2020年03月22日

散歩と納豆と樒 .

 運動しなければならないがスポーツは苦手だ。散歩するしかない。
 この状況では、にぎやかな所は避けるべきだし、郊外へ電車やバスで行ってから散歩というのも、控えるべきだろう。
 となれば、近所を歩き回るしかない。
 そのかわり、似たような所を繰り返し歩き、だいたい同じ店で買いものをしていると、この状況への世間の反応とはこういうものかと、いまさら実感させられている。

       ♪

 近隣の宅地の街路が、やたらに混雑しだした。
 不思議に思いながら、この三月半ばの三連休も、近所を運動のため散歩していた。東京の目黒区、世田谷区、大田区あたりだ。
 
 桜はまだ三分咲きほどだが、シートを敷いた宴会組も見かける。
 中高年層は見当たらず若い世代と、その子どもの小学生たちだろうか、そういうグループに限られる。楽しそうにしている。
 遊歩道になった道路で遊ぶ親子や子どもたちも、とても増えていた。行っていないが、営業を再開した遊園地などは、かなり混んだらしい。

 高校生か大学生らしい若い人たちが、やたらに集団で出歩いているのも、平日も週末も近所では見かけていないので、めずらしく感じる光景だ。
 いま、街頭で子どもに話しかけたりすると、ドーベルマンを放たれたり、ショットガンで撃たれたりするらしい。子どもへの「声かけ」は厳禁だ。
 そこで、訊ねるとも聞くともなく、高校生か大学生らしき集団から、集まって歩き回る理由を知った。

「気分転換」だそうだ。なるほど。
 閉塞感があるのでしょうね。
 しかし、わたしの「気分転換」は学生のころも社会人になってからも、ウザい学級や職場から解放され、ひとり家で本を読んだりDVDを見たりすることだったから、集団でゾロゾロ歩きがしたいという気持ちは、いまひとつわからない。
 だからこそ自分には、いっしょに散歩する仲間がいないわけだが。

       ♪

 奇妙なものが売り切れている場面に、また出くわした。
 こんどは「納豆」だ。
 冷蔵庫にアブラアゲがあったから、納豆包みにして炙って食〜べよっ! と思ったが、スーパーの売り場から納豆がかき消えている。
 ほかの食品は、以前より数こそ減っているが売り切れてはいないし、ふだん納豆が売り切れなんて見たことがないから、豆腐やツケモノが並ぶ棚の、かなりのスペースが空洞なのは、ちと異様だ。
 調べる気にはなれなかったが、友だちが教えてくれた。自分では確認していないが、こういう理由らしい。

 納豆を食べると SARS-CoV-2に抗ウイルス効果がある、という情報があるそうだが、それは完全なデマだ。
 それを本気で信じている人は、まさかいないと思うが、がんらい納豆は健康によいといわれることと、全国的に感染が広がるなか茨城県に感染者がいなかった──三月十九日段階で、海外からの帰国者、計三名が発表されている──ことが「売り切れ」の理由らしい。わたしの近所のスーパーだけでなく、各地の傾向になりつつあるそうだ。

 帰宅して冷蔵庫の中をよく見ると、賞味期限が近い納豆があった!
 アブラアゲとは別に、納豆は納豆で食べた!
 ふだんそう思ったことはまったくないのに、「最後の納豆」みたいな気がしてしまったからだ。

       ♪

 一年で、いちばん苦手な季節になった。
 この文の初めに出てきた桜が嫌いだ。

 桜の花そのものが好きではないし、花見と聞くと、おなかが痛くなる。
 若いころ参加が義務だった花見──職場とかの──で、ウスラ寒いのに地べた敷きのシートで呑み食いしたら、たちまち腹がおかしくなり、ひどい目に合った。
 伝聞だが、当時のわたしと同世代の若い社員で、命じられた花見のセッティングが不手際だったとかで叱られ、腹痛を起こしたやつもいた。花見なんざ、こんりんざい、やるかと思ったものだ。

       ♪

 友だちが「樒」という植物を教えてくれた。
 シキミ、という音は記憶にあったが、花木だということも、こんな字だというのも、はじめて知った。
 ちょうど春が花どきだそうで、じみな薄黄色の、白く細い花弁の花をつけるという。
 名を聞き、ネットで画像を見たら、な〜んだ中華料理の八角じゃん、と思い込んだ。学名の前半も同じだから。
 実際、香りのよい花木だそうで、仏花や線香として古くからあるものだそうだ。

 しかし!
 最後まで調べてよかった!
 シキミは、樹体すべてが毒まみれだ。
 それも、どれくらい毒かというと、「政令指定劇物」を調べるとわかるが、ナマの植物で政令指定されているのはシキミだけなのだ。
 可溶性ウラン化合物とかカドミウム化合物とかホルムアルデヒドとか、見ただけで死にそうな化学物質がずらりと並ぶリストに、いともあっさり「しきみの実」とだけ書かれている! 
 ゲッ! 八角の仲間と思い込んだので、いつか拾って中華にして食うところだった!

 ではなぜそんな毒植物が、呪いアイテムでなく、古くから仏花に使われてきたかだが、これは想像がつくし、実際その通りなのだ。
 つまり芳香と毒性が、遺体や忌みごとに対する浄化や魔除け、あるいは実用面でのアロマ的効果、そういうものを期待されたのである。

       ♪

 毒性に注意すればよいということか、趣味の園芸でも育てられるとのことなので、シキミを実際に見てみたくなったが、見つけようと思って歩くと、なかなか出会えないし、どれがシキミかよくわからない。
 だからってヒトんちの庭木を注視したり、知らん人の葬式で聞いたりすると、また警察のやっかいになりかねないから※、しかたなく「八角」を写真に撮ってみることにした。
 それであらためてわかったが、写真を撮るのは楽しくない。

 プロカメラマンではないので、興味がない被写体を収入のために撮る必要はない。だったら趣味のカメラおじさんらしく、楽しんで撮ればいいが、なぜか面白くない。
 なのになぜ写真を撮るのか──あらためて聞かれると返事に困ってしまう。

 最近は、写真をほとんど撮らなくなっていたが、自分が撮った八角の写真を見ていたら、わずかに撮っていた最近の写真が自然とひとかたまりになった。
 写真に、写ったものを説明するような題名をつけるのは好きではないが、シキミと八角の学名で共通している「ILLICIUM」という題をつけてみた。
 学名はラテン語の「illicio」がもとで、おびき寄せる、魅惑する、そそのかす、という意味だそうだ。いいじゃん! という感じがする。
 綴りも発音も違うし関係ないのだが、希少金属の「イリジウム(iridium)」を連想させるところもいい。
 そして漢字が木へんに「密」というのも、美しいのか怖いのかよくわからない感じがするのが、すばらしい。

 意味なく撮った写真が、植物の名に「おびき寄せ」られて集まってきた。それも、いいなあと思う。
 はじめにタイトルを決めて、それに合った絵柄を撮ろうとしてはダメだけれど、まったく関係ない言葉に「おびき寄せ」られるような写真を、そのためとは意識せずに、いつの間にかたくさん撮っておけたらいいのに、と思った。(ケ)

200322sm.JPG 
Illicium anisatum
博物画で見ても実が八角とそっくりだ
public domain item



■シキミはふつうに売ってました。写真

※かなり以前のことだが、実家の用事で久々に帰省したとき、かつて通った中学校のそばを通った。たしか週末で生徒はいない。敷地の外から校舎を撮っていたらパトカーが来た。以後も写真を撮っていて何度か誰何されたことがあるが、うっかり小中学校を撮ると警察に捕まるのはしかたないが、無意味なものを撮っているとよけいに怪しく見えるらしい。



■二〇二〇年七月二十二日、文のつながりをすこし直しました。

posted by 冬の夢 at 01:46 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする