2020年03月05日

袁牧の詩を暗唱する──より『随園食単』がいい!

 すべて物にはそれぞれの天性があり、人におのおの素質があると同様である。人の性質が下愚ならば孔子や孟子がこれを教育しても無益であり、物の品質が不良ならば料理の名人易牙(えきが)がこれを割烹しても無味である。

 と、説き起こされる、中華料理レシピの古典的名著、『随園食単』(一七九二)。
 どれほど有名かというと、「西のサヴァラン、東の随園」というほどだそうで、かのブリア=サヴァランの『美味礼賛』(一八二五)に並び立つ、いや、はるかに先んじた、「料理」の名著なのだ。

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『美味礼賛』は読んでいないが、そのオリジナルタイトルは、なんと『Physiologie du Goût, ou Méditations de Gastronomie Transcendante; ouvrage théorique, historique et à l'ordre du jour, dédié aux Gastronomes parisiens, par un Professeur, membre de plusieurs sociétés littéraires et savantes』だという。いくらフランス人が書いたからって、理屈っぽすぎないか! 訳すのも面倒、ちょい読みなど出来そうにない題だ。
『美味礼賛』という日本語はわかりやすく、よく知られていると思うが、もとの本が広く読まれたかどうかは、ちょっと疑わしい。

『随園食単』も、出だしから孔孟のたとえなので、読むのがしんどそう──と思ったら、こちらはとても読みやすい。
「学問の道は、知識を先にして実行を後にする。飲食の事も同様である」として、さきほどの「天性を知ること」に始まる前説すなわち、調理の基本注意があるが、簡潔明瞭な各項目はどれも、納得の連続だ。

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『随園食単』 岩波文庫 1980

 はじめの、材料の「天性」を判別する、にもあらわれているが、『随園食単』の考えは、材料の個性を判断し、それに応じ変化ある味を施すこと。画一的ではいけない、そのため技を尽くそう、ということだ。
 それを、こういうたとえで説いている。中国詩では唐詩はとくにすばらしいが、科挙つまり官吏登用試験で課される唐詩の試験答案が、アンソロジーに採用されないのはなぜか。それは、いかに秀才たちがみごとに作った詩でも、型にはまっているからだ、と。

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 紹介がおそくなりました。
『随園食単』を書いたのは、清の時代の詩人、袁枚(えんばい・一七一六〜一七九八)。
 さきごろ、やはり清代の面白い詩人文人、鄭板橋(ていばんきょう・一六九三〜一七六五)を教えてくれた、台湾人の友だちが、もうひとり、私の好きな面白い詩人がいますよと、あげてくれた。知らなかった。

 袁牧は杭州生まれ。家業は地方官僚の事務下請で、父親は単身赴任が多く、家計は苦しかった。
 が、両親の頑張りもあり、二十四歳で科挙に合格。若すぎて妬まれることもあったようだが、地方自治体の長に赴任する。
 その治政は、機知にとみ清廉だったらしく、エピソードが歌になって残ったほどだそうだ。ところが三十七歳で退官、以後は職につかず、長寿をまっとうした。

 退職理由は、いくつかあるようだ。
 正当に遇されない不満という説もあるが、大きい地域の知事職だと、民衆の苦労をよそに、お偉がたに追従ばかりの日々。古代の賢王にならえば自然と治まるような小さな所で、田舎巡査のようにしていたいのに、ということだったらしい。鄭板橋とは文通する間柄だったようだが、政治に対する態度は、鄭板橋と似ている。

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 では、退官後どう暮らしたかというと、役人時代に得た土地を「随園」と名づけ、庭園と豪邸を築き、読書や創作にいそしんだ。
 そして美食が、なによりの趣味。さまざまな料理を、家付きの達者な料理人に作らせる。『随園食単』は晩年の著。長年にわたってレシピメモを書きためていた。

 が、それだけではない。エロ事にも熱心! 蓄妾はするわ、イケメン男優──女形ですな──好きだわ。
 気に入った女子はつぎつぎに「随園」で詩の内弟子にしてしまう。当時、女性が勉強すること、まして詩文を学ぶなど、儒教にそわず無益とされたから、袁枚は不品行と批判されたりするが、随園からは何人もの女流詩人が育っていて、はるか後に袁牧は、教育的な意味で再評価されたりもしている。
 ちなみに職なしで、どこにそんな費用があったかだが、これは鄭板橋と同じで、あらそって求められるほど、詩文や評論に人気があり売れていたそうだ。旅すればあちこちで歓待されたという。う、うらやましい。

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 そんな袁牧の詩作観は「性霊説」という。
 詩人の心を、詩形式にとらわれず表現すべき、という考えだ。
 そのころ沈徳潜(しんとくせん・一六七三〜一七六九)という文人がいて、古典に従い格調と決まりを厳しく守る詩を推奨したので、袁牧ら性霊説派と、はげしい対立があったという。
 さきほどの、唐詩は確かにすばらしいが、試験答案用の形式主義の詩作から名作は生まれようがない、料理もまた、形式や作法にとらわれては美味しくならないのだという『随園食単』の調理指南には、じつは袁牧の詩論が強くあらわれているわけなのだ。

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 では『随園食単』のレシピはというと、まだ一品も料理してみていないので、現代に通じるかどうかはわからない。
 といっても記述は平易だし、素人には絶対作れない料理は、あまりない感じだ。
 豚肉料理ひとつとっても四十三種と豊富だが、豚は「広大教主」、つまり大衆的に好まれる代表だとし、とても難しそうな料理は、さほどない。
 たとえば脱沙肉(トウシャァロウ=ミンチボール)とか、炒肉糸(チァオロウスウ=細切り炒め)なんて、いまの中華レストランでもメニューにありそうだし、読むかぎり、多少アレンジすれば、わたしにも作れそうだ。

 脱沙肉は、葱のみじん切りを入れて卵で合わせた肉ダンゴを、網脂で包んで油煎りしてから醤油と酒で煮込み、ニラ、シイタケ、タケノコをそえて……うん、美味そう!

 炒肉糸は、醤油と酒に漬けておいた糸切り豚肉を強火で炒め、蒸粉──とは何だろう、トロみをつけるということかな──と酢と砂糖をちょっぴり。白ねぎ、ニンニク、ニラ類を入れる。ニラがいちばん香ばしく仕上がるそうで、くそ、今夜の晩飯はこれだ!

 ちなみに、中華料理専門店で似ていそうな料理を作る動画をネットで見ると、『随園食単』のレシピは、かなり薄味で、調味料の添加量がとても少ないと感じるが、どうだろう。

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 待てよ、中華レシピの話じゃなかった、詩の話だった!
 鄭板橋のときと同様、すぐ見られる本が少なく、詩作のごく一端にふれただけだが、性霊説を唱え、詩人の心情を率直に表現するということから、鄭板橋とは違い、自分のことを書いた詩が目につく。
 多くの人生の楽しみを知るなかで最高のものは本を読むことだと語ったり、随園の大工が亡くなったことを心から惜しんであげたり。愛妾たちのこともよく詩にしているが、老いて病に伏したときありがたいのは妻の献身だと書いたり。
 快楽追求型の人が、誠実な心情の詩を作るというのは、ちょっと間違うとウソくさく偽善になりかねないが、ふしぎとイヤらしい感じがしない。

 これと思ったのは「愁」。
 袁枚、五十歳の作だ。
 袁枚が自分のことを書いた詩を読んでいくと、歳をとるわびしさが、ことに率直につづられるが、元気でさっそうとしていたい、おしゃれな男に見られたい、という袁枚らしい、というのかな、ちょっぴり自意識過剰なところもうかがえる。そういうのも、露骨すぎるとシラケるが、わかるな〜って感じだ。
 でも、この「愁」は、そういうところもなく、この詩の袁枚より世代上の自分には、ただ身にしみる。

 

白髮悄無語,青山忽自低。
愁來如有路,慣在夕陽西。

 白髪はしょんぼりと言葉もなく,
 死に場所はにわかに近くなる。
 愁いがやってくる 通り道が決まっているかのように,
 いつも夕陽がしずむ西からやってくる

 もうひとつ、いきましょう。
「愁」も、随園で作っているが、こちらはたぶん随園が出来たばかりのとき、退官が近い三十三歳で作った詩だ。

 随園雑興から

花自帶春來,春不帶花去。
雲自共水流,水不留雲住。
我欲問其故,無人有高樹。
樹下閑思量,春與雲歸處。

 花は春の訪れとともに咲くが,
 春は花をつれずに去っていってしまう。
 雲は水の流れとともに流れるが,
 水は雲の姿を映しとどめはしない。
 そのわけを問うてみたいけれど,
 人の姿はなくただ丈の高い木があるのみ。
 その木の下でぼんやり思いをめぐらせる,
 春と雲のゆくえのことを。

 
 この詩が載っている本の解釈や、漢和辞典などを見て、自分でつけた訳なので、間違いがあるかもしれない。
 中国の詩の音韻や抑揚はぜんぜん知らないから、中国語で唱えると、違った味わいもあるかもしれない。といっても、友だちの台湾人に教わった鄭板橋の「竹石」、たった二十八字のその詩も、まだ中国語で暗唱できていない。

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 ところで、文人にして美食家の袁枚が「すこぶるこれを愛する」といった食材とは何か。
 どんな高級食材かと思ったら、なんと「豆芽(豆もやし)」だ。
 ただし、清の時代も最高級品だった燕窩(ツバメの巣)に合わせるのが好きだった。

 これは『随園食単』に書いた調理の基本のひとつ、料理にはかならず補佐(あしらい)が必要で、しかも淡泊には淡泊、濃厚には濃厚、柔には柔、剛には剛、という考えと合致している。燕窩と豆芽は柔と柔、白と白を配したことになるからよいのだそうだ。
 それを、いやしい安物と高級食材を合わせた料理なんてと笑う人を、袁枚は、巣父・許由のみが堯舜にふさわしい人だということを知らないからだと、「潁川に耳を洗う」の古事をひいて、むしろ、あわれむ。
 なんだか、おいそれと食えなくなってきたぞ、中華料理!

 袁板にならって、いくつになっても、きれいな女の子を追いかけ、それ以外は本を読んでいるだけで最高、あとはときどき自分で料理──袁枚みたいに調理人を雇う余裕はないから──となればいいが、追いかけるべき女の子も、これをじっくり何度も読みたいものだという本も、いまだに見つけていない気がする。食べるほうは制限されちゃったしね。(ケ)


※中国古代の伝説の隠者、許由のエピソード。
 
 高潔の士として知られた許由に、ときの帝、堯が位をゆずろうとしたところ、許由は、けがらわしい話を聞かされたといって潁川で耳を洗った。
 また一人の人格者であった隠者の巣父が、牛をつれてその場に行き合わせ、許由に何をしているのか訊ねて理由を知ると、そんな汚い話を聞いた耳を洗った水は、わが牛には飲ませられんなと、立ち去った。


【参考】
『随園食単』袁牧/青木正児・訳/岩波文庫/一九八〇
『袁枚 十八世紀中国の詩人』アーサー・ウェイリー/東洋文庫(平凡社)/一九九九
『中国古典文学大系 第19巻 宋・元・明・清詩集』平凡社/一九七三

posted by 冬の夢 at 01:44 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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