2020年04月27日

散歩とキスと厄病よけの護符 .

 運動するよう、病院でいわれている。運動は不得手だから散歩をなんとか習慣にしてきた。しかしもう三週間以上、外出せず室内運動もあまりしない(二〇二〇年四月)。
 日数がたったし、とうぶん出歩かないので、ウイルス拡散者になる可能性は低い。この点は、ほぼ大丈夫だろう。
 ただ今後の感染回避となると、たとえ外出が週一回でも、首都圏でウイルスとの接触を完全に断つのはむずかしい。
 わたしは年齢や病歴から、発症すると死ぬ率が高いと思う。それはあきらめているが、できるだけ気をつけたのに死ぬことになったら、苦しいだけでなく悲しいだろうな、と思う。

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 寿司屋でキスはダメ! という話がある。
 サヨリ(鱵)は祝い寿司には使わない、というのは聞いたことがあるが、キス(鱚)がダメとは知らなかった。どちらも好きな寿司だ。
 寿司店で食べたことがあるわけで、どちらも絶対に出しませんという寿司屋はめったにないと思うが、江戸前寿司らしい語呂合わせや伝承へのこだわりは面白い。しかも鱚を避けるのは、厄病よけにまつわる話だそうだ! 江戸時代の実話が起源だという。
 外出しない昨今にかぎらず、何年も、寿司屋にはめったに行っていない。つぎの機会がないまま死ぬことになったら泣くに泣けないな、と思いつつ、調べてみることにした。

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 門柱や屋内の柱に貼られた護符を、昭和世代のわたしは記憶している。地方の古い家や、昔ながらの旅館などで。
 厄病よけにお札を貼る場合、寺社札以外に、厄病神を助けた逸話のある武士などの名を書いて貼る習慣もあるそうだ。厄病神も一宿一飯の義理は立てるらしい。

 厄病神に貸しがあり、しかも鱚にまつわる人は「釣船清次」という。その名を書いたお札を貼ると厄病よけになるそうで、寿司屋で鱚を握らないのも「釣船清次」が由来だそうだ。
 江戸時代の実話というからには資料を見たいが、部屋に閉じこもっていては無理……ではなく、意外にあっけなく見つかった。国立国会図書館デジタルアーカイブ。古い文献などをスキャン画像でネット公開している。
 さっそくパソコンの画面で紐解いたのは、蜀山人こと大田南畝(一七四九〜一八二三)の『蜀山人全集』(吉川弘文館/一九〇七〜一九〇八)にある「半日閑話」。戦後に再刊されているが、公共図書館は閉館なので一冊ずつ目次を見て探せないし、まさか全巻買って調べるわけにも、と思っていたものだ。

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 大田南畝とは、天明時代、おなじみの田沼意次が幕政を牛耳った時代に、狂歌作家、戯作筆者として大衆に人気があった人だ。しかも学芸家にして評論家であり、ルポライター的な仕事もした才人である。
 そのうえ、ふだんは勘定方、いまでいうと財務、経産、農水、国交などの各省を兼ねたような江戸幕府の重要部署に勤務する、レッキとしたサムライで官僚だった。驚きだ。

 その南畝が、街中で見聞したことを三百以上の記事にしたという「半日閑話」に、「釣船清次か事」という一文がある。
 さっそく目を通したが、ウッ! 江戸時代の文語とはいえ日本語なのに、英文和訳なみにわからんところが! バカな間違いをしないよう、読める人に添削してもらった。

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「釣船清次か事」は、こんなふうに始まっている。

 本八丁堀二丁目半兵衛店清次申上候私儀奇怪之義申觸疫病除之札差出候趣相聞え被 召出御尋御座候

「釣船清次」は、八丁堀の半兵衛長屋に住む釣船漁師。なにやら怪しい厄病よけの札を出しているらしいと、番所に呼びつけられ、申し開きした。

 寛政二年(一七九〇年)の、五月二十四日朝六時ごろ、清次は品川沖へ鱚釣り漁に出た。百匹ほど釣ったという。
 ちょうどいまどき(新暦四月)だったのかと、ちょっとしみじみするが、それはともかく、清次はいつもの買い取りさき、日本橋の魚屋へ持ち込もうと築地に船を着けた。

 すると、どこから来たのか「みごとな鱚だな」という男。
 面体は判然としなかったが、栗梅色の唐人織のような衣姿で、髪もヒゲも逆立てた、背丈六尺余りの大男だ。「丈ケ六尺」とは一八〇センチくらいだが、当時はさぞ巨大に見えただろう。

 一匹さしだしたところ、受け取り、名を聞いてきた。「清次」と名乗ると、「お前は正直者だな、おれは厄病神だが、家内や親類のところに、お前の名を書いて置いておくなら、その家には行かんようにするぞ」といって、どこかに去った。
 このことを妻子や長屋の人たちに話すと、近所の人の妻が病気で、ぜひ清次の名を書いたものがほしいと頼まれた。字が書けなかった清次が長屋の人の代筆をまねて名を書き、渡すと、なんと快癒してしまった。

 たちまち、あちこちから名前の札をくれと、さんざん頼まれるようになったが、べつに謝礼をとったことはないし、訪ねてくる人だらけで生業の漁に差し支えるので、もう頼まれても断ることにしておりますと、申し立てた。

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 ということが、その翌月、六月二十二日付の御番所の記録にありと、南畝は書く。そして文末に、こうつけ足している。風聞では、その大男は「大盗人にて水中を潜事魚のことく、家根なと飛ぶ事鳥の如く」。翌年の寛政三年に捕縛されたらしい、と。
 
「釣船清次」の護符は、後々まで厄病除けに効くとされ、どこでそうなったのか「鱚断ち」で厄病神を避けられる、となって、寿司屋では縁起をかついで鱚の寿司は握らない、という習わしができたようだ。
 実際は、自称「厄病神」の泥棒が「お前の家には盗みに入らないでおいてやる」といった、という話だ。「大盗人」が長屋を荒らすのも変だから、冗談だったかもしれない。

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 この話、なぜ書くことにしたんだっけ。
 キス断ち(チューをしない)をすれば感染が減らせまっせ、というつもりだったのかな。
 それとも、日本中の家庭や会社で玄関やエントランスに「釣船清次」と書いた紙を貼りましょう、という企画案だったか。

 いや、そうじゃない。昨今の、二つのあきれた状況のせいだ。
 ひとつは、もはや悪い冗談でしかなくなった「マスク」。これは説明するまでもないし、なにか書くと絶望しそうなので、こまごまと書くのはよす。
 もうひとつは、ほとんど着信がなくなっている電子メールアプリに──もともと知人は少ないが、安否確認が怖くなったのだろうか──ときどき届く、セキュリティソフト会社のアラートだ。

 セキュリティソフト会社からのメールは、新しいコンピュータウイルスの出現報告が主だが、いまの事態につけこんだ便乗詐欺や、騙(かた)り商法、架空請求なども警告してくれている。
 その種類や巧妙さときたら、よくも飽きもせずアレコレと手口を思いつくね、と感心するほどだ。そんなにクリエイティブな発想力と実行力があるなら、なんで正業につかんのかと不思議なくらいだ。
 いや、彼らはべつに正業でも利益を出す能力があるが、人がだまされてカネを出すのが面白いのだろう。カネはある所にはあるんだから多少カスメ取ったって、などと開き直り、甘言を弄して人心をもてあそぶ──そういうことを楽しんでいるんでしょう。
 待てよ、「マスク」の内情も似たようなものなんじゃないのか? ウラは知らないし、これ以上、邪推させないでくれと政府にお願いしたいくらいなのだが。

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 思えば、トイレットペーパーがない、にはじまった、品薄大騒動がなければ、まるでズッコケ劇場みたいな「マスク配り」だって、影も形もなかったはずだ。
 しかし、なんだっていいから縋(すが)りたくなるのも、不安になると騒ぎ立てて、不安なのは自分だけじゃないと思いたい気持ちも、よくわかる。他人を救いながら自分で自分を守るなんて、わたしにだってとても難しい。
 ならば、何ができるのだろうか。
 いや、さして何もできないだろう。わたしだって、よけいな身動きをせず、できるだけ科学的な背景のある情報だけを選んで聞く、それくらいしかできないでいる。

 後々まで厄病よけのお札に名を残すことになった「釣船長次」は、恬淡としたものだった。こんなふうにいって、いつものように毎朝、釣り船を出し続けていた。

 禮物等請取候義は無御座候尤私日々渡世に罷出候に付き所々より認貰に参り候ては渡世之邪魔に相成り候事ゆへ當時は頼來候ても相断認遣不申候

 礼を寄越せと受け取ったことはないですし、自分は毎日、生業の釣漁に出なくてはなりませんのに、あちこちから書いたものを貰いに来られては仕事のじゃまですので、当今は頼みに来ても断って、書きものは渡しておりませんです。


(ケ)
200427Hs.JPG 
「品川すさき」──歌川広重『名所江戸百景』 1857
public domain


■「釣船清次か事」の解釈を確認してくださったかたに感謝します。
■二〇二〇年七月二十二日、文のつながりのみ直しました。


posted by 冬の夢 at 22:31 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする