2020年06月08日

ウィントンの娘として、その言葉を聞く─2020年5月31日、あるトランペット奏者の発言 @

With the crescendo of public outcry and proliferation of opinions and justifiable expressions of outrage by so many experts, officials and popular celebrities, I fear there’s little room or need for yet another person voicing a commonly held opinion. I also believe that the everyday tragedies that are commonplace and routine to our everyday way of living, should be addressed when they happen, not when so much pressure has built up in the system that it must be let out. It’s also much more difficult to draw a crowd every day for the sanctioned and accepted forms of corruption and disrespect of Black Americans that are shouted from countless recordings and videos and even more powerfully whispered in the form of discriminatory laws, practices and procedures that result in unfair housing and employment practices, and more tragically, lengthy unjust prison sentences.

 とても多くの、専門家、そして公職についている人、あるいは有名人たちが、激しい抗議や意見表明をかさね、正当な激しい怒りをクレシェンドさせています。そうしたなかでは、私がここであらためて一般的な意見を主張する余地も、また必要も、ほとんどないかもしれません。とはいえ、私はつぎのようなことも確信しているのです。ふだんの暮らしからすれば、ありふれたことで、毎度の繰り返しにすぎず、日ごとに起きる今回のような黒人差別による悲劇。それは、起きた時点で対処されるべきなのです。ことさら激しい抑圧が社会構造の中に積み上がり、あふれ出さねばすまない事態になってしまう前に。容認されてしまい、受け入れられてしまった、ブラック・アメリカンに対する不正や蔑視──無数の録音や映像から声高に聞こえてくるいっぽう、差別的な法律とその実行手続きの中に、ささやきのような形で、ある意味もっと強く存在していて、結果として公平でない居住や労働、あるいはより悲劇的な長期刑の宣告などに結びついてしまっている、そうした不正や蔑視──に対し、毎日のように大規模な抗議活動を行うことは、なおさら難しいのです。


Much of this “cacophony of crazy” is executed officiously and with a warm and innocuous smile. Therefore, Americans of all hues pass quickly from anger to acceptance, and as months turn to years, our daily silence and inaction is willfully misread as endorsement and back we go to go the illusion that “we’re past this”, because the daily grind is more important than what we find if we just open our eyes and keep them open.

 そうした「めちゃくちゃな不協和音」のほとんどが、親切めいたえらそうな態度と、悪気のなさそうな笑顔で実行されているのです。ですから、あらゆる人種のアメリカ人が、怒りをやり過ごして是認へとすぐに態度を変えてしまいます。そのまま月がたち年がすぎれば、私たちが日々静かに過ごし、行動で示さないことが、受け入れたのだなと故意に誤解されて、私たちの側も「もうこの問題は過ぎ去ったことなんだよ」という幻想へと、あと戻りしてしまうのです。目を見開き、そのまま見続けさえすれば目の当たりにするはずのことより、一日一日を回していくほうが、ずっと大切なのですから。


This particular tragedy, however common it’s become across these last decades, is perfectly symbolic of this specific time and place. And this global pandemic has given it a clear and more pungent stage. This murder is so distinctive because of the large size and gentle nature of the man who was murdered, because of the smug, patient and determined demeanor of his killer and of the other peace officers protecting the crime in full public view, and because our nation is always attempting to escape its original sin with the loud shouting of other serious, though less egregious, transgressions. This fully recorded public execution yet again demands our full attention and interest, IF we have the slightest remnant of belief in the morality, reason and intelligence required to realize, maintain and protect a libertarian democracy.

 今回のような特別な悲劇は、いくらこの十年ですっかりあたりまえになったことのひとつとはいえ、いまという時代とその状況を、あますところなく象徴しています。現在の世界的な感染爆発が、この悲劇をさらにはっきりした、刺激の強いものにしてもいます。今回の殺人事件には目立つ特徴があります。殺された人が、大柄でありながら温和な人だったこと。そして殺人者と、公衆の面前で起きた罪を隠蔽しようとしたほかの警官たちの、独善的かつ執拗で、確信に満ちた行い。さらに、わが国はいつもほかの、深刻ではありますが、さほどひどくない罪のほうを騒ぎたててみせて、この国の原罪からは逃れようとする、という点です。この完全に記録された公開処刑に、私たちはいま一度、徹底して注目し関心を寄せねばなりません。私たちに、自由を重んじる民主主義を実現し、維持し、保護するために必要な、道徳、思慮、知性に、わずかな信頼のかけらでもあるならば。


In each of the four decades of my adult life, I have addressed our myriad American social and character problems with an involved piece that always defends a belief in the progression towards freedom that my parents taught us was perhaps possible for all. Experientially, artistically, and spiritually, I’ve had a lifetime relationship - akin to obsession - with confronting this national calamity and conundrum.

 大人になってからの四十年間、どの十年にあっても私は、アメリカの社会的な、また国民性にかかわるような多種多様な問題に、それと関連づけた作品で取り組んできました。作品たちはいつも、私の両親が私たち兄弟に教えてくれた、自由へ前進することは誰にでも可能であろうという信念を守るために作られました。経験をつうじて、芸術的にも精神的にも、私はこの国の災厄と難問に、生涯にわたる関係を続けているのです。あたかもその関係にとりつかれてしまったかのように。


As these decades have passed and our nation has retreated from the promises of the Civil Rights Movement that my generation grew up believing would substantially improve economic and social opportunities for those who had been denied by our ‘traditions’, I have spoken, written, played and composed about the toll that American racial injustice has taken on all of us-our possibilities, our presence and our promise. Those words, notes and more seem to have been wasted on gigs, recordings, in classrooms, in prisons, in parks, on tv shows, in print, on radio and from almost any podium from the deep hood to palatial penthouse in cities, towns and suburbs in every state and region of our country day and night and sometimes deep into the night for over 40 relentless years.

 ここ何十年かのうちに、わが国は、公民権運動が約束したことから後退してしまっています。私たちの「伝統」なるものによって拒否され続けてきた人たちに対し、経済的・社会的に形あるチャンスをもたらすと、私の世代が信じて育った約束からです。私は、アメリカの人種的不正が、われわれみんなから取り上げてきたもの、つまり私たちの可能性、存在価値、約束された将来、そういうものについて、語り、書き、演奏し、作曲してきたわけです。でも私の作品の言葉や音符や、ほかの内容も、この無慈悲な四十年の間にむだになっただけかとも思うのです。ジャムセッションやレコーディングをしているうちに。教室や監獄、公園で、テレビ番組、出版物やラジオで、都会の裏町から宮殿のようなペントハウスに至るまで、都市から地方までアメリカのあらゆる州や地域で、昼夜、あるいはときに深夜、聴かれたり読まれたりしているうちに。

→【Aへつづく】

200610BF.JPG 
BLOOD ON THE FIELDS 1997
(THE LINCOLN CENTER JAZZ ORCHESTRA)


■ウィントン兄弟のお父さんで(子どものうち四人の息子がジャズ奏者として活躍している)、教育者、ジャズ・ピアノ奏者のエリス・マルサリスは、ことし(二〇二〇年)四月一日、ウィントンが生まれたルイジアナ州ニューオリンズで亡くなった。八十五歳で、コロナウイルス感染症による合併症だったという。

(ケ)

→【説明はこちら】
→【B(@〜B)はこちら】

■誤訳がありえます。そのため、訳文の複写使用は控えていただくよう、お願いします。

Originally Uploaded on Jun 11, 2020 16:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 時事 国際 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする