット(『ワカ末』の中滝製薬のようです)

※2 話の流れ通りや台詞順に撮らず、同じセッティングで撮れる場面をまとめて撮ってしまうこと。

※3『歌藝の天地』一九八四/PHP研究所/小泉文夫の発言もここから。

※4 日本時間六月十四日未明、G7コーンウォール(英)サミット終了後、同行記者団に。

※5 六月九日、国会党首討論会での、立憲民主党代表・枝野幸男とのやりとり。

※6 このブログに別の筆者が書いた
 「『日本のいちばん長い日』 〜 昭和天皇と国体護持の確信」は→こちら
   わたしが書いた
 「『日本のいちばん長い日』松竹版・東宝版について」は→こちら

posted by 冬の夢 at 01:20 | Comment(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年06月14日

コロナ禍にもかかわらず、ちょっと(とても?)素敵な出来事(1)

 どんなに贔屓目に見たとしても、日本政府の感染症対策が失政に失政を重ね、ほとんど破綻していることは明らかだ。パンデミックの危険性が明らかになって2年近くが経とうとしているのに、感染症に罹った多くの人が入院もできない状態が続いているなんて、これで先進国と言えるのか? さっさと各地に感染症専門の病棟を増やすべきなのに、それがいまだにできないどころか、この先も対策を立てるつもりはないようだ。ということは、今後も実店舗で展開している小売業界、飲食店関連、一部のエンターテインメント業種等々に甚大な経済的打撃を与える「緊急事態宣言」を気ままに出して、それで患者数を操作することで医療崩壊を辛うじて防ぐという、正にイタチごっこのような、対策とも言えない対策を続けていくつもりなのだろう。そして、忌々しいことこの上ない「ソーシャル・ディスタンス」! ただでさせ陰気な日本社会にあって、「食事のときは会話しない」(黙食というそうだが、こんなことを真面目に言っているとは!)とか、「路上で知人に会っても、会話は短めに切り上げる」とか! 「電車の中で会話するな」とか! これでは最早「半分死んでいる」と言ってもいいのではなかろうか。その上、もう何も言いたくはないが、東京オリンピックなどという狂気の祭典が待ち受けている。「もうどうとでもしてくれ!」と、自暴自棄な気分になるのは別にぼくだけではないと思う。

 しかし、このコロナ禍の時期、そんな鬱陶しい気分を、たとえ一時とはいえ一掃してくれるような、爽やかとしか言いようのないような、ちょっとした出来事に3件ほど遭遇した。いや、遭遇という言葉は間違いだ。自分自身が一方の当事者だったのだから。もっと端的に、「しみじみと嬉しくなるような、ほんわかと明るい気分にしてくれるような、小さな親切、配慮とも言えないくらいの、本当にさり気ない、しかし、よくよく考えれば滅多に期待できないような親切な行為を受けた」と言うべきだろう。そうは言いつつ、この嬉しい気持ちの本当の正体が自分でもよく分かっていない。単に「得をした」というだけではないはずだが……この3つのエピソード、本当は一つ一つ丁寧に、もう少し詳しく書きたいところだけど、最近なぜか文章を書く気力がなくなっているので、それぞれ要点だけ。それでも、しみじみとした「良さ」は伝わることと願っている。

1)フランスに本拠地のあるガレージ・オーディオ・メーカーの話
 お恥ずかしいことに、いわゆる「巣ごもり」の影響か、音楽CDとワインをやたらと購入している。そして、ついつい悪癖が顔を覗かせ、またしても中古アンプを購入してしまった。それも「通電しない」と明示されている、つまり半ば壊れた真空管アンプ。時間潰しにネット・オークションを眺めているときに偶然見つけてしまったブツはこれ。

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(手前が300B、真空管が大きい!  後ろの控え目なのがEL34シングルアンプ)

 真空管アンプの中でも最も名高い300Bという真空管を使ったAudion Silver Night 300Bというシングルアンプだ。シングルアンプというのは以前にも別の機会に書いたけれど、真空管アンプとしては最もシンプルな構造のもので、使用される部品も少なくなるため比較的安価にもなるが、目の玉が飛び出るほど高価なシングルアンプだっていくらでもある。特に300Bという真空管は安くても1本3万円くらい、高ければ10万円を超すこともあるので、使用する本数に比例してコストがかさむ。庶民にとってはシングルアンプの方が好ましく感じられるのも当然だろう。が、それはともかくとして、海千山千のオーディオマニアから見れば価格の点でも性能の点でもごく他愛もないアンプであることは百も承知だが、当人にとっては非常に思い入れのあるアンプで、もう四半世紀も近く前、今ではすでに鬼籍に入ってしまった友人も含め、数人の同好の士(つまり、それなりにオーディオ機器に興味関心を払い、いっそう大事なことには、音楽をまるで心の栄養素か回春剤のように愛好している友人たち)と音楽雑誌を見ながら、「このアンプ、小さいけれど良さそうじゃないか?」と話していた、正にそのアンプだった。(当時の薄給では、いくら欲しくても手が届く価格ではなかった。)

 しかし、どんなに思い入れがあったにしても、通電しないでは話にならない。が、考えようによっては、「通電するし、真空管も新品だが、明らかに壊れている」代物よりも「通電しない」という故障の方が単純で、案外と簡単に修理できる可能性もある。事実、通電しない原因の最たるものは、単にヒューズが切れているという、故障ともいえない故障だ。念のために出品者に問い合わせると、「そうかもしれないが、『ヒューズが飛ぶ』ということ事態が異常事態なので、やはりジャンク品だ」という、剣もホロロというか、誠実というか、ともかく、いやにあっさりとした返答が戻ってきた。

 それから悩むこと数日。結局、かなりの安値で、昔から欲しかった300Bのシングルアンプを手に入れることになった。が、問題は修理だ。このアンプ、かつてはイギリスに本拠地を置くガレージメーカー製で、今の住所はフランスになっている。そして、4半世紀前は日本のどこかの販売店が独占的に取り扱っており、そのときならその販売店を通して修理依頼もできたけれど、今は自分で手に負えない修理となれば、フランスまで郵送するしか方策はない。最悪(?)、「古いアンプを修理します」と謳っている近隣のオーディオ屋さんに依頼するという手もないではないが、せっかくの、自分としては「伝説的」という形容詞でも付けたくなるようなアンプなのに、他所様の気ままな修理には委ねたくない気持ちも強い。つまり、メーカー純正の部品を使って、メーカーが納得する状態にしてもらいたい。そうでなくては、わざわざお金をかける意味がない。

 そこで、恐る恐る(?)フランスのメーカーに英語でメールを書いてみた。「斯く斯く云々、もしもオーバーホールを頼むとして、費用はいくらくらいになるのか、云々」。すぐに返事が来た。ビックリするくらい安価だった。輸送費がなければいつでも気楽に、何度でも頼みたくなるくらいの値段だ。これはいまだに信じられないくらい。確かに、使っている部品の数も知れているし、回路構成も比較的単純。修理するといっても、真空管を交換するか、ハンダをつけ直すか、電解コンデンサーを交換する程度だから、「手数料+実費」ということで、真空管は交換しなくてもいい(こちらで用意する)となれば、安価であることも、ある意味では当然だ。が、今の世でこういうことは滅多にない。少なくとも日本では「手数料」というのは、何だかとても高くなっている。
 が、「しみじみと良い話」は、別に「手数料が破格に安かった」なんてことではない。また、「返信がすごく素早かった」なんてことでもない。

 オークションで手に入れたアンプが手元に届き、最初にしたことはもちろんヒューズの点検。が、残念! 目で見た限りヒューズはピンピンしており、どこにも異常は見られなかった。が、念のために、普段使っているEL34アンプのヒューズをちょっと拝借し、交換して試したところ、やはり300Bアンプの方は通電せず、EL34アンプの方は何の問題なく作動した。つまり、故障はヒューズではないということだ。となると、遠路遙々フランスまでアンプを送り届けるしかないわけで、そうなると、またまたメーカーに「斯く斯く云々、近々修理のためにアンプをそちらに送りたいのだが、真空管や電源コードの類は一緒に送らなくてもいいのか、云々」のような問合せを行い、先方からも「真空管の特性などのチェックをしなくてもいいのなら、真空管は送らなくてもいい。が、破損が心配というだけなら、真空管はちゃんとパッキングすれば案外と破損しないぞ、云々」という親切な返事が届いた。そこで、いずれにしても真空管を外すことにして、あらためてアンプの隅々をしげしげと眺めたところ、なんと! ヒューズがもう一つ別の場所で使われているではないか! 元々のEL34アンプでも、そして年代物のトランジスタ・アンプでも電圧ヒューズは1箇所だけだった。が、この300Bアンプでは、どういう理由かは知らないが、異なった電圧のヒューズがそれぞれ異なった場所で用いられていた。そして、そのヒューズを見ると、見事に焼き切れているではないか。

 そして、ここで新たな問題が発生。EL34で使っているヒューズと、300Bアンプで、先に確認したヒューズは125V 4Aの表示のものなのに、今し方発見したヒューズは125V 1.6Aの表示のヒューズだった。こんな小さなヒューズなんて近頃は滅多に目にしない。(そもそも、ガラス管ヒューズが珍しい。)近所のホームセンターを探し回ったが、2Aのヒューズはあるものの1.6Aがない。そこで、またまたフランスのメーカーに問い合わせる。「斯く斯く云々、実はヒューズno.2が焼き切れていたようで、修理依頼する前に、このヒューズを交換してみようと思うのだが、1.6Aのヒューズが手に入らない。厳密に言って、2Aのヒューズで代替すると何か危険があるか、云々」。

 すると、案の定、またすぐに返事が届いた。その返事は「おかしいな。日本では125V 3.0Aのヒューズが適格なはず。でも、2.0Aのヒューズでも大丈夫。しかし、1.6Aだと小さすぎるかも。ヒューズが焼き切れたのはおそらくそのせいだろう」。そこで、早速2Aのヒューズを入手して交換、ビンゴ!! アンプは何の問題もなく復活した。そのことを「大騒ぎして申し訳ない」と報告すると、「簡単に直って良かったね。何かあればいつでも遠慮なく連絡してくれて結構だから」という親切なご返事。
 
 さて、以上のやり取りだけでもかなりの好印象なのだが、何といっても中古で手に入れた機材なので、真空管のことも気になってくる。このアンプには目を引く大型真空管300Bの他に6922という真空管と5687という真空管、合計3種類の真空管が使われている。(ぼくが手に入れたのは初代なので、5687が使われているが、カタログによると、現役の3代目は6922が2本使われているようだ。それは当然で、5687という真空管は今では新たに作られていないので、この先の安定供給にかなり暗雲が漂っている。)

 さて、たった今書いたように、5687には5687の問題があるのだが、いっそう悩ましい(?)問題は6922の方だ。この6922という真空管には言わば「双子の兄弟姉妹」がやたらと沢山いる。つまり、「名称は違うが、特性は完全に、あるいはほとんど同じ」という真空管が複数存在する。互換性というものと理解されたい。曰く、6DJ8、ECC88、E88CC、等々。そして、これにまつわって一番面倒なのは、ロシア製と日本製の真空管。かつての真空管黄金時代、おそらく著作権、特許なんてものに関する意識が、良くも悪くもユルユルだった頃、似たような真空管を「後進国」の旧ソ連や日本でも大量に開発した。6922と6DJ8を元に、旧ソ連では6N1Pというのを作り、宇宙ロケットにも使っていたらしい。で、マニアの中では「西側の6922や6DJ8よりも性能がいい」なんてことが言われていたりする。しかし、一方では(どうやらこちらの方が真実らしいが)「6922≒6DJ8と互換性のある旧ソ連管は、6N1Pではなく、6N23Pだ」とも言われている。ところが、困った(?)ことに、6N1Pという互換性に疑いのある真空管は、案の定、破格に安い。6N23Pも安いときはかなり安く手に入るが、ともかく、6N1Pは他の真空管の10分の1か場合によっては20分の1(つまり捨て値)で入手できる(可能性がある)。が、互換性に問題が……

 そこで、困ったときはメーカーに問い合わせ、ではないが、調子にのってまたまたフランスに相談してみた。すると、「6N1Pを自分で試したことはないが、特性を調べた限りでは使用できるよ。6922の類は本当に沢山あるから、色々試してみるといい。うちにも良いのが一杯あるけど、どう?」という返事が届いた。わざわざ調べてくれたところがありがたい。そして、6N1Pが大丈夫ということになれば、国産の日立が作った6RHH8やら6RHH2というのもおそらく大丈夫なのだろう。というわけで、その後細かい真空管が雨後のタケノコのように我が家で増殖したことはいうまでもない。

 しかし、いったいこれのどこが「しみじみと良い話」だというのか……やはり、実際のメールのやり取りが再現されないと上手く伝えられないのかな……その店長兼メカニック兼営業員さんの、何とも自然体の親切は。でも、事実として、この一件からはかなりの元気を貰ったような気がしている。

 残る二つのいい話は、

2)30年以上前の思い出のボールペンを無料で修理してもらった話
3)自転車の、取るに足らない小さな部品、どこでも売っていない部品をメーカーが送ってくれた話

 これはまた時間のあるとき、気力があるときに書くことにしよう。 (H.H.)

posted by 冬の夢 at 03:47 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年06月10日

「小津安二郎『小早川家の秋』は豆腐ではなく……」へのコメント

 べつの筆者の文へのコメントとして書きましたが、コメントには長すぎるので、ブログ記事としました。この文の三つ前にアップされている「小津安二郎『小早川家の秋』は豆腐ではなくガンモドキか」も、ご一読ください。

       

 ひさしぶりに再見しました。三度めだろうかと思います。
 松竹作品は、かつて名画座でも見ましたが、この東宝作品を映画館で見たことがあるかどうかは、記憶がはっきりしません。
 この映画のことを書いたべつの筆者が、ブログの他の文で書いてもいますが、小津や黒澤のデジタルリマスター版を見なおすと、自分が持っていた感想を書き換えねばならないほどの発見がよくあり、驚かされます。
 松竹は小津作品のハイクオリティ化を格段に進めましたし、大映の『浮草』もデジタルリマスターされているようです。しかし、東宝唯一のこの作が、それらに劣らない品質にデジタル化されているかどうかは、よく調べないまま見てしまいました。

 それはともかく、この映画は、べつの筆者の文にもあるとおり、小津の戦後作品のなかでは評価が低く、わたしもこれまで違和感をもっていた一作です。
 けれども今回の再見で、ひょっとして「傑作」ではないかと感じました。というのは、これが小津のほんとうの最終作で、小津の映画作りの集大成なのではと思ったからです。
 小津はこの作の翌年、松竹でいつもの小津調≠フ『秋刀魚の味』を制作公開し、それを最後に、さらにその翌年春から体調を悪くして亡くなります。ですが、『秋刀魚の味』の一作前の『小早川家の秋』こそが、決定版であり集大成なのだと、今回、勝手に思ってしまいました。
 まとまらない文になりますが、理由を並べてみようと思います。

 まず、原節子の小津監督作への出演最終作であること。
 前年の『秋日和』で司葉子と演じた母子の設定は、『小早川家…』でも司と、亡くなった兄の嫁と義理の妹となり、同じように双方に縁談があって似た結論に至る構成です。
 ただし『小早川家…』では、司には、経営が傾いた実家の蔵元の将来のための結婚が期待されています。見合いの相手に嫁ぐか、彼女にそれとなく告白し北海道へ赴任していった大学教員(宝田明)を選ぶか、迷います。そんな義妹の将来への思いを、小早川家では家業は継がずに亡くなった長男の未亡人、という「外様」の原が、親族の誰より理解している、という仕立てになっています。

 その原節子の義妹=司葉子への寄り添いかた、語りかけが、ほんとうにいい。
 この映画までに撮られた、さまざまな美しいカットへのセルフオマージュ、それは原節子を讃える映像にほかならないと思いますが、そういう構図の映像が散りばめられた映画で、司葉子に原が、自分らしい選択をすることがいちばんいいと、ことの始めから思っていた、というように、微笑みながらさらりというカットがあります。その表現力で伝わるものにも心を打たれますが、これは『東京物語』で原が「わたし、ずるいんです」といった涙の告白のシーンを朗らかに救ってもいる、感動的な瞬間です。

 意識して見すぎでしょうが、あきらかに小津調≠ナない原節子の「地」が、画面をわずかに彩る見のがせないカットも数回あります。
 未亡人の原が、自分を「おばあさん」といったら司に百円払う、という約束をめぐるやりとりで、ふっとそこに原の「素」が映るのですが、小津安二郎の最後の作品≠ノそれがあることに気づくのは、わくわくする鑑賞の喜びです。司葉子は後々まで、隠棲した原とよく長電話する間柄になったそうですが、そりゃそうだろうねという微笑ましい場面でもあります。

 この映画は小津調≠ェ完璧に得られなかったせいで、あまり高い評価が得られなかったらしく、原因は、べつの筆者が指摘しているとおり、ほかの映画会社での撮影で、慣れた制作班とでなく、他社専属のオールスター出演作で、撮りにくかったに違いないことがあります。
 かねてから解説されてきたことですし、その通りでしょう。わたしも、見るたびにその情報を思い出し、松竹の戦後作品に特徴的な小津調≠ニの違いばかりを意識して見ました。
 しかし、おかげでこの映画の小津調≠ヘ、形式化や様式美に固まりすぎず、リジッドな要素の構築がときに綻(ほころ)びさえ見せます。そして人生はつづく≠アとの意味を、ほのぼのとしたユーモアと、話途中で放り出されるかのような不安の間に、深く考えさせてくれていると感じました。

 そもそも、いつからでしょうか。小津の映画に作法≠ホかり見つけようとし、鑑賞する作法≠ワで重んじられるようになったのは。
 わたしが初めて見たのは、四〇年以上前の名画座で、です。オールナイトで三本か四本立てという上映もよくあり、始発電車まで眠るために、平板な退屈さを求めて入館しているらしいお客さんも目立ちました。続けて上映すると、オープニングシーンが前の作とほとんど変わらないということで、館内に苦笑がもれたりしたのが忘れられません。

 小津監督作品の鑑賞に、作法などない、というように書いておきながら、ややマニアックな鑑賞作法≠ノ話を戻しますが、『小早川家…』は、それほど小津調≠逸脱してはいません。
 東宝の藤本真澄は大の小津ファンでしたし、現場は敬意をもって小津の作画意図に応じていることが、画面から見てとれます。
 小津の側からいえば、そもそもこの映画は、『秋日和』での東宝への借りを返すための一作なのです。司葉子はもちろん、原節子だって東宝ですから。このふたりをはじめ、たしかに形式上は東宝オールスター映画です。が、おなじみの笠智衆や望月優子が松竹から出ているし、杉村春子も出ていますね。その杉村と『浮草』で共演した中村鴈治郎も、あの映画のままの味を出しているわけで、鴈治郎は大映でしょう。
 ひょっとすると小津は、映画黄金時代が過ぎつつある当時、正直なところ各社にとってはけっこう重荷になりつつあった、五社協定という縛りを解きたいと思っていたのではないでしょうか。
 さらに、小津調≠ニいうと秘伝の武芸帖みたいですが、じつは仕事のできる職人集団なら扱える表現手段であって、その代わり、映画にしかできない表現技術として、伝承してほしいという思いさえあったのではないか──。

 まあ、そこまでは想像しすぎとして、この映画の撮影で小津が、しつこくリテイクするより、むしろ冷たく流したといわれる俳優の芝居を意識して見ることで、小津の映画作りに、どんな俳優(演技)が「適さない(不要である)」かがわかり、逆に、なにを小津が求めていたかが、よくわかりました。
 小津作品で特徴ある台詞に、フレーズの最後を、念押しするかのように、棒読みに近く繰り返す、というものがあります。
 その言葉を、俳優が自分自身に向けて発したり、自分の表現力で鑑賞者を説得でもするかのように発しては、だめなのです。繰り返すとき、台詞がスクリーンを見ている側にポロリと落ちるように、出さなければなりません。鑑賞者が、いそいで手を出して受け止め、できればそれを持ち帰れるように、言わねばならないのです。

 この点で、まったく適していないのは森繁久弥で、この人は小津に敵愾心を持ち、得意のアドリブ芝居でうっちゃってやろうと思っていたらしいですが、いかにも客受けしそうなボソつきを、いちいち付加するかのような演技は、小津調≠フ造作で組み立ったこの映画では、なにも伝わるものがありません。公開当時は森繁節としてウケていたのかもしれませんが、瞬間芸のようにも、ひどく古くさくも見えます。
 いっぽう、小津調≠ノきっちり台詞をはめてきているのは新珠美千代で、わたしは当時の新珠を、やや低く見ていたのですが、まったく見直さなければならなくなりました。雰囲気を壊さずにキツめにふったり、控えめにしたりする台詞の上手さもさることながら、動きのシャープさが、すばらしくいいのです。まるで小津調≠ナない、いわば繁昌記っぽいスピード感で動いたりするのに、小津調≠ナ組まれたセットをこの人が動くと、やや入り組んだ蔵元家屋の構造や人間関係が、その導線だけで連鎖するのです。小津調≠轤オく、シーンがいきなりカットで変わっても、なにも迷わずついていけます。
 ついでですが、小津調≠ヘかならずしも古ぼけたサロン芸術ではなく、同時代の空気を吹き込み撹拌する役がつねに配されています。松竹作では岡田茉莉子が起用されたりしますが、岡田ほどの輝きはもちろんないにしても、東宝の団令子も、当時流行の落下傘スタイルでこの映画をみごとにぐるぐるとかき回しています。

 小津安二郎の映画は、映っていないものに意味があります。
 映らなかった出来事に、あるいは、不在のスティルショットに。
 見終わってからしばらくして、場合によってはかなり後に、あれって、こういう意味だったんじゃないか、と思い、けっこうブルッときたりする映画なんです。
 といっても、小津調≠ェずらりと並ぶ戦後の作では、話の内容は、さしたるサスペンスとてない日常的なものがほとんどなので、そんなことは気にしなくても見られますし、読みとらなきゃダメだと鑑賞作法≠意識しすぎると、店の前の桶が何個あって、逆さになっていて、というような過剰なディテール研究に陥ってもしまいます。
 
 で、とても興味深いことに、この『小早川家の秋』では、「映さなかったもの」が、わかりやすく示されています。あたかも小津映画鑑賞作法のテキストブックのように。
 ここで、あれこれ拾ってくるのはやめますが、べつの筆者が指摘しているように、「大旦那」の鴈治郎の急死は、シーンとしてはまったく「映されない」わけですが、その予告は前段に満ちていて、スチルショットも、きわめてわかりやすく挿入されています。吉田喜重がこの映画を評して「媚びている」といい、小津が監督たちの会合で吉田とさし向かいになって酒をさしつさされつ……という有名なエピソードは、ひょっとすると、たんに世代対立ということではなくて、この映画で起きかねなかった小津調≠フクリシェ化、あるいは凡庸な記号化をめぐる問題だったのかもしれません。

 わたしが、大旦那=鴈治郎の急死で感じたことは、こうです。
 亡くなる場面は、まったくありません。
 小林桂樹と司葉子が駆けつけてみると(この組み合わせも、どこかちぐはぐなのですが)、二〇年ぶりに偶然出会って、また通うようになった妾宅で、鴈治郎は死んじゃってます。
 それまで、厳格な経営者ではなく、ご乱行型の先代であり、ちょっと剽軽でユーモラスなお祖父ちゃんとして描かれた鴈治郎は、遺体になっているわけです。
 そして、その場面までに予告されていたにもかかわらず、死とは、まったく不慮のものであり、人生最大の苦痛であり、とりわけの不幸であることが、死の場面をスクリーンに映し出さず、その昔、大旦那に「女にしていただいた」という浪花千栄子から、死とはそして人生はつづかない≠アとの証明であると知らされるのです。やはり「繰り返しの台詞」を「お言いやしてな」と。

 えらいお苦しみでなあ
 ああもうこれでしまいか、もうしまいか、って
 二度ほどお言いやしてな


 この映画は、京都の蔵元を舞台にして、大阪や神戸のようすをにおわせもしつつ、撮られているわけですが、わたしは小津の映画ではめずらしく、そういう土地の設定に深い実感をもって見ました。
 小津の映画は、あの『東京物語』でさえ、東京だの熱海だの尾道だのを、はっきりと示したり、様子を描写したりはしないわけですが、わたしはいつも小津の映画に、東京や湘南をイメージせずにはいられなかったし、同時にそれは、東京生まれでなく、東京ナニナニ、という表現になんら感じるところのない自分には、意味も実感もないことだったのです。まして、脱法ハウスまがいの貧乏下宿住まいだった身で、オールナイトで見る、東京の中流やや上くらいの家庭ドラマは、それだけでもう、遠いものでした。
 それが『小早川家…』での京都伏見、嵐山や、大阪のバー、とりわけ宝田明が司葉子にそれとなく告る駅が、広告看板からわかるように十三であることなどが、数年前までしばらく阪神地域に住んでいたいたせいでもないでしょうが、まるでUFOキャッチャーで吊り上げられて映画のなかに落とされたかのように、親密に感じられました。

 まとまらないまま、書き並べてきましたが、『小早川家の秋』を、小津の映画作法の完成形とみるのが正しいかどうかは、よくわかりません。
 映画の舞台が小津の戦後作ではめずらしく関西である、ということだけでなく、もっと違う理由で、親密な目で見たような気もします。
 平凡な理由ですけれども、長く再見していない間に、この映画を撮った小津より歳上になり、ラストシーンで、川の向こうへ見送られていく鴈治郎の年齢に近づいているせいなのかも、しれないです。(ケ)

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 小津の映画作法を「完璧」と称するのはおかしいのでしょう。当人が、明らかな矛盾をつかれても、そんなところは気づかれるはずがない、といっていたそうですから。
 ですが、まあ「ねた」として「気づいた」点を、いくつかあげておきます。わたしが間違っているかもしれません。

*セミの音が「くまぜみ」っぽい(すこし違うような気もするけど)のが、ちゃんと関西になっていていいです。途中の場面で「つくつくぼうし」になり、ああ場面が秋になったんだと思います。ところがその後でまた「くまぜみ」に戻る。意味があるんでしょうか(…)。

*葬式の段取りが、ちょっと変な感じが。斜陽だし引退もしているとはいえ、歴史ある店の大旦那で、店員たちも葬儀の手順をやかましく打ち合わせているんですが、弔問客がないまま野辺送りと火葬がすんじゃいます。夏だからということはあるかもしれませんが、京都って火葬がさきなんでしょうか。

*桶が出してあるから、醸造家だと思うんですが、自分のところの酒を使わないですし、前掛けも既製品のような……卸販売ってことなんでしょうかね、掛け取りといっているし。

*ラストシーンで、原と司の対話をはさんで前後のカット、川が流れているのと、涸れているのと、食い違っています。

*黛敏郎の音楽、全体では、さほど特異ではなく、鴈治郎が妾宅へ行くときのBGMなんて「トムとジェリー」ふうで、いいのですが、ラストシーンの、いかにも葬送曲ふうの音楽は、かなり違和感がありました。これも他社撮り≠フせい(音楽担当を指名できなかった)かと思っていたら、黛を起用したのは小津自身だそうです。三作前の「お早よう」で、小津から黛の起用を告げられた斎藤高順は、ひどくショックを受けますが、最後の『秋刀魚の味』では、ふたたび斎藤が指名されています。


※写真は海外版(Criterion)DVD
posted by 冬の夢 at 01:33 | Comment(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする