2020年03月03日

「野党もしっかりしろ!」と言うバカにつける薬?

 新型肺炎に対する安倍内閣の対応があまりにお粗末なために、多くの人が動揺し、困惑し、呆れ、少なからずの被害に遭っているためか、日頃は自民党を支持している人たちも安倍批判に傾かざる得ないようだ。日頃から安倍批判をしているぼくから見れば当然なことだが、しかし、同時に、国会で相変わらずのパフォーマンスを続ける野党に対しても「あげ足取りばかりせずに、野党はもっと実のある審議をしろ。安倍内閣を批判したいなら、もっといい提案をしろ」といった批判も多いようだ。

でも、これはあまりに酷い、議員内閣制というものを無視した、見当違いも甚だしい批判だ。昨日も同じことを書いたけれど、野党に自民党案よりももっと良い提案を求めることは、病気のときに八百屋や肉屋に駆け込む愚に等しい、とまでは言わないにしても、病気のときに薬を求めてコンビニまがいの薬局(ドラッグストアというのですか?)に駆け込む愚に等しいと思う。市販の薬くらいは手に入るだろうが、何の診察も受けずに、素人考えと、せいぜい一人か二人の薬剤師をかろうじて用意しているにすぎないお店の判断に頼るわけだから、見当違いの薬を服用したり、その結果甚大な副作用を被る危険性は極めて高い。素人が薬屋さんに出かけて安心して購入できるのは、いつも常用している馴染みの薬に限るのではなかろうか。そして、野党に期待できることは、せいぜい、我々素人が考えつくようなことに毛が生えた程度のことだし、それを十全に発揮するのが野党の仕事だ。

なぜか?
だって、これも昨日書いたことと重複するけれど、政策立案は内閣の仕事なんだから。こう言うと、「たとえ第一義的には内閣の仕事でも、その原案にイチャモンをつけるなら、それよりもいい対案を示すのが当然だ」という反応がありそうだけれど、繰り返すが、それは端的に無理というものだ。少し考えればすぐに分かることだが、与党の自民党や公明党が入手できる情報量と、野党の手に入る情報量とでは桁が違う。全ての省庁(つまり国家公務員の集合体)の親玉(つまり大臣)は自民党と公明党が独占しているのだから。そして、野党の国会議員が代議士の資格で情報開示を要求しても、省庁が「それはない」とか「もう処分した」とか「機密事項で開示できない」と拒否することは、モリカケ問題やサクラ問題を思い出せば、直ちに理解できるだろう。つまり、立案に必要な情報は内閣に独占されていると考えて間違いない。それなのに、いったいどうしたらそんな非力な野党に「もっといい対案」なんてものを期待できるのか、そんなことを言う人たちの頭の中を覗いてみたい。多分、見たこともないような脳味噌が詰まっていることだろう。

馬齢を重ねて、それなりに「出世」してしまった結果、平社員であった頃には思いも寄らなかったことが見えるようになった。情報はボスのところに一元的に集まることになっている。部下はボスに命じられたことを(イヤイヤ?)こなすだけではなく、同時に各自その作業を通してせっせと情報を集め、ボスの求めに応じてその情報を伝える。ところが、部下同士は他の人たちがどんな情報を持っているのかさえ知ることがない。みんな自分の仕事で忙殺されているのだから当然だろう。つまり、全ての情報を知っているのはボスだけだ。そして、その一元的に集められた情報を独占するという特権的立場にあるボスが、広く全体を見渡して、然るべき計画と戦略を立て、あらためて各部下にミッションを命じ(あるいは頼み?)、その執行具合を管理するわけだ。誰がどんなミスをしたのか、誰がセクハラをしたのか、誰がどんな業績を上げたのか、誰の家に不幸があったのか、こうした有象無象の情報にいち早く接するのも、その直接の当事者を除けば、部下たちが間抜けでない限りは、そのボスと決まっている。計画や管理を随時進める際にも、全体の状況を知っているのはボスだけだ。さらに、どの情報をどの段階で誰に知らせる(共有する)のかを決めるのも、そのボスの胸三寸。つまり、上司というのは、良くも悪くも、情報を管理し、その部署を統括する役目を果たしているわけで、当然ながら、その部署については最も多くの情報を、秘密事項も含めて握っている人間と決まっている。(念のために言い添えれば、もちろん各ボスには「片腕」なり「腹心の部下」なりが存在して、その役に就く人にはそれなりの権限が与えられるだろうけれど、結局は同じことだ。)

ということは、今さら言うまでもないことだけど、大臣にはその省庁が管轄する全ての情報が集まるわけで、その膨大な情報の中から必要な情報を選出し、然るべき対策を練り、その具体的実行を然るべき部署に下ろす、その号令をかけるのが彼(女)の任務だ。彼以外にその仕事ができる人間は存在しない。大臣はいわば司令官、軍事でいえば将軍クラスなわけで、官僚を手足のように使って、自ら立てた作戦を遂行する責任を持つ。そして、大臣クラスの集合体を内閣というのだから、内閣の仕事が内閣以外にできないことは理の当然だ。したがって、対案の提出を野党に要求することがどれほど愚かしいことか、これ以上グタグタと書き続ける必要はないだろう。

ところで、どんな組織でも同じことだが、一元的に情報を管理し、全体を見渡した上で各部署のすべき事柄を決め、全体の健全な運営を図るべき立場に、保身しか知らない無能な阿呆が万が一にも間違って就いてしまったとしたら、その組織が衰えていくことは必然だろう。人体に喩えれば、脳に重大な損傷が生じた結果、四肢の末端、各種臓器に異常が生じ、やがては部分的な壊死が起こり、最終的には死ぬことにもなろう。

さて、壊滅的な国会の有様を見て、雇われたネトウヨでもないのに、半ば真面目に「野党も文句ばかり言ってないで」という人間は、はたしてすでに壊死した部位に等しいといえるのではなかろうか。そして、その壊死を招いた真の原因が脳の損傷にあることは間違いない。残念なのは、今の日本にはブラックジャック級の天才外科医がいないことだ。もっとも、事実、ブラックジャックの天才振りを知っている日本人も少なくなっているに違いない。 (H.H.)
posted by 冬の夢 at 18:34 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月02日

竹槍とコロナウイルス、あるいは政治の機能不全

ずっと以前から安倍総理大臣が無能かつ阿呆であることは十分承知していたので(漢字も読めないし、行政府と立法府の違いも知らないし、基本的コミュニケーション能力にも欠ける)、今度のコロナウイルス対策のお粗末さに対しても今さら驚きはしない。が、怖ろしくは感じる。つまり、これが日本の首相で、自分が現在住んでいる処が日本だという事実が怖ろしい。

クルーズ船への対応策がお粗末であったことは、決して「後出しジャンケン」ではなく、最初から素人にでも分かりきったことだった。未知のウイルスによる感染症患者が発生したクルーズ船の乗客をどうするのか? もちろんそのまま上陸させるわけにはいかない。先進国を自称する手前、寄港を断ることもできなかっただろう。しかし、だとしたら、先のブログ記事にも書いたとおり、可能な限り速やかに乗客を確実に除菌された空間に分散しなければならなかったはずだ。クルーズ船がウイルスに汚染されていることはすでに確実な事実だったのだから。また、感染力が相当に強力であることも、中国の状況からわかっていたことなのだから。と同時に、乗客の母国の政府と密な交渉を初期の段階から行うべきだったのに、感染が広がってから関係諸国が自国民の乗客を引き受けたのは、正に時すでに遅しだ。死者も出ているからには、今後は責任の所在を巡って面倒な国際問題にも発展することだろう。加えて、目下この問題が顕在化しつつあるのだが、乗客の下船の不手際たるや、「本当にこれが先進国なのか?」と目を蔽いたくなる惨状だ。全員検診したと言っておきながら、検診をしていなかった人たちがいるというのも酷い話だが、続々と感染が広がっている事実を目の前にしてもなお、「数日前の検診で陰性だったから」といって、各自てんでに帰宅させるという、これではいったい何のためにロシアンルーレット化した豪華海上監獄に何日も監禁してきたのか、意味がわからない。隠れた保菌者がいることは、これまた素人でもすぐに分かることではなかっただろうか?

そして、今回の全国一律の学校封鎖。ほんの数日前(2月25日)の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では影も形もなかったのに、そのわずか2日後の2月27日、しかも夜半に「3月2日から全国の小中学校、高校や特別支援学校を臨時休校にする」ことを突然打ち出したわけだ。この拙速を生んだ背景については知る由もないが、今一番呆れていることは、2月29日に行われた記者会見の中身だ。27日の唐突な発表で日本中が混乱していることは百も承知なはずなのに、わざわざ用意した記者会見で国民が知ることができたのは、要するに「感染拡大を防ぐためにできることは何でもやる」という気構えと、「休校措置によって経済的打撃を受けた家庭には財政支援をする」という基本方針だけ。これだけ中身のない記者会見をして、いったい何がしたかったのか、何を望んでいたのか、ある意味、興味津々だ。しかも、愚策のダメ押しのように、実際に休校するかどうかの判断は各地方、各学校に委ねるという。それなら、わざわざ大騒ぎして夜半に速報で伝えるようなことではなかっただろう。全国の知事に通達すれば済んだことだ。その代わりに、たとえ最終的な判断は自治体や学校に委ねるとしても、その判断基準くらいは明確に示すべきだった。

一国の首相、つまり内閣総理大臣の仕事が何か、あの人は全く理解していないということがよーっく理解できたことが、もしかしたら唯一の収穫か。テレビの街頭インタビューなんかを聞いていると、実はかなり多くの人たちも誤解しているように感じられるのだが、政策を実施する権限と責任は、国会ではなく内閣=行政府にある、という基本的なことを、少なくとも当の総理大臣が理解していないように思われてならない。(関連して、「野党は批判ばかりして、だったら対案を出せ」みたいなイチャモンを付ける人が必ずいるが、政策を立案するのも、やはり内閣の仕事だ。野党の仕事ではない。官僚を自由に使えない野党にそんな能力は最初から期待できない。そして、国会は、特に予算案の審議を通して、内閣が提出した行政計画の不備を問い質す場だ。その質疑を通して、より良い予算案、つまり行政計画を作り上げるわけだ。ところが、国会中継を見ていて頭を抱え込むしかないのだが、現在の内閣は常に質問をはぐらかし、まともに質疑に応じようとはしない。原案に不備があっても、そのまま多数決で決定される。今度の国会でも、野党から「対コロナウイルスの予算も計上されていない予算案を通過させることはできない」と、これは誰が聞いてもごく当然の修正動議と思われるのだが、自民党と公明党の内閣はこれを全く無視して、予算案を可決している。つまり、対コロナウイルス政策は何も考えていなかったというわけだ。)

話を戻すと、内閣の仕事は行政。つまり、実社会の運営を国レベルで計画し、実施することだ。総理大臣というのは、そのトップだ。全国一律休校措置を計画し実施する責任者だ。となれば、今度の記者会見でも、少なくとも、
1)現状、新型肺炎のリスクをどの程度に評価しているのか? 最悪のシナリオではどの程度の拡がりを心配し、最善の落としどころとしてはどの辺りを考えているのか? つまり、政府としての現状の見通しを語る必要があった。
2)全国一律休校措置の根拠とそれによって期待できる効果。
3)全国一律休校措置が全国的に実施された場合の、予想される社会的・経済的混乱と、それに対する措置。そして財源の規模。

以上の3点は必須なはず。が、実際にはどれ一つも触れられていない。彼が話したことは全て、文字通りに一つ残らず、新聞やTVの報道ですでに周知のことばかりだった。

安倍は自分で何を言っているかも実は理解できていなかったように感じられる。例えば、今でも巷では「学校を休校にして、満員電車を放置している意味がわからない」とか、「子どもは感染しにくいというデータがあるのに、小学校を休校にする意味がわからない」とか、「学校は閉鎖して、学童は拡大、って意味不明」とか、そういう批判があるようだ。しかし、もしも安倍が今回の「愚策」を、自分でよくよく悩み抜いて、それでもなお最良の策だと思っていたのなら、「もしもある子どもの親が保菌者になったとすると、当然その子どもも、たとえ発症はしなくても、保菌者になる確率が極めて高い。そして、その子どもが登校すれば、そのクラス、さらにはその学校の子どもたちが全員保菌者になる可能性が十分考えられる。そして、その子どもたちが各家庭にコロナウイルスを持ち帰ることになる。つまり、学校は感染症に対して最悪のハブの役割を果たすことになる。だから、2週間、場合によってはもっと長期間、学校を封鎖したい」とでも言えたはずだ。そして、これならば相当に説得力があったのではないか。(少なくとも、ぼくにはこの危険性は決して過小評価すべきことではないと思われる。とはいえ、それでもなお学童保育のあり方には疑問符が20個くらい付いてしまうのだが。)

一方、政府からの情報を掻き集めても全然理解できないことは、いったい何を根拠にして安倍が「この1〜2週間が山場だ」と考えているのか、ということだ。もしも明確な根拠があるのなら、それをはっきりと示すだけで、世の中はずっと落ち着くのに。「もう後2週間の辛抱だ、我慢してくれ」と言えば、誰でもまともな人間なら我慢できる。人々がマスクどころかトイレットペーパーまで買い占めに走るのは、いつまで辛抱すればいいのか、いつまで我慢すればいいのか、誰も言ってくれないからだ。そして、おそらく現状では、それこそが誰も言うことのできないことなのだろう。だとしたら、安倍はいったい何を根拠に「この1〜2週間」と言っているのやら? 再び疑問符だらけだ。言い訳ばっかりの彼にとても似つかわしいことは確かだけれど。

安倍の記者会見で太平洋戦争中の「竹槍」を思い出した。B29爆撃機やグラマン戦闘機に対して竹槍で立ち向かえという、例のアホらしい「政策」。当時の為政者たちはどの程度「竹槍」に信を置いていたのだろうか? 頭から国民を馬鹿にして愚弄していただけなのか? それとも、全国民が一致団結して竹槍で武装したならば、鬼畜米英に立ち向かうことができ、神国ニッポンを守ることが可能だと、ほんのチラリとでも本気で考えていたのだろうか? きっと、今の安倍内閣と同じで、実は何も具体的なことは考えていなかったに違いない。

何の明確な計画もなく進められていく政治。これって、汚染されたクルーズ船と奇妙に似ている。寄港できる港もなく、将来の見通しもなく、幽霊船のように漂流するしかない船の姿と、まともなリーダーは不在で、まともなリーダー候補も現れず、そもそも何がまともなのかもわからないまま、漂いつづける「美しい国」。それがいつまで浮いていられるのか、心配でならない。(H.H.)
posted by 冬の夢 at 14:14 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2020年03月01日

散歩と人権とスピリトゥス .

 運動するよう、かかりつけ医にいわれているが、運動は苦手だ。
 散歩するようになって六年か七年。首都圏や京阪神をさんざん歩いた。

 銀座や心斎橋のような繁華街へは、あまり行かないでいるうちに、行くべきでない場所になってしまった。ならば郊外に行くかというと電車やバスに乗るのもままならない。近所をうろつくしかなくなっている。
 そのかわり、同じところばかり歩き、同じ店で買いものしたり、チェーンカフェで休憩したりするうちに、身のまわりの日常とはこういう感じかと、はじめて実感するようになった。
 いままで何を見聞していたんだ、ということだが、東京も大阪も生まれ育った場所ではないので、懐かしさはなく、観光や調査を目的にしたわけでもなくて、ほとんど「運動」のために歩いていた。だから日々のようすに興味がなかったのだ。

       ♪

 最近、近くの茶見世で休んでいると、よく聞こえてくることばがある。それは「人権」だ。

「こういうときにね! 人権なんて関係ないんだよ!」

 団塊世代前後らしき、たぶん仲間どうし、あるいは夫婦づれから、大きな声で聞こえてくる。ひと月ほどの間に何度か聞いた。
 わたしは高度成長世代だから、若い人たちより、そちらの世代に近い年齢だが、「人権なんて」を初めて聞いたときは、コーヒーカップごと椅子からころげ落ちそうになった。

 団塊世代すべてが、政治的正義や自由や民主主義の問題に正面から向かい合い、行動した若者だったとは、もちろん思っていない。行動した若者はむしろ少数派だったし、斜に構えずに考えた若者だって、かならずしも多くはなかったはずだ。
 けれど、たとえ閉塞的に先鋭化し思考停止してしまった結果だったとしても、「まじめさ」のあまり、死んでしまったり将来を棒にふったりした同世代の若者がいたことは、実感として知っている人たちのはずだ。
 そう思うと、「人権は、なくならないものです。いかなる場合にも、奪ってはいけないものなんです」と話しかける気力は、どこからもわいてこなかった。

       ♪

 近所を散歩すると、奇妙なものがまとめ買いされている場面によく出くわす。
 あげているときりがないが、きのう一時間ほど郵便を受け出しに行った道々でも見た。

「全部もらう!」
 は、駅前のチェーンカフェでのこと。
 持ち帰り商品のコーヒーパック、一杯ずつカップにのせてお湯を注ぐやつですね、それの店頭在庫をすべて買っている中年男性がいた。
 大箱入りは売り切れで──それは別の人が全部買った──小分けの箱詰めしかない。「かさばりますが、お持ちになれますか」との店員の訊ねに「いい! 全部もらう!」。

「ちょうだい!」
 は、安売り酒店で。高齢の女性が水を買っていた。
 2リットルのペットボトル6本、店員さんが、カートに無理に詰めてあげながら、引っぱって帰れるかどうか心配しているが、レジ脇にある「おつまみ」やお菓子、それらもすべて「ちょうだい!」。

 水を爆買いしているところは、これ以外にもよく見かける。また、目撃してはいないが、なぜか地方の特定の地域でトイレットペーパーが払底したとか、ふだん誰も呑むはずがない、スピリタスウォッカ(スピリトゥス)の輸入在庫が消えそうだとかいう話題もある。

      ♪

 どうしてトイレットペーパーで、なぜポーランドの蒸留酒なんですか、なのだが、まるで漫画のようだと笑う気持ちにはなれない。
 それは、たまたまそうでないだけで、歯ブラシだったりケチャップだったりもするのだと思う。
 昂じる不安を、買うという行動でまぎらわす。
 買いまくられているものは、それが何であれ、不安の指標なのだ。
 まとめ買いや買い占めを、無意味だとか、他者への配慮がないと非難する声があるが、それはあたっていない。モノそのものが欲しいのではなくて、不安という心の空隙を、買って得るという行動で埋めたいのだ。
 問題や課題の正体に立ち向かい、そのためにことの正体を探るという習慣も意欲も勇気もない社会。その住人たちは問題や課題にとり囲まれた不安という空隙を、モノで埋めようとする。
 政府がどのように懐柔しようが、専門職や研究者が、どれほど科学的に説明しようが、ことの中心に主体的に向かい合おうとはせず、不正確で情緒的な情報にたちまち飛びついて支配される、この社会の大多数の人たち。それは本当は、政治にとってはありがたい「愚民」の姿なのだけれど、この人たちの不安をぬぐうことは、けっしてできない。

 わたしは劣化論者ではないつもりだし、自由については徹底した原理主義者だし、空想的平和論者だと思っている。
 なので、かつて、わたしのまわりにいて、わたしといっしょに成長してきた、人類の進歩を信じた中学生、束縛も留保もない自由を望んだ高校生、そして、戦争と軍隊のない未来を想像した大学生のほとんどが、現実論者になって、わたしから去っていったことを、悲しく思いもする。
 そういっている、わたし自身も、現実に向き合ってもいないのに現実を直視せよといいだし、わたしの「まわり」から人の姿がなくなってしまう、そういう日が来てしまうのかもしれない。
 なぜなら、トイレットペーパーもスピリタスウォッカも、あわてて買おうとは思わないが、いま抱いている不安は、モノを買いに走り、モノに埋もれている人びとよりも、はるかに大きい気がしているからだ。(ケ)


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 蒸留70回以上、アルコール96パーセントという「スピリトゥス」。ウチにもあります。写真ではそう見えないかもしれませんが無色透明。果実酒「リモンチェッロ」を作るために使ってます。くそ、酒を呑まず運動しろといわれているのに酒棚を見ちまった……。
 まさか、この文を読んで買う人はいないだろうけど、なんと消毒用アルコール(エタノール)より高度数。適度に希釈しないと消毒効果は期待できず、とうぜん、きわめて引火しやすく、キッチンなど火の気の近くで、扱うと危ないです。消毒用にはお勧めできません。



■二〇二〇年七月二十一日、表現のみすこし直しました。
posted by 冬の夢 at 16:05 | Comment(1) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする