2020年11月22日

追悼・筒美京平 〜 南沙織「傷つく世代」のサビ

 筒美京平が書いた歌謡曲はあまりに多いので人によって筒美京平の印象は違っていて、それは筒美京平の曲が「筒美京平らしさ」などと言う作り手の個性を全く感じさせずに、常に受け手の感性に訴えることばかりに執着していたせいであって、それゆえに筒美京平の曲は年代を超えて流行歌としてヒットし続け、世代を超えて思い出の歌として口ずさみ続けられることになったのだった。だから、筒美京平逝去の報に接して、人びとが思い浮かべる曲はまさに百人百様にならざるを得ず、代表作としてジュディ・オングが歌った「魅せられて」が取り上げられることがあるが、「魅せられて」にしてもある世代にとってはよく耳にした歌ではあるけれども、筒美京平の存在を言い表すにしては所詮One of them的な印象しか持ち得ないのも致し方ないことだろう。筒美京平は良い曲の絶対条件にヒットする、すなわち売れることを掲げていたらしいし、オリコン週間TOP10入りしたヒット曲は200を優に超えるので、筒美京平がターゲットにした受け手にしてみれば、筒美京平と聞いて思い出す曲は百人百様では済まないバリエーションが生じることとなり、筒美京平について拙文をしたためようとしているこの記事などでは筒美京平という作曲家の全貌を伝えることなど決して出来るわけがないのは言うまでもない。それでもあえて極めて私的に印象的な筒美京平の曲を選択する作業は、ビートルズが残した213曲(※1)の中で好きな曲を選べと言われたらば、ビートルズマニアであればあるほど決して”Hey Jude”や”Let it be”などではなく、”I’ll be back”だとか”Baby you are a rich man”だとかをわざわざ掲げて、自分なりのビートルズとの付き合い方やビートルズのここが好きという主張を含ませることがあるように、筒美京平としてはあまりに有名な「また逢う日まで」や「ギンギラギンにさりげなく」をその対象とすることを良しとはしないのでもある。とは言え、ボサノバを洗練された形で歌謡曲に移植した仕事を昭和四十四年に実現していたことに真から驚かされるヒデとロザンナの「真夜中のボサ・ノバ」やその作曲リストを一覧して今頃になって初めて小西康陽のオリジナル曲ではないと気づくことになったピチカート・ファイヴの「恋のルール・新しいルール」などをもってして筒美京平を語ろうとするならば、それではあまりに凝り性が過ぎるという誹りを免れられず、稀代のヒットメーカーに敬意を表するためにもやはり誰もがそのメロディを頭の中で奏でられる曲を取り上げないことには始末のつけようがないと考え直して、この記事では沖縄が生んだ初めての女性アイドルであり本格的シンガーでもあった南沙織にスポットを当ててみたい。

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 南沙織は昭和四十六年に「17才」でレコードデビューしたのだが、それは南国調でかつ外国風を感じさせるルックスが注目されて沖縄でスカウトされてのことであり、同じ年に歌謡界に新人として登場した小柳ルミ子が宝塚歌劇団を首席で卒業したり、天地真理が国立音楽大学附属校の声楽科出身であったりしたのとは違って、デビュー前には本格的な音楽活動はしていなかった一方で、沖縄出身という経歴がちょうど翌年に沖縄返還を控えていた当時にあっては別の観点から注目されることとなり、厚みを持ちながらものびやかな声の魅力も重なって、そのデビューは巷間の歌謡曲ファンにとって鮮烈なものであった。「17才」は作詞有馬三恵子、作曲筒美京平のコンビによる楽曲で、南沙織はその後も「潮風のメロディ」「ともだち」「純潔」など筒美京平から続けて曲を提供されることになり、南沙織のイメージが筒美京平によって作り上げられて行く過程においてメインとなるモチーフは南の島の明朗さから次第に思春期の女性に芽生える複雑な感情に移行するようになり、その傾向がはっきりとしたきっかけが下に掲げる「傷つく世代」であったように記憶している。

逢えば逢うほどあいつ とても謎なの
優しくてがんこでつめたくて
町を歩いていても喧嘩しちゃうの
くやしくて 二人はかたきみたいよ
あゝどうして 人など愛してしまうの
どうして 一人じゃ淋しいのかしら
だめね だめね 私だめね
かわいそうに ひざをかかえたままで
今日も待つのよ
あやふやなあいつの あのいとしさ
このはかなさ 青春なのね

好きになるほどあいつ 信じられない
楽しくて 恐くて あいまいで
ある日電車の中でキスをしたいの
いつのまに こんなに愛したのかな
あゝ どうしてこの世にあいつがいるのよ
どうして おたがい傷つけあうのよ
だめね だめね 私だめね
かわいそうに ひざをかかえたままで
今日も待つのよ
あやふやなあいつの あのいとしさ
このはかなさ 青春なのね


 同世代の歌手たちが歌ったテニスコートだとかお嫁に行くだとかとは真逆に位置する有馬三恵子の作詞が、センシティブで悩み深い十代をあざやかに表現しているのはもちろんのこととして、デレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」とまるで同じじゃないかと話題にもなったイントロから、三つの「あ」のアクセントで頭韻を強調するAメロ四小節まで息をつく間も無く聴く者を惹きつけてしまう筒美京平の曲はまさに悩殺級で、その蠱惑感が頂点に達するのは四小節のサビ、すなわち「だめね だめね 私だめね かわいそうに」の部分においてだった。普通ならばサビの導入は曲の構成を曲線で表すとしたら右肩上がりに急激に上昇して山頂に達するカーブに相違なく、それを歌声で表現する歌手は溜めに溜めた息を一気に吐き出すようにして歌い上げることに専心するのが常であったが、「傷つく世代」のサビはその正反対に曲の中で最も声をひそめながら呟くように囁くように嘆くように「だめね だめね」と戒めの呪文のごとく繰り返すのである。そしてそれに続く「かわいそうに」の中でもとりわけ強調された「わ」がその直前の「私だめね」の「わ」とシンクロする見事さは、筒美京平の曲づくりでは先に作られた歌詞に後で曲をつけたのは「木綿のハンカチーフ」が初めてだったらしく(※2)、「傷つく世代」はその二年半前の作品なので有馬三恵子の歌詞の当て方の上手さによるものだと推測されるのだとしても、「だめね」で一度登山口まで戻ったのにその四小節めの「かわいそうに」で山頂まで取って返すように急転回するサビは、本来果たすべきその役割を全うしつつ筒美京平の独創性を象徴していると言えるだろう。

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 筒美京平の独創性とは、従来の枠組みや定番的な手法は一切無視して、歌手の声質の良さを引き出すことだったり曲自体が持つ流れを大切にしてまさに流れるままにメロディをつないでいくことだったりしながら、ヒットを確実にするために筒美京平ならではのキャッチーなセンスから生み出されたものだったのであって、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」のAメロは五小節から成り立っていてそれはそれまでの歌謡曲の常識にはない発想だった(※3)のだが、その形式に今更ながら深く驚かされたので、この記事も「傷つく世代」の歌詞を挟んで前半・後半ともに五つの文で書いてみたものの、そんな小細工は何の役にも立たないのだと思うだに、偉大な作曲家の逝去の報に接し、ただただ哀悼の意を表するしかないのだった。(き)

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筒美京平 1940年5月28日〜2020年10月7日

(※1)ザ・ビートルズの曲数には諸説あるようだが、解散当時のEMIによる見解(=213曲)を採用した。

(※2)2020年10月31日に放映されたNHKスペシャル「筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔」の中で、初めて歌詞に合わせて曲を作った「木綿のハンカチーフ」は筒美京平にとって会心の作品だったと作詞家の松本隆が語っている。

(※3)2020年11月15日に放映された「関ジャム 完全燃SHOW」の中で、音楽プロデューサーの本間昭光が五小節のAメロについてコメントした。



posted by 冬の夢 at 21:55 | Comment(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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