2019年08月28日

おい日本、大丈夫か? 柴山某なんてのが文部科学省大臣で……

 詳細はよく知らない。それでも、一読して背筋が総毛立つような、腕が鳥肌になってしまうような、思わず吐き気を感じるような、そんな気分にさせられるニュース記事を見てしまった。今日(8月27日)のネットの新聞記事だ。その一部だけ引用すると、

 埼玉県知事選で応援演説をしていた柴山昌彦文部科学相に対し、大学入試改革への反対などを訴えた若い男性を警察官たちが取り囲んで遠ざけたことが、ツイッターなどで話題となり、柴山氏自身も「わめき散らす声は鮮明(だった)」などと発信している。27日の会見で柴山氏は「(演説会場で)大声を出すことは権利として保障されているとは言えないのではないか」との見解を示した(朝日新聞)。

 事件の概要はこれだけだ。つまり、政治家(与党)の街頭演説にヤジを飛ばした個人を警察官がその場から排除した。このこと(街頭演説の場でヤジを投げつける人間を警察が排除すること)に関して、当然ながら、一部から批判の声が上がった。それに対して、当の政治家(文部科学省大臣)が「(演説会場で)大声を出すことは権利として保障されているとは言えないのではないか」と応えたという。

 これのいったい何がそんなに恐ろしくて気色悪いのか? おそらく多くの人々には分かってもらえないかもしれない。そんな気がする。もしも大多数の人々がこのニュースに対して生理的ともいえるような拒絶反応を示してくれるのであれば、ぼくもこれほどには怖がらずに済むのだろうけれど……

 与党の街頭演説に反対する声を警察が排除する。これだけでもすでに十分に怖い。いや十二分に怖い。ぼくもしばしば経験するが、選挙中の街頭演説は非常にうるさい。自分が利用する駅で遭遇すると、その日はなんて運の悪い日だろうと思わされる。「いったい自分を何様だと思ってやがるんだ!」と悪態の一つも言いたくなる。だってそうでしょ? いくら選挙運動として認められているとはいえ、それこそ何の権利があってあんなバカでかい声でわめき散らすことが許されているのか。しかも、中には中身がほとんどないもの、支離滅裂なものもある。その上、こちらには異議を唱えたり、質問したりすることもできない。(それとも、あの場で、「もしもし、あなたの言っていることは滅茶苦茶ですよ」と穏便に言ったら、こちらも同じ壇上に登らせてくれて、公開議論することが認められたりするのだろうか? そんなことはないだろう。)だとしたら、「うるさい、あっちへ行け!」くらいは言いたくなるというものだ。

 もちろん、普段なら、うるさいと思えばこちらが遠ざかる。しかし、もしも恋人とデートの待ち合わせ場所が正にその場であったなら、やはりぼくでも「うるさいぞ! あっちへ行け!」と怒鳴りたくなるだろう。が、この記事の通りであれば、そう怒鳴ったぼくの回りに突如として警官が集まり、ぼくはその場から排除される。「いや、待って下さい。ぼくはここで恋人とデートの待ち合わせを、云々」と言ったところで、腕を捕まれて、その場から無理やり移されることになるのだ。そして、彼女をすっぽかすことになり、挙げ句には「約束も守れないバカ者」と思われて、振られてしまうかもしれない。それがイヤで、取り囲んだ警官から逃げようと思い、手でも振り払った途端に、「公務執行妨害!」と言われ、逮捕されてしまう。そうなれば、やはり失恋の憂き目が待っていることに違いはない。

 これだけでもすでに十分悪夢だが、ぼくの感じる恐怖の正体はこれではない。本当に怖くて気持ち悪いのは、この柴山昌彦という政治家の発言だ。同じ新聞記事から拾い上げると、

 (柴山昌彦大臣は)27日の会見では質問に対し、「表現の自由は最大限保障されなければいけないが、選挙活動の円滑、自由も非常に重要」と答えた。そのうえで、「演説会に集まっておられた方々は候補者や応援弁士の発言をしっかりと聞きたいと思って来られているわけですから、大声を出したり、通りがかりでヤジを発するということはともかくですね、そういうことをするというのは、権利として保障されているとは言えないのではないか」と語った。

 自分の演説に向けてヤジを飛ばした人間を警察官が強制的に排除した。それは個人の自由に対する侵害だという批判に対し、「大声を出したり、通りがかりでヤジを発するということはともかくですね、そういうことをするというのは、権利として保障されているとは言えないのではないか」と、大臣という役職にある人間が発言する、このアホさ、このアホさに気がつかないアホさ、つまりアホの二重構造、無限ループが怖くて怖くて仕方ない。だってですよ、このアホさが示していることを分かりやすく言い直せば、「権利として保障されていないことをしたら、警察に取り囲まれ、移動の自由や発言の自由を奪われても仕方ない」と言っているに等しいわけだ。繰り返すが、当の政治家は、万一このブログを見ても、「オレはそんなことは言っていない」と言うに決まっている。つまり、自分がどんなにアホなことを言ったのかは全く自覚していないだろう。しかし、事実として、「そういうことをするというのは、権利として保障されているとはいえないのではないか」と言ったのだし、その意味するところは、先に言い直した通りにしかならない。

 選挙運動の妨害が取り締まりの対象になることは承知している。そして、選挙運動が、どんなに非常識な騒音を撒き散らすものであっても、それこそ候補者の権利として保障されていることも承知している。そして、そのこと自体には大いに正当性があることも理解している。だから、たとえ個人の示威運動であっても、それがあまりに強烈かつ悪質であれば、警察官が排除することも起こりえるだろう。だから、その場にいなかった身としては、この強制排除の是非を問題にしているわけではない(怖いことだとは感じるけれども)。

 けれども、繰り返すが、「権利として保障されていないことをしたら、公権力はその行為を抑制してもいい」と公言されると、「おいおい、いつから日本はガリバー旅行記に出てくるようなヘンテコな国になったんだよ? 逆だよ、逆! 正しくは『法的に禁じられていないのであれば、個人には大方のことが許されている』ってのが自由主義国の基本だよ、おっさん、大丈夫か?」と言いたくなる。コーヒーを飲む権利なんてものはいちいち保障されていないけれど、人はコーヒーを飲むし、人前でコーヒーを飲んでも強制排除されることはない。海に入る権利なんてものはどこにもないけれど、そこが立ち入り禁止になっていない限り、あるいは私有地でない限り、海に入っても人は逮捕されない。歩道を走る権利なんてどこにも書かれていないけれど、人は走っても拘留されることはない。(以下、ほぼ無限に続くはず。)権利として保障されていることはもちろんのこと、わざわざ保障されていなくても、人はそれをしていいんだよ。こんな単純なことが混乱しているとは!

 おい日本、大丈夫か? 多分もうダメだね……極めて残念ながら。 (H.H.)

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(本文とは関係ありません)

 
posted by 冬の夢 at 00:41 | Comment(0) | 時事 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする