2018年11月21日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(8/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 切手収集趣味が大ブームで、おとなも子どもも専門店や即売会につめかけた、一九七〇年代初め。
 小学生のわたしも、いっぱしの収集家気どりだった。
 といっても、熱はすぐさめてしまった。見た目にハデで安く買える切手をわずかに集めたところで。
 単色でどれも絵柄が似て見え、テーマも堅苦しそうな国立公園切手には興味がなかった。一枚も持っていなかった気もする。

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 と思っていたら、何枚か持っていたと知った。
 半世紀前の収集品らしき記念切手が出てきた中に、まぎれ込んでいた。
 どれも痛んでいて、いかにも気がなかったことがわかる。
 余分なペラペラが切り離されていない切手が目立つ。シート端の切手ということだが、記憶の糸をたぐると、とくに「大蔵省印刷局製造」と刷られた部分がついたままの切手はワンランク価値が高い──シート全体に一枚しかないから──と、友だちにいわれた思い出がある。それ1枚に対し手持ち2枚などのレートで交換入手したか。「大蔵省印刷局……」のフチに本当に価値があるかどうかはわからない。たぶん、ないだろう。
 ペラペラなしで、汚れてもいない国立公園切手は二枚あった。どちらも「瀬戸内海」国立公園だ(一九六三年発行)。
 子どものころは四国や阪神にいたから、「地元切手」が欲しくて小づかいで買ったのかもしれない。発行から十年ほどの当時も安かったはずだ。


 戦後発行の「瀬戸内海」国立公園切手(第二次)は、その二種類、つまり茶系単色の5円切手と、わずかにオリーブ色がかったグレー単色の10円切手。5円は天下の海景とうたわれた鷲羽山、10円はいわずと知れた鳴門の渦潮である。えらそうに書いているが、どちらも行ったことはない。
 写真は担当技芸官と事務官の撮影で、撮影の難しそうな渦潮のほうが事務官の撮ったものだというのが面白い。※1
 全日本郵趣連盟の冊子『切手』に寄稿された「瀬戸内海国立公園郵便切手のできるまで」※2によると、渦潮の撮影は命がけの難事業だったそうで、船に乗った関係者全員が、1枚でも写っていてくれとダメもとでシャッターを押したのだろうか。

 ちょっと操縦を誤ると、船もろ共海底に引き込まれるおそれもあり、また写真に無中になって船から落ちると、潮流の関係で遠く紀伊半島沖の方に運び去られるので死体も上らぬことが多いと聞いていたので、写真技師も船べりにロープでしっかりと身体を結びつけ、波しぶきを浴びながら決死的な撮影を行ないました。
 
 が、あいにく写真担当者のカメラは「決定的瞬間」をとらえられなかったらしい。

 カメラをかまえて待っていると、あいにく近くで形がくずれることが多く、また、遠景に船や、島を入れてとろうとしてもなかなかうまく行かないので、何回も同じコースを回らせたため、船頭さんも疲れ切ってこれ以上は責任がもてないと悲鳴を上げ、また乗組んだ人一同も船酔いで皆青くなってうずくまる始末なので、残念ながら船を引返すことになりましたが、いま思い出しても、渦潮の壮観がまざまざと目に浮んできます。

 結果として10円切手になった渦潮の写真はたしかに、大自然のスペクタクルに渾身の接近を試みましたというような「決定的瞬間」には、あまり見えない。
 けれども失敗どころか、梅雨近くのしっとりした曇光に包まれた島々の間を──現地調査は一九六二年六月──ゆうゆうと潮が流れゆくさまが伝わる。渦が切手の小さな画面からあふれるほどだ。背景にポカリと頭を出した島と樹木も、オバケのQ太郎はケが三本、のようで微笑ましい。渦に吸い込まれる恐怖でなく、潮にスイスイと竿さす楽しさに胸が躍る。

 それとは対照的な、5円切手のおだやかな海の眺めもいい。 
 静かな海面にのどかに航跡をひくケシつぶのような船が、海景の雄大さを強調する。
 さきほどの「瀬戸内海国立公園郵便切手のできるまで」によれば、画面の「遠景に讃岐富士」が見えるそうで、左手彼方がその讃岐富士こと香川県の飯野山らしい。
 だとすると、行ったことがないので間違っているかもしれないが、いま、この切手の撮影地から同じ方向を望むと、瀬戸大橋が居坐っているのではないか。

 現在は、このようには見えなくなっているに違いない、切手の中の風景。
 茶色い単色の画面は、古い写真のセピア調にも通じて、懐かしさをさそう。
 海の耀きが揺れ、船が航路を進む、静かに動くシーンのようにも見える。
 その光景はいつしか、同じ瀬戸内のやや西、尾道でもロケされた映画『東京物語』の、冒頭のフィックスショットへつながる。神社の灯籠の背後を、尾道水道を西へ行く船が通る、あの印象的なオープニングへ。

 いやぁ、こんな所ァ、若いもんの来るところじゃ
 そうですなァ


 これは尾道でなく熱海の朝の海に向かって老夫婦が堤に坐る、べつの有名な場面だが、堤のあちらの海──彼岸である──も、きらめいていた。
 殺到した客の騒々しさで眠れなかった宿の一夜が明け、東京も熱海も見たからそろそろ帰ろうと堤から腰をあげたとき、「なんやら、いま、ふらっとして」と老妻が手をつく。「いえ、もう、ええんでさ」と立ち、堤防の上を歩きだす二人。
 横並びの人物配置ばかり取り沙汰される場面だが、シーンの最後は二人一列で堤の上を歩く──花道を歩き去る──「道行き」だ。朝の海を背景に人生の日没が描かれた素晴らしいカット、あのごく短い秒数に輝いた、海の美しさ……。

 わたくし、ずるいんです。(略)
 このままこうして一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのが、とってもさびしいんです。

『東京物語』の原節子は、みごとに微笑みながらこう告白するが、台詞の最後で、ほかの小津安二郎監督作の配役では思い浮かばないほど、激しく涙にくれる。

 そう、映画『東京物語』は、かぎりなく「さびしさ」に満ちていた。
 人生の終点が見えるさびしさ。ことさらに忙しく生きることで見えないふりをしようとすると、そのほかのこともみな、見えなくなってしまうさびしさ。
 瀬戸内海国立公園の記念切手の絵柄が、小津監督作の特徴で『東京物語』にも挿入されている、写真のようなショットのひとつに見えたとき、「さびしさ」は、いま集めている国立公園記念切手すべての、大きな魅力であることに気づかされる。

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 国立公園切手(第二次シリーズ)を集めて見ていると、いまの日本の記念切手にはない、さまざまな魅力がある、という話をしてきた。

 グラビア単色刷の図柄の、時を超えた存在感。
 ジャズのレコードジャケットのような、収集趣味をそそる意匠。
 全体として見たとき、ひとつながりの風景に包みこまれるかのような、ふしぎに連鎖的な類型性。
 ことに、なぜかうすら寒く怖いほどで、何度もならべて見てみたくなる連続感には、いわくいいがたい誘引力がある。

 類型性を証明する、これという共通点をあげるのはじつは難しいが、切手の小さな印刷面では見づらい遠景が意外なほど多いのは確かだ。自然の驚異や偉容をドカ盛りしない、切手に視線が吸い込まれるような包容力ある構図が、おおむね採用されている。
 この点は、山岳系の国立公園の切手で、別の尾根から撮った感じの山の絵柄を見ればわかりやすい。迫力がありすぎて違和感があるのだ。たいてい、著名な風景写真家の既撮作品である。
 たとえば富士山は戦前・戦後どの国立公園切手にも、山岳写真家で富士山撮影の第一人者、岡田紅陽の写真作品が使われている。ところが、この人が撮った富士山を絵柄にした切手は、シリーズ全体としては「できすぎ」に見える。あまりに「いかにも」で、かえって凡庸でつまらない。

 いや、凡庸といえば、出張撮影には慣れていても、自然風景を写真作品にすることは本業でない技芸官たちが撮った、ほとんどの絵柄がそうだ。
 どれも絵葉書ふうで、平凡さの羅列といってもいい。だから切手がみな似てしまい、「ひとつながり」に見えてしまう、そういう面もある。

 その、平凡さの集合体であることが、なによりまさる魅力なのだ。
 切手という誰もが知っている日用品に、誰もが記憶しておきたいこの国のたいせつな美観が、ふと気づいてよく見なければわからないほど控えめに、含羞さえ感じさせながら集まっている。そこが素晴らしい。

 かつてハガキや手紙に貼る切手がしまわれていた箪笥の小引出しや文箱に、同じように放りこんであった昔の写真を思い出す。
 両親の若いころのスナップや、よく知らない親戚の在所らしい商店街など、いまよりずっと小さな黒白プリントに、それらがただ写っているだけなのに、それらが自分の記憶でもありたいと願うのか、何度も取り出して仔細に見たものだ、
 発行当時も古い写真のように見えたに違いない国立公園切手たちは、そんなふうにいまでも、わが国土の美しさを心にとどめたく思う気持ちに応え続けてくれる。慎ましく小さく、けれども、きわめて濃密な存在感を放ちながら。

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 だが、そうであるなら、国立公園切手を見ていくと、かならずとり憑かれるあの、うすら寒いような「さびしさ」は、いったいどこからくるのだろう。

 切手になった景色を見る視線は、いやおうなく、日本の輪郭線の内側にだけにしか向かわない。そのせいに違いない。
 国の景勝、まして国が選んで決めた国立の名所がよその国にあるはずがなく、日本の国立公園は日本の内側にしかないというのは、説明の要もない当たり前のことだが、切手の絵柄になった国立公園のすがたを見ることは、いまさらながら、国をとり巻く海を背にして日本の外を見ず、内だけを見ることなのだ。

 そう気づいてもなお切手を見続けると、山紫水明の連続は、みな袋小路のどん詰まりの壁に見えてくる。小さい切手に構図よく収まった山河は、小さな箱庭に迷い込んだような閉塞感をもたらす。
 いったんそうなってしまうと、頼みの海の景色も、かなたへの船出を想像するどころか、むしろ領土や領海という抑圧的なイメージを感じ、かえって息苦しい。

 一九三一年、初めて国立公園を指定するにあたり定められた「國立公園ノ選定ニ関スル方針」──内務省の国立公園調査会が決定──は、「必要条件」の筆頭を「我國ノ風景ヲ代表スルニ足ル自然ノ大風景地タルコト」としている。
 候補となる地域選びと採否については、その「方針」を座右にひとつずつ探したのではない。ほぼあらかじめ、火山を中心とする豪快な山岳景観がラインアップされていたとみてよく、実際、初期の国立公園のほとんどが火山公園だった。一九三四年に初指定された三つの公園のひとつが「瀬戸内海」だったのは、美しい海の名勝も採用すべきという議論があったためだが、瀬戸内海は文字通り「内海」で、日本の外へ広がる海ではなく、海岸線の美を顕彰してのことだ。
 ちなみに戦後、ことに近年は、そのあたりの歴史的事情を考慮してか、生態系もテーマに海の国立公園が増えた。ただ、それらのイメージも同じデザインの国立公園切手にすれば、国立公園切手の全体としての見えかたが変わってくるかどうかは、わからない。おそらく「さびしさ」は、なくなりはしないだろう。

 国立公園の記念切手を集め、ひとり悦にいっているさまは、こうだ。

 ひとりきりで洞窟に隠棲し、壁に投映された外の世界の写し絵に耽溺している。
 好ましい光景だけに見いり、見たくないことは見ずにすませられもする。
 すぐ背後の洞窟の入口から外の光が届いているが、ふり返ってその光を確かめる気もなければ、洞窟から出て、ほんとうの世界を見る勇気もない。
 だいたい、ご自慢の専用個室洞窟の居心地はかなり悪い。寒く、さびしい。
 そのつらさを、洞窟の壁の写し絵のにぎわいで、ごまかしている。日がな、壁を見続けていることからして、寒々とさびしいことなのに。

 洞窟の壁に映った現実世界の影を真実と信じる人間の愚かさを、古代ギリシアの哲学者が「そんなことではいかん」といったのだと思うが、影の映る壁だけながめてじっとしているなら、まだましだ。
 とことん世間知らずの、まずしい感性しかないくせに、心の風景だなんだといい出し、しまいには誰もが記憶しておくべき美しい日本の……などとふれ回り出したら、救いようがない。
 
 半世紀ぶりになぜか魅力を感じ、あらためて集めだした、国立公園の記念切手たち。
 すっかり世間との接触を断った後に見つけたこととしては破格に楽しい自己満足で、その愉悦に埋没しつつあった。

 しかしふと、洞窟の外からさしこむ光に気づいた。
 国立公園切手は、日本の景観をめぐるさまざまな妄言に、塗りつぶされ尽くしてはいなかった。その切手たちが、つぎつぎと輝いて見えたことで、それらは、さびしい自分の姿を写す小さな鏡でもあると知ったのだった。(ケ)──この項おわり。


※1 ワンポイントの「代打」ではなく、ほかの国立公園切手の原画写真も、この人が撮影した場合がある
※2 571(一九六四年一月二十六日)号



【参考】

第一次国立公園切手の体系的収集 神宝浩 日本郵趣協会 二〇一四
小津安二郎全集[下] 新書館 二〇〇三
切手 全日本郵便切手普及協会 一九五八〜一九六四
切手の文化誌 植村峻 学陽書房 一九九六
国立公園論─国立公園の80年を問う─ 南方新社 二〇一七
紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム ケネス・ルオフ 朝日選書二〇一〇
日本切手カタログ 日本郵便切手商協同組合 二〇一三
ビジュアル日本切手カタログ Vol.2 日本郵趣協会 二〇一五
郵便切手 日本郵便切手會 第一巻第一號 一九三九
郵便切手製造の話 大蔵省印刷局 一九六九

「どれくらい多くの外国人が日本を訪れていたの」国立公文書館アジア歴史資料センター www.jacar.go.jp/english/glossary_en/tochikiko-henten/qa/qa06.html
「ナショナルな風景をめぐって─国立公園選定過程における風景観の交錯─」 長尾隼 関西学院大学先端社会研究所紀要 二〇一一
「三井高陽の対東欧文化事業」 近藤正憲 千葉大学社会文化科学研究 一九九八


●切手の博物館・専門図書室に、お世話になりました。記して感謝します。

Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←
 

posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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