2020年04月19日

Paese in cui Dio vive -神の住む国-


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Roma, Firenze, Vaticano, Venezia, Catanzaro; Italia

(ケ)


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2020年04月18日

Silent Songs 7


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台北 Taipei 2000

(ケ)


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2020年04月17日

国家的危機と国民にとどくことば─英国王ジョージ六世の演説(全文)

In this grave hour, perhaps the most fateful in our history, I send to every household of my peoples, both at home and overseas, this message, spoken with the same depths of feeling for each one of you as if I were able to cross your threshold and speak to you myself.

 かくも重大な、われわれの歴史でおそらく、もっとも運命的なこのときにあたり、国内外をとわず、あらゆる英国民に私からのメッセージを伝えます。いま私自身が、あなたがたを玄関から訪ね、あなたがたに直接、お話しできているかのように、心をこめて。


For the second time in the lives of most of us, we are at war. Over and over again, we have tried to find a peaceful way out of the differences between ourselves and those who are now our enemies; but it has been in vain.

 私たちのほとんどが、生涯二度目の戦争に直面することになりました。何度も何度も繰り返し、われわれと、いまは敵となった人たちとの間に交渉が重ねられたのです。くい違いを越え平和へ向かう道を見つけようとしてきました。しかし、結果を出すことはできませんでした。


We have been forced into a conflict, for we are called, with our allies, to meet the challenge of a principle which, if it were to prevail, would be fatal to any civilized order in the world.

 われわれが戦いに加わったのは、止むをえないことなのです。なぜなら、われわれは正義の呼びかけに応え、同盟国とともに、敵の擁する主義主張の挑戦に、立ち向わねばならないからです。もし敵の主義主張が勝利するならば、世界のあらゆる文明秩序に崩壊をもたらすからです。


It is a principle which permits a State, in the selfish pursuit of power, to disregard its treaties and its solemn pledges, which sanctions the use of force, or threat of force, against the sovereignty and independence of other States.

 その原理によれば、国家権力が個人に帰してしまった国には許されることになるのです。ほかの国の主権と独立を脅かす軍事力の行使や威嚇を禁じる、その国が結んだ条約や、その国が行った厳粛な宣誓を無視することが。


Such a principle, stripped of all disguise, is surely the mere primitive doctrine that might is right. And if this principle were established throughout the world, the freedom of our own country and of the whole British Commonwealth of Nations would be in danger.But far more than this, the peoples of the world would be kept in the bondage of fear, and all hopes of settled peace and of security, of justice and liberty, among nations, would be ended.

 そんな原理は、変装をはぎとれば、ただ非文明的な主張であることは明白です。力は正義なり、というものにすぎません。しかしこの原理が世界に地位を得でもすれば、私たちの英国そして英連邦全体の自由が、危機にさらされることは間違いありません。さらに、英国民だけではすまないのです。世界の各国民が恐怖に拘束されるでしょう。平和と安全そして正義と自由を、各国間で維持せんとする望みのすべてが、終わりを迎えてしまうのです。


This is the ultimate issue which confronts us. For the sake of all that we ourselves hold dear, and of the world order and peace, it is unthinkable that we should refuse to meet the challenge.

 これは、私たちに立ちふさがる究極の問題です。私たち自身がたいせつにしてきたものたちすべてのため、そして世界の秩序と平和のため、この挑戦に立ち向かわずに逃げることは、考えられません。


It is to this high purpose that I now call my people at home and my peoples across the seas who will make our cause their own. I ask them to stand calm and firm and united in this time of trial.

 この、けだかい目標のために私はいま、国内で、そして海のかなたで、この目標を共有するであろう国民のみなさんに呼びかけます。私はつぎのようにお願いします。この試練のとき、冷静に、確固として、そして一致団結して、立ち上がってくださいと。


The task will be hard. There may be dark days ahead and war can no longer be confined to the battlefield, but we can only do the right as we see the right, and reverently commit our cause to God. If one and all we keep resolutely faithful to it, ready for whatever service or sacrifice it may demand, then with God's help, we shall prevail.
May He bless and keep us all.

 なすべきことは厳しいでしょう。暗黒の日々もあるでしょう。戦争は戦場だけで行われるものでなくなる可能性もあります。しかし私たちは、正しいことを知っているときは、正しいことしか行えないのです。そして私たちの決意を敬虔に神に託すのです。誰もみな断固として責務に忠実であり、必要とされるいかなる任務にも、また犠牲にも、準備おこたりなくあれば、神の手助けを得て、私たちはかならず勝利するでしょう。
 神の祝福と守護がありますように。

  

 英首相、ボリス・ジョンソンが、COVID-19による重症から回復し退院したときのメッセージを、このブログに掲載した。→ここです(全文+和訳)←
 それを見て、かつての英国王、ジョージ六世(一八九五〜一九五二)の対独開戦演説を思い出した、という人がいた。
 有名な演説だそうで、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞を受賞し、ジョージ六世を演じたコリン・ファースも主演男優賞で話題となった映画、『英国王のスピーチ』(The King's Speech; 2010)のクライマックスシーンに出てくるから、「ああ、あれですか」という人は、かなりいると思う。■1
 わたしも映画は見た。しかし演説の内容はすっかり忘れた。当時のイギリスのことも知らない。
 イギリスの歴史的演説を読む機会なんて、いましかなさそうだから、ジョージ六世の演説も訳して読むことにした。

200419G6.JPG
George VI 1895 - 1952

 演説は、一九三九年九月三日、宣戦布告当日の夕刻にラジオ放送されている。ブリティッシュ・パテのインターネット・アーカイブで、ホンモノを無料で簡単に聴ける。→ココ←
 映画ファンなら「パテ」にピンと来ると思うが、その通りで、フランスの代表的な映画制作会社がイギリスで起業し、一九一〇年から一九七〇年までニュース映画の制作配給を行った。

 映画『英国王のスピーチ』は再見していないから確実ではないが、日本語字幕は字数制限などから、意を汲む程度だったのではなかろうか。
 訳していると──このブログの別の筆者に添削してもらって、書き直しを繰り返すと──この演説に仕込まれた、三本の強い矢の力を感じる。
 この演説を当時実際に聞いたイギリス人らしき人たちがネットに書き込んだ感想を探すと、いま聞いても昨日のことのように感動する、というような話が、ジョージ六世への敬愛とともに出てくる。三つの矢は、確実に当時の英国民の手にわたったのだと思う。演説した国王自身の脆弱さとはうらはらに。

† 演説を支え国民に届いた「三本の矢」

 三本の矢といえば、日本にもありましたね。それはいいとして。

 一の矢は「正義」、「正しさ」だ。
 絶対悪であるヒトラーのドイツを阻止する、立憲君主国イギリスの絶対正義というアドバンテージに立つスピーチ。ヒトラーは絶叫、ジョージ六世は「語りかけ」である。
「正義の呼びかけに応え」て「正しいことを知っているときは、正しいことしか行えないのです」に、微妙に臆面のなさを感じてしまうのは、わたしのようなよほどのヒネクレ者だけで、世界を救おうじゃありませんかと静かに呼びかけられたら、当時の国際関係のもとで聞いた英国民の多くは、たちまち意気に感じたに違いない。

 二の矢は「責任感」である。
 話す人の責任感が、聞き手に共有される。
 英文和訳で困ったり間違えたりするのは、しばしば「主語」だ。
「We」や「You」を、文脈に即した日本語にするのは難しい。英文解釈がふじゅうぶんなこともあるが、日本語は文に主語がいらないことが、置き換えを難しくする。

 文章や会話の主語がぼやけた状態に、あまりにも慣れている。文章や発言の出所である「主語」と、文や話の内容そして結論を、明瞭に結んで受け取る必要がない。
 いまさら国会の質疑応答を例にしても詮ないが、もはや「質問」と「答え」の関係さえ、ぼやけているし。
 ジョージ六世の演説では、戦争をしてください、こう行動しましょう、というのが誰で、いかなる条件や要請を、誰に向かっていっているかが、誤解の余地なく明瞭だ──不気味なことに、読み聞きしやすい日本語にしようとすると、そこが不明瞭になってしまう──「責任感」としたが、話し手の存在感ということにもなろうか。

 三つめの矢は「God」、つまり「神」だ。
「決意を敬虔に神に託す」とか「神の手助けを得て」「かならず勝利する」という結論に「そのとおり!」と喝采することは、わたしにはほぼ不可能だが、「Love」すなわち「愛」とならんで、ふつうの文中にある場合でも訳に困る「神」が、もっとも大切な「矢」になっている。

† 復活と克服そして勝利

「神の手助けを得て」「かならず勝利する」という三つ目の矢による結びは、ジョージ六世が、さまざまな身体的弱点を「克服」し、「再生」もしくは「復活」したことを、自動的に背景として立ち上げる仕組みになっている。

 映画『英国王のスピーチ』でも描写されているが、子ども時代は病弱で、左ききやX脚を強制的に直されて、おそらくストレスから、吃音となり、国王となった兄はもちろん弟にも劣る「華のない」王位継承者だった。ところがウォリス・シンプソンと結婚するため、一年もせず王さまをやめてしまった兄のせいで、想像もしていなかった王位がやってくる。そう決まったとき(四〇歳)泣いたそうだし、映画がなかったら、日本ではいまだに「世紀の恋」の兄、エドワード八世のほうが有名だろう。
 しかし、ジョージ六世は吃音克服に努力し、かつて大英博覧会で行った演説の大恥を、みごとに打ち払った。以後、第二次大戦中は節倹につとめた家庭的な生活で知られ、難局にある国民を勇気づけた国王として名を残すまでに至るのだが、その「復活」劇の、まさにハイライトがこの演説だったのだ。

国家としての戦いにおいて in this national battle」、「この国は立ち上がり挑戦を克服するのです this country would rise together and overcome this challenge, 」。
 
 これは、ボリス・ジョンソンの退院メッセージだ。
 キリスト教で、とてもたいせつな「復活祭」に、まさに「復活」をとげた、英首相の言葉である。
 もちろん英国王と英首相は、同じ機能は持たないけれど、国民精神を喚起する、冷静で誠実でありながら圧倒的な求心力を持つメッセージとして、同じ構造を持っている。

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Alexander Boris de Pfeffel Johnson 1964 -

 なお、映画『英国王のスピーチ』には、演出上の誇張や省略がある。
 史実からしてまずい部分もあるようだが、それをあげつらう文ではないので、ひとつだけ、この文と関連する点を強調しておくと、ホンモノの演説は、映画の再現場面ほど、綱渡りっぽくはない。
 映画では、途切れるかも失敗するかも、という緊張感を強めに演出することで、みごとに語りきったところを称賛したくなる、いかにもドラマチックな仕立てになっていた。しかし実際には、間隔が長すぎたり、発音が不明瞭な部分はなくもないが、ほぼ滞りなく読み上げられている。
 重要なことは、やや一本調子な読みかたは、むしろ国王の冷静さを印象づけるし、絶叫調でなく言葉をていねいに置いていく語り口は、国民それぞれの玄関口で声をかけるように心をこめる、という誠実さを確かに感じさせる。

† ウイルスとの「戦争」、心にとどく言葉

 ウイルスと人間の「戦い」を、ヨーロッパ諸国の政府や首脳は、しばしば「戦争」になぞらえている──そう聞いてから、どことなく、ササクレが痛いみたいな感じがしていた。小さい声で「そのたとえは、やめなよ」といいたくなるような……。
 危機感の維持を訴えたり勇気を鼓舞するには、実感が強くて有効だというのは、よくわかる。大規模な戦争に勝った経験がある国なら、なおさらだろう(ふと思うが、ドイツやイタリアの政府は、この事態を戦争にたとえたことがあるのだろうか)。

 さいわいに、というべきだろうが、この状況をリアルな戦争にたとえて国民を勇気づけたり、状況認識のレベルを上げることは、日本ではできない。
 しかし、あまりにも「ちぐはぐ」な現象があれこれ起きているのを自分の目で見てくると──それらに似たことはおそらくイギリスでも起きているとは思うが──確かな作りの文章も言葉も受け取ることができない、まして、自分でそれを組み立てて伝えることなどできるわけもない──もちろん、わたしもそうだ──この「ちぐはぐ」な世の中に暮らしていることが、とてつもなく不安になる。
 
 ジョージ六世の対独開戦演説は、日本でいえば天皇が、訪問販売みたいに玄関口で話しているような親しみの演出だけで、人心をとらえたのではなかった。
 親しみの演出なら、いまの日本の総理大臣も、マスクをくれるサンタさんになってみたり、自宅で「くつろいで」みせたりしている。
 その結果は、ご存じのとおりだ。

 いや、日本では、ほとんどあらゆることが「本気じゃない」のかもしれない。
 青筋たててマジにならない、それは、たしかにひとつの方法だ。
 瞬間芸に単語ツッコミを繰り返しているうちに、なにごとも「無事終了」。それを期待して、いや予見さえして、日本は日々をやりすごしているとしたら。
 それはそれでいいと、あきらめて、わが身も流れにまかせたほうが楽なのだと思う。(ケ)


■1 公式トレーラーは →これです←
   日本版トレーラーのキャッチには、それらの前提となる、
   ミュンヘン協定をめぐるジョージ六世の態度は出てきません。

Images are public domain and OGL items.

Originally Uploaded on Apr 19, 2020. 16:40:00

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