2019年08月22日

「鏡獅子」切手と木村伊兵衛─歌舞伎の切手を「切手市場」で買った(2/3)

 切手収集家のフリーマーケット、「切手市場」で買った伝統芸能の記念切手は、一九七〇年七月発売の歌舞伎三種類に、一九七二年三月発売の文楽が三種類。これらは「伝統芸能シリーズ」の一部で、ほかに雅楽と能が三種類ずつ、計一二点構成だ。
 それと「歌舞伎シリーズ」。歌舞伎俳優の舞台姿が切手になっていて、一九九一年六月から二、三か月ごとに、二種類ずつ一二点が発売されたもの。
 切手の絵柄になった演者は、一人も実際に観たことはない。演目も観たことがないものの方が多いので、一度に二十枚近く買って並べたら、切手ひとつひとつを細部まで見るのは面倒になってしまった。

 しかし一枚だけ、目につく切手がある。
「歌舞伎シリーズ」初回発行の62円切手、緑の単色に「日本郵便」と「KABUKI」の文字のみ金の「鏡獅子」だ。
 獅子つまりライオンに見立てて、白いタテガミをぐるんぐるん振り回す豪快な場面は、ほんものの歌舞伎舞台を観たことがなくても、どこかで一度目にしたら忘れられないイメージだ。そして切手に書かれた「六世 尾上菊五郎」とは、いわずとしれた名優中の名優、六代目・菊五郎のこと。だから目にとまるのだろうか。

190823s3.JPG

 いや、そうではなく、この「写真」を、かつて見たことがあり、とても感心した写真のはず、と思うからだ。
 この写真を含む、歌舞伎の舞台写真を写真集か何かで見て、さまざまな被写体の存在感や空気感に圧倒された。劇場鑑賞の経験もなく、六代目がどうだとも知らずに。歌舞伎や文楽を劇場で観てみようと思ったのは、それらの写真に影響されて、なのだ。
 東京・目白の「切手の博物館」で調べてみるとやはり、原画撮影者は「木村伊兵衛」となっていた。
 そう、わたしが劇場で歌舞伎を見る、ひとつのきっかけになったのが、木村伊兵衛が撮った六代目・菊五郎の写真なのだ。

 撮影は戦前の一九三四年から三九年ごろで、「鏡獅子」は、そのもっとも早い時期、一九三四年撮影となっている。
 当時の外務省文化事業部が、対外宣伝のため菊五郎の海外公演を企画。海外への事前広報映像として、映画と写真の撮影が立ち上げられた。
 映画は外務省の外郭団体が制作し、小津安二郎の監督で短編ドキュメンタリーができた。一九三六年公開の『鏡獅子』である。
 写真撮影を木村伊兵衛に発注したのは、外務省文化事業部の柳沢健。一九三五年、画家の藤田嗣治に、日本を海外に紹介するドキュメンタリー映画の監督を依頼した人だ。
 柳沢は、事務官僚より文化人であることを自他ともに認めた人らしいが、調整が不得手だったのか、藤田嗣治監督映画の海外公開も、菊五郎歌舞伎の海外公演も、幻に終わっている。木村は、企画の頓挫で撮影が終了してしまうのが惜しく、みずから菊五郎の許可をとって撮り続けたのだそうだ。

 六代目・尾上菊五郎は、気むずかしくて写真を撮られるのが嫌い、というのが定説だった。
 このころ、職業カメラマンや高級アマチュアにもたらされた小型カメラと大口径レンズ、低光量でも感光するフィルムによって、専用照明がなくても舞台公演が撮れるようになってきたが、それによって演技がリアルに写ることを、菊五郎はかならずしも喜んでいなかったらしい。
 さきに完成した記録映画『鏡獅子』の出来に菊五郎は納得がいっておらず、撮影されたがらなくなったという。
 木村伊兵衛の見立てでは、映画の出来不出来より──小津安二郎の監督業は立合いと構成のみ──自分に見えない部分がリアルに写ることで、自分の表現意図と違うところばかり誇張されて観覧者に伝わってしまう、という不安を抱いたようだ。これが写真ともなれば、まだ制限が厳しくない時代ゆえ客席から素人にスナップされ、形のよくない写真が劇場外へ広まるから不愉快だ、ということか。
 じつは菊五郎はカメラ趣味人で、楽屋で写真の会をするほどだったそうだ。しかし菊五郎が楽しんでいたのは、サロン絵画調のソフトで微温的な写真。瞬間の出来事を時代のメッセージとして明瞭に記録伝達しようとしていた木村伊兵衛たちとは、写真の認識がかけ離れていたといっていい。
 菊五郎の実子、九郎右衛門の取り持ちで撮影はOKとなったが、菊五郎がすべての撮影コマに目を通し使用許可を出すことになった。

 そこで面白いことが起きる。木村伊兵衛の撮った「リアル」さを菊五郎は「こりゃうめえ、面白れえや」と、いい出したのだ。しかも、不愉快に思っていたはずの、舞台を背後から撮った写真などを、とくに。
 そうなると話は早くなり、踊りの所作で正しく写してほしいところなどが、六代目からレクチャーされもして、この撮影は、菊五郎+伊兵衛のコラボレーション作品となった。歌舞伎舞台写真の金字塔の誕生である。三千カットにおよぶ撮影済フィルムは、さいわい戦災をまぬがれ、戦後に写真集になった。ただ、菊五郎の生前に大きくまとめての発表はかなわず、写真集の刊行も、惜しくも菊五郎の没年に、没後出版となっている。

 この撮影の要諦を木村伊兵衛は、この人らしく、あっさり書いている。

 菊五郎の持つ芸の深さを、写真でみても納得出来る最大公約数的なものを作る

 しかし、この一文には、爽快なほど透徹した写真論・撮影論が含まれている。
 ひとつは、写真には写せないものがあるという断固とした線引き。
 もうひとつは、その「写せないもの」こそ、写真の力で万人が見てとれるものになりうるという確信だ。写真に写らないものは最大公約数という表層的な切り口で表現するしかないが、卓越した撮影者は、写らないものの全体をほとんど割って取れる最大公約数を見い出すことができる、ということなのである。
 趣味道楽が嵩じて「うまさ」になったと、しばしば解釈された──「旦那芸」だとよくいわれた──木村伊兵衛の写真の、趣味とはまったく違った領域の「深さ」は、まさに、この一文にある。(ケ)

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Originally Uploaded on Aug. 24, 2019. 00:20:00
*写真の解像度は低くしてあります
posted by 冬の夢 at 00:01 | Comment(0) | 切手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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