2020年05月17日

記事が800件になりました[このブログの由来・近況など]


2020年5月10日に掲載した文で、このブログの記事が800件になりました。

 現在3人の筆者が、思いつくまま書いては掲載しています。
 ふだん記事の数は数えていませんが、400件になったあたりから、100件増えたことに気づくたびに ”メッセージ” を載せてきました。
 よかったら、このブログをときどき訪れてくださいますよう、お願いします。

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近況:こんなふうに生活しています

(ケ)


2011 - 2020 (c) 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌 
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Originally Uploaded on May 18, 2020 00:50
タグ:Covid_19
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | ブログ紹介・お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年05月16日

散歩と剣道と体育の授業 .

 外出しなくなって一か月以上になる(二〇二〇年五月)。運動しなければいけない、めんどうな病気だが、室内運動もあまりしない。スポーツが苦手だ。
 しかたなく「素振り」している。
 野球じゃないですよ、運動音痴で野球はできない。
 剣道だ。
 くどいが運動は苦手で、剣道部だったはずもなく竹刀などない。中学校の体育の授業に剣道があったから、なんとなくだ。インターネットの動画を参考に──どんな分野にも「教え好き」がいて感心する──手近な長い棒を持ち、見よう見まねで振り回している。

       

 体育の授業は大嫌いだった。
 小学校のドッジボールにはじまり、サッカー、バスケットボール……つぎの授業が体育で、球技と知ると教室は盛り上がったが、球技はとりわけ不得手。嬉しくなかった。
 さらに嫌悪さえしていたのは、中学からはじまった武道(剣道)。習ったことは忘れたが、不愉快なことならすぐ思い出せる。

 なにがひどいか、備品の防具だ! くさいうえ、ジャージの体操服の上に着けるからアヤツリ人形みたいで、吹き出したいくらいカッコ悪かった。
 あれの、どこが武道で礼儀作法だったのか。家庭の負担が大きすぎて道具の個人持ちは見送られたのだろうが、やるなら稽古着と袴じゃなきゃダメだ! 
 大昔の、地方都市の中学での話です、念のため──。

 剣道の面をかぶってみたことはありますか。
 あの視界はつらい。自宅待機の数千倍しんどい。
 音が聞こえづらくなるので、体育教師がことさらわめくのにもうんざりだった。わめくといえば、奇声をあげて竹刀を振り回すのもつらかった。
 
 そんなのは序の口で、最悪なのは実戦練習である。
 地稽古というそうだが、申し合いで対戦相手を見つける練習があり、生徒たちはそれを楽しみにしていた。竹刀で公然と相手を殴れるからだ。ひょっとすると、剣道の授業は人気科目だったかもしれない。
 わたしはなぜか、ある生徒につけ狙われていて、たしか剣道部の上級者だったはず。記憶はうすれ、そいつの名も顔もはっきり思い出せないし、なんの恨みをかったかもはっきりしないが、とにかくコテンパンにぶちのめされる。逃げ回っても、へたり込んで「参った」しても、さんざん叩きのめされた。
 なにが痛いって「面」も痛いが「小手」が痛い! いまこの瞬間にも痛くなるほどだ。

       

 いま中学高校の体育で、剣道をどう教えるかは知らない。変な格好をして、ぶっ叩かれっぱなしの、わたしの経験は例外かもしれない。
 しかし、公教育で武道を教えれば、礼儀正しい心身健全な青少年が育成できるなどという人は、アタマがおかしいか、一種のサディストなのではないか。
 まさか誤解はないと思うが、スポーツ種目として好きだとか、競技に関係なく技や道を究めようと武道をやる選手や愛好家を、変態よばわりしてはいない。
 年間カリキュラムのごく一端でしか実施できず、有段の武道家が教えるわけでもない「なんちゃって武道」を、未経験の少年少女が必修すべきだという人を、おかしい、といっているのだ。何らかの政治的利害があるか、そうでないなら武道への侮辱でしかない。
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 ちょうど、このブログの別の筆者が、学習指導要領について書いたばかりだ。この機会に、中学校の体育授業での剣道(武道)の扱いを調べてみることにした。

 さっそく無知を恥じねばならないが、文部科学省は二〇〇八年の中学校学習指導要領改訂告示で、新しい学習指導要領では、中学校の保健体育の授業で武道・ダンスを含めたすべての領域が必修となる、としていた。
 ということは、わたしは必修でもないのに竹刀で叩きのめされていた(笑)のだろうか。

 できるかぎり駆け足で歴史をひもとくと、武道は日本の軍国主義を支えたとみたGHQは、翼賛的武道団体を解体し、武道教育を禁止する。時代劇や歌舞伎も制限されたことでよく知られる、占領政策のひとつだ。
 が、まもなく「教材」の形で武道は学校教育に再登場、一九五八年には中学校学習指導要領で「格技」として男子必修項目になる。一九八六年の指導要領で「武道」という語が復活するが、それはおそらく日本のさまざまな武術団体の悲願でもあったろう。
 ただしその「武道」は、男子必修から男女選択になった。わたしの中学生時代はたしかに必修内容だったが、近年までかなり長い間、武道は中学・高校体育の必修項目ではなかったのだ。

       

 全国の中学校で武道が必修になったのは二〇一二年四月から。出発点は、さきほどの二〇〇八年の告示だ。
 このあたりの経緯は省略。関連の議論も出つくしたはず。

 恥かきついでに書いておくと、二〇〇八年の告示は、二〇〇七年の学校教育法改正、さらにその一年前の、制定五十九年をへての教育基本法全面改正とつながっている。現行の基本法に付与された教育思想を、学校現場で具体化していく里程標のひとつだったのだ、武道必修は。
 わたしは、きょうまでこのプロセスを知らなかった。だから、政府のねらいが法になったからって、文章で宣言した程度でしょう、と思っていたものが、カリキュラムに実体化していく過程も、見過ごしていた。

 もうひとことだけ。
 二〇〇六年に成立した現行の教育基本法で論議になったのは、ご記憶のかたも多かろう「愛国心」問題だ。
 さすがに、「愛国」という戦前的なニュアンスがあると指摘されたら否定しきれない語を、そのまま新法に盛り込むのは避けられ、法文はこうなった。

 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。(第二条<教育の目標>の五)

 この法律を可決した国会論議で、「我が国を愛するとは統治機構(ときの政府や内閣)を含むのか」と質問された当時の内閣総理大臣は、こう答えている。

 我が国を愛するとは、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化などから成る歴史的、文化的な共同体としての我が国を愛するという趣旨であります。この趣旨を条文上明確にするため、伝統と文化をはぐくんできた我が国と郷土を愛すると規定し、統治機構、すなわちその時々の政府や内閣等を愛するという趣旨ではないことを明確にしております。このことは自由と民主主義を尊ぶ我が国にとって当然のことであります。

 教育基本法改正の国会論議にかかわった首相は二人いる。ひとりは小泉純一郎。もうひとりは、上の答弁を述べた安倍晋三(第一次内閣)だ。

 別に何も起こらないで、目くじら立てて騒ぐには及ばないじゃないか、というような法律が通ったら、それは注意なさったほうがいい。将来それが猛烈なことになり得る。

 と、いったのは「戦前は、ここにおられる大部分の方はまだ生まれていないと思うけれども、私は老人だからじかに経験して知っているわけで、それをお話ししようと思います。どこが今日の状況と似ているか、どこが違うかということは、私が昔話をしている間にあなた方が考えてください。」と、大学の講演で語った加藤周一だ。※1
 上の引用で話されているのは治安維持法だが、現行の教育基本法こそ「将来それが」ということに、なりつつあるのかもしれない。

       

 だいじょうぶ! 安倍さんも終わりだから。
 ということらしい。
 たしかに首相も政府も、支持されるどころか、もはやほとんど信用されていないようだ。
 首相が、なにかいったりしたりすると「文句の倍返し」がくる、そんな感じだ。

 コロンビア大学ICAP所長の疫学研究者、ワファア・エル=サドルは、この事態を乗り越えるためには、各国の首脳が発するメッセージが重要だ──各国で比較すると、実際に国民の移動データに反映していることがわかっているという──と語っている。「必要なのは、非常に明確かつ一貫したメッセージです」と。※2

 たしかに、いまの日本には、それがない。
 首相や政府が逆転タイムリーをねらった新機軸を打ち出したとて、もはや信頼は取り戻せまい。
 しかし、思うに安倍晋三こそ、「非常に明確かつ一貫した」ものを持った首相──それを自分の言葉で責任あるメッセージにする力が、この男にあるかどうかは別にして──ではなかったのか。みなさん、ずいぶん支持していたじゃないですか、と思ってみたりもする。
 安倍さん信用できません、という気持ちはよくわかるが、ならば「つぎ」はどうなるんでしょう?

 いや、べつに、どうでもいいんだろうな。
 すくなくとも安倍さんのおかげで、なにも考えなくてすむ、長い年月を過ごせたのだから。
 いま、他者を救いながら自分も生存するにはどんな行動が最善か、なんてことは自分では考えず、安倍さんにゴテたりグズったりしていればいいのだ。そういうのが、現代日本の政治と国民の「明確かつ一貫した」関係なのかもしれない。
 だとすれば、安倍さんの「つぎ」に期待されるのは、きょうあたり新宿歌舞伎町に繰り出しても※3、「いいんだよ、それで」と癒やしコメントを発してくれる人なんでしょうね、たぶん……。

       

 いくら健康のためといっても、剣道の素振りなんかしたくないけれど、きょうも、やるしかない。ラジオ体操とセットで。(ケ)


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■教育諸法関連の事実関係、首相答弁とも、文部科学省のサイトだけで見ることができます。

※1 二〇〇四年度 和光大学総合文化研究所公開シンポジウム
※2 エル=サドルが例にあげているのはニュージーランド、間接的にドイツだが、ニュージーランドの特徴(人口・人口密度など)からして、ほかの諸国にそのまま当てはまる方策ではない、とことわっている。「ナショナル・ジオグラフィック/ニュース」二〇二〇年五月一〇日
※3 日本経済新聞電子版 二〇二〇年五月一五日

■ 二〇二〇年七月二十二日、文のつながりのみ直しました。


posted by 冬の夢 at 15:38 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年05月13日

散歩と親子丼と日本料理のつくりかた .

 運動するよう病院でいわれているが、スポーツは苦手。なんとか散歩だけは続けてきた。
 しかし、ひと月以上外出していないし、室内運動もあまりしない(二〇二〇年五月)。幽閉された気分ではなく、ストレスも感じないので、精神面の問題はなさそうだが。
 日数がたち、とうぶん出歩かないから、拡散者になる可能性はほぼないだろう。いちばん大事な点は問題ないと思う。ただ感染回避となると、閉じこもっていても、首都圏でウイルスとの接触を完全に断つのはむずかしい。

       ♪

 いくらでも本が読めそうだが、なぜか長時間の読書はできなくなった。
 テレビや新聞はなく、インターネットで真偽不明の情報を拾い読みもしないので、読書三昧でいいのに。

 外出しないままでいると、屋外の音がよく気になり、耳をすませる。
 心なしか鳥のさえずりが都会の宅地にふえ、気が休まることもある。
 なんにせよ、音に気をとられ読書が中断すると、ふたたび本の中へ戻ることは、なかなかできない。
 新しい本は翻訳小説しか読まないので、うちにある昔の本でも読むかと、本を詰めたきりの段ボール箱を調べてみた。すると、ますます読書欲がなくなってしまった。
 蔵書は持ち主の姿を写す鏡なのだ。だから、どの箱にも昔の自分がいた。いま、かつての自分に向かい合う気力はない。

       ♪

 なので、こんな本を見ている。
 興味のあるところだけ見られるから気楽だ。

『日本料理・春夏秋冬』。奥付は一九六三年発行、一九七三年までに十八刷をかさねていて、料理の名著といってよさそうだ。
 著者は柳原敏雄(一九一二〜一九九一)。現代にも通じる料理が広まったことで知られる江戸後期、文化文政時代の懐石料理を集成して、その宗家となった人だ。わかりやすく紹介するなら、いま東京・赤坂で日本料理専門の料理教室「柳原料理教室」を主宰し大学で教えてもいる柳原一成の父であり、テレビ出演やさまざまな料理本で「イケメン料理家」として人気という柳原尚之の祖父である。

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『日本料理・春夏秋冬』婦人画報社 1964

 この本のいいところは、写真中心でテキストが短いことだ。まず各食材を簡潔に解説、分量や作りかたは、ごく短い写真説明でたんたんと進む。わかりやすい。
 材料はいつが「旬」で、味のポイントはどこか──歯ごたえか、柔らかさか、などなど──を端的に指摘し、それらをベストに合致させる調理法があっさりと、かつ鋭く書かれている。

 そもそも「日本料理とはなんであるか」は、「まえがき」で簡潔に「総括的にみて」と語りきっている。そこもいい。
 ひとつは「材料そのものが、すでに料理の体をなしているということ」。「旬の材料を追いつ迎えつするところに日本料理の醍醐味がある」。
 つぎに日本の「水の良さ」。「諸外国の料理が油の料理であるとするならば、日本料理は水の料理であるといえる」。
 そして調味料。「日本料理なるものは、この国土に発生したこれらの細菌によって、生命が与えられたといっても過言ではなかろう」。
 結論は「料理を手がけるその人に、日本の風物を愛する感情がすなおにとけ込んでいるということが、一番重要なことであろう」と結ばれている。
 思うに、料理がよけいな情緒の衣裳をまとって修飾語だらけで語られるようになり、それがもてはやされるようになったのは、いつからなのか。とことんバカげている。この本一冊あれば、なにもいらない。

       ♪

 とはいえ、六〇年近く前の本だ。
 あえて「いまの目」で見ると、時代を感じる部分もある。
 四季の食材を「追いつ迎えつ」する形で内容は進むが、カラー写真は四季それぞれ見開き1点だけ。印刷解像度が低く、色調もやや時代がかっている。ほかはモノクロ写真で、色味はわからない。
 撮影時の照明の向きはほぼ統一、左手やや奥の上から照らして、手前をレフか補助光で補った感じだ。
 これはべつにトリッキーな技術ではなく、いまの撮影でもほぼ基本だが、「いまの目」に古びて見える大きな理由がある。スマホで撮ったことしかなく照明が分からなくても、誰にでもわかる特徴だ。

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 パンフォーカス。「ベタピン」というやつだ。ゴルフじゃないですよ。
 どういうことかというと、画面全体に焦点がビチビチにきている。
「いまの目」の料理写真とどう違うか。手近のレシピ本でも通販のチラシでもいいので見てください。料理の一部は、はっきり写っているけど、ほかの部分はボヤけているでしょ。きょくたんな場合、エビフリャーの揚げてある所はカリッとしているけど、シッポはボケて写っているとか。器やテーブルクロスは写さず、料理を思いきりアップにしたりしていたりもする。テーブルが写っていても、上に食器の影はない。画面がホンワカしている。
 そういう写真を見ると「雰囲気がよくて美味しそう」と感じますよね?
 対して『日本料理・春夏秋冬』の写真は、「ベタピン」で画面が息苦しく、昔のグラビア印刷の特性で濁ったような重たさもあり、パンフォーカスは照明を強くしないと撮れないから食器などの影が濃い。「いまの目」で見ると「怖い」とさえ思うかもしれない。
 
       ♪

『日本料理・春夏秋冬』の撮影者を、奥付や目次で探してみると、なるほど、佐伯義勝(一九二七〜二〇一二)だ。ワン・アンド・オンリーといっていい料理撮影の泰斗である。
 柳原は「あとがき」で佐伯を「君」づけで呼んでいるから、親しかったらしい。実際、熱海にいた柳原のもとへ佐伯が重い機材をいとわず運び込んでは、相談して撮る作業をひたすら続けたそうだ。
 というのも、記録を開始したのはなんと一九五四年、つまり出版まで十年かかっている。当時の版元の幹部が「十年は待ったが、これ以上は待てない」といい、追い込み作業になったようだが、待つのも出版の仕事という時代もあったわけだ。

 おいしい瞬間をカメラに食べさせる!

 というのが、佐伯の名言だそうだが、それにはやや誇張がある。
 お店で客に出すとおりに、できたてホヤホヤを撮れば「美味しそう」に写るとは限らない。多かれ少なかれ「シコミ」をしないと、料理は料理らしく写らないからだ。

 ただ「ベタピン」、すなわち料理全体を、ときには器や食卓も含め細部まで見えるように写すのは、後々まで佐伯のスタイルであり、主義でもあったと思われる。
 すでに亡くなっているが、佐伯スタジオ──膨大な食器やカトラリーの収蔵でも知られた──のHPがあり、すごい光量の照明装置が自慢で「絞りF64などで、全面シャープな写真などは、お任せ下さい。」と力強く書かれているからだ。
 晩年の佐伯が、「全面シャープ」というスペックからすれば「ピンボケ」といっていいような料理写真の昨今の流行を、どう感じていたかは興味深いところでもある。

       ♪

 写真の写りぐあいはこれくらいにして、『日本料理・春夏秋冬』の、さらに大きな特徴を見ることにしよう。それは、写真と文の編集方法だ。

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 本文は少なく、写真と短いキャプションのセット、いわゆる「組写真」が、ほぼ均等に並び、読者に調理の手順を追わせるスタイル。組立説明書のような、いまでもある編集ともいえるが、知っている人は見れば気づく。この本と同時代の「岩波写真文庫」直系の誌面づくりだ。
 佐伯義勝は、岩波写真文庫の編集統括的立場にあった名取洋之助が、写真ニュース誌を作っていた会社、サン・ニュースに所属していたことがある。佐伯にとって、名取洋之助的な編集スタイルにそって素材となる写真をカッチリ用意していくことは、よくなじんだ仕事だったのではないか。もちろん版元の編集方針もあるから、本文デザインがどういう判断で決まったか、さだかではないが。
 また佐伯は、岩波写真文庫やサン・ニュースの仕事もしていたスナップ撮影の巨匠、木村伊兵衛についたことがあるそうなので、「おいしい瞬間をカメラに食べさせる」というのはまんざら誇張ではなく、大判カメラでスナップショットのように「捕食」する撮りかたも、心得ていたのかもしれない。
 
       ♪

 話がマニアックになってしまった。
『日本料理・春夏秋冬』の本文デザインは、柳原の考えも大きいようだ。
 なぜなら柳原は「はじめて日本料理を手がける人にも、一目で理解できるように、親切なプロセスを作ろう、ということ」から、もともとこの本を「日本料理入門」という題にするつもりだったからだ。そのため「よい本を作ろうという情熱」を共有し続けた料理家と写真家は、一心同体で十年の作業を行った。

 こうなると、この本に載っている料理を一品くらいは作ってみなくちゃいけない。包丁の扱いはもちろん素人だから、この本のとおりにやっても、まともに仕上がるとは思えないが、「はじめて日本料理を手がける」(料理の経験さえ少ない)人にも作れそうな品も、ほかの職人技料理と等価に解説して載せてあるからだ。
 慣れない料理なんてするヒマがあったら、いま営業が厳しい飲食店を支援すればいいじゃないか、ということなのだが、もう何年も前から夜の呑み屋街であちこち暖簾(のれん)をくぐってみることがない。まして外出しないし……親しくつき合ったお店が通販をやり始めたら、買うなどはしているが。

       ♪

 この本を手にしたのは、ごく最近だ。
 季節料理の店の、店長さんが送ってくれた。
 東京・築地から銀座へ、そして下町に小体な店を開き、長くつとめた料理人だ。
 事情で店を閉じるにあたり、この本をくれた。その昔、和食の道を志すにあたって買った本だという。本だけでなく、年季のはいった卵焼鍋や、丼もの用の片手鍋、盛箸まで受け取っている。

 夫婦で営業していた店で、板場は店長ひとり。
 あるときなぜか、客のわたしにカウンターの向こうから調理を教えてくれるようになった。わたしが、たまに料理──洋食──を作る、と話したからかもしれない。
 それにしてもこれは……まさか、わたしが弟子? いや冗談で流すのはやめて、とにかく作ろう。

 ということで、まずは送られてきた片手鍋を持ち出し、同封してもらったメモ書きを参考に、親子丼を作ってみた。
 うむ、味は上手く出来た! けれど仕上がりがまだまだ!
 わたしに調理法メモを書いたことで、新しいアイデアがわいたと、同じメモに店長のコメントがあった。よし、わからなかったところを教わって直伝を継承するぞ。いや親子丼じゃなくて、一品なりと日本料理の!(ケ)

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どうもこの写真、文の雰囲気をぶちこわしているような……



■二〇二〇年七月二十二日、文のつながりのみ直しました。

posted by 冬の夢 at 23:00 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする