2020年03月06日

「コロナ・バカンス」の緊急提案

コロナウイルスの問題が日増しに深刻度を増している。極めて残念だけれど、当分の間状況は悪化し続けることだろう。身内に呼吸器系疾患を病んでいる者もあり、少なからずの友人たちには糖尿病の傾向があり、かく言う当の本人もすでに老人と言っても過言ではない年齢だから、感染すれば危ういことになりかねない。最近は外食しても全然楽しくない。きっと同じような気分の人が増えていることだろう。景気も大幅に落ち込んできていると聞く。この先は経済面・社会面でもいっそうの混乱が起きてしまうのかもしれない。

そこで、アホな緊急提案をしたい。全国の小中学校を一斉封鎖するよりもずっといいはず。名称は何でもいいのだが、要は、この際ついにこの日本にもバカンスを導入しようというもの。今年は仕方ない、「感染症を防ぐため」という名目の下、3月の間(間に合わなければ4月も可)に原則的には全ての労働者が2〜3週間の休暇を取って自宅近辺で静かにしている。そうすれば、満員電車も解消されるし、自宅に残される子ども問題も解消する。そして、来年以降も3月を「日本のバカンス」にする。元々学校は春休みの時期に重なるし、役所も企業も年度末は3月ではなく2月とすれば、3月は文字通りに「空白の月」になり、日本人が大好きな花見も思う存分楽しめるというわけだ。仮称コロナバカンス。どうでしょう? 今年は家で大人しくしているにしても、来年以降は国内・海外を問わず、どこにでも出かけていって、大いに羽根を伸ばして遊ぶ。当然、消費も刺激されるので、経済も活気づくのでは。

それに、今年に限って考えても、労働者が全員2〜3週間の休暇を取って、果たして社会的機能が維持できるのかという危惧も感じられるが、どのみち、このまま感染症が蔓延してしまったら同じことが起きてしまうだろう。それに、もしもきちんと計画的に「コロナ・バカンス」を導入できれば、メーカーは抱え込んでしまった在庫を比較的高値で一気に処分できる。ということは、薄利多売でしか生きられなかった日本のメーカーにとって、一発逆転のまたとないチャンス到来ということではないか。観光業は如何ともしがたいが、この機会を利用して、日頃改善したくてもできなかった問題点を見直して解決するとか、旅館であれば、改装改築(とまでは行かなくとも、徹底的な大掃除をして一気にイメージアップに努める)などをするとか、そうでなければ、要するに、ゆっくり休む。サービス業も同様だ。そして、社会全体にとっては働き方を根本的に見直す良い機会になるのでは?

コロナウイルスと聞くと鬱陶しく怖ろしげな響きがするようになってしまったが、ここはビールのためにも(?)、かつての車(もうないよね?)の名誉のためにも、「コロナ」の元来の輝かしいニュアンスを回復しなければなるまい(そんな必要、微塵もないかな?) コロナって語源的には「花冠、光輪」という、何とも素敵な意味なんだよね……新型コロナウイルスも、もう少し温和しく、可愛らしく振る舞ってくれるとありがたいのだけど。

アホな安倍(『アホな』というのは我らが首相の枕言葉だね)が素っ頓狂な声で言い出した「新型インフルエンザ対策特別措置法改正案」よりもずっと良案と自分では思っている。是非とも国会で緊急に審議してもらいたい。誰だって恒常的なバカンス、欲しいよね? それがたとえ「コロナ・バカンス」でも。
(H.H.)

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(太陽のコロナ;Original image by Luc Viatour)

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(花冠、つまり花弁の輪)
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2020年03月05日

袁牧の詩を暗唱する──より『随園食単』がいい!

 すべて物にはそれぞれの天性があり、人におのおの素質があると同様である。人の性質が下愚ならば孔子や孟子がこれを教育しても無益であり、物の品質が不良ならば料理の名人易牙(えきが)がこれを割烹しても無味である。

 と、説き起こされる、中華料理レシピの古典的名著、『随園食単』(一七九二)。
 どれほど有名かというと、「西のサヴァラン、東の随園」というほどだそうで、かのブリア=サヴァランの『美味礼賛』(一八二五)に並び立つ、いや、はるかに先んじた、「料理」の名著なのだ。

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『美味礼賛』は読んでいないが、そのオリジナルタイトルは、なんと『Physiologie du Goût, ou Méditations de Gastronomie Transcendante; ouvrage théorique, historique et à l'ordre du jour, dédié aux Gastronomes parisiens, par un Professeur, membre de plusieurs sociétés littéraires et savantes』だという。いくらフランス人が書いたからって、理屈っぽすぎないか! 訳すのも面倒、ちょい読みなど出来そうにない題だ。
『美味礼賛』という日本語はわかりやすく、よく知られていると思うが、もとの本が広く読まれたかどうかは、ちょっと疑わしい。

『随園食単』も、出だしから孔孟のたとえなので、読むのがしんどそう──と思ったら、こちらはとても読みやすい。
「学問の道は、知識を先にして実行を後にする。飲食の事も同様である」として、さきほどの「天性を知ること」に始まる前説すなわち、調理の基本注意があるが、簡潔明瞭な各項目はどれも、納得の連続だ。

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『随園食単』 岩波文庫 1980

 はじめの、材料の「天性」を判別する、にもあらわれているが、『随園食単』の考えは、材料の個性を判断し、それに応じ変化ある味を施すこと。画一的ではいけない、そのため技を尽くそう、ということだ。
 それを、こういうたとえで説いている。中国詩では唐詩はとくにすばらしいが、科挙つまり官吏登用試験で課される唐詩の試験答案が、アンソロジーに採用されないのはなぜか。それは、いかに秀才たちがみごとに作った詩でも、型にはまっているからだ、と。

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 紹介がおそくなりました。
『随園食単』を書いたのは、清の時代の詩人、袁枚(えんばい・一七一六〜一七九八)。
 さきごろ、やはり清代の面白い詩人文人、鄭板橋(ていばんきょう・一六九三〜一七六五)を教えてくれた、台湾人の友だちが、もうひとり、私の好きな面白い詩人がいますよと、あげてくれた。知らなかった。

 袁牧は杭州生まれ。家業は地方官僚の事務下請で、父親は単身赴任が多く、家計は苦しかった。
 が、両親の頑張りもあり、二十四歳で科挙に合格。若すぎて妬まれることもあったようだが、地方自治体の長に赴任する。
 その治政は、機知にとみ清廉だったらしく、エピソードが歌になって残ったほどだそうだ。ところが三十七歳で退官、以後は職につかず、長寿をまっとうした。

 退職理由は、いくつかあるようだ。
 正当に遇されない不満という説もあるが、大きい地域の知事職だと、民衆の苦労をよそに、お偉がたに追従ばかりの日々。古代の賢王にならえば自然と治まるような小さな所で、田舎巡査のようにしていたいのに、ということだったらしい。鄭板橋とは文通する間柄だったようだが、政治に対する態度は、鄭板橋と似ている。

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 では、退官後どう暮らしたかというと、役人時代に得た土地を「随園」と名づけ、庭園と豪邸を築き、読書や創作にいそしんだ。
 そして美食が、なによりの趣味。さまざまな料理を、家付きの達者な料理人に作らせる。『随園食単』は晩年の著。長年にわたってレシピメモを書きためていた。

 が、それだけではない。エロ事にも熱心! 蓄妾はするわ、イケメン男優──女形ですな──好きだわ。
 気に入った女子はつぎつぎに「随園」で詩の内弟子にしてしまう。当時、女性が勉強すること、まして詩文を学ぶなど、儒教にそわず無益とされたから、袁枚は不品行と批判されたりするが、随園からは何人もの女流詩人が育っていて、はるか後に袁牧は、教育的な意味で再評価されたりもしている。
 ちなみに職なしで、どこにそんな費用があったかだが、これは鄭板橋と同じで、あらそって求められるほど、詩文や評論に人気があり売れていたそうだ。旅すればあちこちで歓待されたという。う、うらやましい。

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 そんな袁牧の詩作観は「性霊説」という。
 詩人の心を、詩形式にとらわれず表現すべき、という考えだ。
 そのころ沈徳潜(しんとくせん・一六七三〜一七六九)という文人がいて、古典に従い格調と決まりを厳しく守る詩を推奨したので、袁牧ら性霊説派と、はげしい対立があったという。
 さきほどの、唐詩は確かにすばらしいが、試験答案用の形式主義の詩作から名作は生まれようがない、料理もまた、形式や作法にとらわれては美味しくならないのだという『随園食単』の調理指南には、じつは袁牧の詩論が強くあらわれているわけなのだ。

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 では『随園食単』のレシピはというと、まだ一品も料理してみていないので、現代に通じるかどうかはわからない。
 といっても記述は平易だし、素人には絶対作れない料理は、あまりない感じだ。
 豚肉料理ひとつとっても四十三種と豊富だが、豚は「広大教主」、つまり大衆的に好まれる代表だとし、とても難しそうな料理は、さほどない。
 たとえば脱沙肉(トウシャァロウ=ミンチボール)とか、炒肉糸(チァオロウスウ=細切り炒め)なんて、いまの中華レストランでもメニューにありそうだし、読むかぎり、多少アレンジすれば、わたしにも作れそうだ。

 脱沙肉は、葱のみじん切りを入れて卵で合わせた肉ダンゴを、網脂で包んで油煎りしてから醤油と酒で煮込み、ニラ、シイタケ、タケノコをそえて……うん、美味そう!

 炒肉糸は、醤油と酒に漬けておいた糸切り豚肉を強火で炒め、蒸粉──とは何だろう、トロみをつけるということかな──と酢と砂糖をちょっぴり。白ねぎ、ニンニク、ニラ類を入れる。ニラがいちばん香ばしく仕上がるそうで、くそ、今夜の晩飯はこれだ!

 ちなみに、中華料理専門店で似ていそうな料理を作る動画をネットで見ると、『随園食単』のレシピは、かなり薄味で、調味料の添加量がとても少ないと感じるが、どうだろう。

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 待てよ、中華レシピの話じゃなかった、詩の話だった!
 鄭板橋のときと同様、すぐ見られる本が少なく、詩作のごく一端にふれただけだが、性霊説を唱え、詩人の心情を率直に表現するということから、鄭板橋とは違い、自分のことを書いた詩が目につく。
 多くの人生の楽しみを知るなかで最高のものは本を読むことだと語ったり、随園の大工が亡くなったことを心から惜しんであげたり。愛妾たちのこともよく詩にしているが、老いて病に伏したときありがたいのは妻の献身だと書いたり。
 快楽追求型の人が、誠実な心情の詩を作るというのは、ちょっと間違うとウソくさく偽善になりかねないが、ふしぎとイヤらしい感じがしない。

 これと思ったのは「愁」。
 袁枚、五十歳の作だ。
 袁枚が自分のことを書いた詩を読んでいくと、歳をとるわびしさが、ことに率直につづられるが、元気でさっそうとしていたい、おしゃれな男に見られたい、という袁枚らしい、というのかな、ちょっぴり自意識過剰なところもうかがえる。そういうのも、露骨すぎるとシラケるが、わかるな〜って感じだ。
 でも、この「愁」は、そういうところもなく、この詩の袁枚より世代上の自分には、ただ身にしみる。

 

白髮悄無語,青山忽自低。
愁來如有路,慣在夕陽西。

 白髪はしょんぼりと言葉もなく,
 死に場所はにわかに近くなる。
 愁いがやってくる 通り道が決まっているかのように,
 いつも夕陽がしずむ西からやってくる

 もうひとつ、いきましょう。
「愁」も、随園で作っているが、こちらはたぶん随園が出来たばかりのとき、退官が近い三十三歳で作った詩だ。

 随園雑興から

花自帶春來,春不帶花去。
雲自共水流,水不留雲住。
我欲問其故,無人有高樹。
樹下閑思量,春與雲歸處。

 花は春の訪れとともに咲くが,
 春は花をつれずに去っていってしまう。
 雲は水の流れとともに流れるが,
 水は雲の姿を映しとどめはしない。
 そのわけを問うてみたいけれど,
 人の姿はなくただ丈の高い木があるのみ。
 その木の下でぼんやり思いをめぐらせる,
 春と雲のゆくえのことを。

 
 この詩が載っている本の解釈や、漢和辞典などを見て、自分でつけた訳なので、間違いがあるかもしれない。
 中国の詩の音韻や抑揚はぜんぜん知らないから、中国語で唱えると、違った味わいもあるかもしれない。といっても、友だちの台湾人に教わった鄭板橋の「竹石」、たった二十八字のその詩も、まだ中国語で暗唱できていない。

       ♪

 ところで、文人にして美食家の袁枚が「すこぶるこれを愛する」といった食材とは何か。
 どんな高級食材かと思ったら、なんと「豆芽(豆もやし)」だ。
 ただし、清の時代も最高級品だった燕窩(ツバメの巣)に合わせるのが好きだった。

 これは『随園食単』に書いた調理の基本のひとつ、料理にはかならず補佐(あしらい)が必要で、しかも淡泊には淡泊、濃厚には濃厚、柔には柔、剛には剛、という考えと合致している。燕窩と豆芽は柔と柔、白と白を配したことになるからよいのだそうだ。
 それを、いやしい安物と高級食材を合わせた料理なんてと笑う人を、袁枚は、巣父・許由のみが堯舜にふさわしい人だということを知らないからだと、「潁川に耳を洗う」の古事をひいて、むしろ、あわれむ。
 なんだか、おいそれと食えなくなってきたぞ、中華料理!

 袁板にならって、いくつになっても、きれいな女の子を追いかけ、それ以外は本を読んでいるだけで最高、あとはときどき自分で料理──袁枚みたいに調理人を雇う余裕はないから──となればいいが、追いかけるべき女の子も、これをじっくり何度も読みたいものだという本も、いまだに見つけていない気がする。食べるほうは制限されちゃったしね。(ケ)


※中国古代の伝説の隠者、許由のエピソード。
 
 高潔の士として知られた許由に、ときの帝、堯が位をゆずろうとしたところ、許由は、けがらわしい話を聞かされたといって潁川で耳を洗った。
 また一人の人格者であった隠者の巣父が、牛をつれてその場に行き合わせ、許由に何をしているのか訊ねて理由を知ると、そんな汚い話を聞いた耳を洗った水は、わが牛には飲ませられんなと、立ち去った。


【参考】
『随園食単』袁牧/青木正児・訳/岩波文庫/一九八〇
『袁枚 十八世紀中国の詩人』アーサー・ウェイリー/東洋文庫(平凡社)/一九九九
『中国古典文学大系 第19巻 宋・元・明・清詩集』平凡社/一九七三

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2020年03月04日

素人と専門家:専門家は問題を難しくするのが好き?

このようなブログを書き続けている以上、自分で書いた駄文の後始末をしておくことも大事だろうから、駄文に蛇足を付けておこうと思う。

たまたまネットを開いたところ、「クルーズ船の隔離は『失敗』だったのか、専門家が語る理想と現実」(元長崎大学熱帯医学部教授で、〈世界エイズ・結核・マラリア対策基金〉戦略投資効果局長という立派な肩書を有した國井修という署名が付されている)という一文が目に入った。どうやら『Newsweek(日本版)』の3月10日号に掲載されるらしい。ざっと読んでは見たが、残念ながら特筆すべきことは何もないように感じられた。つまり、その記事に書かれているようなことは私のような素人にも大方予想が付いているか、あるいは別ルートですでに頭に入っているようなことばかり。こういう点ではインターネットの発達はありがたいともいえる。

しかし、その記事の「クルーズ船の対応は簡単に失敗とは言えない」という主張には全く納得がいかない。本文にはこう書いてある:

このような船舶のリスクを考えると、早急に全員を下船すべきだった、との批判は正当に聞こえる。私も初めはそう思った。対策担当者もその可能性を探った。しかし、頭で考えるほどオペレーションは生易しいものではなかった。

つまり、ぼくのような素人は「大失敗だ」と声高に非難するが、専門家が考えると、事はそんなに容易なことではなかったというわけだ。というわけで、もう少し本文に耳を傾けてみると、その理由は以下の4点となる:

1)その理由として、まずこのクルーズ船は英国籍であり、横浜港に入港する2月3日までは介入できず、2月6日の接岸後も船長と船会社の意向を尊重しなければならなかった。

2)下船のため、外部の宿泊施設や搬送方法を検討したところ、乗客・乗務員の数が数百人規模であれば実施可能であったが、3000人以上のオペレーションは不可能であった。風評を恐れて、受け入れてくれる民間施設はなかなか見つからない。国や公共の施設にも限りがあった。

3)搬送するために必要な数のバスもチャーターできない。個人間の感染防御対策を考えると、この搬送自体にリスクがある。2月5日には感染者10人が確認され、検疫開始前に既に船内で感染が拡大していたことが判明した。バスの移動でさらに拡大する恐れがあった。

4)仮に下船させれば、症状がないからと、検査もせずに勝手に日本国内または海外を公共の交通機関で移動する者も出てくる。法制度上、一度下船させると、検疫のためにどこかに強制的に停留させることはできない。


1)は問題でも何でもない。当然のことだ。そして、これはむしろ、そもそも横浜に寄港することを許可するのかどうか、という問題だったはずだ。言い換えると、感染が拡大した場合でも十分に対応できるだけの体制が日本側にある、十分対応できると思っていた(思い込んでいた)からこそ、寄港を許可したのであろうし、そうでなければ、一国の判断としてはあまりに無責任だろう。実際に横浜に入港するまでの交渉の経緯については、コロナウイルスが一段落したら次第に明らかになることと思う。

2)3000人以上もの乗客及び乗員を収容できる施設がなかったというのは、「本気で探したのか?」と、それこそ本気で問い質したい。例えば西日本のスキー場はこの冬異常な雪不足のために、どこもかしこも閑古鳥が鳴いていると聞く。千葉のホテルにできたことが、なぜその他のホテルではできなかったのか? また、日本全国にはユースホステルというものもある。さらには宿泊施設だけではなく、すでに廃校した小学校も多い。政府や自治体が所有している保養所もいくらでもある。研修施設も含めれば、その数は倍増するのではなかろうか。そういう様々な可能性を、本当に真面目に追求してみたのか? どう考えても怪しい。繰り返すが、もしも対象者の数が3千人ではなく、3万人であったなら、そのときは素人の私も白旗を揚げる。だが、たったの3千人への対応ができないのであれば、感染症が本当に拡大したとき、この国はいとも簡単に破滅するしかないではないか!

3)バスのチャーターができない! これは、もう絶句するしかない。たったの100台(計算が間違っていたらご容赦願いたい)が用意できない。なるほど、だったら仕方ない。乗り心地ははるかに劣るけれども、自衛隊の車に乗ってもらおう。相手は我儘なセレブかもしれないが、背に腹は替えられまい。それに、「日本のような野蛮国の収容施設には行きたくない」という御仁には、「それならどうぞ船にお残り下さい」と言えば良かっただけだ。それに、前稿の繰り返しになるが、空いている船だっていくらもあるのではないのか? 少なくとも、瀬戸内海では、四国と本州が橋で繋がってしまったせいで、フェリーの就航がどんどんと少なくなっている。ちょっとしたサイズのフェリーであれば、個室だって備えているのではなかろうか? そうした船の利用は考えてみたのだろうか?

4)の問題は、おそらく最も難しい問題だろう。だが、これは外務省と厚生労働省が頑張るしかないではないか。実際にこの問題は人権の問題とも抵触するので、今後は日本国内の感染者にも関連する微妙な問題だ。けれども、一方で、それならば関係諸国の大使を呼んで、自国の人間の保護を求めれば良かったのではないのか?

と、以上のように、この國井修という専門家の発言に代表される「素人さんは簡単に言ってくれるけど、実際はそんな簡単ではないのですよ」という物言いに対して、素人としては「なるほど、そうですか」とは少しも納得できない。

専門家って、自分の土俵を守りたいがために、徒に問題を難しくするってこと、ありませんかね? でも、実のところ、お医者さんは行政の専門家ではないので、収容施設や移動手段の確保については、この國井修氏も我々素人と大差ないだろう。上記の指摘は全て行政の専門家であるお役人の口パクに過ぎず、ここで今展開している非難も、結局は行政に対する批判だ。であるなら、この『Newsweek』の記事は、本来は厚生労働省の責任者(大臣が最適だが、彼は一切の皮肉なしに多忙で無理だろう)か、内閣の報道官にでも依頼すべきことだったと、今さらに思う。(H.H.)

posted by 冬の夢 at 18:42 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする