2020年02月12日

木村荘八『新版 東京繁昌記』を読むとなぜわびしいのか

 岩波文庫版が出てすぐ買ったはずだが、いままで読んでいなかった。
 奥付の初版は一九九三年。買った理由を思い出した。

 二十五年以上前のそのころ、”裏・東京案内” ふうの、すこしマニアックな本を作る仕事があり、集めた資料のひとつだろう。
 木村荘八は、永井荷風『墨東奇譚』の挿画家として知られ、挿絵が小説の人気に寄与したことは有名だ。文庫版には本編「繁昌記」に加え、『濹東綺譚』の挿画制作記も収録されているので、遊郭跡をたどる、だとか、「繁昌記」再訪、のような企画を考えたのかもしれない。

 できた案内本は、一冊も持っていない。自分が編集したのに正確な題も内容も忘れた。『濹東綺譚』はネタにならなかったはず。というのも、都市の隙間にうごめく性の探訪記は、回顧より現状報告のほうがずっと面白かったし、ツテがあってディープな取材ができますと案を出してくれた取材者たちもいて、ネタに困らなかった記憶がある。
 自分が若かったから、永井荷風や下町情緒は、目立ちつつあった「おとなの趣味」がテーマの雑誌の持ち場だと、ひとり決めしていたかもしれない。

木村荘八が筆と画で描き出そうとした東京

 ええい! 昔話はヤメい!
 そこで『東京繁昌記』だが、そのまた昔、一九五五(昭和三〇)年の新聞連載がもとになっている。
 木村荘八は、いまの東京中央区・東日本橋の生まれ。京橋に移る。
 生家は牛鍋店で、「いろは」をチェーン展開した明治のスーパーアイデアマン、木村荘平の八男だ。
 この荘平の型破りぶりも、三〇人いた荘八の兄弟姉妹の多士済々ぶりも、面白いが、その話は機会をあらためるとして。
 荘八は「いろは」支店の帳場を手伝いながら、学校へはロクに行かず芝居や遊びに日々を重ねる。のちに家業を離れ、明治大正期の洋画界にかかわった。そんな下町遊蕩派の回顧的視点で、「繁昌記」は書かれている。

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『新編 東京繁昌記』岩波文庫
『濹東綺譚』は、連載掲載前に全編の原稿が出来ていた。
荘八は、つてを頼み、亀戸の娼家を徹底スケッチし材料にした。
驚いたのは本来の舞台の玉の井(墨田区東向島近辺)に日参、
街路を調査したのは、荘八の奥さんだったことだ。

 荘八が伝えようとしたのは、「『東京人』がまだ東京を生活していたといえる」明治中ほどまでの時代の「ローカリズム」だという。
 荘八にいわせると、「今」つまり昭和三〇年の東京は、「日本人」の東京であって、「東京人」は「その中枢には係わるまい」と。
 じつは「繁昌記」は、荘八のホームグラウンドの東京下町、隅田川から佃島、築地から銀座方面に探訪エリアを集中させていて、都心部や新興宅地の様子を語ってはいない。しかし「もはや戦後ではない」といった経済白書が出る直前の東京に「東京人」がいなくなり、あたかも「日本人」の都市であるかのようになっている、というのは、するどい指摘だ。
 
 古くは江戸時代から、首都の「繁昌記」を手がけるのは、ひろく世間に向かって描く画家にとっては、とても大きな仕事だった。
 荘八も、引き受けたからにはオリジナリティを考えたのだろう。新聞社の協力でモーターボートを隅田川へ出したり、軽飛行機で空から俯瞰したりと、「名所図会」の時代には不可能だった視野で東京を見ている。
 が、その記述はほどほどで、荘八は、ほぼ全編にわたり「タッパ」というものにこだわっている。

高さの変化に背伸びしようとした東京の歴史を見る

「タッパがある」というように、人の背丈だと思っていた「タッパ」。その由来は「繁昌記」では正確には解明されていないが、街区の居住・行動空間の「高さ」のことをいっている。
 荘八は、佃島の「昔の東京の家」を計測しまくり、タッパ九尺(約二・七メートル)という基準を出した。そして銀座は、一四〇尺タッパ(約四十二メートル)であると。
 両者の間に「観工場」──漱石の小説にも出てくる初期のデパート──の記憶をおいて荘八は、坐る暮らしから立つ暮らしへ、靴を脱ぐ室内から土足のままの室内へと、人が「立ち動く」ことへ日常が変化したことが、東京の「タッパ」を変えたと指摘する。

 荘八は大上段な結論を出さず──それは彼にとっていかにも「粋」でなかっただろう──立ち居の変化が住宅にもおよび、大正琴の聞こえた一九〇〇年代は消え、西洋空間と赤瓦が現れたという、あっさりしたまとめを最後に、「さて、読者諸君、御愛読を深く感謝致します」と終わっている。
 荘八の思いは、中盤に出てくる「シブく強い」家々、という記述などに、うかがえるのみだ。
 当時の佃島に残った──そういえば「繁昌記」にはくわしく書かれていない震災と戦災で、すでにほとんど倒壊・焼失していた──家々に、荘八は歌舞伎や文楽の熊谷直実、あの質実剛健な関東武士の「黒糸縅」のヨロイ姿を連想するという。
 現代の東京の繁華街にも通じる、銀座の「一四〇尺タッパ」は、荘八が結論として書いた箇所ではないが「つとめて一生懸命に──背伸びして──近代化・西洋化しようとしても(略)イタに付かない」さま、なのであろう。

なぜか読み進めづらい『東京繁昌記』

 木村荘八の「タッパ」スケールによる東京観測は興味深く、なるほど、ただ情緒的にでなく空間性を大切に描いたから、『濹東綺譚』の挿絵には訴求力があったのか、ということも思い知った。
 しかし「繁昌記」を、そう読みとるには、ひどく時間がかかった。
「タッパ」の話ばかりでなく、情景描写や挿絵が、いろいろあるのに、なぜか話に引き込まれない。
 
 昔の東京は、「東京」にはほとんど今何もないということを申したい。そのなくなったものの説明に僕は念を入れているわけである。

 と、荘八は書く。
 この三〇年の間に、わたしなりに古い日本映画をいろいろと見たから、「繁昌記」を、画面で見たことはあるが知らないことへの郷愁とともに読めるのではないかと、読み始めた。
 だが、自分もよく知っている場所なのに、もはやあまりにも「何もない」。東京で生まれ育っていないから、何もないことに喪失や愛惜も感じない。だからか、話についていきづらく、感じるのはただ、うすら寒い「わびしさ」だけなのだ。

「東京人」がいない、「日本人」の東京、と荘八は見抜いたが、たしかに「繁昌記」には、東京に暮らす現代人の姿は、ほとんど出てこない。
 いったい誰が、誰の夢や希望が、二度めのオリンピックが開かれようとしている「東京」の、「タッパ」を造ったのだろう。そこへ思いを向けながら読むと、ますます「わびしさ」がつのる。

地下に展示された東京の「いま」のすがた

 東京港区、都営大江戸線六本木駅の地下構内で、写真展が開かれた。
 おそらく都交通局の発注で、三人の外国人写真家による「すべての『今日』のために」というタイトルの展示だ。
 三人とは、マーク・パワー、ゲオルギー・ピンカソフ、ハリー・グライアート。世界的なドキュメンタリー写真家集団マグナムの、比較的新しい世代──といっても六〇歳以上──のメンバーだ。
 マグナムといえば、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・キャパらに始まり、ヒューマン・ドキュメントを追求する写真家たちがおもに、歴代参加してきたグループだ。地下鉄といえば、一九七〇年代にニューヨークの地下鉄車内の人間模様を撮った名作『SUBWAY』の、ブルース・デイヴィッドソンも、マグナムの長老格である。
 もちろんマグナムに所属する写真家たちは、人間描写をする人ばかりではなかったけれど、「マグナム」といわれて、わたしが持つイメージは、なにより「人」だ。
 そこで現代の「マグナム」会員写真家たちが、都営地下鉄やバス──とてつもなくたくさんの現代「東京人」が往き来するところ──を軸に、この東京を、どう見せるのか、気になって見に行った。美術館などでなく公共空間だが、写真展に行くのは、じつにひさしぶりだ。

 三人の写真にも、みごとなまでに、いまを暮らす「東京人」の姿はなかった。
 すべての写真が、ただ、わびしかった。
「人」を写した写真がなくはないが、なぜ、写された誰もが、あるいは流水のように写った群衆が、かくも「わびしく」、東京を全速力で通り過ぎているのだろうと思った。

 かつて森山大道が「擦過」という言葉をたしか使って、都市スナップの撮影スタイルとしてイカス──いいかたが古いけど──ということだったと思うが、写される人びとも、地面に築かれた固体も、すべてが「擦過」を繰り返していて、カメラもまたそこを「擦過」すること。見つめることなくして写った写真こそが、都市の現在をとらえた写真芸術になる、そういう仕組みなのかもしれない。

 東京は何度来ても刺激的だ。
 来る度に毎回変わっている
 あらゆるものは変わるので
 毎回同じではない
 変わっているということしか
 確実ではない


 三人の写真家のひとり、ハリー・グライアートのコメントが、写真展の宣伝車内吊りにあった。そのとおりだと思うが、この言葉の中にも「人」がいない。主語は「東京」だ。
 そんな「東京が」くれる、刺激につぐ刺激。
 世界の主要都市の中でも、東京こそ最高に「刺激的」で楽しい都市だと、わたしも断言できる。しかし、ひさしぶりに行った六本木は、かつて居所があった場所だが、どうしようもなく、わびしかった。
 なぜだったかは、よくわからないが、心のどこかに終末感を抱いたまま、ひと掃きで東京から消えてしまいそうな人影がはかなく写った写真を、見たからだろうか。(ケ)

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都営交通写真展「すべての『今日』のために」
二〇二〇年二月三日〜十四日


※東京にも支社を置いていたが、二〇一九年十二月に閉鎖されている。

posted by 冬の夢 at 23:25 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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