2021年02月28日

那覇は、もう秋  - remixed & remastered -

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沖縄 2013 Okinawa 2013

(ケ)

Originally Uploaded on Nov. 22, 2013 16:44:00
Re_Uploaded on Apr. 18, 2021 16:05:00

(c) 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌 請不要複製

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2021年02月22日

国立劇場二月文楽公演『吉田屋』『寺子屋』

 文楽を見に国立劇場小劇場へ。久しぶりというわけではなく、実はコロナ禍で劇場公演が再開されてから、歌舞伎座や国立劇場には何度も足を運んでいる。

幸四郎の『源氏店』(八月歌舞伎座)
勘九郎と巳之助の『棒しばり』(同上)
文楽『鑓権三重帷子』(九月国立劇場)
『寿曾我対面』と『かさね』(九月歌舞伎座)
梅玉の『源太勘当』(十月国立劇場)
白鸚の『一條大蔵卿』(十一月歌舞伎座)
文楽『桂川連理柵』(十二月国立劇場)
『車引』、芝翫の『らくだ』(一月歌舞伎座)

 首都圏においては新型コロナウィルスの感染が収まらないというのによくこんなに外出できるもんだなとお叱りを受けそうだが、なにしろ「男はつらいよシリーズ」を見続ける苦行中で、芝居に行かないではいられなかった。と言っても、鑑賞記を残そうという気にさせられる出し物にはほとんど巡り会えず、唯一『源太勘当』にくっついていた『幸希芝居遊』(さちねがうしばいごっこ)という新作が幸四郎らしい遊び心と舞台愛に溢れていて、見ていて温かな気持ちになる良きお芝居だった。
 毎月見物していたのにどれもがあまり印象に残らなかったのは、やはりコロナ禍での興行形式にも要因があると思う。「こんな状況下で必死になって幕を開けている役者や舞台関係者に対して失礼だろ!」と再びお叱りを受けそうだが、大向こうの掛け声がない歌舞伎は、気の抜けたビールというか茹で過ぎたパスタというか花椒のきいてない麻婆豆腐というか、決定的に何かが足らない感じがしてならない。おまけに歌舞伎座では定時的な館内の換気と消毒を行うため八月の公演再開時には一演目ずつの四部制をとったから、必然的に入場料はひとつの演目への対価として意識される。三階席で三千円なら普段よりずいぶん安いのだけど、上演時間が一時間にも満たない芝居にその価値があるのかと値踏みする気分にもなってしまった。
 たぶん松竹も国立劇場も、入場者数を制限しての公演は利益を出すどころか赤字覚悟の興行なのだろう。小屋を開けてくれるのは本当にありがたいことで最敬礼の気持ちではあるものの、やっぱり本来あるべき形で半日ゆっくりと劇場空間を愉しみたいと思ってしまう。

 さて、今月の文楽公演は、緊急事態宣言が発出されて開演時間が変更された以外は、コロナ以前と同じ三部制での公演。第二部の『吉田屋』と『寺子屋』は、久しぶりに見所が多く舞台に集中することが出来た。
 『吉田屋』はダメ男伊左衛門と傾城夕霧がなんだかんだあって最後はくっつくというお話。開幕は賑やかな正月の準備風景。吉田屋がある九軒新町遊廓で餅付きが始まっている。杵を打つ小僧と臼をこねる女中の息が合わずに女中が指を挟まれる小芝居あって、そこへ太神楽の太夫が登場。獅子舞を舞った後で傘回しの大道芸を披露する。この二体の人形の衣裳に注目。着物にもんぺ袴を身につけているのだが、長着の柄がなんともカラフル。上からイエロー、ライトグリーン、オレンジ、ボルドーの横縞。日本の伝統色で言えば、菜の花色、翡翠色、人参色、葡萄色が並んでいて、目にも鮮やかな目出たさだ。傘に紐つきの毱を仕掛ける動作も加わっての三人遣いで舞台は大混雑するも、色彩豊かな衣裳ですっきり見える。ちなみに袴は山吹色の地に赤と黒の細い格子縞。江戸時代の人びとの色彩感覚は、現代のデザイナーにも負けないインパクトを持っている。

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 この軒先の場面の後で伊左衛門と夕霧が出てきて、主役二人の衣裳も艶やかで良いのだが、奥の間を伊左衛門が夕霧を探し回る空間表現が素晴らしい。遠近法で組まれた襖が次々に開き奥の座敷が現れる。まるでヒッチコックの『白い恐怖』(※)で扉が奥へ奥へと開かれる映像のようだ。なかなか姿を現さない夕霧に伊左衛門が拗ねてしまい、部屋のあちこちへコタツを持って移動するなど、『吉田屋』は舞台美術の視点から見ても新しい表現方法に溢れている。そんな「見て愉しい」舞台を掛け合いで語るのが、咲太夫・織太夫・藤太夫の三人。ちょうどこの三人の横顔の奥に伊左衛門と夕霧の人形が見える角度の座席だったので、この組み合わせはまさに眼福。久々のご馳走をいただいた気分だった。

 もうひとつの『寺子屋』は、『菅原伝授手習鑑』の中で最も頻繁に上演される定番の出し物。歌舞伎でも何度か見ているが、菅秀才の身代わりに差し出した我が子の最期の様子を聞き、泣き笑いする松王丸が大きな見せ場だ。床本には「アノ笑ひましたか ハヽヽヽヽヽ、アヽヽハヽヽヽヽ」としか書かれていないところを藤太夫が情感たっぷりに泣いて泣いて、そして笑ってみせる。豊竹藤太夫(とよたけとうだゆう)は以前の竹本文字久太夫で、亡くなった名伯楽竹本住大夫の弟子。住大夫が以前名乗っていた文字太夫の名跡を継がずに、自らのルーツを遡って出会った「藤太夫」にこだわり、二年前に初代として改名した。あえて初代を名乗るのは、名跡ではなく自らの芸を磨いて行きたいという覚悟の表れだと思う。そんな藤太夫に声援を送りたい。

 演者は良いとして、何回見ても納得が行かないのが『寺子屋』の設定。藤原時平の配下にある松王丸が仮病を使って暇乞いをするのに対して、時平は菅秀才の首実検をすれば認めると言う。つまり松王丸は時平から自由になるために首実検を利用するのであり、菅秀才の代わりに我が子小太郎の首を差し出すわけなのだ。同じく実子を犠牲にする『熊谷陣屋』では、「一枝を伐らば一指を切るべし」という主君義経からの命令があって、熊谷直実は帝の落胤平敦盛を救うという忠義に従ったのだった。
 ところが『寺子屋』の松王丸には時平との縁を切りたいという個人的な理由があるのみで、世のため人のためにという使命は不在。だから自分の都合のために実の息子の首を斬らせるようにしか見えず、松王丸がエゴの塊にしか見えない。『菅原伝授手習鑑』を通しで見たことがないから、もしかしたらもっと深い見方があるのかも知れない。けれども歌舞伎座へ白鸚の松王丸を幕見で見に行ったときも同じような疑問しか浮かんで来なかった。一幕物としての構成は隙がなく見事な台本だと思うのだが、登場人物の心根にほんの少しの疑義を感じるだけで、舞台に気持ちが入って行かない。どうにも『寺子屋』とは相性が悪いようである。(き)


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(※)『白い恐怖』は1945年のアメリカ映画。グレゴリー・ペックとキスをするイングリット・バーグマンが恋に目覚める瞬間を、ヒッチコックは次々に開かれる扉をトラックアップで撮影した映像によって表現している。


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2021年02月15日

野田高梧『シナリオ構造論』 〜 映画における脚本家の役割

 最近、昔の日本映画をよく見る。ほとんど未見なので、小津安二郎の戦前の作品などを初めて見て、改めてモノクロ時代の日本映画の良さを再認識する。そこで小津映画についての評論などを読んでいたら、『晩春』以降の全作品で小津とコンビを組んだ脚本家の野田高梧(※1)が『シナリオ構造論』という本を出していたことが書いてあった。そんな本があるんだなと知った数日後に、本屋の映画コーナーに立ち寄ると、その『シナリオ構造論』の復刊本が棚の真ん中に面陳列(※2)されていた。最近は図書館で借りてばかりで本を買うことも少なくなったが、これは読みなさいという啓示だと思い込み、購入することにした。

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 『シナリオ構造論』が出版されたのは1952年(昭和二十七年)。雑誌「シナリオ」に連載された「シナリオ方法論」を野田高梧が自ら加筆・修正した。映画のシナリオを多様な視点から分析して、その構造を詳らかにしているが、「あとがき」にあるように「僕がこの著書のなかで一番強調しようとしていることは、シナリオには一定の方法などあるべきではないということ」が一貫して主張されている。今読んでも大変にわかりやすく、引用されている事例は映画の古典的作品からばかりなので、この一冊があればすぐにシナリオが書けてしまうような気にさせられる。2016年に復刊されて2020年には第二刷が出ているから、脚本家志望の若い人たちから現在でも支持されているのだろう。
 『シナリオ構造論』を読んであらためて教わったのは、シナリオがどのように構成されているかということ。野田によれば、シナリオは「題材→テーマ(主題)→ストーリー(筋)→プロット(はこび)→コンストラクション(構成)」に分解される。そしてこれらどの段階から発想されてもよく、また多段階に同時的に誘発されてシナリオは構成されていくのだ。中でも「ストーリー」と「プロット」が竹を割るように分割して説明されていて、自分がいかにこのふたつを曖昧にしか捉えていなかったかを思い知らされる。そしてシナリオが成功するか否かのターニングポイントが「プロット」にあることもよく理解出来るのである。

 プロット(はこび)は往々にして筋(ストーリー)と混同されがちであり、事実、一般的な映画常識からいっても、大体同じ程度の内容を現わす言葉として使われてはいるが、しかし厳密に考えると、この両者は決しておなじものではない。
 ストーリー(筋)は、いわばシナリオの最も原始的な形であり、シナリオ創作の基礎とはなり得ても、少なくともそのままの形ではそれの構成の基礎とはなり得ない。それがシナリオ構成の第一段階へ踏み込むためには、ストーリーはまず一つのプロット(はこび)としての「仕組み」を持たなければならない。


 ではストーリーとプロットとはどのように違うのか。野田高梧の教えに従って具体例を挙げてみよう。
 例えば題材は太平洋戦争で、主題は戦争の悲惨さだったり家族の絆だったりという場合。結婚したばかりの若い男女がいて、太平洋戦争が始まり、男は兵隊に取られ、女は疎開する。男は南方の戦地に送られ、女は戦地から届く男の手紙だけを楽しみに暮らす。手紙を届ける隻眼の郵便配達人は女に恋心を抱き、女もそれに気づく。戦争が終わった日、女は男が引き揚げてくると喜ぶが、郵便局には男の戦死通知が届く。郵便配達人はそれを配達せず、持ったまま姿を消す。女は男の帰りをいつまでも待ち続ける。

 と、事例を考えているうちに複雑なストーリーになってしまったが、要するにこれは筋であってプロットではない。プロットはシナリオの決定打なので、上記の筋には様々なはこびが幾通りにも考えられる。
 比較しやすいのでシナリオの冒頭を検討してみたい。パターンA。男女の新婚家庭の場面から始まり、そこへ召集令状が届く。野田高梧が言うところの「直線的プロット」である。当然この後には二人の別れ、女の疎開、戦地の男、手紙というはこびとなり、時系列に従った場面が順序立てて展開される仕組みだ。パターンBは「断続的プロット」。田舎道を走る郵便配達の自転車。田んぼ仕事をしている女に郵便配達人が手紙を渡す。二人の会話から場面は戦地で手紙を書く男へ転換する。こうなると、男女の新婚生活が回想形式で挿入されたりして、過去と現在を行きつ戻りつする複雑な構成を整理するために、郵便配達の自転車が物語の進行役を果たす小道具となるだろう。パターンC以降は事例を挙げればキリがないが、結婚を申し込む手紙、召集令状、男からの手紙、女からの返事と「手紙」のやりとりを繰り返して描くだとか、いきなり終戦の玉音放送から始めて、郵便局の仕分箱に男の戦死公報を見つける郵便配達人につなげたりだとか、数限りないパターンがある。すなわちひとつのストーリーに対してプロットの組み方はいくつでも考えられるのであって、その中のどのプロットを選択するかが脚本家の腕の見せ所となる。だからこそプロットがシナリオの成否を決めるターニングポイントなのだ。
 ちなみにコンストラクションとは、プロットをどう描くかに踏み込んだ段階。具体的には、玉音放送の場面を、酷暑の朝に「今日の昼に公民館に集まれってよ」という会話から始めるか、玉音放送を聞いて泣き出す大人とキョトンとしている子どもで始めるかの違いだ。もちろんここに来るまでにはプロットが完成されている必要があるが、このようなシーンネタを常に持っていることがシナリオ作りに役立つそうである。

 シナリオの構成を拙いながらなぞって来ると、「題材・主題・筋・はこび・構成」とは何もシナリオだけに限ったことではなく、戯曲にも小説にも適用される基本原則のような気がしてきた。『シナリオ構造論』でも、シナリオの構成を発端から結末まで説明した後に次のように書かれている。

 これは(中略)最も基本的な劇的構成の順序であり、ひとり映画の場合のみに限らず、一般の「劇」と呼ばれるものすべてに適用されるはずのものだけに、これが映画の上に参酌される場合には、そこにまた映画は映画としての構成の特質が充分に考慮されるべきである。

 『シナリオ構造論』を読むと、野田高梧が映画だけではなく演劇や文学に深く精通していて、その知見の上からシナリオという新しい表現形式を解析しようとしていることがわかる。そんな野田高梧の姿勢を見ると、映画におけるシナリオの役割を重要視し、脚本家の価値を世の中に啓蒙しようとしたのが『シナリオ構造論』の目的だったと思われる。冒頭に置かれた「概観」の章では、シャルル・スパーク(※3)と黒澤明の発言を引用しながら映画における脚本家の役割の重要度を力説している。

 「一つの映画が成功するためには、私はその寄与の四十%をシナリオ作家に、三十五%を俳優に、二十五%を監督に、と分かつべきものだと考える」(中略)――このスパークのパーセンテージの与え方の適否についてはいろいろ議論もあろうが、しかし、どれもが五十%を持ち得ないという主張に関しては誰しも抗議すべき論拠を持ち得まい。

 「弱い苗からは絶対に豊かな実りは期待出来ない。弱いシナリオからは絶対にすぐれた映画は出来あがらない。シナリオの弱点は、シナリオのうちに退治しなければ、映画として救うべからざる禍根を残す。これは絶対的である」――これは黒沢明氏の文章の一節だが、この言葉は黒沢氏が演出家であると同時にシナリオ作家でもあるだけに、いっそう玩味されるべきだと私は思う。


 野田高梧は、戦前から小津安二郎に多くのシナリオを提供しているが、1949年(昭和二十四年)の『晩春』から1962年(昭和三十七年)の『秋刀魚の味』まで小津安二郎が監督した全十三作のシナリオは、すべて小津安二郎と野田高梧の共作としてクレジットされている。二人は「雲呼荘」と称した野田高梧の蓼科の別荘にこもり、酒を飲みながら共同生活をしてシナリオを書いた。書き上げるとまず野田の妻が目を通し、娘が清書をしたのだそうだ。小津と野田のシナリオには必ず娘や母親が登場人物として出てくるが、その台詞を野田の妻と娘が容赦なく「こんな言い方しないわよ」とやり込める。女性陣二人のOKが出るまで小津と野田は書き直しするのだった(※4)。そうした執筆スタイルが、野田高梧を映画そのものの共作者の立場に立たせたことは間違いない。
 このような共作関係は小津安二郎と野田高梧のコンビのみに許されたことであって、もちろん小津の鷹揚さや包容力も要因だっただろうけれど、溝口健二や黒澤明においては、作者は自分ひとりであって、共作者は存在し得なかった。溝口健二の戦後作品はほぼ依田義賢が脚本を担当しているが、それはクレジット上のことだけで、実際は撮影現場で溝口の思うままに訂正されていた。溝口組の現場には黒板とチョークが常備されていて、俳優の演技に駄目出しした後に、溝口がその場で思いついた台詞を黒板に筆記させる。そのたびに溝口健二は依田義賢を呼び出して、シナリオを書き直させたそうだ(※5)。また、黒澤明にとって小國英雄や橋本忍、菊島隆三は、アイディアを競わせて、自らのシナリオを精錬させる脚本製作工場の仕事仲間だった。黒澤は題材やテーマごとにそれらの仲間の最適な組み合わせをコーディネートして、より純度の高いシナリオを練り上げる工程を管理していたのだ。

 こうして比較してみると、映画監督の立場からシナリオを統制していたのが溝口健二や黒澤明であり、小津安二郎は野田高梧とシナリオを共作する過程においてじっくりとゆっくりと煮詰めるようにして映像化のイメージを熟成したのではなかったろうか。シャルル・スパークの「シナリオ作家が四十%」という発言に出会ったとき、野田高梧は小躍りして喜んだに違いない。百ではないが四十、しかし俳優や監督よりも高い比率で映画を支配するのが脚本家の役割。そもそも野田は脚本家ではなくシナリオ作家という呼称を使っている。野田高梧は自らをシナリオを創り出す「作家」と見做していたのであり、小津の映画を自分の作品だと信じていたのだと思う。
 映画を作品として分類する際には、まず映画監督別から始めるのが通説ではあるが、『シナリオ構造論』を読むとあらためて脚本家の存在を見直そうという気になって来る。そして、台詞の語尾を「だわ」にするか「だよ」にするかまで常に一致していたという小津と野田のコンビは、日本映画が生んだ至宝のひつとだったと思い直すのでもある。(き)

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(※1)野田高梧(のだこうご)。愛知一中、早稲田大学を卒業後、雑誌記者・公務員などを経て松竹に入社。シナリオ作家協会初代会長。文中の引用はすべて『シナリオ構造論』より。

(※2)書店で棚に表紙を見せて書籍を陳列すること。平台での平積みと違って客の視線の高さに本があるので注目されやすい。

(※3)シャルル・スパーク。フランスの脚本家。代表作は『大いなる幻影』『嘆きのテレーズ』など。『太陽の下の18才』の主演女優カトリーヌ・スパークの父親なのだそうだ。

(※4)「鎌倉文学館 特別展 小津安二郎」(2020年8月29日〜9月22日)の展示より。

(※5)「国際シンポジウム 溝口健二」(山根貞男・蓮實重彦著)に収録された助監督田中徳三の証言より。



posted by 冬の夢 at 22:59 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする