2018年11月20日

第二次国立公園シリーズ切手の魅力(7/8)─ 出戻り初心者郵趣事情

 国立・国定公園記念切手は、郵政族政治家の地元土産という形で政治の玩具になってしまったわけだが、戦後の国立・国定公園の新指定、あるいは改編などにも政治はおおいに関与したはずだから、自然景観の無垢な美しさを讃え、記念切手にして世に広めることは、貪欲な国土開発と一体となって政治化されていたとみるべきかもしれない。
 政治によって仕立てられた風景には、支持者が必要だ。おりよく一大ブームとなったのが、一九七〇年代初めに登場した「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンである。
 国立公園切手(第二次)や国定公園切手の発行時期でいうと、シリーズの後半にあたるが、いかにも宣伝ポスターのようなデザインを急に採用した切手や、単色刷だったシリーズにカラーの切手が登場した場合がある。いまシリーズ全体として見直すと違和感もある意匠の「ぶれ」に、影響が感じられる。

 そのころの国鉄は、価値観多様化の時代を迎え、団体旅行から個人旅行へマーケットをシフトしようとしていた。いみじくも一九七〇年の日本万国博覧会という「史上最大の名所」終了後の旅客獲得対策がきっかけで、その思惑を受けた電通は、「自分探し」をテーマに、無名の風景をビジュアルイメージに採用して「ディスカバー・ジャパン」を流布していく。具体的な商品名や地名(目的地)を示さない広告図案は当時は珍しかったそうだが、みごとに成功した。

 ちなみにサブタイトルは「美しい日本と私」で、その最大の支持者は、当時の若い女性たちだ。女性誌の企画が盛り上げ役だったことは、よく知られている。
 ただし、その人たちが求めたのは、無名の風景でも未知の自己でもなかった。
 発見が用意された、特定の旅先の「美しさ」であり、「私」つまり彼女たちが、そこに立つことの「美しさ」だった。
 一九八〇年代、国鉄の屋台骨がきしみ、分割民営化で全国キャンペーンがあまり意味をなさなくなったことで、「ディスカバー・ジャパン」的な宣伝手法は役割を終えたが、予定調和めいた「日本のどこか」と、そこでの「私」のたたずまいを魅力的に仕立てる旅行商品づくりは、現在も鉄道会社や旅行業者が継承している。
 面白いことにその中心顧客は、初代「アンノン族」にあたる年配の女性層だ。若い女性たちに売りたい場合も、つまるところ「美しい日本と私」を受け継ぐ世代としてターゲットに据えた商品開発が繰り返されている。そして、そこを目がけ、さらに昨今のインバウンドも皮算用しつつ、「日本のどこか」じゅうが、旅行者が殺到する「日本のどこか」になれないかと、涙ぐましいほど努力しているのだ。わたしもたまに、地域でよくとれる野菜で全国的知名度の名物料理ができないかというような「涙ぐましい」手伝いをしている。

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 国立公園は、このような風景の消費に適応して機能し続けてきたわけでは、かならずしもない。
 一九七〇年代あたりまでこそ、一部の国立公園地域が大型観光地として人気を集めた。しかしあくまで、宿泊・娯楽施設を備えた行楽地としてであり、自然風景顕彰地域としての存在価値、あるいは大衆的注目度は、揺らぎ続けてきたというべきだろう。
 八十五年の歴史を重ねつつある国立公園の現状をざっと調べても、風光名所であるべきか、自然保護区であるべきかという基本概念の部分でさえ揺れている様子だ。
 名所として親しまれるには観光サービス開発が必要だし、生態保護が主目的なら汚染の少ない観察ができる手段を用意しなければならない。そうこうしているうちに、世間の注目は、とうに「世界遺産」へいっている。あるいは「大きな公園」で誰もが連想するのは「東京ディズニーランド」かもしれない。
 国立公園を、その定義から明確にし直そうという意見が、運営の専門家や関係者の間からも出ているのは、無理もないことだ。

 ずいぶん話が広がってしまった。
 あらためて、いま集めている国立公園切手(一九六二年〜一九七四年発行の第二次シリーズ)の魅力について考えながら、話を終えていくことにしよう。(ケ)──この項つづく

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Originally Uploaded on Nov. 21, 2018. 19:00:00
*写真の解像度は低くしてあります


◆記念切手についての記事は→こちら←
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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