2020年05月25日

散歩とテレワークと充実感 .

 外出しなくなって、ひと月半が過ぎた。
 運動しなければならない病気という、ややこしい持病があるが、スポーツは苦手。なんとか散歩だけ続けていた。それができなくなり、たちまち運動不足になってしまった。
 気づかずにウイルスを拡散する可能性はなく、自宅待機の意義は満たしている。しかし今後も感染を避け続けるには不安が残る。いくら出歩かなくとも、首都圏ではウイルスとの接触をゼロにはできないからだ。

 運動が必要な持病とは、ご想像どおり糖尿病。高年齢男性だし過去の病歴も考えると、感染すれば発症し死ぬ可能性を意識せざるを得ない。
 そこはあきらめがついているが、緊急事態解除を前にした日曜日(二〇二〇年五月二十四日)、窓の外に目立つ解放感を見るにつけ、ほんとうにこれが「出口」かどうか疑っている。怯えてはいないが平常心ともいえない。

 こういう気持ちでいる自分のような人びとのために、目盛りひとつ分でいいから、もうしばらく抑制してほしいとも思うが、そういうことをいうと「自粛警察」だそうだ。そんな扱いをされるなら黙っていよう。いま書いてしまったけれど。
 このさい田舎に住む友だちを探し、居候を頼もうかと考えなくもない。しかし、知らずにウイルスを運搬してしまう危険がないとはいえないし、いま首都圏から地方に行こうものなら、県境でショットガンを乱射されたり、バズーカ砲で攻撃されたりするらしい。

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 自室にこもり続けでも、ストレスはない。会社や学校でのよけいな人間関係がないと仕事や勉強がはかどる、というテレワーク体験者には共感できる。
 いや、将来もずっとテレワークでいけるのでは、という声は、けっして少数派のものではなく、支持されつつあるようだ。たしかに、自分の会社員時代を思い出しても、上意下達だけの会議、人事などをめぐるうざい密談、エンドレスな夜の付き合いがなかったら、倍以上のアウトプットができたことは間違いない。都心通勤による避けがたい疲労もなかったわけだし。
 このままテレワークが定着すると、都心の飲食店やネーチャンのいる店が干上がるじゃないかというかもしれないが、地域の商店街に移ってきてほしい。賃貸料も安い。自宅業務は効率がいいとすれば早々と夕飯が食える。家族と晩メシを終えてから、おもむろにネオン灯る駅前商店街へGO! 一日ウチで稼いだんだから、それぐらいは許されるのでは。

 ただ、全面テレワーク化には賛成できない面もある。古い考えと承知のうえで。
 オフィスなし、対面仕事なし、一日分の仕事パッケージをこなせば業務終了、というのは合理的で、自由時間や家族とのひとときも豊かになり、いいこと尽くしに思える。
 しかし、人のプレゼンスがない組織になってしまうと、Aiに仕事させているような感覚になってしまわないか。勤務者の存在実感がないので、ひとりの人間を捨てたり取り替えたりすることが、過度に容易になってしまったら──。
 人が顔を見せている場があり、その場の人の存在感や関係性で動く仕事があり、内勤外勤を問わずリアルなやりとりが連鎖しているからこそ「余人をもって代えがたい」という人材思想もあるのではなかろうか。
 もっとも、出入業者に賭け麻雀や握りゴルフの勝ちを譲らせて喜んでいるようなくだらない輩に限って、「余人をもって〜」といわれて管理職に居座り続けたりするのが、日本の組織の病理のひとつでしたけどね。

       ♪

 引きこもっていてストレスを感じない理由は、テレワークどころか固定業務もないのに、やることが多くて、一日二十四時間では足りないほどだから。

 たとえば、数日前から、この十年近くめったに買わなくなっていた音楽CDを、さかのぼって買い直そうと、リストを作ることにした。
 これが、ぜんぜん進まない!

 五年ほど前にも思いついたが、いろんなジャンルの音楽を聴くので、各種の音楽雑誌のバックナンバーの新譜案内を遡らなければと思い、いまさら膨大なプレビューなど読む気になれず、とりかからなかった。
 が、クロスジャンルの新譜情報を扱う月刊情報誌『CDジャーナル』が、新譜情報のバックナンバーを無料ウエブ公開していることを知った。版元に問い合わせてみると、国内盤の月次新譜発売情報に、以後の内容変更(廃盤など)を付加したバックリストだそうだ(インディーズ盤などはのぞく)。
 かつて爆買していたレコードやCDは、ほぼ輸入盤と新古の国内盤。国内発売の新譜はあまり買わなかった。それでも助かる。
 よく聴くジャンルで浦島太郎状態なのはロックやR&Bなどの洋楽ポピュラー盤である。しかしさすがに枚数が多すぎ、とりあえずジャズから始めた。ウエブのリストをちらほら見てみると、わりと近年まで未練がましくポツポツ買っていたことがわかり、浦島次郎くらいの感覚じゃないかな、ということで。

       ♪

 過去十年のうち三〜四年分のジャズ新譜情報に、短いレビューを読みつつ、目を通し終えてみると、やっぱり自分は浦島だ! と驚かされた。
 日本で発売されるジャズの盤って、こんな傾向になってしまっていたのか!
 その話は、直近までのジャズ新譜情報にひと通り目を通せたら、書けたら書くつもりだが、→こちらに書きました← レビューを見て、興味がある奏者の「実音」をネットで確認するだけ──「爆買時代」にはできなかったことだ──で、一日なんてすぐ終わってしまう。ほかに受験勉強もしなくちゃならない(笑)し。
 ただ、これで自宅待機生活が楽しく充実しているかと聞かれたら、そうでもない。

 かつての同業者の知人から、テレワークだと仕事のやめどきがわからなくなり、朝から深夜まで手が離せなくなる、という知らせがあった。
 驚いたことに、自分の心のどこかに、そんなふうに充実してみたいといういびつな気持ちが、いまだにある。
 リアル勤務だろうと、テレワークになろうと、組織化された労働はやはり人間を機械に変えるらしい──というのもまた、最近の若い勤労者たちからすれば、ひどく古い意見かもしれないが。(ケ)


■二〇二〇年七月二十三日、わずかに直しました。
posted by 冬の夢 at 03:28 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年05月19日

散歩と「自分探し」と受験勉強【改】

 こちらが感染するかもしれないので、その行為や行動はやめてほしいと伝えるのはむずかしい。
 いいかたひとつ、かもしれないが、不注意を諫(いさ)めると「自粛警察」と非難されるそうだ。いちいち誰が、そんなひどいことばを思いつくのか知らないが、そういわれるくらいなら、黙ってがまんするほうがいい。

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マスクが必要な人にあげました

 自宅待機は、ひと月以上になった(二〇二〇年五月十八日)。
 運動が必要という、ややこしい持病だが、スポーツは苦手で室内運動はあまりしない。
 日数がたったし引きこもっているから、知らずに感染し拡散することは、まずないだろう。が、感染を防ぎ続けるとなると、首都圏でウイルスとの接触を皆無にするのは困難だ。

 運動しなくちゃならない病気とは、ご想像どおり糖尿病。高年齢+男性だし、ケチな感染症から肺炎を起こしそうになったこともある。新型コロナウイルスに感染すると重症になって死ぬ可能性があることは、あきらめている。けれど、周囲の安全にも自分の予防にも気をつけたのに死ぬことになったら、つらさは症状の苦しさだけではないだろうなと思う。
 そんな、怯えてはいないが平常心ともいえない心境で、急にマスク姿の人が減った週明けの窓外に困惑している。もう大丈夫、ということなのだろうか。

       

 食べもののことは、いや正確には、食べもの屋のことはなるべく書くまいと決めている。概して卑しい感じがするからである。※1

 と書いたのは仏文学者の山田稔で、その通りだと思うし、たしかに熱心に書く気はしない。
 ついでに「わたし」と一人称を使うのも気がひける。日本語の主語アヤフヤ問題に加担してしまうことになるが、「わたしの話」なんて誰も読みたくないだろうと思う。だから一人称で書く自信がない。そもそも、誰も読んでいないだろうけれど。
 ところが「散歩と〜」という題で日々の雑録を書きだしたら、食べもののこともしかりだが、「わたしの話」ばかり書いてしまった。いいかげんな情報の切り貼りをしないことは、この同人誌ブログに参加したときから決めているので、部屋に閉じこもっていると話題がなく、自分ネタばかりになるのはしかたないとはいえ。
 だったら、書くのをやめればいいのに。
 たしかにそうだ。もともと文を書くのは得意でない。なのに、なぜ書いてしまうのだろう。

       

 部屋に閉じこもり続けることが異常事態だとは感じない。
 七年ほど前、会社勤めを急にやめたが、以後の日常を「外こもり」といってきた。引きこもりのオープンエア版みたいな意味だ。
 通勤仕事には転職せず、首都圏、京阪神、東海地方など、都市の隙間をひとりで徘徊した。観光地や名所旧跡に行かず、名湯めぐり、古事巡礼なんてのもなし。各地に行っているのに、ジミな駅の周辺などを、だまって歩き回るだけ。
 かつての仕事は、数えきれないほどの人に会う、ざわざわした業種だったが、仕事上の人間関係は消え、仕事で知り合った人にはほとんど会わない。人と相対するのが面倒になり、新たに知り合った人もわずかだ。新聞やテレビはやめ、新刊本を買わなくなり、SNSもしていない。
 隠遁者になったから自宅待機も平気です、という説明がわかりやすいのだが、そういう意識もない。
 じつはこの文、開き直って「わたし全開」で書いてみようとしているけれど、つまり自分のことは、よくわからないのだ。
「外こもり」を始めたころ、”ちい散歩” が人気で、似たような格好をした、ひと回りふた回り世代上の男性諸氏を、よく見かけた。まもなく地井武男が亡くなって、ブームはほどなく収束したらしいが。
 ちい散歩氏たちが訪れる場所は避けていたが、自分も仕事を離れて散歩しているわけで、それで自分のことがわかったかというと、まったくわからず、そのまま今日に至っている。
 ならば、引きこもっているうちに「自分探し」をやってみるか、と考えた。オープンエアでは発見できなかったからインドアだ。きどったり斜に構えたりせずに、やってみよう。

 そこで始めたのは「受験勉強」。
 青少年時代の自分にかえって「自分探し」のつもり。
 もちろん、いまから大学入学をめざすのではなく、受験参考書で英語の復習をしてみる。
 はなから無意味な気もするけど……。

       

 とにかく苦手で成績も悪かった「英語」。中学、高校、予備校、大学受験科目、大学の授業でも単位数があり、海外出張の仕事で自分が話さなければならなかった場合には往生した。

 共通一次試験世代のわたしが、かくも長くつき合いながら読み書き会話のどれにも通じなかった「英語」は、日本国内版の英語というべきで、基礎的だが特殊な英語に違いない。
 もしそうなら、その基礎だけは克服してオサラバしたいぜ、という話だ。

 このブログで、ジョン・キーツの詩を訳そうとしてきて、代表的な詩を訳し掲載して、ひと息ついたところなので、参考書をやってみる気になった。
 詩の解釈につまづく以前に、高校生レベルの英文解釈力が足りないせいで、意味を正反対に取り違える事態がよく起きたからだ。
 いや、英文学の専門家に指導してもらって完成させているとはいえ、十九世紀の英語の詩を訳すなんて、すぐれた英語力のある人がやるべきことだろう。受験英語でコケるレベルで、まずいだろ、英詩の訳なんかに手を出しちゃ。
 だいたい、ひととおり訳を掲載した後で、いまさら受験英語勉強なんて、遅いやんけ! 
 はい! 遅いです!
 英語学習の手遅れ感は人生でイヤというほどくり返し思い知らされた。遅いことは、かんべんしてくれ!

       

 英文解釈参考書には二大名作があるそうで──いまは何でも情報があるんですね──それぞれ、二大有名予備校の講師が作ったもの。そんなら自分が通った(!)予備校のほうにしよう。

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1994年初版で新版改版なしに2017年34刷とは!

 その参考書には、問題の全文訳をかならず自分で書くように、と指示されている。ひさしぶりに手書きで字を書いてみた。わからない問題は英語も書き写す。

 語調がきれいな訳文はわりと楽に書けるが、やはり意味を逆に取り違えたり、迷訳にしてしまう失敗をやらかす。
 参考書の説明では、なるほどいかなる英文も「S+V(+OやC)」という構造だそうで、日本語よりキッチリしているはずだが、自分の訳文は、文の軸である「S」つまり主語の扱いが、どことなくおかしいようだ。始めたばかりだから何ともいえないが、自分の、ものの考えかたに、どこか欠落があるのかもしれない。
 いまさらの受験勉強に、ひょっとして「自分探し」の発見が、あるかもしれないと思いつつある。

「しかしね、知ってのとおり、ぼくは聖者より敗者のほうに連帯感があるね。ヒロイズムや聖人であろうなんてことは趣味じゃないよ。ぼくが興味があるのは、人間であれってことだ」
「ああ。俺たちは同じものを探しているんだ。けれど俺にはあんたほどの大望はないんだよ」──アルベール・カミュ『ペスト』(一九四七)
※2

(ケ)


※1『特別な一日』一九八二年・朝日新聞社/一九九九年・平凡社ライブラリー)
※2 英訳版(Robin Buss;2001)から訳しました。英語は苦手科目だといっているくせに(爆)。
■二〇二〇年七月二十三日、やや直しました。



posted by 冬の夢 at 22:04 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年05月18日

ガイドラインとメッセージ 〜主語を「私」にする覚悟〜

 新型コロナウィルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が、今月14日に全国の三十九県で解除された。解除とは言っても感染防止対策が終了するわけではなく、厚生労働省は新型コロナウィルスを想定した「新しい生活様式」を公表して、日常生活の中で感染対策を継続するよう呼びかけている。そこで出てきたのが八十一の業界団体による業種別ガイドライン(※1)。緊急事態宣言解除後の営業再開に向けて業種別に感染対策の指針を策定し、施設や店舗の対応を標準化・平準化しようとする取り組みである。

 週末にTVで「情報7days ニュースキャスター」を見ていたら、早速その話題が取り上げられていた。例えば遊技施設。マージャン卓を囲む人が互いに2m間隔を取らなければならない。雀卓に手を伸ばしても届かない様子を描いたイラストが映し出され、出演者一同苦笑するという放送内容だった。
 気になって「全国麻雀業組合総連合会」(略してゼンジャンレンと呼ぶそうです)のHPを覗いてみた。そこにはA4サイズで9ページに及ぶガイドラインが掲出されていて、「1.目的」「2.基本的な考え方」に続き、「3.営業者が講じるべき具体的な対策」が示されている。営業所入口や待合スペース、休憩室、トイレなど細かく区分された中に「マージャン卓」の項目があり、こう書かれていた。

全自動マージャン卓にあっては、対面する人の距離が1mであることから、遊技に際し、 イスを後ろに下げるなどして、対人距離(側面に座る者との距離も含む。)を確保(できるだけ2m)する。これらの方法により対人距離を確保できないことが見込まれる場合は、アクリル板や透明ビニールカーテン等により遮へいする。(※2)

 この「ガイドライン」を起案した担当者の本音は「マージャン卓を囲む際にはあんまり近づき過ぎてはダメ。それを徹底しないと営業出来ないよ」「厚労省からは2m開けろって言われてるからこう書いたけど実際は無理だよね。だから遮蔽物とかで工夫してみてください」と言ったところだろう。麻雀牌を手で扱うからにはある程度その四人は近づかなければならず、更には麻雀にはポンやチーなどの発語が必要で、特に「ポン!」は強烈な破裂音として飛沫が散る危険性が大。2m開けるよりはビニールカーテン設置のほうが対策としては現実的だ。
 そんな葛藤がゼンジャンレンにあったかどうかは無論知る由もないが、「2m間隔を開けた麻雀」をイラストにして揶揄することはTVの報道としては極めて不適切ではないだろうか。元のガイドラインの文章ではそれが出来ない場合の対案まで例示されているにも関わらず、面白半分に一部分だけを切り取るやり方。ワイドショーだからまあいいじゃんと言うことなのだろうが、たぶんろくにゼンジャンレンに対して取材もしていないだろうその姿勢には疑問が持たれる。

 これはTVの話で、もうひとつ気になったのがSNSでのこと。ホリエモンこと堀江貴文氏が「頭がおかしすぎて笑いが出てきた」とツイートでコメントしたのが「演者原則マスク/劇場再開指針」の記事だ。

国公立の劇場など約1300施設でつくる全国公立文化施設協会は、新型コロナ感染拡大で休業中の施設の再開に向けて、感染拡大予防ガイドラインを公表。出演者に原則としてマスク着用を求めた。(2020年5月15日 11:53 Yahoo!ニュース)

 このニュース記事だけを読むと、歌舞伎の助六も揚巻も原則マスクをして芝居しなければならないし、オーケストラのオーボエ奏者も原則マスクを着用して演奏することになる。確かにホリエモンではないが「頭おかしいのか!」と言いたくなるような指針だ。
 そこで、こちらも同様にHPで元の文章をあたってみることにした。公益財団法人全国公立文化施設協会(HPのURLから察するとゼンコウブンと略すらしいです)のガイドラインでは、感染拡大防止の対象者を「施設管理者」「鑑賞に来る来場者」「出演者やスタッフなど公演関係者」の三分類にしてまとめている。その中の「公演当日」の「公演関係者の感染防止策」がこれ。

表現上困難な場合を除き原則としてマスク着用を求めるとともに、出演者間では十分な間隔をとるようにしてください。また、公演前後の手指消毒を徹底してください。(※3)

 真っ先に「表現上困難な場合」を持って来ているところにゼンコウブン担当者の苦労の跡が窺える。正直なところは「表現上困難な場合がほとんど全部だってわかってるんだよ。厚労省はマスク着用しろって言うんだけど、稽古はともかく本番では当然無理。だから出演者はマスクしなくていいからね」てな感じだろう。ゼンコウブンに電話で問い合わせた人が「役者は本番中はマスクを外していい」との答えを得たとツイートしているが、もちろん真偽のほどは定かではない。
 とまれ、強大な拡散力を持つホリエモンがネットニュースのヘッドライン程度に反応していて良いのかと感じるし、そもそもYahoo!ニュースの記事自体がゼンコウブンのガイドラインを正確に伝えていないことが誤解を引き起こしている。
 演劇やコンサートにおいて、表現者である演者が口を覆い隠して何が出来ると言うのか。マスク、それこそ仮面をつけることで表現する芝居であれば別だが、一律マスク着用はあり得ない。そんなことは百も承知のゼンコウブンが「原則マスク着用」と言わざるを得なかったその背景にこそ、メディアであれば突っ込みを入れるべきではなかったろうか。
 今に始まったことではないが、メディアは単なる「聞き伝え」「書き写し」の役割に堕してしまった。それがいわゆるインフルエンサーたちの呟きによって、別の衣装を纏って世に繰り出されて行く。こうしたメディアの現状に問題があり、誰もが不問のままやり過ごしてしまうこともまた問題である。

 しかし問題の核心は、他でもなくガイドラインを公表した八十一の団体の側にある。ゼンジャンレンの「1.目的」には次のように書かれている。

このガイドラインで示す内容は、あくまでも基本的なマージャン店営業等における想定を前提に、モデルケースとしての対策等を例示するものであり、営業所によっては追加的な対策が必要になることがあり、現場によって適切に実践されることを求める。(※2)

 かたやゼンコウブンの「はじめに」の一節はこうだ。

すべての項目の実施が活動再開の必須条件ではありませんが、基本となる感染予防策を実施した上で、より感染予防効果を高めるための推奨事項として、今後の取組の参考にしていただきたいと思います。(※3)

 要するにゼンジャンレンもゼンコウブンも、結局は「協会としての指針は出したから、あとは全部現場にお任せ」というスタンスなのだ。そして指針を出した一番の理由は、ガイドライン公表が営業再開のための免罪符になるからだ。
 政府は今年1月30日に「新型コロナウィルス感染症対策本部」を設置した。本部長は安倍首相で、国務大臣全員が本部員に位置づけられている。よってゼンジャンレンは警察庁、ゼンコウブンは文部科学省の所轄下に置かれ、緊急事態宣言の解除にあたっては厚労省の雛型に沿ってガイドラインの策定・公表を強制されたに違いない。八十一団体のガイドラインすべてを確認したわけではないが、ゼンジャンレンもゼンコウブンも似たような項目で構成されているのは、厚労省の原案に合わせたからだろう。そしてその原案には「2m間隔」や「マスク着用」を明記することが規定されていたはずである。何しろ「新しい生活様式」で示された「感染防止の三つの基本」が「@身体的距離の確保」「Aマスクの着用」「B手洗い」なのだから。たぶん「指針は示すが、対応は現場に一任」という前提も、厚労省案をアレンジしたに過ぎない。要するにガイドラインは現場に向けてではなく、対策本部に提出するために策定されたのだ。その結果、感染対策の実際については国も業界団体も責任は取らず、すべて現場に丸投げされたのである。
 そんな背景だとしても、一部分を切り取って報道させるようなガイドラインしか出せなかった業界団体には幻滅するのみだ。ゼンコウブンなどは国立劇場や地方の県立ホールなどを束ねる団体なのだから、演劇や音楽会の再開を待ちかねている多くの人たちからの期待も背負っているはずだ。であれば、なぜ今回のガイドラインを単なる運営指針に終わらせてしまったのだろうか。全国の公的文化施設を代表して「新しい生活様式における文化施設の有り様を宣言します」という声明発表こそが求められていたのだ。営業再開にあたって自らの存在意義を力強く語るメッセージを世に出すべきではなかったか。ガイドラインは、そのビジョンを実現させるための当面の方策でしかないのだから。所轄官庁の言いなりになるばかりで、自らあるべき姿を考える協会長や理事長が誰ひとりとしていないことが、我が国の根深い問題なのかも知れない。

 ガイドラインが公表された同じ時期に、多くの企業が2020年3月期決算を発表した。新型コロナウィルス影響で経済活動が止まり始めたのが2月下旬からだから、純利益赤字転落の決算が目立った。経営トップが「営業再開の目処が立たない」「コロナ収束後も消費低迷が長期化する」などネガティブな発言に終始し、2021年3月期業績予想の開示が保留された。
 その中で少し毛色の変わった決算発表を行った社長がいる。トヨタ自動車代表取締役社長の豊田章男氏(※4)。決算説明会の第二部として社長スピーチを行い、その内容は説明会終了後すぐにトヨタ自動車HPに「社長メッセージ」としてアップされた(※5)。
 刮目に値するのは、主語が「私」になっていること。企業の決算発表を真面目に聞いたことはないが、ほとんどすべての社長が「当社は〜であります」と三人称で話しているはず。同じ自動車業界の同業他社を見ても、過去のIR資料に「私は」の文字は見つけられないし、「社長メッセージ」なる文章も掲示されていない。日本を代表するグローバル企業であるトヨタ自動車において、その決算説明会で社長が自ら「私が」と一人称で話すのは異例中の異例だろう。そして、その「私」は「モノづくりは人づくりだ」として「技術と技能を習得した人財を守り続ける」と宣言する。決算説明会は主に投資家向けのものだから、コロナ禍の影響で今後の業績が悪化することから目を背かせるための煙幕だと見る向きもあるだろう。しかし、トヨタ自動車で働く従業員や取り引きがある多くの下請け会社は「人財を守る」という言葉にどれだけ励まされたことだろうか。豊田社長は言外に「投資家のための増配より雇用維持と取引継続を重視する」と言いたいのだ。それを「当社は」ではなく「私が」と言い切るところに凄味がある。
 加えて注目したいのは、そのメッセージが極めて散文的であること。中盤までは自らの社長としての歩みを振り返り、会社の業績中心に話が進むが、終盤には社長が成すべきミッションや未来の社会の在り方に言及している。そしてメッセージ全体をまとめるにあたって以下のようなエピソードが紹介されるのである。

ゴールデン・ウィーク中にある方からお手紙をいただきました。そこには、こんなことが書かれていました。
「池の周りを散歩していると、鳥やカメや魚が忙しそうに動き回っている様子を目にします。人間以外の生き物はこれまで通りに暮している。人間だけが右往左往している。人間が主人公だ“と思っている地球という劇場の見方を変えるいい機会かもしれません」
私もまったく同感です。


 トヨタの車を所有したことはないし、トヨタ自動車勤務の知り合いがいるわけでもない。でも新型コロナウィルス感染対策に追われる状況下で、大企業の社長が人間中心主義に疑問を呈しているのだ。そこには、多くのステークホルダーの未来に対してトップとしての全責任を持つ覚悟がある。こんなメッセージを「私」の言葉として発信する社長がいる会社を羨ましく思ってしまう。
 しかしながら豊田氏のような経営トップは日本においては稀な存在である。ガイドラインを公表した団体には、自らの信念をメッセージとして発信しようとしたリーダーはどこにもいなかった。いや、一国の首相ですら「私が」を主語にしたスピーチが出来ず、「詳細は専門家会議の方から」と言って説明責任を放棄しているのだ。そこには何の覚悟も感じられない。日本に真のリーダーが出現するのはいつのことになるのか見当もつかない。そうこうしているうちにコロナ騒ぎは収束し、災厄慣れした人びとはいつものように過ぎたことは忘れていくのである。もちろんそこには、一度も「私」という主語を使わずにこの記事を書いている私も含まれているのだけれども。(き)


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(※1)「新型コロナウィルス感染症対策専門家会議(第14回)参考資料3 業種別ガイドラインについて」より

(※2)全国麻雀業組合総連合会HPより

(※3)全国劇場・音楽堂等総合情報サイトHPより

(※4)豊田章男氏は2009年に五十二歳でトヨタ自動車株式会社代表取締役社長に就いた。トヨタではなく「とよだ」と読む。

(※5)トヨタ自動車HP決算報告「2020年3月期決算情報」にその全文が掲載されている。



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