2020年01月20日

『憲法と君たち』を読む

 おなかのなかではこんな憲法なんかじゃまものだと思い、憲法をふみにじって、自分の思うように政治をやろうと思っている者があるとしても、かれはおもてむきでは、いかにも憲法を守り、憲法のきめているところにちゃんと従って政治をやっているようなかっこうをしていることが多い。つまり、形のうえでは、いかにも憲法を守っているようなみせかけをしていながら、じつは憲法をやぶっているというようなことがあるのだ。

 日本国憲法を生涯をかけて見つめた憲法学者、佐藤功(一九一五〜二〇〇六)は、一九五五年に少年少女むけに書いた本、『憲法と君たち』に、そう書いている。

 年初早々の一月七日、自由民主党は「改憲」がテーマのポスターを発表した。
 直接に改憲を主張するポスターを作ったのは党史初だそうで、「憲法改正の主役は、あなたです。」と、大書されている。
「こんな憲法なんかじゃまものだと思い」「自分の思うように政治をやろうと思っている」男が、不幸なことにいま総理大臣で、改憲を「私自身の手で成し遂げていく」と、わめき続けているわけだが、そいつが任期までにやると騒ぐからって、任期間際に、「主役は、あなたです。」と国民を懐柔するのがどれほど愚劣なことか、自民党は考えたこともないらしい。

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 が、せっかくあちらが「主役」をふってきたんだから、あらためて考えてみたいと思った。
 政府改憲路線に賛成か反対かは、あえて保留にし、日本国憲法って、どんなものなのか、いいのかダメなのか、できるだけ素直に受け止めてみたいと。
 そこで、『憲法と君たち』を読むことにした。
 さいわい、二〇一六年に新装復刻されていてすぐ手にできる。時代の変化に合わせてわずかな注記が付されたほかは、オリジナル通りという。

 憲法のことなんかむずかしいし、おもしろくもないだろうなどと、はじめからきめてしまわないで、ひとつ読みだしてみてください。

 と、佐藤は序言の「この本を読む君たちに」で書く。
 中学生ならだいじょうぶ、小六くらいでも親か先生に聞きながらなら、たぶんよくわかる、とのことだから、ありがたい。

 そもそも佐藤功は、日本敗戦後に憲法草案起草のため政府が置いた、憲法問題調査委員会の補助員にはじまり、ここの案(松本試案)をハネた代わりに示されたGHQ案に基づく草案づくりに、内閣法制局参事官(事務官)として携わった人だ。日本国憲法の完成に、現場でかかわった学者である。
 佐藤には、三年間の従軍経験もある。東京帝国大学法学部卒業後、成績優秀でそのまま助手になるが、すぐ招集され、河南省各地を二年にわたり転戦したという。研究者志望で戦後の法制局の仕事はいったん断っている。

 この日本にいるすべてのひとびと、そういうひとびとの幸福、そういうひとびとの値打ちを、この憲法は守っているものなのだ。だから、憲法は尊いのだよ。
 こういう君たちの幸福が、こうういう日本のすべてのひとびとの幸福が、何か強い力でおびやかされ、また強い権力者のひきずる戦争で、ふたたびふみにじられることのないようにというのが、この憲法がつくられた理由なのだよ。


 日本国憲法の基本理念である、人権主義、民主主義、そしてことに平和主義が、いかに多くの命の犠牲のもとにかちとられた貴重なものか、くり返し語りかける佐藤のことばは、おだやかでやさしく、そして強い。
 しかも佐藤は、自分が誕生を手伝った日本国憲法は、尊いが絶対ではないと承知もしていた。『憲法と君たち』にも、はっきり書いている。

 憲法も、前に話したように不完全なところがあることもある。世の中のぐあいがかわってきて、前につくった憲法が社会のじっさいのありさまに合わなくなったということもないでもない。そこで、どうしても、憲法をそのままではやっていけないということになったとするならば、憲法を改正するということも、ひとつの方法だ。

 そして、それにつづけて「君たち」に、こう語りかける。

 ただその場あいには、憲法を変えることがいいか、それとも、憲法は変えないほうがいいかということは、国会や、内閣や政党などが、かってにきめるべきことではなくて、それはやはり、その憲法をつくった国民の意見できめなければなならい。そしてその場あいに、国民のすべてが、それぞれその意見をのべ合い、その意見の結果、憲法を変えるか買えないかがきめられるというふうにならなければならないわけだ。それをむりやりに、ある力の強いものが国民を動かして、憲法を変えさせようとしたり、また国民がそれに動かされて、ろくに考えもしないで、憲法を変えることに賛成をしたりするようなことがあってはならないわけだ。

『憲法と君たち』が出版された一九五五年は、保守合同で自由民主党が出現し、初代総裁の鳩山一郎が、新憲法の制定と経済復興を結党理念にぶち上げた年だ。なぜ新憲法かというと、日本国憲法は「押しつけ」られたものだから、という、おなじみの理由である。
 佐藤は、結党公約により政府が一九五七年に発足させた憲法調査会、すなわち丸山真男が有名な論文「憲法第九条をめぐる若干の考察」──「おとな向け」のものとして近々読み直そうと思っている──で手厳しく批判した組織の、専門委員でもあった。
 が、この組織でのことを佐藤は、

 改憲論者の人たちの主張をきき、とくにそれらの主張の中で現在の日本国憲法は占領下マッカーサーによって押しつけられたものであり、したがってそれを根本的に作り直すことは当然であるという主張をきくときに、私は決して愉快ではない ★

 と述懐している。『憲法と君たち』では、こうだ。

 今の憲法が、占領軍の強い力によってできたものであるとしても、この今の憲法が、さっき話したように、日本が新しい国として生まれかわるために、新しい理想をはっきり定めようとしてつくられたものだということはわすれてはならない。その理想とは何だろう。それは、平和ということと、民主主義ということと、国民の基本的人権ということの三つなのだ。
 つまり、もしもマッカーサー元帥が、こういう憲法をつくれということを命じなかったとしても、二どと戦争をくり返さず、国民の考えに反した政治がおこなわれず、また国民の自由がおさえつけられない、そういう新しい国として生まれかわるというために、今の憲法のような憲法がどうしてもつくられなければならなかったのだ。このことがたいせつな点なのだ。


 じつは佐藤は、政府の憲法調査会委員でありながら、丸山真男ら同会に批判的な人たちが集まった憲法問題研究会の一員としても熱心に活動していた。丸山の論文にも報告者として名が出てくる。「きわめて率直にいって、研究会のほうが楽しい会であった」そうだ。
 憲法制定の現場、それも内陣から、日本国憲法を見つめたこと。そして、日米安保体制と再軍備の流れの中で政府与党が主張した、「押しつけ論」による憲法改正論議を、日本国憲法を間に置いて、議論の両側から観察したこと──いかに専門的で難しい問題でも、そのとりわけ深奥から、そして表層においてはきわめて広きにわたって、見つくした人は、どんな相手にも、子どもにさえも、容易に理解できるように問題の核心を語ることができる。それが佐藤の『憲法と君たち』だ。
 もちろん、この本にも「世の中のぐあいがかわってきて」「社会のじっさいのありさまに合わなくなった」部分はある。が、そこで投げ出さず、立ち止まって考えてはまた「読み出す」ことで、わたし自身はどのように「主役」になるべきなのかが、つかめていくのを感じる。

 この本を「読み出す」支えになったのは、佐藤功が書いた序言のおかげではなかった。
 佐藤の長女で児童文学作家の、さとうまきこが、復刻の感謝をかねて巻頭に載せた文だ。

『憲法と君たち』が書かれたころ、八歳のさとうは憲法記念日が楽しみだったという。
 父親がラジオや新聞に出るのが誇らしく、言っていることはわからないけれど、家族でラジオの前に坐り、父の声に耳をかたむけたという。
 帰りにお土産を買ってきてくれ、その日は、ふだんより豪華な「ちらし寿司」。五月五日の「こどもの日」より、三日の「憲法記念日」のほうが、当時の佐藤家では大きな祝日だったのだそうだ。
 いまと違い、みなが豊かな未来を信じていた時代、本の中で「子ども達に語りかける父の声も明るく、希望に満ちています」と、娘のさとうは書いている。

 それを読んだこちらもうれしく、ほほえましくなり、導入部としていいなと思いつつも「おかしいな」とも思った。
 佐藤功は従軍経験もある戦前世代で、娘のまきこは団塊世代。読者のわたしは高度成長世代だ。憲法を作ったお父さんが誇らしくて、憲法記念日が輝いていた、さとうまきこの「希望」は、わたしの時代に実現したはずでは?
 しかし、わたしは間違いなく、さとうが「いまと違い」、と書いた「いま」を生きている。つまり、豊かな未来を想像できず。自分の声はいつも暗く、不安に満ちている。
 だからなおさら『憲法と君たち』を、くり返し読んだ。

 仔細な憲法論議を、自分がここで出来るとは思わない。ただ、かつて丸山真男が「憲法第九条をめぐる若干の考察」で指摘したとおり「改憲問題は、第九条が政治問題化したところから発していることを忘れてはならない」。それは確かで、だからわたしは『憲法と君たち』の、つぎの部分に、とくに目をとめた。
 すっかりいい古され、「世の中のぐあいがかわってきて」「社会のじっさいのありさまに合わなくなった」と思われるであろう言葉だが、「明るく、希望に満ちて」子どもらに語りかける佐藤功の声を想像しながら読んでいる。

 基本的人権とか、民主主義とかいうことは、これは今まで、日本がおくれていただけのことなのだ。それを今の憲法で、ほかの国に追いついたということなのだ。だけど、平和だけは違う。戦争放棄の点だけはちがう。それはほかの国ぐにはまだしていないことなのだ。それを日本がやろうというわけだ。日本がおくれていたのではない。ほかの国が日本よりもおくれているのだ。ほかの国が、その点では日本のまねをしなければならないことなのだ。それが今の憲法の中で一番わたしたちが、君たちが、世界に向かってほこってよいことじゃないだろうか。

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『復刻新装版 憲法と君たち』佐藤功/時事通信社/二〇一六年
(ケ)

※本文中、青字の引用は『復刻新装版 憲法と君たち』から
★印の青字の引用は「ジュリスト」2006・12・15 NO.1325「追悼 佐藤功先生」高見勝利
 佐藤功の経歴なども、これを参考にしました
Originally Uploaded on Jan. 22, 2020

posted by 冬の夢 at 21:40 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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