2020年07月22日

『安城家の舞踏會』 〜 映画の古典にノックアウトされた話

 映画評論家の双葉十三郎は、外国映画が専門だと思っていた。ところが日本映画も大量に見ていて、その博識ぶりは『日本映画 ぼくの300本』(文春新書)を読むと一目瞭然だ。その巻末に十三郎先生の「ゴヒイキの映画」が掲げられていて、作品ベスト10として下記の十本がセレクトされている。

『忠次旅日記』(1927年 伊藤大輔)
『抱寝の長脇差』(1932年 山中貞雄)
『浪華悲歌』(1936年 溝口健二)
『安城家の舞踏會』(1947年 吉村公三郎)
『麦秋』(1951年 小津安二郎)
『七人の侍』(1954年 黒澤明)
『二十四の瞳』(1954年 木下恵介)
『浮雲』(1955年 成瀬巳喜男)
『飢餓海峡』(1965年 内田吐夢)
『幸福の黄色いハンカチ』(1977年 山田洋次)

 現代では映画評論家と言えば得意分野を絞り込むことによって自分の商品価値を高めようとする人たちが多い。その分確実に映画の見方が偏狭に陥るのだが、双葉十三郎氏のゆったりとした幅広な構えはいかにも大御所の雰囲気を湛えている。しかしながら映画鑑賞歴がサイレント時代から昭和期にかけての長きに及ぶので、十三郎氏の見識について行くのは難儀なこと。私は上から四本を見たことがないし、『抱寝の長脇差』に至っては本書を読んで初めてその存在を知った次第である。

 そんな折、業界別ガイドラインに沿って映画上映を再開した国立映画アーカイブで「松竹映画の100年」なる企画が始まった。松竹は、白井松次郎と大谷竹次郎が京都で始めた興行主稼業を起源とする。歌舞伎役者中村鴈治郎と組んで関西を制覇し、東京に乗り込んで木挽町の歌舞伎座を手に入れた(※1)。その松竹が映画製作を開始したのが1920年。今年はその百周年に当たるのだった。
 これ幸いとばかりにそこでかかっていた『安城家の舞踏會』を見に行ったわけだが、なにしろ戦後間もない昭和二十二年の作品だし、モノクロは当然だとして画質も音響も悪いんだろうなと思いつつ、十三郎先生ベスト10作品の鑑賞歴を増やす義務感で出かけた。ところがなんと。この『安城家の舞踏會』、紛うことなき大傑作。非の打ちどころのない作品であった。

 その完璧さをひとことで言うならば「教科書とすべき映画の古典」。映画たるものこうあるべき。そんな要素がぎっしり詰め込まれた作品なのだ。
 まず脚本。序破急のセオリー通りの三幕構成。そこで安城家とその周辺の登場人物たちが描かれる。映画は主人公敦子が舞踏会に反対するところから始まる。安城家は栄華を極めた名家だが、華族制度の廃止によって今は没落寸前。家柄を目当てにつきまとっていた新川という男に抵当権を握られ、屋敷は間もなく手放さなければならない。そんな折、姉の昭子は舞踏会を開こうとする。兄の正彦は流れに身を任すだけで女中の菊との密事に耽るばかり。仲介役となっていた叔父が新川との交渉が不調に終わったことを告げに来ると、当主である父の忠彦はその報告を信じない。敦子は運送業でひとヤマ当てた元運転手の遠山にこの屋敷を買ってもらおうと舞踏会の開催を決意する。
 この導入部で安城家の人びと、その事情、そしてこれから登場するだろう人物を手際良く紹介してしまう。まさに脚本のお手本。教科書に出てきそうな真っ当さで、このまま戯曲として本にしてしまえそうだ。没落貴族、舞踏会といった設定などチェーホフの「桜の園」を参考にしたらしいが、登場人物ひとりひとりの捌き方が上出来で、よほど「桜の園」よりわかりやすい。脚本を書いたのは新藤兼人。私たちの世代にとって新藤兼人と言えばATG(アート・シアター・ギルド)による低予算映画の貧乏監督のイメージしかないので、脚本家としての巧さには心底驚かされてしまう。

 いよいよ開かれる安城家の最後の舞踏会。ここからが第二幕。屋敷の大広間に洋装・和装で着飾った大勢の上流階級が犇くように集まる。当主の忠彦、長男正彦、長女昭子、次女敦子が迎える中、新川が娘の曜子を連れて姿を現す。父親は借金を帳消しにしてもらおうと新川を自室に呼ぶ。一方で鞄一杯に現金を詰め込んで来た遠山は、運転手時代から思いを寄せていた長女昭子に自分の気持ちを打ち明ける。長男正彦は婚約者曜子に酒を飲ませて庭の温室に連れ込むが、肝心のところで菊に邪魔をされる。屋敷では女性がひとりで玄関に現れる。父親が妾にしていた芸者千代を敦子が招待していたのだ。そして舞踏会は佳境を迎える。
 ここで脚本に続く要素、俳優について触れておこう。主要な登場人物は、安城家四人に伯母と叔父、新川親子、遠山、安城家の女中菊と執事吉田で合わせて十一人。俳優たちが各キャラクターになり切って演じるので、見ていて混乱するところが何ひとつない。同時に誰もが一面的なステレオタイプとしてではなく、微妙なニュアンスを含みながら理性と感情の狭間で揺れ動く人物に見える。これは俳優の演技力によるもので、巧拙はあるものの十一人のアンサンブルが脚本上の人物設定を個々のキャラクターとして具現化している。主人公敦子と父忠彦を演じるのは、原節子と滝沢修。原節子はその美貌やスタイルは別物としても、家族思いで芯のある女性を表現してなんの屈託も感じさせない。普通ならばあまりに良い子過ぎて嫌味が出る役どころだが、原節子の醸し出す品格が敦子を新しい時代の象徴として映し出す。かたや滝沢修。敦子が「お父様」と呼ぶのに対して常に「ん?」と反応する。何の構えもない泰然とした鷹揚さ。それが「ん?」に出ている。執事の吉田に「お殿様」と呼ばれながら育った人物なのだ。だから「ん?」の次は「ああ」と来て、自らは多く語ることがない。そこに当主としての誇り高さが見え隠れする。このふたりに代表されるように、俳優たちは映画に相応しい演技をあえてしている。原節子は映画でデビューした女優だが、滝沢修は舞台出身。舞台であればもっと抑揚をつけた演技をするのだろう。映画だからこそのほんのちょっとしたしぐさや細かな言い回しがリアリティに繋がることを知悉している。長男役の森雅之が見せる厭世的な態度や新川役の清水将夫の酷薄さも同様で、台本を俳優が生身で味付けしていく料理の基本がきちんと出来ている。だから映画として旨いのだ。
 くどくなるのを承知でつけ加えると、千代を演る村田知英子。戦前から日活で活躍した女優とのことだが、着物の後ろ姿だけで玄人っぽさを出している。もちろん黒を基調にした着物の柄や結えた髪型も効果を上げているのだろう。そのうえでこの女優は台詞ひとつ言わず、観客に「お、妾が来たな」と思わせるのだ。たぶん脚本にはト書きで「入口から着物を来た女が入ってくる。忠彦の妾の千代である」などと書かれてあるはず。それを映像化する際には、こういう女優がいなければ成り立たない。

 そして映画は第三幕へ。舞踏会は終わり、すなわち華族としての安城家も終わる。父親は、気遣う敦子を残して「少し疲れた」と言って自室に戻る。そこには舞踏会の最中、誇りを傷つけられて新川に向けたピストルがあった。自殺を図ろうとする父親。それを止める敦子。がらんとした大広間で、父と娘はダンスを踊る。華族としての最後のダンスを…。
 監督は吉村公三郎。代表作となった『安城家の舞踏會』にその渾身の演出術が凝縮されている。バストショットを基本にして俳優の演技をしっかりと画面に収める一方で、物語が急転する場面では斜めの構図を多用してサスペンスを盛り上げる。例えばピストルが大広間の床を滑るショット。ズザァーっという効果音とともに画面の対角線上を斜めにピストルが横切る、その構図。これこそ映像表現の極みで、映画の教科書に載せたくなる。また、長女昭子が遠山を追って砂浜を駆け出す場面。勢い余って砂に足を取られ、ハイヒールが脱げネックレスが飛び散る。それでも裸足で立ち上がる昭子。残されたハイヒールと白い真珠のネックレス。そこから砂浜の足跡が続く。華族としての装いを脱ぎ捨てて、平民の遠山を追いかける昭子の決意が、シンプルに表現されている。そのわかりやすさは、映画を見ながら思わず笑えてしまうほど。しかしその簡単明瞭さが吉村公三郎の狙いでもある。父と娘のダンスで幕を閉じるなんてのもクサイと思えばクサイのだろうが、あまりに素直な演出なのでほんの少しも臭わないのだ。まさに純粋。混じりけのない真っ当さだからこそ粋に見える。これが戦後すぐに作られた映画の強みなのだろう。

 考えてみれば昭和二十二年は日本映画が製作されるようになってからわずか五十年しか経たない時期。すなわち教科書になるような映画技法がまだ多くは確立されていない頃のことだ。吉村公三郎の演出には、戦後一気に輸入され始めた外国映画の影響もあったことだろう。それでもあらゆる芸術が模倣から始まることを思えば、この『安城家の舞踏會』は日本映画の古典として燦然たる功績を遺している。古典とは「古い時代に属する」という意味のほかに「歴史的価値を持つとともに後世の人に資すると考えられるもの」と定義されている(小学館デジタル大辞典)。この『安城家の舞踏會』を見て研究すれば、誰もが映画づくりの基本を学ぶことが出来る。だからこそのわかりやすさであり、純粋に端正な映画なのである。
 また、同時に『安城家の舞踏會』には観客を信頼する姿勢がある。普通に見ていれば、原節子の視線が何を訴えているか、舞踏会の客人たちが何を思っているか、映像だけですぐに理解出来る。あるいは台詞ですべて説明されなくても、新川が以前とどう変わったのか、執事吉田の忠誠心がいかほどなのかなどへ思いが及ぶ。映画とは観客の想像力を発火させるきっかけなのだ。スクリーンに映された映像から観客は何倍ものイメージを想起する。その映画と観客の関係性を信じていたのが、映画が古典だった時代なのだ。今では映画は溢れ過ぎた情報を観客へ一方的に吐き出すだけだ。詰め込むだけ詰め込んで、観客を上から見下ろす映画が跋扈している。双葉十三郎先生の星取りで☆☆☆☆を獲得した『安城家の舞踏會』は「後世に資する」古典ではある一方で、確実に「古い時代」の映画にもなってしまった。

安城家.jpg

 ところで、華族とは何だったのか。本作を見て、あらためて華族についてほとんど無知であることに気づいた。そこで少し調べてみると、なるほど『安城家の舞踏會』は公開当時においては非常に時事的なトピックを扱った映画なのだった。
 本作の公開は昭和二十二年九月(なにしろ映画のタイトルロールに公開年月が明記されている)。日本国憲法の施行と同時に華族制度が廃止されたのが同年五月のことだから安城家の没落物語は、観客にとってまさにホットな話題だった。憲法の草案段階では「当代に限って存続させる」予定だった華族制度は「法の下の平等」の原則に則り廃止され、日本国憲法第十四条において「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」とされた。憲法施行前年の十一月、財産税法が成立。財産の世襲が認められず、所有財産によって最大九割の税率がかけられることになっていた。土地や建物などの不動産、家財道具や美術工芸品などを多く所有していた華族ほど、多額の税金を納めなければならない。華族たちは泣く泣く資産を手放すことになった。安城家の屋敷もそんな背景があって新川に抵当権を握られていたのだろう。さらに爵位自体が消滅することが決まり、最後の舞踏会は、昭和二十二年の早春あたりに開かれたことになる。

 そもそも華族なるものが出来たのは明治二年。明治政府が版籍奉還とともに公卿・諸侯の身分と所有権を保証するために定められた。将来的な議会の設置にあたり二院制をとるならば「貴族院」が必要となる。そのためにも特権階級を残しておく意図があったらしい。明治十七年に華族令が制定され、華族として正式に認定されたのは、公家・武家に加えて明治維新に貢献した「勲功」の者たち。「公・候・伯・子・男」の五段階の爵位が設けられ、五百余の家の当主に叙爵された。最上位の公爵には、五摂家と徳川宗家。次の侯爵は清華家と徳川御三家に加え、十五万石以上の大名に与えられた。男爵は最も下位の位置付けだが、華族という上流階級に入るか入らないかが重要で、士族をあてがわれたくない武家の多くがなんとか男爵の地位を得ようと必死に請願運動をしたそうだ。
 『安城家の舞踏會』の主人公安城忠彦は「お殿様」と呼ばれ、台詞には四十二万石という禄高も出てくる。映画の中では爵位が示されることはないが、いわゆる大名華族で、たぶん侯爵の地位にあったのだろう。だから舞踏会の玄関には大名の出自を誇るかのように鎧兜が飾られている。前室で当主の姉が栄華を極めたかつての舞踏会の様子を「あの伊藤博文さんもいらっしゃって、それはもう盛況でございました」と酔ったようにひとり語りする場面がある。初代内閣総理大臣のことを「ハクブンさん」と読み、政治家さえもやって来たのだと自慢しているのだと思ったが、伊藤博文は貧農の出ながら「勲功」によって伯爵となり、最終的には公爵に上り詰めている。侯爵家から他の華族の家に嫁いだ安城家の姉は、「伊藤公爵さえ招待出来たのだ」と自賛していたのだった。
 ちなみに安城家の屋敷は海岸のすぐ側にある設定だから、場所的には鎌倉あたりを想定しているようだ。由比ヶ浜に近い長谷には前田侯爵が建てた洋館がある。三島由紀夫の『春の雪』で松枝清顕と綾倉聡子の密会場所として描かれた屋敷が、もしかしたら本作の舞台なのかも知れない(※2)。

 このような華族制度が日本国憲法によって廃止されてすぐに製作されたそのタイミングを思うと、観客たちは華族と平民という階級差により敏感に反応していたのではなかったろうか。そして感度のアンテナは、華族たちの没落に溜飲を下げる方向ではなく、誰もが平等になったという喜びへと向けられたはずだ。酔っ払った遠山は玄関の鎧兜をなぎ倒してしまうが、それは遠山と昭子を隔てていた家柄が意味をなさなくなる象徴であった。新川が父忠彦に尊大な態度を取るのも華族の価値がなくなったからだし、その忠彦が芸者千代との婚約を発表するのも婚姻相手の制約が解かれたためである。『安城家の舞踏會』が凋落する華族を題材にしながらも皮肉っぽさがなく、前向きな明るささえ感じさせるのは、誰もが平等でありたいと願う希望が叶えられたからだろう。古典には明朗さが必須でもある。だからノックアウトされて嬉しい気分になるのだった。(き)



(※1)松竹の興行史は「松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち」(中村右介著・光文社新書)に詳述されている。

(※2)もとは前田家の鎌倉別邸として建てられたもので、現在は鎌倉文学館として利用されている。本邸は、東京都目黒区の駒場公園内に残っている。

(※)華族制度については「華族」(小田部雄次著・中公新書)、「華族誕生」(浅見雅男著・講談社学術文庫)を参考にした。




posted by 冬の夢 at 12:32 | Comment(1) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする