2019年04月08日

アー、大阪!

 関西在住の身としては、長年大阪都構想というものが気になっていた。最初に明言しておくが、この珍妙な話が持ち上がって以来(橋下という勘違い野郎+お調子モノが言い出したことと記憶する)、最初からずっと基本的には反対だ。そして、このたびの府知事選+市長選、いわゆるダブル(不可解)選挙を傍目で見ていると、「アー、大阪!」と、ため息、嘲笑、嘆きが入り混じった、何とも情けない気持ちにさせられる。大阪市民でも府民でもないので、所詮は他人事ともいえるのだが、冒頭にも記したとおり、関西に住んでいる以上、大阪のこれ以上の地盤沈下を目にするのは、正直しんどいものがある。

 今度の選挙が盛り上がったのか、それとも盛り下がったのか、それさえもよく解らないのだが、大阪市民や府民の皆さんはどう思っているのだろうか? 

 昨日の選挙結果が「維新の会、圧勝」というからには、「自民党よりはマシ」というのが大阪在住の人々の本音なのだろうか。それとも、いわゆる既得権益にしがみついて甘い汁を吸っている人間たちを蹴落としたいという怨嗟の表れなのだろうか。正直、維新の会が支持され続ける理由が全くわからない。

 逆に、筆者が維新の会を嫌悪する理由は極めて簡単かつ明瞭だ。彼らは物事をあまりに単純化してしまう。つまり、バカだ。そして、バカは嫌いだ。例えば、大阪市が打ち出した、全国学力テストの結果を教員評価に使おうという施策方針(さすがにこれには反対が多く、結局は大阪独自で行う学力試験の結果を校長のボーナス査定に使うことにしたそうだが)一つ取っても、維新の会の単細胞振りが大いに発揮されている。細かい議論をする気も起きないが、教育について一つだけ明確にしておきたいことは、学力の定義も測定も非常に多岐に渡り、その上、教育の成果がいつ現れるかには様々な可能性がある、つまり、3年後に教育成果が現れる子どももいれば、10年後に現れる子どももいる。学校の試験の点数は、多種多様な評価指標の一つにしか過ぎない。そんなことは教育学の常識だ。ところが、維新の会の面々は、教育学の常識をあっさりと否定し、抜本的には何の解決もならないところに貴重な矢を打ちまくって、結局はいっそう悲惨な事態を招くことになるだろう。だって、大阪の学力テストの結果が低いことが問題だとして、そして、それを本気で改善したいのであれば、真っ先にしなければならないことは、その要因を探るための綿密な調査でしょう。それもせずに、いくら改革・改善を叫んだところで、それは全部阿呆陀羅経の念仏に過ぎない。

 そして、彼らの看板政策である「大阪都構想」にも全く同じ臭い、全く同じ欠陥が感じられる。先ず、東京と大阪では置かれた状況が全く違う。経済規模も桁違いだし、人口規模も人口構造も大きく異なる。社会文化構造も比較しようがない。それなのに、大阪が東京を真似て、いったいどうする気なのか? とても正気とは思えない。唯一理解できることは「大阪市の財源を大阪府が利用できるようにしたい」という点だけだが、これは京都市でも横浜市でも名古屋市でも、つまり、全ての県庁所在地で大なり小なり起きている問題であり、その解決法が都構想というのは、どう考えてもおかしい。(もしもそうなら、全国全ての有力県が都になるしかないわけだから。)

 大阪の低落、地盤沈下は、残念ながら否定しがたい事実だろう。大阪に行ってみるとわかるが、大阪駅周辺だけは再開発も進み、大いに賑わっている。が、その隣の駅に行った途端に、大阪はただの田舎町に変貌する。それが東京だと、山手線であれば、品川から池袋まではどこで降りてもとてつもない混雑に巻き込まれるし、中央線であれば、東京から中野までは途切れることなく、中野以西の駅もそれぞれに極めてユニークな味合いがあり、それなりの魅力を持っている。が、東京と比べても仕方ないではないか。(それとも、こんなこともわからなくなっているのだろうか?)

 大阪は、残念ながら、すぐ隣に京都がある限り、絶対に東京のようにはなれない。それが大阪の宿命だ。つまり、大阪は関西の首都にさえなりきれないという事実を直視しない限り、大阪の再開発なんて絵に描いた餅よりもずっと情けないものになること必定だ。絵に描いた餅なら、何の役にも立たないにしても、実害も少ない。しかし、大阪の再開発、大阪都構想なんていう悪あがきは、もしも実行してしまったら、大阪に残された最後の資源、最後の活力を無駄遣いすることになってしまい、後にはろくでもない荒廃が残されることになるのではないか。大阪万博の後には廃墟が残され、津波が来たら一溜まりもないと囁かれているエリアでは富裕層から順次歯が抜け落ちるように住民が逃げ出し、カジノ周辺にはお決まりのスラムが拡がる……

 そもそも、中学校・高校の社会科の授業でさえ習うことだと思うのだが、日本の第1次産業(農業や漁業)はとっくに衰退し、高度経済成長を支えた第2次産業(工業や製造業)も衰退しつつあるとき、いったいどのような経済モデルが考えられるのかってのは、そう簡単な問題ではなく、もしも上手い解答を作り出せたら、それこそノーベル経済学賞候補にだってなるのではなかろうかと思われるほどの難問のはず。大阪が直面している問題は正にこれであり、その解答が大阪都構想ではないこと、それだけはハッキリしている。もしも大阪に再起の芽があるとしても(あると信じたいのだが)、それはかなり困難な道であり、決して大袈裟ではなく、日本の叡智を結集しなければまともな青写真も作成できないようなものだろう。大阪都構想なんてアホなお祭り騒ぎに興じている暇も余裕もないはずなのに。 (H.H.)


 
posted by 冬の夢 at 18:18 | Comment(1) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「政治」という言葉の意味をあらためて問われると、とまどってしまう以上に、「民意」という言葉の意味が、さっぱりわからなくなりました。
Posted by (ケ) at 2019年04月09日 18:03
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